表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

散歩の者

 食後、残りの休憩時間。


食堂から出たばかりの廊下は、人の流れがゆっくりとほどけていくところだった。兵士部門の赤線の上を歩く足音、医療部門の青線を行く白衣の擦れる音、研究部門の緑線から聞こえる端末操作の小さなクリック音。全部が混ざり合っているのに、妙に秩序がある。


ハクヤはイナバとグレイと並んで、廊下の一角にある巨大な窓へ向かった。


そこは、室内なのに外気が少しだけ近く感じる場所だった。窓は壁一面に広がり、透明度の高いガラスの向こうに、巨大開発都市メイロポリスの内側が切り取られている。


「……うおぉ。」


イナバが思わず声を漏らす。


ハクヤも同じだった。


窓の下には、広い中庭が広がっていた。白い石畳と、整然と並ぶ低木。噴水のような設備が中央にあり、日光を受けて水面がきらきら光っている。中庭の周囲には回廊が巡り、白衣の人々が小さな点のように行き交っていた。


中庭の隣には大型病棟。


建物は巨大で、外壁には青いライン。窓が多く、内部が明るいのが分かる。救急搬入口らしき広い通路には白い車両が並び、ストレッチャーが運ばれていくのが見える。病棟の最上階には、ヘリポート――ではなく飛行船の接岸スペースがあるらしく、空中回廊が伸びていた。


そして少し遠くには、高層ビルの群れ。


白と灰の高層塔が幾本も立ち、そこに黒いガラスのビルが混ざる。倉庫群、工場群、煙突、巨大な配電塔。さらに高層マンションらしき住居区画が連なっていて、整然と並ぶ窓が日光を反射している。


それは――村の「町並み」とは比べ物にならない。


(……ほんとに国だ。)


ハクヤは喉を鳴らした。


北の雪深い村フロウエルの景色――雪原と木々と、低い家々。あれが彼の世界の全部だった。なのに今は、窓の外に別の世界が広がっている。見れば見るほど大都会で、胸の奥が勝手に熱くなった。


兵士養成寮で過ごした日々も、思い出す。


薄暗い寮の廊下。朝の号令。冷たい水で顔を洗い、眠気を叩き落として走ったグラウンド。剣の握り方、銃の構え方、呼吸の合わせ方。失敗すれば叱責。怠れば減点。けれど――その中で、少しずつ「自分はここまで来たんだ」と思えるようになった。


グレイは無言のまま、窓の向こうを見つめている。けれどその横顔は、ほんの少しだけ柔らかい。驚いているのか、圧倒されているのか。目の光がいつもより明るい気がした。


イナバが肩をぶつけるように笑う。


「おいハクヤ。これ、やべぇな。寮のグラウンドなんて砂場だったわ。」


「……比べるな。」


ハクヤが言うと、イナバはニヤリとする。


「でも見ろよ。あの工場、煙吐いてねぇ。たぶん排気制御完璧なんだろ。あれが冥土の技術ってやつだ。」


「……詳しいな。」


「情報は武器だっつったろ。」


グレイがぽつりと言った。


「……ここで働く人間も、ここで暮らす人間も、全部冥土の中にいる。外に出なくても国が回る。」


その言葉が妙に重かった。


外に出なくても回る国。


それは便利で、強くて、完璧で――そして閉じている。


ハクヤは窓に手を当てた。ガラスは冷たい。けれど、外の光は温かい。日差しが白い廊下を照らし、床に薄い影を落としている。その影すら、均一に見えた。


「……すげぇな。」


ハクヤは素直に呟いた。


「だろ?」


イナバが満足そうに頷く。


三人の目が輝く。


見れば見るほど未来があるように思えた。ここなら強くなれる。ここなら何かになれる。ここなら――守れる。


その時だった。


背後から、鎖の音が鳴り響いた。


――ジャラ……ジャラ……。


空気が変わる。


さっきまで窓の外に心を奪われていた三人の意識が、同時に引き戻される。


金属が擦れる音は、あまりに現実的で、あまりに冷たい。食堂の雑音では紛れたものが、廊下ではまるで警告のように響いた。


イナバが真っ先に肩を強張らせる。


グレイは視線を落とす。反射だ。寮で染み込ませた「余計なものを見るな」という生存本能。


ハクヤだけが、ゆっくりと振り返った。


そこにいた。


白いフードの影。


猫背気味で、顔は見えない。フードが深すぎる。口元まで白い布で覆われ、息遣いも分からない。両手には手錠。そして足首には鎖が繋がっている。鎖の先を、後ろの監視員が面倒くさそうに握っていた。まるで犬の散歩のように――いや、犬よりひどい。


監視員は兵士部門の者だろう。白い制服に赤いライン。腰には警棒と短銃。目が死んでいる。慣れている目だ。こういう“散歩”に。


(……また。)


ハクヤの喉が乾く。


フードの奥から、琥珀色の瞳が覗いた。


その瞳が、まっすぐにハクヤを睨む。


――獣の目。


いや、獣よりも、人間の憎しみが混ざった目。


ハクヤは思わず息を飲んだ。


動けない。


足の裏が床に張り付いたみたいだった。身体が言うことを聞かない。目だけが、その琥珀を追ってしまう。


イナバが即座に目を逸らした。


グレイも同じだ。関わってはいけない。関わったら終わる。そういう匂いがした。


「お前は何故、ここに来た……。」


低い女の声。


布の奥から出てきた言葉は、冷たくて、荒れていた。怒りだけではない。痛みと、焦りと、諦めが混ざったような声だった。


ハクヤは喉を鳴らす。


「え……?」


返事が、間抜けに響いた。自分でも情けない。だが質問を投げられて黙れるほど、ハクヤは器用じゃない。


フードの女は、ハクヤの反応を見て、眉間をさらに寄せたように見えた。表情は見えないのに、空気で分かった。


身長は――ハクヤより一回り小さい。だが、存在は大きい。背丈の差なんて意味がないほど、圧がある。


「……出ていけ。」


その言葉は、命令に近かった。


「は……?」


ハクヤは反射的に聞き返してしまう。意味が分からない。冥土から出ていけ?何故?今日入団したばかりなのに?


