プロトタイプ
午後。兵士部門・新規入団者オリエンテーション。
ハクヤ、イナバ、グレイは、指定された区画へ向かい、無言の流れに乗って着席していた。座席は段状になった講義室で、白い壁、白い天井、白い床――冥土らしい無機質な統一感がある。だが床に引かれた赤いラインだけが、ここが兵士部門だと主張していた。
室内には、新期生がぎっしりと詰まっている。
寮で見かけた顔もいる。見覚えのない顔も多い。皆、白い支給服の襟を正し、背筋を伸ばして前を向いている。緊張と期待が混ざった空気が、薄い膜のように漂っていた。
ハクヤは隣のイナバを横目で見る。
イナバはいつもなら口を動かしているのに、今は妙に静かだった。あの廊下で鎖の女を見た後、少しだけ雰囲気が変わった気がする。グレイはいつも通り無表情で、前方の壇上を見つめている。だが目の動きは早い。全体を見ている。
講義室の前方、壇上に教官が立った。
白い支給服。赤線。胸元に階級章。年齢は四十前後に見える。目つきは鋭く、声は低い。喋り方に余計な感情がない。必要な言葉だけを切り出して投げるタイプだ。
「――着席。私語厳禁。」
一言で、室内のざわめきが消えた。
教官は端末を操作し、背後の壁面スクリーンに文字を映し出す。
『兵士部門 新期生講座:兵士の等級制度』
教官は淡々と説明を始めた。
「冥土の兵士にはランクがある。これは能力の優劣を示すだけではない。役割と権限と運用を決める指標だ。理解しろ。」
声が講義室に響く。冷たい音が、白い壁に反射して戻ってくる。
「まず、無実験の者――通称“プロトモデル”。お前たちだ。プロトモデルは一般兵として運用される。任務は警備、巡回、輸送護衛、災害派遣、外縁部の治安維持。訓練と実績により班長、副班長などの役割は与えられるが、根本の分類は変わらない。」
ハクヤは頷いた。
(一般兵……つまり俺たちはここから始まる。)
当たり前の説明のはずなのに、教官の口から言われると分類される感覚が強くなる。人ではなく、部品として扱われるような――そんな感覚が、胸の奥に小さく引っかかった。
教官は次のスライドを表示する。
『ニューモデル』
「次に、実験を乗り越えた者をニューモデルと呼ぶ。」
教官は一瞬も間を置かず続けた。
「身体強化実験を受け、冥土の規格に適合した者だ。プロトモデルとは身体能力、回復力、耐久性、反応速度――あらゆる基礎が異なる。任務も異なる。危険地帯投入、対外戦、鎮圧、討伐、特殊護衛。簡単に言えば、冥土の刃として扱われる」
実験。
その単語が、講義室の空気を僅かに変えた気がした。
新期生たちは誰も声を出さない。だが背中の緊張が増したのが分かる。未知のものに触れるときの、無言のざわめき。
イナバが小さく唾を飲み込んだ音が聞こえた。
教官はさらにスライドを進める。
『等級:C / B / A / S』
「実験の回数によってランクが付く。」
教官は指でスクリーンを指す。
「一回目でCランク。二回目でBランク。三回目でAランク。それ以降はSランクとされる。」
文字は単純で、説明も簡潔だった。
だが、聞きようによっては恐ろしい。
回数。
人体に何かを施すのを、回数で段階づける。まるで鍛造の工程みたいに。熱して、叩いて、形を変えて、強くする――そういう冷たさがあった。
ハクヤはふと、窓辺で見た鎖の女の琥珀色を思い出す。
(あれも……この実験の結果なのか?)
教官は続ける。
「ニューモデルとなった兵士には必ず番号が与えられる。例:ナンバーC123。ランクと個体識別を兼ねる。身分証明書にもなる。行動履歴、任務履歴、適性、検査結果――すべて番号で管理される。」
番号。
名前ではなく番号。
なぜだろう。胸の奥が少しだけ冷えた。ハクヤは自分の名を思い浮かべる。ハクヤ・ヴェルネ。今日、誓約書に書いた名前。あれがいつか、番号に置き換えられるのか。
イナバが、ほんのわずかに眉をひそめた。
しかし誰も口を挟めない。挟む空気がない。
教官は淡々と、次のスライドへ移った。
『実験適性検査』
「身体強化実験は誰でも受けられるわけではない。身体への負担がある。適性検査により耐性を診断し、許可が下りた者のみ実施される。」
負担がある。
その言い方が、妙に軽い。
まるで筋肉痛が出る程度の話みたいに。
教官はそこで初めて、ほんの一瞬だけ視線を客席へ滑らせた。新期生の顔を見るというより、数えるような目つきだった。
「身体が弱い者には副作用が現れることがある。よって定期的な身体検査は義務だ。違反すれば処罰対象となる。」
副作用。
それが具体的に何なのかは言わない。
教官の口は、必要なところだけを通るように言葉を選んでいた。わざと曖昧にしている。わざと踏み込ませない。
そして、次の言葉が落ちた。
「……ただし。」
教官の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「本講座において、実験に関する不安、恐怖、憶測の拡散を禁ずる。冥土の兵士は秩序を乱す言葉を吐かない。覚えておけ。」
その一文だけで、教官が言ってはいけない領域を持っていることが伝わった。
言ってはならない。
口にするだけで、秩序が崩れる何かがある。
だが新期生の誰も、それを怖いとは捉えない。まだ知らないからだ。知らないままの方が楽だからだ。
ハクヤも、この時点ではそうだった。
危険があると言われても、それは任務の危険だと思ってしまう。兵士なのだから当然だ、と。
教官の背後――講義室の左右と後方には、警備役の先輩兵士が立っていた。数名。壁際に溶けるように、背筋を伸ばして並んでいる。
だが、その目が――おかしかった。
光がない。
虚ろで、焦点が合っていないようにも見える。眠いのではない。疲れているのでもない。
空っぽだ。
ハクヤは一瞬、背筋が寒くなる。
イナバも気づいたのか、視線をそらし、喉を鳴らした。グレイは表情を変えないが、目だけが警備兵士の方へ一度だけ動き、すぐに壇上へ戻った。確認した。危険を確認した時の動きだ。
教官はその視線の意味など気にせず、講義を続ける。
「最後に、お前たちプロトモデルが今すべきことは一つだ。規律を守れ。体を鍛えろ。命令に従え。勝手な判断をするな。勝手な正義感を持つな。勝手な疑問を抱くな」
疑問を抱くな。
その言葉が、妙に引っかかった。
だが誰も反応しない。
教官は言い切り、端末を閉じる。
「以上。次。銃術講座に移る。装備の扱い、保管規定、射撃姿勢、反動制御、弾薬管理。生き残りたいなら、耳を開け。」
その瞬間、前方の扉が開き、別の教官が入ってきた。長いケースをいくつも台車で運んでいる。金属が触れ合う音が、講義室に冷たく響いた。
銃。
ハクヤの胸が高鳴る。
(いよいよだ。)
兵士になっていく感覚が、少しずつ現実になる。
だが。
講義室の隅に立つ警備役の先輩兵士たちの目は、相変わらず虚ろだった。
そしてハクヤはまだ知らない。
その虚ろさが、ただの疲労ではなく――戻れないものを背負った者の目だということを。




