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4.古代人・中編

quen, Sscanta solarr kulr Scar.(古代人・中編)



 ロイスとマラノが屋敷の門をくぐる頃には通りの騒ぎはほとんど収まっていた。彼らもよく知る、瀟洒な匂い漂う住宅街の空気が戻りつつあった。


「お帰りなさいませ、ロイス様」


 寝静まった街中に両開きの鉄門が重く開かれる。懐かしい石畳を踏みしめると、近くにいた護衛兵や使用人が畏まってこうべを垂れた。声を聞きつけ奥から駆けてきたのは使用人頭である老年男で、寝間着に上衣を引っ掛けた姿のまま二人の前に馳せ参ずる。


「長旅、お疲れ様でございました」

「ああ。道中色々あって、こんな時間になってしまった。父上と母上にご挨拶申し上げたいのだが、まだ起きておいでだろうか」

「はい。ご両人ともロイス様のお帰りを今か今かとお待ちでございます。すぐにご帰着をお知らせし支度を整えますので、しばしお部屋にてお待ちください」

「分かった。この夜分だ、くれぐれも『ロイスが無理を言ってすまない』と伝えてくれ」

「かしこまりました。ロイス様もごゆるりとお寛ぎください。他の者にお着替えと軽い食事を運ばせましょう」


 言われた青年は僅かにためらい、首を振って制した。


「いや、それは遠慮しておく。もうじきパコットが荷車を先導して戻って来るんだ。私は彼らの苦労のためにも、商長として蔵に運び入れるまでの仕事を成そうと思う」

「さようでございますか。それでは、どうぞご無理をなさらぬよう……」


 男が一礼し来た道を戻っていくまで見届けていたロイスは、すぐさま注意深く周囲へと目をやった。そして左手の方から――あれは台所番の女中だろう、粗末な前掛けを身に着けた二人の女性が水瓶と果物かごをそれぞれ抱えて、向こうに立つ衛兵の前を通り過ぎようとしていた。


「そこの女たち。少し用がある、こちらへ来い」


 突然頭領の子息に呼びつけられた娘らは肩を震わせた。小走りで近づいてくる姿を横目に、青年は隣に立つ大男へ視線を投げる。


「マラノ。古代人ソーラーを客室に寝かせてくれ」

「へぇ、了解です。……坊ちゃん、これが終わったらちょいとウチの方へ寄ってもよろしいですかい? 早く娘の顔が見たくて仕方ねぇもんで」

「そうだな、そうするといい」


 女中はお呼びでしょうかと恐る恐る答えた。ロイスは団服の懐から銀貨を取り出すと、二人の手に握らせる。


「お前たちに仕事を頼みたい。しかしこの仕事は私の一存であって、もちろん誰にも口外してはならない。これから見るもの聞くもの一切、誰にもだ」


 拒否の声が上がる前に早口で用件を話し始めた。


「その仕事が済んだあとで構わない。急ぎレシタ区の医師詰め所へ行って、当直の医者を連れて来て欲しい。それと……」


 不意に言葉尻を切り、目の前の娘たちをまじまじと見つめた。水瓶を抱えた一人は彫りの深い顔立ちと豊かな赤毛を編み込んでおり、一目で生粋の海洋同盟人であることが分かった。もう一方は切れ長の瞳と薄い口唇が、どことなく東寄りの雰囲気を醸している。


「お前、出身はどこだ」

「はっはい。わたくしはカロクムという、大草原同盟南部にある稲処の出でございます」

「そうか。では、お前には別の仕事を頼もう」


 ロイスは彼女に古代人ソーラーが目覚めるまでの世話を言いつけた。もちろん、事情を伏せて「東方出身者と思われる遭難者を保護した」とだけ説明することも忘れない。

 もし仮に古代人ソーラー『古代シャンヒー人』(シャンハイア)『古代ヤーハン人』(ヤーハナー)だとすれば、今後自分が接点を持つときに、まず同じような顔立ちをした大草原同盟の者を介していた方が何かとやりやすいだろうと思ってのことだった。


「分かったか」


 強く念を押す。別に凄みを入れたわけではなかったのだが、二人の女中は怯んだように目を逸らして小さく返事をした。それを見たマラノはすかさず調子の良い声色を放ち、一歩前に進み出る。


「よおし。そうと決まればサクサク動くぜ。赤毛の姉ちゃんよ、その重そうなヤツは厨房に持ってくんだろ? おれに寄越しな、あんたはすぐに詰め所へ向かってくれ」

「で、ですが。マラノ様は背中に遭難された方を背負われていて……」

「このくらいのこと朝飯前よ。そらっ」


 重心を右側へ傾けたかと思うと、大男は娘が両手で抱えていた水瓶を奪った。曲げた左腕の隙間にすっぽりと収める。

 「早く台所に案内してくれ」とばかりの視線を向けられた東方系の娘は、慌ててスカートの裾を掴み足早に歩いていく。赤毛の娘も、会釈を残して鉄門の横にある通用口の方へ走り去った。


