表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

Rainy Day

タチバナナツメ様主催「ティル・ナ・ノーグの唄」雨企画用。

後ほど、夜光虫様による挿絵挿入予定^^



 しとしとと、冷たい雨が降る。

 常春の国、ティル・ナ・ノーグには珍しく、今日は朝から雨が降っていた。


 分厚い外套を羽織ったクラウスは、一人、街はずれの霊園へと向かう。今日は、彼が師と仰ぐ騎士の命日だった。


“聖騎士レギ、ここに眠る”


 墓前に花をたむけたクラウスは、刻まれた名前をじっと見つめる。

 レギことレギナルド=フィデッサーは、クラウスが入隊した当時の第六師団の師団長であり、クラウスは彼を父とも兄とも慕って、己の師とした。


 任務中の事故で、彼が命を落として早十年――


 冷たい雨が降りしきる中、想いは過去へとさかのぼり、在りし日の師の面影を、瞼の裏に映し出した。


 カーン

 カーン

 カーン


 遠くから、サン・クール寺院の鐘の音が聞こえてくる。


「……」


 どれほどの時間、そうしていただろうか。

 雨は外套を濡らし、体の芯まで冷えさせた。


 鐘の音で我に返ったクラウスは、墓前で一礼すると、雨にけぶる霊園を後にした。






 カララン

 ドアベルが軽快な音を立てる。


「いらっしゃいませ! あ、クラウス様」


 天気が悪いせいか、店内に他の客はいない。

 まだ昼過ぎであるのにどんよりと暗い通りとは違い、店の中は甘い香りと温かな雰囲気に満ちていた。

 にこやかに迎えてくれたコレットにほっと息をついたクラウスは、外套を脱いで、ごくわずかに口の端を上げる。


「こんなに濡れて……お仕事ですか? お疲れ様です。

 今、熱いお茶を淹れますね。どうぞおかけになってください」


 コレットは、クラウスから外套を預かり、壁のフックにかけようとする。しかし、ただでさえ重い外套が、今は雨を吸ってさらに重量を増していた。


「んっ、しょっと。あ、すみません」


 背伸びをして一生懸命外套をかけようとするコレットに、クラウスが手を添える。コレットは、無事フックにかかった外套に満足そうに微笑む。そして振り返ろうとしたところを、クラウスが後ろから抱きしめた。


「ク、クラウス様?」


「少しだけ、このまま……」


 コレットは、クラウスの様子がいつもと違うことに気付いたのだろう、黙って身を預ける。

 クラウスは、紅潮した耳朶じだや強張った肩に彼女の緊張を感じたけれど、やわらかな体を離すことはできずに腕の中に閉じ込めた。


 静けさが二人を包み、しとしとと雨の音だけが響く。


 コレットの体温でじんわりと温まったクラウスは、後ろ髪を引かれつつ腕をほどき、コレットを解放した。


「すまなかった」


 ぽん、と頭に手をのせて一撫でする。コレットは「いいえ」とかぼそく答えて、顔を両手で覆って首を振った。


「あの、お茶……。この間試作していたお菓子も、できたんです」


「あぁ」


 いただこう、とクラウスがうなずく。コレットは、いつもの席についたクラウスに照れたような笑顔を見せ、手際よく花茶と菓子のプレートを用意した。


「ピーチ・ヴィオラです。お店にいらしてくださるお客様に、とっても素敵な方がいらして、よくよくお聞きしたら、若い頃舞台女優をなさっていたという方だったんです。

 これは、その方のイメージで作らせていただきました」


 丸みを帯びた白い器に盛られているのは、白桃のコンポート。一口食べると、爽やかな甘みが口の中に広がり、雨に濡れた陰鬱な気持ちを吹き飛ばした。

そして、白桃の下には桃のムースとバニラのムースが互い違いに重ねられていて、食べ進めるほどに異なる味が楽しめた。さらに、器の一番下にはラズベリーソース。ムースとからめて口に運べば、ほどよい酸味がいいアクセントになっていた。


「うまい」


「よかった……!」


 安堵の笑顔を浮かべたコレットは、他に客が来る様子がないことを確かめてから、クラウスの向かい側に腰かける。そして、この菓子の由来となった女性について話し始めた。


「ヴィオラ=ステイシス……?」


「ご存じですか?」


「いや」


 十年以上前に引退したその女優を、クラウスはじかに知っているわけではなかった。ただ、今日墓参りをした先に眠る師が、昔一度だけ、酒の席で彼女の名を出したことがあったのだ。


