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身体検査

 オリエンテーションが終わったのは、午後の光が少し傾き始めた頃だった。


講義室を出た新期生たちは、指示された通りに列を作り、赤線の廊下を進む。足音が揃う。誰かが咳払いをするだけで、空気が張り詰める。教官の「私語厳禁」が、まだ背中に貼りついているようだった。


廊下の先、青線の区域――医療部門の管理下にある検査区画へ誘導される。


壁面には、青いラインとともに無機質な文字が刻まれていた。


『兵士部門 身体検査センター』


扉が開くと、消毒薬の匂いが鼻を突いた。清潔で、冷たく、どこか人間味が薄い匂い。白い床に青いライン、天井は高く、照明は均一で影を作らない。


受付の白衣が淡々と告げる。


「番号を呼ばれた者から進んでください。遅延は記録されます。」


番号。


今日、誓約書に書いた名前よりも先に、ここでは番号が優先された。新期生は各自、入団式の前に配布された仮番号の札を胸元に付けている。たったそれだけのことなのに、胸の奥が少しだけざわつく。


イナバが小声で言う。


「……検査って、こんなガチなんだな。」


「黙れ。」


グレイが即座に釘を刺す。ここは医療区画。どこに耳があるか分からない。


ハクヤは黙って頷いた。


列は流れるように分岐し、検査室へ振り分けられていく。まるで工場のラインだ。人間が、次々と工程に流されていく。


最初は身長と体重。


白い台に乗せられ、機械が数値を読み取る。担当者は画面を見て入力するだけで、顔色も変えない。


「姿勢を正して。顎を引いて。はい、終わり。」


次に視力、聴力。


覗き込み式の機械、ヘッドホン。ボタンを押す手。番号を告げられ、合図のタイミングに合わせる。


その次は握力測定。


金属のグリップを握りしめると、数字が跳ねる。


「……強いね。」


白衣が初めて感情らしい声を出した。だがそれは褒め言葉ではなく、データに対する単なるコメントだった。


続いて血圧測定。


腕に巻かれるカフ。締め付け。脈の音を拾う機械。


心電図。


胸と手首、足首に貼られる電極。冷たいジェルが肌に触れる。モニターには波形が走る。白衣は波形を見て頷き、何も言わない。


採血。


腕を固定され、ゴムバンドで締められる。針が刺さる瞬間の痛み。透明な管を血が流れ、複数の試験管が順に満たされていく。


(多くないか……?)


ハクヤは内心で思う。


一本なら分かる。健康診断でも採血はある。


だがここは違う。試験管の数が多い。色付きのキャップがいくつも並び、番号が貼られ、機械のトレーに載せられていく。


血液型、血糖、肝機能、腎機能、感染症検査、免疫指標、炎症マーカー、ホルモン値、代謝関連、遺伝子検査に使われるらしい項目――説明はされない。ただ必要だから採られる。