 一人石畳に残ったロイスの頬に、涼やかな晩秋の風がなびいている。そうして数分と待たないうちにパコット・ダミエの朗々と響く歌声が近づいてきた。


   *


「ロイス! 長い船旅、ご苦労様でした。母はきっと無事に帰って来ると信じておりましたよ」

「母上……ご心配をお掛けしました。父上も、お元気そうで何よりです」

「うむ。ロイスよ、お前も商長として初めて赴く商談を経て、心身ともに成長したようだな。父として誇りに思う」


 通された応接間は仄かに温かかった。暖炉にくべてある薪が黒く燻っていることからも、この部屋に長い間人の出入りがあったのだろう。決して要人の接待だけではない。一体長いこと誰が留まっていたのかは父と母の様子を見ればすぐ分かった。まだ二人とも平服を着込んでいたからだ。


 暖炉の傍ら、テーブルを挟んでソファに座る母、クレア・ベッケンナーは終始にこやかだった。旅の出来事を尋ねては、息子に瓜二つの茶色い瞳を細めてコロコロと笑う。口下手な息子が訥々と語る話に熱心になって聞き入り、深く相槌を打ち、穏やかな仕草で続きを促す母の佇まいはロイスにとってひどく心地好いものでもあった。

 その心地好い空気が乾いた拍手によって中断される。両手を持ち上げたままの父、デイビスが二人を交互に見比べた。


「今宵はこの辺りまでにしておこう。喜びを分かち合い土産話も尽きぬようだがもう夜も更けた。クレアや、お前は先に休んでいなさい。続きは明日の酒宴でじっくり聴くこととしようではないか」

「そうですか……。残念ですが、仕方ないですわね」


 立ち上がった妻の手の甲に慈しみの口付けを施し、デイビスはソファに凭れたまま言葉を続ける。


「僅かばかりの規模だが、明日は全会員に通知して宴を開き、商団と船員たちの苦労を労おうと思う。ロイス、お前には皆に向かって簡単な演説をしてもらうつもりでいるから、心得ておきなさい」

「分かりました」


 クレアが侍女を伴って静かに部屋を出て行った。それを確かめるように見ていた父が、ようやく重い腰を上げた。


「さて」


 豊かな顎髭をさすりながら息子を見下ろす。しかしその瞳にあった、父親が子に向ける愛情のようなものはすっかり消え去っていた。


「これから仕事の話だ。執務室へ行こう」


 ロイスがソファから立つか立たないかのところで、「マラノはいるか」と応接間の外へ声が掛かる。反応はすぐ返ってきた。


「へぇ、ここに」

「今すぐ此度の商いの遠行日誌と取引目録を持って来い」


 坊主頭の大男が一礼して顔を覗かせると、頭領はこの先の人払いを命じるとともに彼の同席を促した。三人の靴音が応接間を離れ、廊下を辿り、突き当りにある豪奢な扉へと続いていく。ロイスは室内灯の照らす薄明るい廊下で、斜め前を歩く父のうなじをぼんやりと盗み見た。


 父は見た目こそいかにも厳格堅物といった体だが、周りの評判では朗らかでいて気風も羽振りも良いという。だが価値なし、儲けなしと見なしたものについては銅貨一枚すら融資しない。この部分だけを見れば、利益を優先する商売人らしいもっともな性質なのだろうが、ロイスには彼が何のどこを見て金を出すのか、出さないのかがいまいちよく分からないでいた。分からないことを平然と行っている父の姿が、子どもの頃から恐ろしかった。


 一度は援助を断った相手方へ、後日たくさんの詫びの品々を持って謝りに出向いたことがある。かと思えば釣りや賭け事に興じていた最中に「閃いた」と叫び、未踏の交易経路を開拓したこともあった。

 かつて祖父が礎を築き根を張らせたベッケンナー商会は、この父が花咲かせたと言ってもいい。ロイスにしてみれば奇行とも取れる数々の行いが、商会を海洋同盟指折りの大組織に仕立て上げたのだ。


 いずれは自分が継がねばならない商会。それを思うと、ちょうど辿り着いた部屋に漂う重厚な緊張感のように、彼の胸中がこれでもかと締めつけられた。その理由の大部分は卓上で目録に目を通す父なのだということを、果たして本人はどこまで気づいているだろうか。

 いや。偉大すぎる父には下らない悩みなのかもしれない。

 四方の壁を囲む本棚の側に佇み、ロイスは自嘲気味に口元を歪ませた。



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