Rainy Day
タチバナナツメ様主催「ティル・ナ・ノーグの唄」雨企画用。
後ほど、夜光虫様による挿絵挿入予定^^
しとしとと、冷たい雨が降る。
常春の国、ティル・ナ・ノーグには珍しく、今日は朝から雨が降っていた。
分厚い外套を羽織ったクラウスは、一人、街はずれの霊園へと向かう。今日は、彼が師と仰ぐ騎士の命日だった。
“聖騎士レギ、ここに眠る”
墓前に花をたむけたクラウスは、刻まれた名前をじっと見つめる。
レギことレギナルド=フィデッサーは、クラウスが入隊した当時の第六師団の師団長であり、クラウスは彼を父とも兄とも慕って、己の師とした。
任務中の事故で、彼が命を落として早十年――
冷たい雨が降りしきる中、想いは過去へとさかのぼり、在りし日の師の面影を、瞼の裏に映し出した。
カーン
カーン
カーン
遠くから、サン・クール寺院の鐘の音が聞こえてくる。
「……」
どれほどの時間、そうしていただろうか。
雨は外套を濡らし、体の芯まで冷えさせた。
鐘の音で我に返ったクラウスは、墓前で一礼すると、雨に煙る霊園を後にした。
カララン
ドアベルが軽快な音を立てる。
「いらっしゃいませ! あ、クラウス様」
天気が悪いせいか、店内に他の客はいない。
まだ昼過ぎであるのにどんよりと暗い通りとは違い、店の中は甘い香りと温かな雰囲気に満ちていた。
にこやかに迎えてくれたコレットにほっと息をついたクラウスは、外套を脱いで、ごくわずかに口の端を上げる。
「こんなに濡れて……お仕事ですか? お疲れ様です。
今、熱いお茶を淹れますね。どうぞおかけになってください」
コレットは、クラウスから外套を預かり、壁のフックにかけようとする。しかし、ただでさえ重い外套が、今は雨を吸ってさらに重量を増していた。
「んっ、しょっと。あ、すみません」
背伸びをして一生懸命外套をかけようとするコレットに、クラウスが手を添える。コレットは、無事フックにかかった外套に満足そうに微笑む。そして振り返ろうとしたところを、クラウスが後ろから抱きしめた。
「ク、クラウス様?」
「少しだけ、このまま……」
コレットは、クラウスの様子がいつもと違うことに気付いたのだろう、黙って身を預ける。
クラウスは、紅潮した耳朶や強張った肩に彼女の緊張を感じたけれど、やわらかな体を離すことはできずに腕の中に閉じ込めた。
静けさが二人を包み、しとしとと雨の音だけが響く。
コレットの体温でじんわりと温まったクラウスは、後ろ髪を引かれつつ腕をほどき、コレットを解放した。
「すまなかった」
ぽん、と頭に手をのせて一撫でする。コレットは「いいえ」とかぼそく答えて、顔を両手で覆って首を振った。
「あの、お茶……。この間試作していたお菓子も、できたんです」
「あぁ」
いただこう、とクラウスがうなずく。コレットは、いつもの席についたクラウスに照れたような笑顔を見せ、手際よく花茶と菓子のプレートを用意した。
「ピーチ・ヴィオラです。お店にいらしてくださるお客様に、とっても素敵な方がいらして、よくよくお聞きしたら、若い頃舞台女優をなさっていたという方だったんです。
これは、その方のイメージで作らせていただきました」
丸みを帯びた白い器に盛られているのは、白桃のコンポート。一口食べると、爽やかな甘みが口の中に広がり、雨に濡れた陰鬱な気持ちを吹き飛ばした。
そして、白桃の下には桃のムースとバニラのムースが互い違いに重ねられていて、食べ進めるほどに異なる味が楽しめた。さらに、器の一番下にはラズベリーソース。ムースとからめて口に運べば、ほどよい酸味がいいアクセントになっていた。
「うまい」
「よかった……!」
安堵の笑顔を浮かべたコレットは、他に客が来る様子がないことを確かめてから、クラウスの向かい側に腰かける。そして、この菓子の由来となった女性について話し始めた。
「ヴィオラ=ステイシス……?」
「ご存じですか?」