その瞬間、イナバがハクヤの袖を掴んだ。


「おいハクヤ、無視しろっつって……!」


声は焦っている。イナバは冗談を言う時の顔じゃない。目が真剣だ。寮で何度も見た顔だ。危険を察知したときの顔。


ハクヤは袖を掴まれたまま、フードの女を見た。


「で、でも……!」


言葉が出る。止められない。相手が危険かどうかより、相手が人間の声で喋っていることが、ハクヤの中の何かを刺激していた。


フードの女は一歩近づいた。


鎖が鳴る。


監視員が面倒そうに鎖を少し持ち上げる。足首の鎖が引かれ、女の歩幅が強制的に制限される。それでも女は進もうとする。


「お前はここから逃げろ。」


今度は少し声が大きかった。


怒鳴っているわけじゃない。だが必死だ。必死に言葉を届かせようとしている。


ハクヤの背中に汗が浮く。


(なんで……俺に?)


初対面だ。なのに、まるで昔から知っているみたいに。いや――違う。女の方が一方的に知っているような言い方をした。


監視員が舌打ちした。


「おい。喋るなって言ってんだろ。」


そう言って、鎖を強く引いた。


――ガンッ!


足首の鎖が引かれ、女の身体が前につんのめる。フードが揺れる。布越しに、短い息が漏れた。


それでも女は顔を上げた。


琥珀色の瞳が、ハクヤを刺す。


「……お前は、ここに来てはいけなかった。」


低い声。


今度は、怒りよりも断言に近い。


ハクヤの胸がざわつく。


(何だよ、それ……。)


「……俺は、試験に受かって来たんだ。」


口が勝手に動いた。


「俺はここで強くなる。冥土の兵士になる。盾になるって――。」


言い切る前に、女の目が細くなる。


それは嘲笑じゃない。怒りでもない。


悲しみだ。


一瞬だけ、琥珀が揺れた。


「盾……?」


女が呟く。


その言葉が、まるで遠い昔の夢みたいに。


「……ここでお前は、盾じゃない。ここでは――。」


女は言いかけたが、監視員がさらに鎖を引いた。


「黙れ、時間だ。」


女の身体が強制的に後ろへ引かれる。足がもつれ、鎖が床を擦る音が廊下に響く。


――ジャラ、ジャラ、ジャラ。


イナバがハクヤの腕を強く引く。


「やめろ!関わるな!お前、初日で詰むぞ!」


「……でも!」


ハクヤは反発する。心臓が早い。頭が熱い。状況が理解できない。


グレイが低い声で言った。


「……ハクヤ。今は退け。」


静かなのに、有無を言わせない声だった。寮で何度も助けられた声。グレイは空気の危険を嗅ぐのが上手い。


ハクヤは歯を食いしばる。


フードの女は、引きずられながらも、ハクヤから目を逸らさなかった。


そして最後に、掠れた声で言った。


「……お前はまだ、何も知らない。」


意味が分からない。


なのに、その言葉だけが胸に刺さる。


女は監視員に引かれ、廊下の角へ消えていく。


鎖の音が遠ざかり、やがて消えた。


残された廊下には、白い光と、巨大な窓の外の青空だけがある。さっきまで輝いて見えた都市が、急に遠く感じた。


ハクヤは息を吐こうとして、うまく吐けなかった。


「……何なんだよ、今の。」


イナバが苛立ったように言い、頭を掻く。


「お前、マジで焦った。ああいうのに目ぇ付けられたら終わるんだって。寮でも聞かなかったか?散歩中のやつは触れるなって」


「……触れてない。」


「触れてなくても目を合わせたら終わる場合があるんだよ!」


イナバの声は荒い。だが、それが冗談じゃないことだけは分かる。


グレイが窓の外を見たまま、ぽつりと言った。


「……メイロポリスは綺麗だ。でも、綺麗な場所ほど、汚れを隠す。」


その言葉に、ハクヤは背筋が冷えた。


(汚れ……?)


さっきまでの感動が、じわじわと不安に侵食される。


ハクヤは拳を握りしめ、窓の外の白い塔群を見た。


(俺は……何も知らない。)


その事実が、初めて怖くなった。


だが同時に、胸の奥に別の感情が芽生える。


――知りたい。


あの女は誰だ。


なぜ俺に「出ていけ」と言った。


なぜ、あんな鎖を付けられている。


なぜ、俺の目を見て悲しそうにした。


ハクヤが口を開きかけた、その瞬間。


廊下のスピーカーから、無機質な声が響いた。


「兵士部門・新規入団者。午後のオリエンテーションを開始する。指定区画へ集合。」


現実が引き戻される。


イナバが舌打ちし、グレイが小さく頷く。


「……行くぞ。」


「……ああ。」


ハクヤは頷いた。


だが歩き出しても、頭の中には琥珀色の瞳が残っている。


鎖の音が、耳の奥でまだ鳴っていた。


――ジャラ……ジャラ……。


冥土の白い廊下は、眩しいほど清潔で、整然としている。


なのに。


その白さの中で、確かに異物を見た。


それがただの異物ではなく、ハクヤ自身の運命に繋がっていることを――。


彼はまだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