頂き絵③補佐官の受難
ゐうらさんに描いていただきました。
「恋人たちの聖菓戦争」のあのシーンです。嬉しいので小話追加^^
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「待て! この野郎!」
「ちょいと、アンタ! いい加減にしなさいよ!」
大通りを西へ東へ逃げるエメリッヒを、青果店の主人が追う。その後ろを、林檎を持ったメリルが追いかける。
「ご主人、落ち着いて! 話を聞いてください!」
「話もくそもあるか!」
「くそはアンタだよ!」
ガツ――!
メリルの投げた林檎が、男の後頭部に当たった。
どさっとその場に倒れ込む。
「あ……やっちまった」
「あーぁ」
夫に当たるはずだった林檎は、エメリッヒを直撃していた。気を失っている補佐官を、青果店のおかみとその夫が見下ろす。
「おまえ、いくらなんでも酷ぇだろ」
「誰のせいだい。ほら、うちに連れてくから肩貸しな」
「なんで俺がお前の情人を担がなきゃならねぇんだよ」
「だぁから、それが勘違いなんだって。いいかい? アタシとエメリッヒさんはね……」
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「あっははは! それでその瘤なのね」
その日の夜、交易所近くの酒場に、半ば自棄になって酒杯をあおるエメリッヒの姿があった。頭には包帯を巻いている。
向かい側に座り、目じりに浮かぶ涙を拭いているのは、きれいに手入れされた長い爪の女性だ。
「あぁ、もう、笑いすぎて、お腹が痛いわ!」
豪快に笑う彼女の口紅は、紫。体にぴったり沿った光沢のあるロングドレスに、豹柄のボレロを肩にかけている。
「黙れ、ブルーノ=ブルノルト。俺の頭は繊細なんだ。おまえのようにごてごてつけてないからな」
「ちょっとぉ。本名で呼ばないでって言ってるじゃない。
BBよ、BB」
彼女――BBが、口をとがらせてエメリッヒの頬をつねる。
ティル・ナ・ノーグで化粧品店を営むBBは、独自の美意識でカリスマと呼ばれている。
「うるひゃい。にゃにがBBだ。かわいこぶるにゃら、その喉仏をにゃんとかし……痛てててて!」
「喉仏の何が悪いのよ。
いいじゃない? オカマだって胸の空いた服を着たいのよん」
「オカマって自分で言うなよ……」
エメリッヒは、BBに爪を立てられた頬を自分の手の平でこする。
そう、このBB、実は女装好きのれっきとした男性であった。身長185cmにして骨太の体格。今はその肩幅を毛皮でごまかしているが、脱げばがっしりとした双肩がお目見えする。明るい茶色の髪は、たいてい鬘に隠れ、髪と同じ色の瞳は、幾重にも重ねたつけまつげと、こってり塗られたアイシャドーに縁取られていた。
化粧品店とは別に副業で始めた占いが良く当たると評判で、客が好みの男だと要らぬところまで撫でまわすと言う悪癖がある。
エメリッヒも任務関連の聞き込みでBBの店を訪れたときに、占いをしていかないかと言われてさんざんいじられた。
始めはあまり関わり合いになりたくない人種だと思っていたが、歳も近く、苦労人のせいか自らの性癖のせいか非常に懐が深いBBと、いつのまにか親しくなっていた。エメリッヒの毒舌も軽く受け流し、ときに助言さえする彼女――彼と言うと怒られる――は、いまや貴重な友人の一人である。
「あぁ、でも分隊長さんかぁ。アタシ、まだ会ったことないのよね。ね、いい男?」
「おまえの基準がわからないから答えようがないが、指揮官としては上々だ」
「んふん♪ 貴方がそういう言い方するときって、かなり評価が高いときじゃない?
