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(下)

これでお終いです。じっくり楽しんでください。

できたら、評価などいただければ嬉しいです。

あと「中立国家の私」もご一読を。。

 さっきの店員と同じ店員がワインとグラスを持ってきた。

「え? ここから苦々しい話になってくんですか」

 グラスに赤ワインを静かに注ぎいれる部長に尋ねる。

「この話しには白ワインじゃなく赤ワインが良く似合う。白では甘すぎる。皮ごと熟成した、苦味の奥に甘味がある赤ワインが良く似合う。その彼女が同じことを言ってたんだけどね」と赤々としたワインを見つめながら言った。

「ところで吉田君はプラトンという人を知ってるかい?」ワインから目を離し部長が言った。

「名前だけでしたら。哲学者でしたよね?」

「そうだ。イデア論を主に展開した哲学者。プラトニックラブって言葉は知ってるかい?」

「肉体的な愛じゃなく、精神的な愛を求める恋愛・・・・ですかね?」

「そんな感じかな。要は欲情を伴わない純な恋のことだ。この考えはプラトンから発祥してるんだよ」

「へーそうなんですか」

 こんな話を聞いていると、河本部長はうちの会社じゃなくもっと別に似合う仕事がある気がする。



 部長がしたプラトンの話に精通する。

 その彼女は大学で哲学を専攻していて、その中でもプラトンを特に尊敬していたらしくしきりにプラトニックラブについて語っていたらしい。

 電話番号を聞いた日から交流は深まり、動物園。遊園地。美術館。と、数回のデートを重ねた。五回目のデートでやっと部長は告白をした。答えはもちろんオーケーだった。

 が、付き合いだして三ヵ月後の三年生の春に彼女はアメリカに半年間の留学に行ってしまった。

 初めの一ヶ月は胸を何かが締め付ける感覚と、激しい焦燥感が押し寄せた。生きているのに会えないのならばいっそのこと死んでしまってくれたほうが諦めがついて良いと思う夜もあった。

 「死んでしまったことが悲しいのか、会えなくなってしまうのが悲しいのか」

 人が死んだときに泣く理由を考えたときどっちの理由が正しいのか? こんなことを考える夜もあった。もちろん、両方という理由が正しい。しかし仮に一方しか選べないとしたら? そして、会えなくなるのが悲しくて泣くのならば、会いたくても会えないこの状況は同じ悲しみに打ちひしがれていることになる。そう考えて更に泣いた。

 しかし、二ヶ月目には大分落ち着き、三ヶ月目には完全に吹っ飛んだ。理由は新しい彼女ができたからだ。

 その彼女はセックスもやらせてくれるし言うことは無かったが二ヶ月で別れてしまった。

 理由は単純に、アメリカに留学している彼女の帰りが近付くと再び焦燥感がぶり返してきたのだ。焦燥感だけでなく今度は、留学中に新しい女を作ってしまったことへの罪悪感にも胸を押しつぶされそうになり、満月に向かって懺悔する夜もあったらしい。

 そして、彼女は無事帰国した。肌をこんがりと焼き、半年前よりもグラマラスになっていた。

 帰国してから初めて会ったのは三日後の土曜日だった。帰国中に犯してしまった自分の罪への穴埋めも含め、少し背伸びをした。遊園地に行った後に、ふんぱつしてフランス料理屋に行ったのだった。その頃フランス料理店に行く男はかっこいいという風潮があった。

 彼女のアメリカ留学についての感想を主に話しながらフレンチを食べた。

「フレンチ食べてるのにアメリカの話なんかおかしいね」と共に笑ったらしい。

 そのフランス料理屋で「赤ワインが苦手なんだよ」と部長が言うと彼女は「人生には白ワインじゃなくて赤ワインが良く似合う。白では甘すぎる。皮ごと熟成した、苦味の奥に甘味がある赤ワインが良く似合う」と言ったその言葉が今でも耳に響いているらしい。

