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8.祝いの夜・前編

nem, jyaasolar.(祝いの夜・前編)




「ええっ!? 正気ですか坊ちゃん! いくら各支部の商長が集まったとはいえ、宴席には末端の担ぎ手や、商会とは関わりない船乗りたちも招待されているんですよ。万が一危なっかしい事件になりでもしたら……ああ、あたしは怖くてたまりません! 本当にあの『古代人』ソーラーのことを、モガガ」

「おじさん。声が大きい」


 夕刻。邸の一室。午後六時を告げる御神鐘が街に響く中、ロイスは鼻息荒いパコット・ダミエの口を手で封じた。


 もうじき祝宴の会場となるであろう広間には、すでに多くの人々で賑わっている。彼らの笑い声を始め、使用人たちの慌ただしい靴音が通路と壁に隔てられたこの仕立て部屋にもしっかり届いていた。

 手袋越しのちょび髭が大人しくなったことを確認すると、ロイス・ベッケンナーは静かに息を吐いて目を閉じる。



(おじさん、すまないが私はマラノを連れて先に戻っている。あとのことはおじさんに任せてもいいだろうか)

(へっ? そりゃまあ、あたしゃ一向に構いませんけども、どうしてまた)

(理由は屋敷に着いてから話すよ)


 男との口約束を果たしたのは翌日、空も白みきった頃。ちょうどロイスが昨夜の商品を市場販売用と更なる取引用とに分けるよう指示を飛ばしていたときである。


 それまで彼は、あわよくば適当な身の上話でもでっち上げて場をごまかそうと企んでいた。だが噂好きの喋り好き、加えて『商会一のちゃっかり者』で有名なこの中年男を適当にごまかすなど、不可能に等しいのだと改めて思い知らされた。


 台所番の女中が使われていないはずの客室へ出入りしている。副頭領が人らしいものを背負っているのを衛兵が見たらしい。


 どこからどう仕入れたのか、いそいそと馳せ参ずるなり何ともはぐらかしようのない噂話をわざわざ持ち出す年長者を前に、人生経験の浅い若者は真実を告げるより道はないと渋々腹をくくった。

 彼の無尽蔵ともいえる噂の情報網が、逆に助けとなることを祈らざるを得ない。のらりくらりと泳がせるよりもむしろ、完全な味方として引き込んでおいた方が得策ではないかと考えてのことだった。



「要は、周囲に悟られなければいいんだろう」


 ゆっくり放した腕をそのまま顎先へ持っていき、ロイスは考え込む素振りを見せる。

 窓から差す西日が二人の足元と衣装を剥ぎ取られた人型たちに長い影を作った。


「頭領はどこまでご存じで?」

「おじさんやマラノが知っている事実をすべて伝えている。もちろん、これから私が皆に話すこともだ」



 日中に多忙な父を捕まえるのは至難の業だが、自らの睡眠時間を犠牲にすればさほど難しい問題でもなかった。起床係の仕事を奪って寝室の扉を叩けば良いのである。


 私室へずかずかと押しかけ、起き抜けにも関わらず極めて重大な秘密を打ち明けるなど、いくら親子でも失礼に値する。しかしロイスには悠長にしていられる時間がなかった。一商会の頭領ともあろう者が、部下の重要報告を他の客と同じく初めて耳にするとなってはそれこそ無礼千万だからだ。


 ――古代人ソーラーを保護しています。

 一連の詳細を聞いた父、デイビスは言及するよりもまず息子の変わっていない身なりを咎め、「少しでいいから早く休め」と叱りつけた。


「母を泣かせるな」


 たった一言に強い罪悪感が胸の内を抉る。それから父は穏やかな調子で了解の意を示し、彼が祝宴にて話したいと申し出た内容について、助言を始めたのだった。



「父の考えは私が思っていたのとおおよそ同じだった。古代人ソーラーの存在そのものを隠すのは簡単だ。だが、我々は『3's』(サイエス)の夜に戻っている。しかも彗星が落ちた場所(デルバルゾ・マレーア)に、だ。いくら何でも、一言も触れないで置くのは怪しすぎるだろうさ」

