オロチノモノガタリ Chapt 5
*緋威とヒトツキ*
『ミ、ミツキ!ワニって何っ?!ドラゴンじゃないの?!』
トロワが腰の剣に手を当てて右手で柄を握っているが、怪異な巨獣の出現にさしものトロワも剣が抜けないでいる。明らかに怖気だっている。
__う~ん、そのドラゴンってのがどんなのかは知らないけど、あの形は南の方の川に住んでるワニって奴だと思うんだよなぁ。船を背負っているワニは初めて見たけど。
ミツキはトロワが拍子抜けするくらいの呑気な態度で返事をする。顔を少し上にあげ何かを考えるような姿勢だが、右手で顎をコリコリ掻いている。
『ど、どうするの?!ソフィーとドゥーエを連れてくなんて言っているけど!』
__もちろん、そんな事はさせないよっ!
ミツキが素早くトロワの肩から降り、頭頂部の三本の角を帯電させる。
ジジジッ! パシッ!!
『きゃぁ!な~にぃ?』
お尻雷撃を放ったようだがその効力にミツキが首を捻る。ミラも雷撃の音と光にビックリした様で、ダメージを受けている様子ではない。
__あれぇ?あの金の糸みたいなのゴールドかぁ?威力が分散されてるなぁ。それに…
ミツキは自分の中の記憶を探りながら目を細める。ハリネズミだがその様子は中々さまになっている。しかしミラは隣に立っているトロワに向かって文句を言った。
『もうっ!突然びっくりするじゃない!ぷんすかぷんっ…?こらこら…?メッ!……?』
ミラは怒る風の仕草で人差し指を立て、横に振った後にトロワを指さして言った。しかし首は捻って疑問形だ。普通の人間からするとどうにも違和感のある仕草だが…
ミラに犯人扱いされたトロワは慌ててミラとミツキを交互に見る。特にミツキを見る目は非難がましい。ドゥーエとソフィーはお互いしがみついて青くなって震えているし、カティはトロワの後ろに隠れる様にして身をかがめている。それに対してミツキは落ち着いたもので、半目になってミラを見ている。
__やっぱりあれはニンゲンじゃないなぁ。それにこの感じはヒトツキ兄者の言った通りアイツの…
ジジッ バリバリバリッ!!
ミツキから今度は本気の雷撃が放たれる。明らかに殺しに行った雷撃だったが…
バンッ! バシシッ
一旦ミラに直撃した雷撃がそのままミラの両腕、頭、足から放電される。足から抜けた電撃は甲板の板を焦がし、頭、腕から抜けた電撃は間接落雷のように手摺や艦橋部分に落雷してその部分を焦がした。しかし当のミラにはまるで被害が無いようである。真横に捻っていた首を元に戻し、まだ相手がトロワではなくミツキだと気付いていないようでトロワに向かってギラリと目を光らせた。
『きゃは!凄いわね、あなた。魔力も感じさせずにこれだけの雷撃を放てるなんて♡凄いわ、ささ、乗って乗って♡』
まるで友達でも誘うかのようにトロワを帆船に乗るように急かす。トロワもこれにはさらに驚く。今まで何度も見てきた羆やアカシカを一撃で殺す電撃が、まるで効果がないようだ。
(マジかっ…!…!?しかもミツキとアタシを勘違いしている?!)