「いや」
十年以上前に引退したその女優を、クラウスは直に知っているわけではなかった。ただ、今日墓参りをした先に眠る師が、昔一度だけ、酒の席で彼女の名を出したことがあったのだ。
(命日に、彼の好んだ女優の名がついた菓子を食べるとはな)
奇妙な縁もあったものだ。
聖騎士と呼ばれ、女っけのない硬派な騎士の代表のような男が、生涯で唯一口にした女性の名。だからこそ覚えていた。
「本当に、素敵な方なんですよ。もうそれなりのお歳かとは思うんですけど、内側から輝くようなお美しさがあって」
コレットが、嬉しそうに語る。菓子にするほど他者に強い印象を与えるということは、引退したとはいえ、やはり一般市民とは一味違うものを持っているのだろう。
雨が、降る。
窓を濡らす雨粒の量に変化はなかったが、“コレットの菓子工房”にたどり着くまでの、身の内を苛むような寂寥感は、今のクラウスにはなかった。
華やかに香るお茶。
見た目も味も、実にクラウス好みの菓子。
正面には、目が合うたびに、はにかんで笑うコレット。
これ以上のものが、どこにあろうか。
常春の国、ティル・ナ・ノーグに降る雨は、いつのまにか温かい雨に変わり、クラウスが店を出るころにはあがっていた。
「わぁ! クラウス様、見てください」
クラウスの為に店の扉を開けたコレットが、歓声を上げる。
クラウスは、すっかり乾いた外套を手に、コレットが指さす方を見上げる。そこには、七色に輝く虹が浮かんでいた。
「きれいですね……!
そうだわ、今度虹のお菓子を作ってみようかしら。七色のゼリーを型抜きして盛り付けて……。ううん、それよりも七色のスポンジでロールケーキにしたほうが……」
虹を見上げるコレットの瞳が、きらきらと輝く。虹よりも、コレットのその表情のほうが、クラウスの目を引いた。
「……」
白い頬に、思わず手が伸びる。
あと少しで触れる。そう思ったとき。
「分隊長、こちらでしたか」
耳慣れた声を聞いて、クラウスはぎくりと手を止めた。
「いくらなんでもお帰りが遅いと、みんな心配してたんですよ。墓場でぶっ倒れてんじゃないかってね」
「……倒れてなどいない」
「そうですね。お元気そうでなによりです。さ、仕事しましょう。あなたの署名が必要な書類がたまってるんです」
はぁっと深い溜息をついて、クラウスが振り返る。そこには、虹を見上げて談笑する人々に交じって、あきらかに黒い笑みを浮かべたエメリッヒがいた。
「お仕事がたくさん? すみません、私が引き留めてしまったから」
エメリッヒの言葉を聞いたコレットが、眉を寄せる。クラウスは「君のせいじゃない」と、ぽんと頭を撫でた。
「また、明日」
「は、はい」
ぽぉっと頬を染めるコレットに手を振って、クラウスは宿舎へと戻る。
しばらくすると虹は消えて、街はいつも通りの落ち着きを取り戻した。
戻ってみれば、宿舎の分隊室には、うんざりするほどの書類の山が置かれていた。
「ったく、レギ師団長の命日だからって大目に見てれば、通りでいちゃついてるとはどういうことです?」
「いちゃついてなどいない」
「へぇ、そうですか。じゃ、俺があそこで声かけなかったら、何する気だったんです?」
「……」
おまえ、どこから見てたんだ。
そう言いたいのをぐっとこらえたクラウスは、黙々と署名を書く。
「だんまりですか。うわぁ、やらしい。分隊長って、実は結構」
「うるさい。おまえがいると進まない。これはやっておくから、分隊員の訓練でも見てろ」
「酷っ。署名するだけになってるのは、誰のおかげだと思ってるんです? だいたいあなたはですね……」
ネチネチネチ。
エメリッヒの小言は続く。はじめは聞き流していたクラウスも、苦手な事務仕事とエメリッヒの小言の二重苦に、次第に耐えられなった。
「わかったから、とにかく黙れ」
「あっ、そういう言い方するんですか。そうですか、わかりました。じゃ、もう俺何聞かれても答えませんからね。困るのは分隊長ですよ」