好きなのねぇ、その人のこと。ますます会ってみたいわぁ」
「好きかどうかはともかく、見てておもしろいのは確かだな」
「いちいち前置きしなくていいの! 瘤作るほどかまってるくせに」
「これはメリルさんに……。
いや、分隊長は俺がいなきゃだめなんだよ。職務以外のことはほんと何もできないから」
「はいはい、ご馳走様。
“コレットの菓子工房”も行かなくちゃ。お店に来るお客さんが噂してたのよぉ。美味しいって。
いつか行きたいと思いながら、なかなか忙しくって。今度連れて行ってくれない?」
BBは、つんとエメリッヒの額を人差し指で小突いてから、「お願い」と両手を組んで科を作った。
そんなBBを、エメリッヒは心底嫌そうな顔で見つめる。
「……おまえと並んで歩くのは嫌だ」
「なぁんですってええぇぇ」
ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ。
今度はさっきと違う方の頬をつねられた。
「いひゃい! いひゃいって!」
「アタシと歩きたくないってどういうことよ!
美のカリスマ、美の伝道師、美の妖精の使いとまで言われたアタシとぉぉ!」
「にゃにが美の妖精の使いだ。美の妖怪の間違いだ……痛てててて!」
エメリッヒが言い返すと、BBはもう片方の頬もつねりあげた。長い爪が頬に食い込んで、かなり痛い。
「だから今日もお店で待ち合わせだったのね……。酷いわ」
「嘘泣きにゃんぞしてみせても、かわいくもにゃんともない。いいから手を離せ」
「離さないわ。にゃーにゃー話す貴方がかわいいから☆」
「にゃにぃ! 好きでにゃーにゃー言ってるわけじゃ……だから痛ぇんだよ!」
BBに好きなようにさせていたエメリッヒだったが、痛みが限界になったのか、少々乱暴に友人の手を振り払った。
「酷ぉい。かよわい乙女になんてことを」
「どこがかよわい乙女だ。腕力、俺よりあるんじゃないか」
「ないわよぅ。見て、この細腕」
言って、BBがずいっと前に出したのは骨太の立派な二の腕。
「ね?」
「あぁ、はいはい。
もういいから、何か頼もうぜ。酒ばっかりじゃ胃に悪い」
「そうね。じゃ、私は海王海老のカルパッチョと、クアルンチーズのトマトサラダと……」
「すいませーん! 海王海老のフリッターとクアルンチーズの石窯ピッツァ!
あと鯰の香味揚げに腸詰盛り合わせ」
「ちょっと、アタシの意見全然入ってないじゃない」
「海老とチーズ頼んだだろ」
「そうじゃなくて! あぁん、そんなカロリー高いものばっかり頼まないでよっ」
「俺は昼間走り回って腹減ってんだよ」
「そんなの自業自得じゃない」
「うるさい。男は黙って肉を食え」
「アタシ、男じゃないもの。それに海老や鯰は肉じゃないわん」
「揚げ足とるな。なんだ、自称“限りなく女に近い男”だっけ? やっぱり男じゃないか。
股間に俺と同じのついてるくせに」
「あらん。どうかしら。今夜アタシのうちで確かめてみる?」
「いい」
BBがバチンと片目をつぶると、エメリッヒは激しく首を振ってから、げんなりしてうなだれた。
「俺としたことが……余計なことを言った。
おぇっ、変なこと想像したじゃないか」
「変なことって何よっ」
再度言い合いがはじまろうかというところで、店員が注文した品を運んできた。
「お待ちどぉさまぁ! 海王海老のフリッターと鯰の香味揚げ、腸詰盛り合わせでございまぁす!
クアルンチーズの石窯ピッツァは只今焼いておりますので、少々お待ちくださぁい!」
「きゃぁ、美味しそう!」
「おまえ、食わないんじゃなかったのか」
「食べないとは言ってないわぁ。いっただっきまぁす」
「まったく……調子がいいもんだ」
「何よぉ。せっかく注文したんだから食べなきゃもったいないでしょ」
「別におまえが食べなくても俺が……」
二人の言い合いは続く。
酒場の灯は、夜遅くまで消えることはなかった。
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BBのキャラ設定は、sho-ko様よりお借りしました。
ありがとうございました^^