「それで、坊ちゃんや頭領はどういうお考えで……」


 青年は不安そうに訊ねてくる男を前に、僅かに目尻を細めてその先を制する。しかしすぐに不敵な笑みを湛え、怯んだ彼をなだめるように言い聞かせた。


「悪いがそこまでは教えられない。父も私も、パコットとマラノには『事情をよく知る役者』になってもらいたいと考えているんだ」


 一足先に広間へ向かい、今から言うことを実行して欲しい――。


 おそらく父、デイビスもまた邸のどこかで側近に命じているだろう依頼を、ロイスは密輸でも持ちかける闇商人のように、低く低く声を落としながら淡々と説明した。




「それじゃあ坊ちゃん、先に宴席でお待ちしてますよ。本当に本当に、古代人ソーラーと会わせていただけるんですよね?」

「ああ。会ってもらえるよう状況を整えてからになるだろうが、必ず叶えるよ。例の件、手筈どおりに頼む」


 お任せを、と口唇を引き結んだ男が肉厚の背を丸めて部屋を出て行く。

 落ち着きのない足音が遠ざかるや否や、ロイスはよろよろと後ずさり窓枠に背を預けた。そして重い荷物をやっとの思いで手放したような、深く長いため息を吐いた。


「ちょっと、まずいな……」


 赤く染まる天井を仰ぎながら独りごつ。


 長旅の上、ほとんど寝ていない彼にとって、今宵の祝宴は苦行と言っても良かった。いつ終わるかも分からない酒杯と歓談を思うと眩暈がしそうだ。鼓動のリズムに合わせて後頭部がズキズキと痛み、時折強い眠気を引き起こす。衝動に任せて髪を掻きむしりたくなる。

 どうにかそれを抑えると、頭へ伸ばしかけた右手を静かに襟元へ下ろし、窓ガラスを鏡代わりに自らの盛装を飾る白いクラヴァットを締め直した。


 燕尾を思わせる上衣の背裾をしっかり後ろへ流し、両袖のボタンがしっかり留まっているかを確認し、最後にうなじの結び目と前髪を整える。夕闇に溶けてこちらを睨む褐色の瞳がひどく不機嫌そうだ。そして眉間に刻まれた深いしわに気づいたとき、ふと何故か昨夜接触した古代人ソーラーの怯えた表情が脳裏に浮かんだ。


 扉を開け、初めて対面した瞬間。

 あのときもかなり眠かった。

 眠かったついでに「大げさなご降臨の割には俺たちと変わらんな」だとか「マラノの言うとおり、そこの草原系プラートメの使用人とほとんど同じ顔立ちなんだな」だのとぼんやり考えていた。もしかするとあの娘――ミツルは、眠気に耐えている自分の目つきが怖かったのかもしれない。もっとも、その後は微笑んだり嫌味を言ったり泣いたりするくらいには、ある程度気持ちを素直に表現できていたようだが。



(私は、ここにいちゃいけないんですか?)


 ……弱気にでもなっているんだろうか。泣き顔まで思い出すのは、余計だ。

 ロイスは鏡の視線を避けるように、前髪をつまんでいた右手で目元を覆う。そして娘の記憶を部屋へ捨て去るかのように、喧騒飛び交う会場へ颯爽と向かった。


 まずかろうと何だろうと自分がしたくてなした行為だ。相応の責任を果たそう。

 そう心に決めた。




   *




 仕立て部屋を出て、廊下を右へ。恭しく道を開ける使用人たちを横目に、今しがた点けられたばかりの天井灯を二つくぐれば、左手に応接間を臨む邸宅の玄関ホールが見えてくる。


「よ、ロイス! 久しぶりだな」

「誰かと思えば……ルヴァじゃないか!」


 黄昏へせり出した象牙色のポーチに開け放たれた玄関口付近、そして光差す広々としたホールには、着いたばかりの招待客が十数人ほどたむろしていた。すると突然、その中の一人がお決まりの挨拶口上を述べる客たちを無視してあからさまな大声を上げる。ぐいぐいと周りを押しのけてやって来る相手を前に、ロイスも思わず頬を緩ませた。


 シルヴァノ・プラント。ミエノ区に本拠を構えるプラント商会の三男坊である。彼の父と長兄が仕切るプラント商会は、中規模ながら服飾を中心とした個性的な商法を扱っており、ベッケンナー商会と一部の業務について互いに協同しあう関係にあった。おそらく商会代表として招待されたのだろう。


「まさかお前が来るとは思わなかった」

「だろう? オレも驚いてる。親父が気を利かせてくれてね、『堂々と親友に会って来い』だとさ」


 言って彼は上着ポケットから素早く封蝋付きの手紙を抜き取り、慌てて駆け寄ってきた使用人頭にサッと差し出した。

 そのささやかないとまでさえ、付添いの夫人方や女中らがこちらをチラチラ盗み見るにつけ意味深な目配せと甘い微笑みで嬌声を上げさせている親友の姿に、ロイスは呆れてものも言えなかった。

