表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

10.祝いの夜・後編


jzyue, jyaasolar.(祝いの夜・後編)




「それで、それでどうなったんです? 古代人(ソーラー)は坊ちゃんの呼びかけにどう返答したんですか?」

「パコット! 話の腰を折るんじゃないッ」


 広間を支配していた緊張感は、極限まで焦らされ我慢ならなくなった小太り男の一声によって呆気なく事切れてしまった。人目もはばからず絹地の頭巾をはたいた同僚商長の言動は、同席する招待客らの心情をよく表していた。

 何とも言えぬ気まずい空気が漂う。そんな中一人ロイスだけが忍び笑いを漏らして言った。


「大丈夫だパコット、それにセランネル商長。あと少しで終える予定だったんだ、要点だけをかいつまんでお話ししよう」


 さっきまでの厳粛さとは打って変わり、まるで冷え切った雰囲気を和ませるように、穏やかな調子で語り始める。


 娘が口を開きかけたそのとき、街の大通りから幾人かが息せき切って駆けてきた。暗がりながら、全員が海洋神のシンボルである鉾と羅針盤をかたどった紋様を身に着けており、一目で当代神官に仕える者たちだと分かった。

 彼らは口々に娘へ声を掛け、塔を登って恭しく歩行を促す。やはり彼女は古代人だったのだ。そして海洋神ウルディノの庇護に下った。


「――以上が私の見たもの、聞いたものの全てです。今頃古代人は神宮で手厚い保護を受けているでしょう」

「あのう、ロイス様。ロイス様がお助けになった女性は……」


 恐る恐るといった体で、得意先の夫人が尋ねる。


「そちらもご心配は無用。どうも疲れているらしく部屋で休ませておりますが、目立った外傷もなく安堵しております。記憶が戻り次第詳しい事情を聞き、身元を照会した上で今後の処遇を決めるつもりです」


 言い切ったあと、夫人の安らかな表情を見届けて青年は言葉を続けた。


「当代神官に続き二人目の古代人がこの街においでくださった。その奇跡の夜に私は戻り、古代人を垣間見ることができた。これは『3's』(サイエス)が……いや、海洋神が我々を祝福してくださっているに違いありません。今後デルバルゾ・マレーアはますます活気づくことでしょう。そしてベッケンナー商会と、我々をご支援くださる皆さんの明日に多くの恵みがもたらされるようにと心から願って止みません。さあ、大変長らくお待たせいたしました。皆さん、どうぞお手を」


 陶酔とはこのことを言うのだろうか。あれほど気にかかっていたシャンデリアの輝きが、今は自分を照らす暁光にさえ思えてくる。

 指先で摘まんだグラスを目の高さまで持ち上げ、絶妙の好機を待って高らかに言い放った。


「乾杯!」


 一斉に一口を煽った直後、広間に割れんばかりの拍手が沸き起こる。『3's』に乾杯。デルバルゾ・マレーアに、ベッケンナー商会に乾杯。めいめいの掛け声と口笛と労いの叫びに囃されて、ロイスは照れ臭そうな笑みを一瞬浮かべた後に父を振り返った。


「誇張し過ぎましたか」

「いや、良い出来栄えだった。わしの教えたとおりだろう。少し大げさな方がちょうどいいのだよ」


 不敵に笑いながらデイビスが葡萄酒を空ける。あらかじめ広間の中へ不確かな噂を流すことで、人々は真相を知りたがる。そこへさながら舞台演出のごとき段取りを使って事実と虚構を織り交ぜた真相を明かし、相手の好きなように解釈させるというのが彼の考えだった。成功すればそれで良し、たとえ不審に思われても当の古代人は容姿も境遇もでっち上げなのだからのらりくらりとかわせばいい。デイビスらしい、大胆で博打じみた作戦だ。


「父上。ところで、次の商談ですが――」

「これロイス。酒の席に仕事を持ち込むでない。今宵はお前のための宴だぞ、もっと羽目を外しなさい」

「しかし」


 青年の言い分を遮って、広間の中央から野太い声が響く。


「ロイス様、そんな辛気臭ぇ顔させてちゃ酒がまずくなりまさぁ。こっちへおいでなせえ! 頭領もさぁさ、こちらへ! 皆と楽しみましょうや!」


 既に酒盛りと化した集団の中からマラノが数歩踏み出し、二人を誘った。パコットによる爽快な繁盛唄を筆頭に、招待客らは職種を越えて談笑と踊りに興じていた。騒ぎをじっと見つめていた父子は互いに顔を見合わせ、肩を竦めて輪の中へ入っていく。


「この調子ではすぐに酒が尽きてしまうわい。そこのお前たち、酒蔵からありったけの葡萄酒を持って来い。とっておきの瓶も余さずにな、ワッハッハ!」


 頭領の大盤振る舞いに会場が沸いた。ロイスは先輩商長に肩を組まれ、否応なしに騒ぎの中心へと引きずり込まれる。挨拶疲れからか突然襲った眠気と闘いながらも覚悟を決めるしかなかった。

