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7.出会い・後編


tyo, Whyur ee tu si?(出会い・後編)




 失礼します、の意味を込めて軽くお辞儀をし、スプーンを右手に構える。手始めにスープからいただくことにした。シャンデリアの明かりで金色に映える表面をすくうと、波打つようにささやかな具が流れ込んでくる。玉ねぎのみじん切りだろうか。お腹の減りも極限ということもあってか、鼻を通る匂いは抜群。さて、お味の方は?


 一口すすった瞬間、しょうゆに似たものすごく馴染み深い味が喉を通り、頭の中が一気に混乱した。明らかにヨーロッパ的な文化丸出しの雰囲気なのに、どうしてしょうゆが。大豆でも作ってるのか。

 ――いや違う。これはただのしょうゆじゃない。少なくとも私が普段慣れ親しんでいたものよりも少しすっぱい味がする。しかも口の中で転がすほど、コンソメみたいな澄んだ味が広がっていく。どちらかというと『しょうゆ風味のコンソメスープ』に近いのだ。……ああ困ったな、何て言えばいいんだろう。つまりこれは前菜的なスープじゃなく、この中にパスタとかうどんとか他のものを入れたらもっとおいしいぞ、的な。とにかくスープだけじゃ物足りない。何か他の…………そうか、だからパンがあるんだ。


 私は間髪入れず二口目を含んだ次に、パンをちぎって放り込んだ。砕かれた焼き目がサクッと耳を刺激する。思ったとおり、小麦のもっちりした甘さとスープの塩辛さがベストマッチだった。おいしい。すごくおいしい。私はしばらくの間無言でスプーンを上げ下げし、白身を切り分けて頬張った。


「うん――」


 無意識のうちに声が漏れる。俯き加減の視界の端で、前方の彼が注意を向けてきたような気がしたが、どうせ分からないだろうと思ってそのまま独り言を呟いた。


「おいしいなぁ」

「当たり前だ。賄い程度の食事だが、これもうちの料理長が仕込んだ味付けや火加減だからな。腹が減っているのにどうしてさっさと食べないんだ」


 見てのとおり毒なんて入っていないぞ、と愛想もなく言うその口調にカチンときてしまい、俯いたまま応える。


「そんなこと思ってないですよ。あれはちょっと、謙遜が卑屈になっちゃっただけで……ていうかこれ賄いなんですか? へえ、賄いってこんなにおいしいんですね」


 お母さんが時々テレビ番組のレシピを真似して作る『適当シリーズ』の何百倍もおいしい。まあ味付けも火加減も目分量だから比べること自体失礼なんだけど。ポロッと口に出すなり、キツネ目くんは「細かい部分はよく聞き取れないが、お前の母親はどうやら料理長に弟子入りした方がよさそうだな」と冗談っぽく言った。


 ですよねー、なんて相槌を打ちながら最後の一口だったソテーを飲み込む。そのすぐあとに、突然黙りこくった目の前の彼が「おい、お前」と偉そうに呼びつけるもんだから、私は少々機嫌を損ねつつ顔を上げてやった。


「何でしょうか。……ん? あれ?」


 鋭いつり目が今は驚き一杯に見開かれている。そうだ。何だろう、この違和感は。私も釣られるように彼を見据えた。

 時間が流れる。食事は二人ともとっくに終わっていた。静まり返る部屋の中、自分の鼓動がどんどん早まっていくのを感じる。目の焦点が合わない。相手の茶色の瞳もまた揺らいでいる。きっと向こうだって、違和感の正体に気づいたからこそ固まったままでいるのだ。


「あのう」


 彼が言わないのなら仕方ない。


「もしかしなくても、言葉、通じてますよね」

「……そうみたいだな」


 私たちは信じられないものを見るかのように、口元を引き結んで手元のお皿を注視した。あの絶望的な戸惑いから何か変化があったといえば、この食事しか思い当たるふしがない。


「料理長さんが、特別なおまじないでも掛けてくれたんですかね」


 痛々しい空気に耐えられなくなって、つい柄にもない冗談を口走ってしまう。私の乾いた笑いに対してロイスは肯定するでも否定するわけでもなく、ただ苛立たしげに目を閉じた。乱暴に頭を掻きむしるお陰でせっかくのきれいな金髪がボサボサと結い目から飛び出る。