次は尿検査。


薄いカップを渡され、指定された個室で採取する。提出口に置くと自動で吸い込まれ、機械が解析する。


骨密度測定。


足首を固定し、低い振動が骨に伝わる。数値が出る。


呼吸機能検査。


マウスピースを咥え、合図で息を吐き切る。肺が痛くなるほど吐かされる。


筋電図。


細い電極で筋肉の反応を測る。ピリッとした刺激が走り、思わず眉が動く。


皮膚の導電率。


汗の量や反応速度を見るらしい。掌にセンサーを当てられる。


反射速度の測定。


光が点滅し、ボタンを押す。指先の感覚が試される。


関節可動域。


腕を上げろ、脚を伸ばせ、膝を曲げろ。医療班は一切遠慮がない。ハクヤは人形みたいに扱われる。


脳波に近い検査もあった。


頭部に小さなセンサーを当てられ、短時間だけ静止を命じられる。何を測っているのか説明はない。


検査の数は、とにかく多い。


健康診断という言葉では足りない。もっと目的が別にある。体が兵士として使えるか――もっと言えば、体が実験に耐えるか。


だが、その本質を新期生の誰も知らない。


知らされない。


最後の検査室に入ったとき、ハクヤは少し疲れていた。あちこち触られ、針を刺され、息を吐かされ、数字を測られ続ける。精神が削られる種類の疲労だった。


白衣が淡々と告げる。


「最後。毛髪提供。」


机の上には、小さな透明袋。番号ラベル。細いピンセット。


「一本でいい。抜いてください。」


「……一本?」


ハクヤは思わず聞き返しそうになり、飲み込んだ。質問は余計なものだ。寮で覚えた。


彼は自分の頭髪を指でつまみ、一本抜いた。


プツ、と小さな感覚。痛みはほとんどない。


たった一本。


なのに、妙に嫌な感覚が残った。


白衣はそれをピンセットで受け取り、透明袋へ入れる。ラベルの番号を確認し、端末に何かを入力する。


パチ、とシールを閉じた音がやけに大きく聞こえた。


それが後に――ハクヤの未来の道を塞ぐものになることを、今の彼は知らない。


検査区画を出る頃には、列はもう半分ほど進んでいた。イナバが先に終わっていたらしく、廊下の壁にもたれて待っている。顔色は平気そうだが、目だけが落ち着かない。


「終わったか?」


「……終わった。長すぎだろ。」


「だよなぁ……採血、何本も取られたし。」


イナバが小声で愚痴る。


グレイは一足遅れて合流し、短く言った。


「……これは記録だ。慣れろ。」


慣れろ――その言い方が、妙に冷たかった。グレイが元からそういう性格なのもある。けれど今は、言葉の奥に何かがある気がした。


次の工程は配給。


兵士部門の装備配布室へ進むと、金属の匂いがした。油と鉄と、機械の熱。


長机の上に、整然と並ぶ装備。


量産型の兵士専用ロングソード。鞘と一体の簡易ベルト。


そして小型の拳銃。予備マガジン。簡易ホルスター。


担当の整備士が淡々と言う。


「番号。受領印。装着。確認。次。」


流れ作業だ。


ハクヤはロングソードを受け取った。重みが手に伝わる。質感は悪くないが、どこか均一だ。個性のない武器。大量生産の匂いがする。


ハンドガンは冷たかった。


金属が掌に吸い付く感覚。初めて触れるわけではない。寮でも訓練用は扱った。だが実銃の重さは、訓練品と違う。


(これを腰に……。)


ホルスターに収め、ベルトを締める。ロングソードを腰に吊るす。


その瞬間、体の重心が変わった。


兵士の体になった気がして、胸が少し高鳴る。


だが同時に、背中が冷える。


武器を持つということは、誰かを傷つける可能性を持つということだ。守るために、傷つける。


それは寮でも習ったはずなのに、実物を腰に付けた瞬間、現実になる。


配布が終わった新期生は次へ誘導される。


寮の部屋割り確認。


巨大な掲示板に、番号と部屋番号が並ぶ。紙ではなく電子パネルだ。スクロールしながら探す。


ハクヤは自分の仮番号を見つけ、部屋番号を確認した。


(……ここか。)


指定のロッカールームへ向かう。入団式の前にランダムに配布された自分の番号のロッカー。そこから衣服や貴重品が入った荷物を取り出す。


ロッカーを開けると、村から持ってきた小さな袋が出てきた。着替え、手紙、財布、身分証のようなもの、そして母が押し込んだ小さな布袋――中には、お守り代わりのハンカチのような白い布。


ハクヤはそれを見て、胸の奥が少しだけ柔らかくなる。


(母さん……。)


だが、感傷に浸る暇はない。流れに乗って歩かされる。


寮へ。


兵士養成寮とは別の兵士部門寮。外縁の訓練棟とは違い、ここは主殿に近い。廊下はより白く、より静かで、より監視の目が多い気がした。


案内された部屋は、小窓のある小さな一人用の個室だった。


扉を開けると、最低限の家具だけがある。簡易ベッド、机、椅子、壁付けの収納。水回りは共用らしい。窓は小さく、外の光は入るが外はよく見えない。


(……狭い。でも、ひとりだ。)


寮では相部屋もあった。今は個室。気楽とも言えるし、妙に孤独とも言える。


ハクヤは荷物を床に置き、武器を壁の専用ラックに掛けた。ロングソードの金属がカチリと鳴る。ハンドガンはホルスターのままでもいいが、規定通りに外し、指定のロックケースへ入れる。鍵を回す。


机の上に身分証と小銭入れを置き、衣服を畳む。


小さな部屋に、自分の匂いが少しずつ移っていく感じがした。


そして、ふと気づく。


歯を磨く準備をしようとして、洗面道具を探し――空だ。


「……やべ、歯ブラシ忘れた。」


声に出してから、少し笑ってしまう。


(何やってんだ、俺。)


緊張していたせいか、肝心なものを入れ忘れていたらしい。


ハクヤは身分証や小銭入れなどの貴重品を軽くズボンのポケットに入れる。念のため、上着の内ポケットにも確認する。寮で叩き込まれた癖だ。無くしたら終わるものは必ず二度確認する。


そして購買へ向かうために部屋を出た。


廊下は夕方の光に染まり始めていた。照明は相変わらず均一だが、小窓から差す外光が床に薄く伸びている。


冥土の一日目が終わりに近づいている。


今のハクヤはまだ知らない。


自分の出生についてなど。


なぜ自分がこの都市に呼ばれたのか。


なぜ、あの鎖の女が自分に言葉を投げたのか。


たった一本抜いた髪の毛が、どんな意味を持つのか。


知らないまま、ハクヤは白い廊下を歩いていく。


購買の灯りへ向かって――。

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