 何にせよ一仕事終えたのだ、浴びるほど飲んでも構うまい。

 やがて使用人が抱えて来た大量の酒瓶を、ロイスはやさぐれた気持ちで睨みつけるのであった。




   *




 デルバルゾ・マレーアの空に塩気を孕んだ夜風が吹きつけている。

 儀式めいた祝宴は開始から二、三時間のうちにあっさり終わりを迎えていた。時刻は夜半をとうに過ぎ、草木も眠る明け方前、場所を変えて身内だけを招いたごく小さな宴会がようやくお開きとなる。


「ロイス、今夜はどうもありがとう。旅のお話をたくさん聴けて、母はとても楽しかったわ。あなたも楽しめていたなら良かったのだけれど。どうかゆっくり休んでちょうだいね」

「はい。私も母上と久しぶりにお話ができて大変嬉しかったです。母上こそ、お酒を召し上がったのですからお体には十分気をつけてください。それでは、おやすみなさい」


 伏し目がちに息子が母の手を取り、そこへ慈しみを込めた口付けを施すと、クレアは我が子に受け継がれた茶色の釣り目を緩ませて愛おしそうに微笑んだ。二人の侍女を従えて夫デイビスとともに寝室へ帰っていく。

 マラノは一足先に娘が待っていると慌てて戻っていた。パコットはつい先ほどまで酒宴での働きぶりを自慢げに披露していたものの、突然仰向けに倒れて眠りこけ、今しがた使用人に抱えられて部屋を出たところだ。

 本部に常駐する親しい商長らも、一人また一人と邸外の自宅へ戻った。最後に両親の背を見届けたロイスは、今度こそ一仕事終えたとばかりに深いため息を吐いた。


「ロイス様。お部屋までお送りさせていただきます」

「いやいい、自分で歩ける。お前にも長いこと苦労を掛けたな。他の仕事も残っているだろう、もう下がっていい」

「まこと恐れ入ります。それでは、のちほどお部屋へ酔い覚ましの煎じ茶をお持ちいたしましょう」

「ああ。私からも頼む」


 隅に控えていた使用人頭が「おやすみなさいませ」と一礼して扉を閉めたのを最後に、ここ談話室に残されたのは彼のみとなった。

 大の大人が十人ほど集まり、ついさっきまでは息苦しささえ感じていたのに。決して広くはない室内は穏やかな静謐せいひつに満ちていた。中央へ置かれた低い猫足テーブルには空の酒瓶とグラスが無造作に並び、暖炉には燃え尽きかけた薪が黒くくすぶっている。

 ロイスは後頭部を押さえながら千鳥足で踵を返し、手近に置かれたスツールへどっかりと腰を下ろした。


 まずは誰もが興味を抱えて止まない、古代人の虚像を与えてやった。これでいくらかの時間は稼げるだろうが、すぐにでも噂は街中へ広がるだろう。その前に彼にはやっておかなければならないことが山ほどあった。古代人の周囲に危険が及ばぬよう、信頼できる者たちを選び守りの体制を整える。また少しでもこちら側に溶け込ませるため、最低限必要な知識と教養を身に着けてもらう。この二つが当面の課題だ。

 後者は既に適任者を見つけてあり、今日から(厳密には昨日からなのだろうが)出向いてもらっている。


「ロイス。あなたは仕事の依頼をしているつもりなのでしょうけど、私はそのつもりなんてこれっぽっちもないわ。話を聞いたときからずっとそうよ。私はただ純粋に、古代人の力になりたい。しかも相手は古代ヤーハン人(ヤーハナー)かもしれなくて、女の子ならなおさらだわ。今日の昼過ぎからよね? もちろん行きますとも。だけど報酬も特別休暇も結構。この件に関しては私の自由にさせてちょうだい。そして私にその話をするときは、今後一切仕事の顔を貼りつけて来ないで」


 とは本人の弁だが、これ以上口出しすると余計な火の粉を浴びかねないので、言葉通りの自信を受け取っておいた。好きにさせてくれと言われればこちらが言うことは何もない。任せてしまってもいいだろう。

 問題は前者の方である。


 頭に浮かぶ候補から誰を加えて誰を遠ざけるかを考えるうち、出し抜けに暖炉の薪がバチンと大きく爆ぜた。やがて湧いたあくびとともに強烈な眠気が再びロイスを襲い、思慮を放棄させようとする。

 耐えられなくなったロイスは開いた両膝にそれぞれの肘をつけるようにしてぐったりとうなだれた。たびたびシルヴァノや他の友人らと飲み明かすことは過去にもあったが、それにしても少々無茶をしすぎたかもしれない。