 なんて非現実的な。

 そう低く唸る彼の言葉に、私も同意せざるを得なかった。


   *


 ロイスは、今まさに私がいるお屋敷やその他たくさんの土地を所有する『ベッケンナー商会』という、いわゆる会社みたいな組織の跡取り息子なんだそうだ。ここはその商会の本部兼自宅。もっと詳しく言えばお客様のための部屋。本部は街全体を四つに分けたうちの一つ、『レシタ区』というところにあって、その街というのがデ、デルばりゅ――


「デルバルゾ・マレーアだ」


 そう、『デルバルゾ・マレーア』。舌を噛みそうな名前。海に浮かぶ島々が作る、海洋同盟という集まりのリーダー的存在。まあ簡単に言えば政令指定都市ってことだよね。


「さっきから意味不明な単語を端々に使うが、ちゃんと理解しているのか」

「もちろん分かってますよ。ロイス・ベッケンナーさんが海に落ちた私を助けてくれたんでしょう? 本当にありがとうございました。あとこれは、私の国の言葉に置き換えてるんです。ちゃんと理解するために」

「そうか。それは失礼した。しかし、お前は言い方が嫌味たらしいな。『古代ヤーハン人ヤーハナー』とはみんなそうなのか?」


 あんたに言われたくないよ、と反論しようとして止めた。仏頂面に加えて傲慢で嫌味な性格だとしても、この人は私の恩人でしかも正真正銘のお坊ちゃんなのだ。楯突いたら追い出されかねない。

 表向きはしおらしく装いながら「すみません」と謝ってみせたあと、話題をすり替えるために何でもないような顔をして「マラノさんはどうしたんですか」と尋ねる。


「マラノは娘のところへ帰った」

「そうなんですか」


 残念、あの人がここにいたら殺伐した雰囲気にはならなかったかもしれないのに。すると逆に「質問はあるか」と問われた。


「質問があるかどうか考えたいので、頭の中を整理する時間をください」

「分かった。少し休憩しよう」


 ロイスはテーブルから離れ、あの女の子が残していったカートから水差しを手に取る。やっぱり自分のだけしか淹れないんだな、と内心がっかりしつつ、私は痛くなったお尻をむずむず動かして椅子へ浅く腰掛け直した。



 この空間は間違いなく現実だ。いくら納得できなくてもそう思い込むしかない。アニメや漫画なんかでよくあるシーンが頭に浮かぶ。

 何て言ったらいいのかは分からないけど、私は某アリスのような、いわゆる『異世界迷い込み』というスペシャル技を繰り出してしまったらしい。


 言葉の壁がいきなりなくなってラッキー、とばかりに今まで訊きそびれていたことを次々ぶつけた。ここはどこなのか。どうして私がここにいるのか。分かる範囲で構わないから、と頭を下げると、彼は嫌々ながらも思いのほか丁寧に教えてくれた。ちなみに制服と鞄は違う場所に干してあるらしい。


 みんなは私のことを『古代人』(ソーラー)と呼び、十数年に一度だけ神様が連れてくる違う国の人だと知っていること。私は海の神様に呼ばれたからこの街に来たこと。私みたいな人種は東の地方に多く暮らしていて、ニホンだとかジャパンだとか言う国の人間は、ここでは『古代ヤーハン人ヤーハナー』として区別されているんだということ。すごく物知りな人だ。


 ついでに言えば、薄々気づいていながらも想定内だった『突拍子もない出来事』を正面から淡々と説明されて、半ばパニックにもなりかけた。自らがありがたくも説明してやっているのに、いちいち「嘘だ」「夢だ」と嘆く女がかなり気に障ったと見える。眉間にしわを寄せて彼は、私に説明の一字一句を復唱させたのだ。まあ、お陰でだいぶ冷静になれたんだけども。


 それからどうでもいいことなんだけど、彼の発音から「マラーノさん」だと思っていたあの格闘家さんは、例の謎現象によって実はマラノさんだったことが判明した。ネイティブでは「ラァ」を強調して発音するということか……よく分かんないけど。

 じゃあさっきの女の子は? と尋ねたら、お坊ちゃんはメイドさんの名前までは知らないらしく「あとで自分で訊けばいい」と突っぱねられた。あの子は私のお世話係なんだそうだ。友達にはなれないのかなあ。