命日こんなひに、彼の好んだ女優の名がついた菓子を食べるとはな)


 奇妙な縁もあったものだ。

 聖騎士と呼ばれ、女っけのない硬派な騎士の代表のような男が、生涯で唯一口にした女性の名。だからこそ覚えていた。


「本当に、素敵な方なんですよ。もうそれなりのお歳かとは思うんですけど、内側から輝くようなお美しさがあって」


 コレットが、嬉しそうに語る。菓子にするほど他者に強い印象を与えるということは、引退したとはいえ、やはり一般市民とは一味違うものを持っているのだろう。




 雨が、降る。


 窓を濡らす雨粒の量に変化はなかったが、“コレットの菓子工房(このみせ)”にたどり着くまでの、身の内をさいなむような寂寥感せきりょうかんは、今のクラウスにはなかった。


 華やかに香るお茶。

 見た目も味も、実にクラウス好みの菓子。

 正面には、目が合うたびに、はにかんで笑うコレット。


 これ以上のものが、どこにあろうか。






 常春の国、ティル・ナ・ノーグに降る雨は、いつのまにか温かい雨に変わり、クラウスが店を出るころにはあがっていた。


「わぁ! クラウス様、見てください」


 クラウスの為に店の扉を開けたコレットが、歓声を上げる。

 クラウスは、すっかり乾いた外套を手に、コレットが指さす方を見上げる。そこには、七色に輝く虹が浮かんでいた。


「きれいですね……!