 このまま床で眠ろうかなどと半ば本気で悩んだ。しかしいずれ片付けに訪れるだろう使用人の手前、下世話な醜聞となっても困る。

 ……とりあえず小難しい思慮をこそ床へ放り投げて、体は寝所に預けよう。なけなしの理性を駆使して青年が出した答えは単純であった。



 廊下に点々と灯る明かりだけが頼りだった。普段ならばほんの数分で辿り着く道のりを、ロイスは前屈みの姿勢を取りながら壁に手をついて一歩一歩進んでいる。

 やはり使用人頭が進言したとおり部屋まで案内させればよかっただろうか。幼い頃から何ら変わらぬ景色であるにも関わらず、暗闇と酔いでいまいち方向感覚がつかめない。


「誰かいるか」


 答えはなかった。自らの掠れた声だけが辺りに鈍くこだますと、青年は肩を落とし再び歩みを進める。

 ようやく夜目に慣れてきた頃だった。壁際に置かれた長椅子を避けるようにして通り過ぎたとき、ふと誰かの気配を感じてすぐ横を睨みつける。そこにいたのは自分の姿だった。椅子の上には、父が交易で手に入れた美しい細工の壁掛け鏡が飾られていたのだ。

 虚ろな色を映す双眸を見つめるうち、ロイスはとある娘の顔を思い出した。二人とも似たような褐色をしているからだろうか。これまで古代人としての彼女の動向を考えないときはなかったが、祝宴前の仕立て部屋での一件のように、自らの瞳の中に『ミツル・イマイ』という娘を見出すことは時折あった。

 すると必ず、忘れようにも忘れられない彼女の言葉が耳を通して脳裏に響いた。


(私は、ここにいちゃいけないんですか?)


 何故あんな質問をしたのだろうか。出会って間もない人間に対し、「まだここにいたい」とも解釈できる質問を。

 最初は意味が分からず唖然とした。少なくとも商いを志す者ならば、初対面でいきなり相手の懐に飛び込むような態度を示すなど以ての外だったからだ。せっかく無償で得た衣食住の場が惜しいのか。そう無理に納得させてはいたが、どうも彼女の幼稚な言動には似つかわしくない気がして、腑に落ちなかった。


 そんな相手へ、何故らしくもない安請け合いをしたのだろう。お前が望むのならそうなるよう取り計らおうと。今もそうだ、自分は数日間どころか、出来る限り彼女が屋敷内で安全に暮らせるようにと考えを巡らせていた。

 哀れにでも思ったか。いや違う、古代人はあくまでも利益をもたらす対象でしかない。では長い期間世話を続けて恩を売っておくか、さもなくば手近に置くことで身辺を注視しやすくするためか。否、それさえあとからこじつけた結果論でしかない。

 口達者な適任者の弁を借りれば、あのときロイスはただただ純粋に彼女の望みに応えたいと思った。だが理由を説明できない。根拠のない事実が彼をひどく混乱させた。


 分からない事象への恐れ。それは彼自身が父であるデイビスに抱いている感情とよく似ていた。しかし決定的に違ったのは、恐れとは逃れたいと願う恐怖そのものではなく、得体の知れない『彼女』に対する興味と好奇心から来るものだったということである。

 ミツルが暮らしていた異世界とやらは、一体どんなところだったのだろう。家族はいたのか。友人は。職業は。

 理由はどうあれ、自分にもまだ個人の内面へ向けたささやかな執着心があったのだと、内心驚いた。そして心中に湧く衝動を抑えきれずもう一度声を荒げた。


「誰か、いないのか」

「ここにおります。お呼びですか、ロイス様」


 廊下の奥から男が無骨な音を鳴らして馳せ参じた。目を凝らして見れば簡素な鎧と脛当てを身に着けており、腰のベルトに細身の曲刀をいている。


「お前は…………そうか」


 先日、ロイスが古代人の当面の夜間護衛にと銀貨をちらつかせて配置換えさせた兵士だった。脳内見取り図は既に役に立たなくなっていたが、どうやら向こうは客室が並ぶ離れへと続いているらしい。


「娘はまだ起きているのか」

「ええ、まあ。ですが……」

「少し話がしたい。部屋へ案内を頼む」

「しかし」


 衛兵は一瞬うろたえたが目の前に立つ主人が素面しらふでないことを悟るや、即座に口を噤んだ。己の正義と保身を比べた後に得る利益は明白だったようだ。唸るように了承の返答をしたあと静かに道を開けた。


「こちらです。どうぞ」


 不規則な靴音が闇に溶けていく。

 果たして夜分に年若い娘を訊ねる行為は下世話な醜聞にならぬのだろうか、という良心の叫びは、もはやロイスの耳に届かない。

 なけなしの理性すらあったのだろうか。こうなってしまっては、大いに疑問である。




 遅くなりました。次回更新はミツルのターンです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