「おまえな……」
それではまるで、子どもの言い分だ。
クラウスが居ぬ間に何か嫌なことでもあったのか、今日のエメリッヒはやけにからんできた。
「はい? 今何かいいましたか?」
「いや」
不機嫌そうに言うエメリッヒに、クラウスは短く答えて書類に向かう。
もう黙っていよう。
口下手な自分が、口から先に生まれたようなこの男にかなうわけがないのだ。
クラウスが真面目に仕事を始めたのを見て、エメリッヒはさすがに愚痴愚痴いうのをやめる。
カリカリと羽根ペンを走らせる音と、鳥の声。
ふと、エメリッヒが窓を開けると、雨上がりの爽快な風が吹きこんできた。
「……師団長の墓、きれいになってました?」
「あぁ。ご遺族が手入れをしているようだな」
雨の中ではあったけれど、クラウスが行ったときにはすでに別の花が手向けられていて、墓の周りも掃除が済ませてあった。
「俺も世話になったんで……。今度墓参り行ってみます」
「そうか」
エメリッヒが不機嫌だったのは、一緒に墓参りに行くつもりだったのが、自分だけ行ってしまったためかもしれない。
そう考えたクラウスだったが、これまでも一人で行っていたし、特に一緒に行く話もしていなかったのだから、仕方ないとも思った。
(いや、待てよ。そもそもエメリッヒは、今日が命日だと知らなかったんじゃなかったか。
俺が半休をとるといって、初めて知った様子だった。だから、今年はと思って……)
エメリッヒがレギに世話になったという話も、クラウスは初耳だった。知っていれば声をかけたものを。
「すまなかったな」
「何です、急に」
突然謝罪を口にしたクラウスに、エメリッヒがきょとんとした顔をする。
「来月の月命日に、おまえも行くか」
「月命日? 月命日にも行ってたんですか?」
「いや、行っていない。しかし、コレットが、レギが好きだった女優にちなんだ菓子を作っていた。それを持って行ってやりたい」
「師団長が好きだった女優? 誰です?」
「ヴィオラ=ステイシスというのだが、知っているか?」
「知ってますよ! 親父が好きでした。絵姿を見たことがあります。そりゃもう、すごい美人で。
へえ、師団長も……。意外ですね。
えぇ、ぜひご一緒させてください。あ、こっちの書類、手伝いますね」
機嫌を直したエメリッヒは、山積みの書類の一部を手に取る。
現金なやつだと苦笑したクラウスは、小さな鳥が遊ぶ窓辺に目を移した。
ピ、チチチ
窓の桟を行ったり来たりしている鳥は、羽根は真っ白で、頭の一部とくちばしだけが赤かった。
とっとっと
何がおもしろいのか、右へ左へ跳ねるように歩き、ときおり小首をかしげる。
その動作と色合いとがコレットを思わせて、クラウスは無意識のうちに口元を緩ませた。
「なんですか?」
「いや」
急に手を止めたクラウスを、エメリッヒが伺う。
水滴の残る木々は夕陽を受けてきらめいていた。
今頃は、レギの墓にも美しい夕陽が降り注いでいるだろう。
その情景を思い浮かべれば、冷たい雨に濡れた景色など、あっという間にかき消えてしまった。
後に残るのは、ほめられたり共に喜んだりした、よい思い出ばかり。
そういえば、今日はレギが死んだころのことばかり思い出して、自分の近況報告などろくにしなかった。
コレットのことや一風変わった見習いのこと、相変わらずの分隊の様子など、話すことはいくらでもあったはずなのに。
(これではまた叱られてしまう、な)
来月訪れたときには、コレットを紹介して、分隊の様子も話そう。
窓から書類に視線を戻したクラウスは、署名を続けながら、そんなことを思う。
チチ……!
窓辺を歩いていた鳥が飛び立つ。
穏やかな光が、街を温かな色に染め上げる。
ティル・ナ・ノーグの街に夕陽が沈む。
こうして、今日もまた平穏な一日が終わるのであった。
マダム・ステイシスの設定は、宗像竜子様よりお借りしました。
ありがとうございました^^