 そうだわ、今度虹のお菓子を作ってみようかしら。七色のゼリーを型抜きして盛り付けて……。ううん、それよりも七色のスポンジでロールケーキにしたほうが……」


 虹を見上げるコレットの瞳が、きらきらと輝く。虹よりも、コレットのその表情のほうが、クラウスの目を引いた。


「……」


 白い頬に、思わず手が伸びる。

 あと少しで触れる。そう思ったとき。


「分隊長、こちらでしたか」


 耳慣れた声を聞いて、クラウスはぎくりと手を止めた。


「いくらなんでもお帰りが遅いと、みんな心配してたんですよ。墓場でぶっ倒れてんじゃないかってね」


「……倒れてなどいない」


「そうですね。お元気そうでなによりです。さ、仕事しましょう。あなたの署名サインが必要な書類がたまってるんです」


 はぁっと深い溜息をついて、クラウスが振り返る。そこには、虹を見上げて談笑する人々に交じって、あきらかに黒い笑みを浮かべたエメリッヒがいた。


「お仕事がたくさん? すみません、私が引き留めてしまったから」


 エメリッヒの言葉を聞いたコレットが、眉を寄せる。クラウスは「君のせいじゃない」と、ぽんと頭を撫でた。


「また、明日」


「は、はい」


 ぽぉっと頬を染めるコレットに手を振って、クラウスは宿舎へと戻る。

 しばらくすると虹は消えて、街はいつも通りの落ち着きを取り戻した。






 戻ってみれば、宿舎の分隊室には、うんざりするほどの書類の山が置かれていた。


「ったく、レギ師団長の命日だからって大目に見てれば、通りでいちゃついてるとはどういうことです?」


「いちゃついてなどいない」


「へぇ、そうですか。じゃ、俺があそこで声かけなかったら、何する気だったんです?」


「……」


 おまえ、どこから見てたんだ。

 そう言いたいのをぐっとこらえたクラウスは、黙々と署名サインを書く。


「だんまりですか。うわぁ、やらしい。分隊長って、実は結構」


「うるさい。おまえがいると進まない。これはやっておくから、分隊員の訓練でも見てろ」


ひどっ。署名するだけになってるのは、誰のおかげだと思ってるんです? だいたいあなたはですね……」


 ネチネチネチ。

 エメリッヒの小言は続く。はじめは聞き流していたクラウスも、苦手な事務仕事とエメリッヒの小言の二重苦に、次第に耐えられなった。


「わかったから、とにかく黙れ」


「あっ、そういう言い方するんですか。そうですか、わかりました。じゃ、もう俺何聞かれても答えませんからね。困るのは分隊長ですよ」


「おまえな……」


 それではまるで、子どもの言いぶんだ。

クラウスが居ぬに何か嫌なことでもあったのか、今日のエメリッヒはやけにからんできた。


「はい? 今何かいいましたか?」


「いや」


 不機嫌そうに言うエメリッヒに、クラウスは短く答えて書類に向かう。

 もう黙っていよう。

 口下手な自分が、口から先に生まれたようなこの男(エメリッヒ)にかなうわけがないのだ。


 クラウスが真面目に仕事を始めたのを見て、エメリッヒはさすがに愚痴愚痴いうのをやめる。

 カリカリと羽根ペンを走らせる音と、鳥の声。

 ふと、エメリッヒが窓を開けると、雨上がりの爽快な風が吹きこんできた。


「……師団長の墓、きれいになってました?」


「あぁ。ご遺族が手入れをしているようだな」


 雨の中ではあったけれど、クラウスが行ったときにはすでに別の花が手向けられていて、墓の周りも掃除が済ませてあった。


「俺も世話になったんで……。今度墓参り行ってみます」


「そうか」


 エメリッヒが不機嫌だったのは、一緒に墓参りに行くつもりだったのが、自分だけ行ってしまったためかもしれない。

 そう考えたクラウスだったが、これまでも一人で行っていたし、特に一緒に行く話もしていなかったのだから、仕方ないとも思った。


(いや、待てよ。そもそもエメリッヒ(こいつ)は、今日が命日だと知らなかったんじゃなかったか。

 俺が半休をとるといって、初めて知った様子だった。だから、今年はと思って……)


 エメリッヒがレギに世話になったという話も、クラウスは初耳だった。知っていれば声をかけたものを。


「すまなかったな」


「何です、急に」


 突然謝罪を口にしたクラウスに、エメリッヒがきょとんとした顔をする。


「来月の月命日に、おまえも行くか」


「月命日? 月命日にも行ってたんですか?」


「いや、行っていない。しかし、コレットが、レギが好きだった女優にちなんだ菓子を作っていた。それを持って行ってやりたい」


「師団長が好きだった女優? 誰です?」


「ヴィオラ=ステイシスというのだが、知っているか?」


「知ってますよ! 親父が好きでした。絵姿を見たことがあります。そりゃもう、すごい美人で。

 へえ、師団長も……。意外ですね。

 えぇ、ぜひご一緒させてください。あ、こっちの書類、手伝いますね」


 機嫌を直したエメリッヒは、山積みの書類の一部を手に取る。

 現金なやつだと苦笑したクラウスは、小さな鳥が遊ぶ窓辺に目を移した。


 ピ、チチチ


 窓の桟を行ったり来たりしている鳥は、羽根は真っ白で、頭の一部とくちばしだけが赤かった。


 とっとっと


 何がおもしろいのか、右へ左へ跳ねるように歩き、ときおり小首をかしげる。

 その動作と色合いとがコレットを思わせて、クラウスは無意識のうちに口元を緩ませた。


「なんですか?」


「いや」


 急に手を止めたクラウスを、エメリッヒが伺う。

 水滴の残る木々は夕陽を受けてきらめいていた。


 今頃は、レギの墓にも美しい夕陽が降り注いでいるだろう。


 その情景を思い浮かべれば、冷たい雨に濡れた景色など、あっという間にかき消えてしまった。

 後に残るのは、ほめられたり共に喜んだりした、よい思い出ばかり。

 

 そういえば、今日はレギが死んだころのことばかり思い出して、自分の近況報告などろくにしなかった。

 コレットのことや一風変わった見習いのこと、相変わらずの分隊の様子など、話すことはいくらでもあったはずなのに。


(これではまた叱られてしまう、な)


 来月訪れたときには、コレットを紹介して、分隊の様子も話そう。

 窓から書類に視線を戻したクラウスは、署名サインを続けながら、そんなことを思う。


 チチ……!


 窓辺を歩いていた鳥が飛び立つ。




 穏やかな光が、街を温かな色に染め上げる。





 ティル・ナ・ノーグの街に夕陽が沈む。






 こうして、今日もまた平穏な一日が終わるのであった。









マダム・ステイシスの設定は、宗像竜子様よりお借りしました。

ありがとうございました^^

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