 考えが整理されていくうち、素朴な疑問が浮かんだ私は右手を小さく上げて彼の注意を引きつけた。


「あの、ロイスさん。質問です」

「何だ」


 グラスを手にテーブルへ着いた彼の両目をじっと見つめる。


「私はこれからどうなるんですか? 日本へ戻れるんですか?」

「……それを今話そうと思っていた。お前の今後にとって大事な話だ」


 デルバルゾ・マレーアにはもう一人の『古代人』(ソーラー)がいる、と目の前に座る彼は静かに続けた。名前はハンナ・バツータ。響きからして私と同じ人種ではないものの、きっと私の境遇を一番よく心得ている人間だろうとのこと。


「ハンナは海洋神ウルディノに仕える神官だ。普段は参拝客への祈祷が忙しくなかなか姿を見せないが、お前が来たことは知っているはずだから、直接会うのはそう難しくないだろう。機会を見て神宮へ連れて行く。それまでは俺が身の安全を保障しよう」


 もっと分かりやすく説明してくださいと頼むと、彼の飾らない言葉がストレートに返って来た。


「もうしばらくしたら、当代神官にお前の今後を託すということだ」


 私は返事ができなかった。ちょっとしたショックを受けた自分に驚いたのと、まさに住む世界が違う、それこそ今知り合ったばかりのこの人たちに愛着を感じていたのだと知って。

 胸の奥から込み上げてくる何かを必死で抑えた。抑えながら、涙声を隠し切れないまま彼に尋ねる。


「あ、あのう。質問です」

「だからなん…………何だ?」

「私は、ここにいちゃいけないんですか?」


 ロイス・ベッケンナーは答えなかった。心底意外そうに目を瞬かせる様子に居たたまれなくなり、こっちが先に折れて視線を絨毯の花柄模様へ投げ落とす。

 そうだと言われて状況を受け入れる覚悟はできていない。我ながらバカな質問だとは思った。お世話になっといて更に甘えるなんて、子どもじゃないんだから。


 でも、私は込み上げる気持ちに耐える自信もなかった。何故ってこの人たちがものすごく優しい人だと思ったから。『古代人』(ソーラー)とは知りつつも、自分たちと全く違う種類の小娘を拾ってくれた。しかも怪我まで診てくれた。お腹が空けば食事を用意し、誤解にしろ同じものを食べてまで安全だと証明してくれ、彼らにしてみれば常識外れな質問にもちゃんと応えてくれた。


 彼らにどういう思いがあるのかは知らない。うまく利用されているのかもしれない。でも私自身がそうだと思ったのだから、これは優しさ以外の何物でもないんじゃないだろうか。


 そんな人たちと離れたくない。



 ――待てよ、冷静に考えてみたらやっぱりバカで独りよがりな質問だ。すぐ撤回しよう。私は涙目を手の甲で拭い、鼻を啜って改めてロイスの方へ向き直った。


「すみません。や、やっぱいいです。答えなくても」


 さっきのは忘れてください、そう言おうとした口唇が自然とすぼむ。無表情かつ無愛想なイメージしかなかった彼が、今は何とも言えない顔を浮かべてテーブルを睨んでいる。

 怒っているような、戸惑っているような。初めて見る、この人は実は私と同い年ぐらいじゃないかと思えるような表情。

 しばらくして彼は口ごもりながら言った。


「……いけなくは、ない。お前が望むのなら、そうなるようにやってみよう」


 飲みかけのグラスを空けると同時に席を立つ。


「もうじき明け方だ。とにかく休め」


 去り際、嫌味を全く感じない穏やかな調子で呟かれたなら、さすがに素直に頷くしかない。何だろう。何があったんだろう。


 ほどなくして、お世話係の女の子が水桶と手拭いを持ってやって来た。彼女の名前を訊こう、そう心に留めていたはずが実行に移せない。

 私の脳裏にはロイスのあの表情が焼きついて離れないでいた。


 ……申し訳ないけど、これじゃ休めないなぁ。たぶん。






【今回登場した主な単語とセリフ】

・メア mea :娘さん、お嬢さん(未婚女性に対しての呼びかけに使う)

・ウィウレ トゥ スィ? Whyur ee tu si? :あなたは誰ですか

・ワイ ナナス トゥ スィ? Whay nanas tu si? :あなたの名前はなんですか


 あとは話の中に出てきたとおりの意味です。

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