これで不幸にもドゥーエとソフィーの仲間入りをしてしまったトロワだったが持ち前の強気でミラを睨みつけながら言う。
『アタシら育ちが良いもんでね、そんな怪しげな船に乗るわけにはいかないよ!どうしてもアタシ達と一緒に船旅したいんなら豪華客船でも用意してもらわないとねっ!!』
__で、いいんだよねっ?!ミツキ!!
ミラには減らず口を叩いたトロワだがハリネズミのミツキ任せの様だ。
__ああ、もちろん。俺達はドゥーエを守るために来たんだからね。兄者!ヒトツキの兄者!!居るんでしょ?!この相手はこんな”端末”じゃ無理だよっ!頼むぜっ!
……ミツキはヒトツキ任せの様だ。
*
そこは上の方から微かな光が揺ら揺らと届き、薄暗さを感じさせる空間だった。広い空間の様でいて狭さも感じさせる普通の感覚を狂わせられる。例えて言えば透明度の低い海に沈んだ様なものか。その空間にあぐらを組んでポツンと座っている少年が一人。
緋威と呼ばれた少年だ。左は刀の鍔を使った眼帯で塞がれているが、残りの右目は明らかに退屈そうに半目状態でため息をついている。
『ヒトツキ、どうもこの影空間は慣れねえな、息苦しく感じる。それにぼけっと待っているだけってぇのもどうにもこうにも退屈だしなぁ』
__ふむぅ、ワシもお主と“合身”してから始めてじゃからのぅ、この異空間は。お主の前の先代達の時にはこの能力は顕現せなんだじゃ。ワシもこの影空間についてはまだよく解っておらん。
『ふぅん、ヒトツキでも解らない事あるんだな。…あの赤髪巻き毛の女なんだろ?ヒトツキの言っていたのは。何だかチンチクリンの唯の女に見えたけどなぁ』
__…お主と背は対して違わん様に見えたがのぅ
『んっ、何か言ったか…?』
__うんにゃ、何にも。
__(…危ない危ない、こやつはちびっちゃいと言う事にはホント敏感じゃのぅ。すぐ拗ねよるし)
ヒトツキは唯でさえ横に細長い眼窩を更に細めて冷や汗をかく。器用な鬼面である。手持ち無沙汰そうにキョロキョロしていた緋威だったがふっと思い出したように懐に手を入れた。そしてどこに入っていたんだと言うくらい大きな笹の葉でくるまれた包みを出す。笹の葉で丁寧にくるんで紐で縛ってある。時代劇などでよく見られるものだ。その包みを開くとふわっと甘い香りを漂わせて中から拳大の玉子型に近い丸いものが六つ出てきた。三つは濃い紫色。三つは黒い粒々の様な物が表面にびっしりと付いていた。かなり大きめのおはぎと、黒ゴマのおはぎの様だ。
ギョロッ!
今まで茹で過ぎたソラマメの様にだらしなかったヒトツキの目が急に眼光鋭くなる。目一杯単眼を右に振り、おはぎをロックオンしている。
__緋威、お主いつの間におはぎなんぞを懐に忍ばせたのじゃ。
『ああ、厨房係の大久保主水が持たせてくれたんだ。若手の中じゃ一番の腕っききらしいぜ。親父がわざわざ選抜して同行させてくれたらしい。ヒトツキがわがまま言うから親父も大変だぜ』
そこまで聞いて眼光鋭かったヒトツキの単眼が解りやすく山形の形になる。…ご機嫌モードの様だ。
__頼久め、よく気が利きよる。あ奴は戦闘能力は大した事なかったが気働きと勘働きはなかなかのものじゃな。緋威も見習えよ。
緋威はそんなヒトツキが言い終わるのを待つこともなく大口を開けて
ぱくっ
おはぎは緋威の口よりも大きいので口の周りを餡子だらけにしながらかぶり付いた。
むぐ もにゅ もにゅ
頬を膨らませて満面の笑みを浮かべながら
『うまい!』
__こ、これっ!緋威、一人で食うでない!ワシにも寄こせ!
ヒトツキは大汗をかきながらバタバタして緋威に向かってアピールする。…顔しかないが明らかにバタバタしている。
緋威はそれを聞いて一瞬ウンザリと言った感じの薄目になったが、右手でゴマのおはぎを掴むとヒトツキの口に放り込む。
__むぐっ、こら、そんな乱暴に……旨いな。
もごもご
…鬼の面が口の部分を器用に動かしながら黒ゴマおはぎを食べている。
__うむぅ、ゴマの炒り加減がいいな。それに砂糖も上質な和三盆を使っているようじゃのう。上品な甘さじゃ。なるほど、腕の良い和菓子職人の様じゃ。
(…ホントかよ…)
緋威はヒトツキの食レポを胡散臭そうに聞いていたが、旨いのは間違いないので残りのおはぎも口の中に放り込む。まるでリスかハムスターの様だが顔は満面の笑み。ヒトツキも似たようなもので単眼を綺麗に山形にしてご機嫌で黒ゴマおはぎを食べる。意外にもいい相棒同士なのかも知れない。…と、
__兄者!ヒトツキの兄者!!居るんでしょ?!この相手はこんな”端末”じゃ無理だよっ!頼むぜっ!
ミツキから風雲急を告げる念波が来た。それに真っ先に反応したのは緋威だった。最も
『もがっ!ぐっ!!』 ドンドンッ
悪い方向で作用してしまった様だ。おはぎを喉に詰め、苦しそうに胸をどんどん叩いている。
__もごがっ、ミツキめこれ位で情けない声出しよって、まだ本調子じゃないようじゃ。緋威、急げ!
『げほっ、げほげほっ!!』
緋威は目が充血するほど顔を真っ赤にし、鼻水まで出してむせ返る。
__あの少し大きめの影あたりじゃろう。緋威、跳ぶぞ!
*
ぼすんっ
緋威は何かに顔から突っ込んだ。影空間から出たはずなのに真っ暗。…と言うよりのどに詰まったおはぎが更に気管にまで入ってきて完全にパニックになっていた。人生で最大の苦しみを感じているといっても過言ではない状態だ。完全に涙目。自分の呼吸を確保するために顔に押し付けられたものを押しのけようと、両手でそれを掴んだ…ら、
『…き…』
(…き…?)