 因果応報という言葉がある。どんなに罪滅ぼしをしたところで落ちるべき裁きは落ちる。

 その頃、その町の近辺では通り魔が横行していた。

 人間は幸せなことばかりを考えて不幸なことからは目を逸らす。不幸について考えたとしても、自分の許容範囲でのみだ。

 時間は夜の十時位だったらしい。夏が過ぎ、冬の装いを帯び始めた公園のベンチに座って談話をしていたのだが、その日は風も強く寒かったので公園の向かいにある自動販売機に缶コーヒーを一人で買いに行ったらしい。

 自動販売機に百円を入れて缶コーヒーを買ったのだが、出てこない。きっと詰まってるのだろうと思って蹴っ飛ばしたが出てこない。諦めて、少し遠くにある自動販売機に行った。

 その時、強い風が吹いた。ビューという風の中で確かに悲鳴を聞いたらしいのだが、はっきりと彼女だとは断定できなかったらしい。

 缶コーヒーを両手に持って公園に戻ってきたのだが、彼女がベンチに横たわっている。

「まさかな」と思って側まで近寄り、体を揺すって起こすときにやっとその異様さに気が付いた。手に水とは違うぬめり気のある液体がへばり付いた。その時はっきりと顔から血の気を引くのを感じたらしい。

 無理やり起こすと、腹部が真っ赤に染まっていた。その光景を見て部長は完全に気が動転してしまっていたらしい。

 救急車を呼ぶにも携帯電話も普及どころか存在すらしてない時代だ。真っ白な頭でがむしゃらに走り、公衆電話を探した。しかし、物は探しているときに限って見つからないものだ。脳の裏側でさっき彼女が吐き出した言葉かフラッシュバックする。

 公衆電話が見つからず、疲れて立ち止まったときに気が付いた。何も、探さなくても民家の人間によんでもらえば良いのだ。適当な民家のインターフォンを真っ赤に染まった指で押す。

 支離滅裂の言葉でもなんとか理解してくれたらしく、その十分後に救急車が来た。それに遅れて、パトカーが来た。

 救急車を呼ぶのが遅くなったこと、土曜日の夜と言うこともあり受け入れられる病院が遠かったこと。色々な不運が重なり、結局は最悪のパターンになってしまったらしい。

 死亡したのを聞いた夜に、死んでしまうのと、合えなくなるのでは背負い込まなければならない悲しみの形も、色も、重さも、まるで違うのだということが分かったらしい。



「その命日が今日ですか?」三杯目のビールを握りながら聞いた。

「そうだ」

 部長は二本目のワインをグラスに注ぐ。

「今でも罪悪感を引きずって、結婚できないんだよ」そう言って皮肉んで笑った。

「そんな。部長は何にも悪くないですよ。運命だったんですよ」

「彼女の両親もそう言ってくれたよ。良い両親だったよ。一人娘だったのに」

 グラスに注いだワインを一息にグイと煽る。

「それ以来ね。命日の日には必ず線香をあげに言って。毎回謝ってたんだよ」

「今日は?」

 部長はグラスにワインを注ぎながら、口で答える代わりに首を横に振って答えた。

「何故ですか?」

「きっと私は「あなたのせいじゃないですよ」と言ってもらいたくて謝ってたんだ。そんなこと思ったら急に行きたくなくなっちゃってね」と苦笑いをした。

 再び沈黙が流れた。

「あの」と、俺が先に口を開いた。

「なんで、俺なんかにこんな話を?」

 部長は、フッと微笑み「俺も今年で移動なんだよ」と言った。

「はあ」と相槌を打つ。

「だから、良いかなって。それに」

「それに?」

「同じなんだよ。名前が吉田だったんだよ彼女」

 そういって微笑み、グラスに入ったワインを再びグイと煽る。

「やっぱり、俺には赤ワインは苦すぎるよ」と言って泣いてるような笑ってるような表情を浮かべた。


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