 だが特別今に限ったことではない。『街いちばんの色男』と評される彼に言わせれば、老若問わず女性たちは自分にとってみな愛すべき恋人なのだ。


 鍔広の羽根帽子に見え隠れするすっきりとした栗色の短髪、瞳は地中海を映した翡翠。黒を基調とした商団制服を着込む細身でかつ筋肉質な体つき、加えて長身、日に灼けた小麦色の肌を眼前に晒されては、仮にそれが初心な少女たちであったならすぐにまいってしまうだろう。

 相変わらずだ。

 中肉中背の親友がようやく発した、ため息にも似た小声に対して、ふと愛想を振りまくのを止めたシルヴァノは首を傾げ意地悪く笑ってみせる。


「再会する頃には、オレが節制を尊ぶ紳士ワイアットにでもなってるんじゃないかと思ったか?」

「いや。全然」


 即答するや、意地悪い笑みが突然快活な笑い声となった。釣られてロイスも吹き出した。


「決まってるだろ。お前が紳士ぶるのは、本気の恋愛に持ち込みたい女が同時に迫ってきたときだけだ」

「おっと、言ってくれるじゃねえかロイ坊ちゃんよ。オレがいつ紳士ぶってたって?」

「もう忘れたのか。健忘症なら詰め所に行って診てもらえ。二ヶ月前に花街通りの角で泣き喚かれた挙句、鳩尾みぞおちと頬を殴られてたのは、何処のどいつだ」

「見られてたのか……。ちょっと待て、さてはキアラだな。あの野郎いつもは『ルヴァの女癖の悪さなんか興味ないね』なんて言っときながら、あのとき妙にオレの身辺を嗅ぎ回るからおかしいと思ってたんだ。ロイ、どういうことだ、説明しろッ」

「どうもこうも、そういうことだ。ああ、しかしあれは傑作だった。思い出すたび腹がよじれる!」


 恐れ知らずの若者たちは、盛り上がった内輪話を止める術を知らない。ギョッとする周囲に目もくれず肩を震わせてひとしきり笑い合った。やがてほとぼりが冷めると、シルヴァノがおもむろに崩れた衣装を手早く直し、帽子のつばを軽く持ち上げながら直立して相手を見据えた。


「ロイス・ベッケンナー殿におかれましては、このたびの旅商及び商談の無事完遂とご帰還、まことにおめでとうございます」


 翡翠色の双眸がまっすぐ自分を見下ろしている。ロイスは主催らしい優雅な立ち姿を崩さぬまま、口元に軽い笑みを浮かべ歓迎の意を示した。


「ミエノ区プラント商会長に代わりまして、このシルヴァノ・プラントが心からのご挨拶と歓待への感謝を申し上げます」

「感謝の意、大変嬉しく頂戴します。ようこそいらっしゃいました、シルヴァノ殿。せめてものもてなしではありますが、飲み物などを用意させましたので、心行くまでお寛ぎいただきたい」


 口上を述べて二人は各々軽く握った右手を左の胸元に置いて頭を垂れ、その後握手を交わす。『心の中まであなたを信頼します』という意味を持つ、海洋同盟ではごく一般に知られる男性同士の儀礼的挨拶である。


「そろそろ始まる。こっちだ、案内しよう」

「おう」


 たまたま周囲にいた招待客たちの挨拶にも応えていたロイスだったが、そのすぐあと来客の途絶えた一時を見計らいシルヴァノの斜め前方へ滑るように進み出た。広間は玄関ホールから見て中央に陣取る大階段を昇った先にある。


 午後七時。

 晩秋のベッケンナー商会本部の空は、肌寒い風が吹き流れていた。






 コンパクトにまとめるつもりがまたしても長くなってしまった。続きます。


【今回登場した単語】

・ヤーソラ jyaasolar :祭典、祝宴、祭り

・プラートメ praatm'ee :東部大草原同盟に広く分布する人種の総称。草原系。

・ワイアット hwiatt :騎士、紳士(のちに騎士そのものが廃滅し、現在は騎士道を重んじる人や紳士という意味合いで用いられる)


 ※更新日同日、作品中の一部を改稿させていただきました。

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