『きぃ、イヤッ~~~~!!』 ガスッ!!
何かが緋威の顎と鼻に同時にあたった。口と鼻から同時に出血しそれが弧を描いて宙を飛ぶ。身体ごとのけ反った緋威の意識が一瞬途切れかけた。完全に意識を失わなかったのは幼い頃からの猛烈な鍛錬の成果か。
ひらひら
緋威の目の前に布がはためいた。スカート?それとは別に白い布。ズロース?何故か餡子と血痕が付いている。どうも緋威はドゥーエのスカートの中に出現してしまったらしい。しかもそのドゥーエに右足で蹴り上げられてしまったようだ。おはぎによる窒息状態の上ドゥーエの蹴りをくらって意識を保っていられたのは、緋威の肉体が強靭であったからこそ…なのかも知れない。
緋威もパニックだが緋威が出現した現場はそれに輪をかけてパニック状態だった。さらに…
『ドゥーエのお尻がかじられた!!ジパン帝国の人間が人を食べるのって本当だったんだっ!!』
カティがドゥーエと緋威の現状を見て真っ青になって叫んだ。
『あの鬼の面も口の周りに血がべっとりついてる!ジパンの人間は口が二つあるの?!』
ソフィーの顔は青いを通り越して白い。
『わたっ、私のおしり!~~!』
ドゥーエは両手でお尻を抑え地面に突っ伏している。
『て、てめぇ!ドゥーエのお尻に何て事を!!』
トロワは振り切れたのか剣を抜いて鬼の形相になっている。…何か大変な誤解が蔓延しているようだ。事情を知らない他者が見たらコミカルな舞台の光景に見えるかもしれない。ただ当人達は大真剣である。緋威は窒息と闘いながらトロワの剣を転がりながら避けている。何回も地面に顔を擦り付けられているヒトツキが思わず悲鳴を上げる。
__こ、これ、緋威!ぶぶっ、やめい!
『もがっ、ぶっ、ぐごご!』
キンッ!キンッ!ガキンッ!!
地面を転がりまわる緋威目がけて突き下すトロワの剣撃は中々鋭い。普段の緋威ならいざ知らず今は条件が悪すぎるようだ。
__これ、ミツキ!その娘を止めろ!いたたっ!
コミカルな惨劇をぽけっと見ていたミツキだったが、ヒトツキの苦情を聞いてはっとなる。
__トロワ、取り合えず落ち着いて、味方だから!
トロワは完全に頭に血が登っているようで聞く耳持たない様子で緋威に襲い掛かっている。緋威にあまりにも綺麗に躱されるので余計にムキになっているようだ。
__カティ、ソフィー、止めてって…聞こえないか…
当のソフィーはドゥーエのお尻を心配そうに見ている。カティは
『ズロース?ウィタリではまだそんなの履いてるの?いくら何でも年寄り臭くない?』
…違う意味でドゥーエの心配をしているようだ。
__ドゥーエ、トロワを止めてっ!
『私のお尻…きゃあっ!!』
トロワの剣撃を躱して転がっている緋威が三人の中を横切る。
『まてっ!コラっ!!』
カンカンッ カカンッ!
緋威がうずくまっているドゥーエにぶつかり方向を変えたせいもあってトロワの剣撃でドゥーエのスカートに穴が開く。
『わたっ、私のスカート!』 ピキッ
『酷い!ドゥーエのスカートに何てことするの!やっぱりジパンの兵は鬼ね!』 ピキキッ
ソフィーがそう言うとカティも
『そうよそうよっ!ドゥーエの一張羅のズロースにまで穴が開いたら責任取ってもらうからね!!』 ピキキキッ!
やはりカティだけ違う次元の話をしているようだ。
…しかし、転がりまわる緋威やバタバタしている娘達に何度も踏みつぶされそうになっていた御方の堪忍袋の緒がとうとう切れたようで
__落ち着け~~~~!!!
バリバリバリッ! ドンッ!!
『『『きゃあっ!!』』』
ミツキから放たれた雷撃は正確に五人を捉える。…五人?緋威も犠牲になってしまった様だ。それにしても五人のお尻に正確にお尻電撃を当てるミツキの実力はかなりのものと言えるだろう。五人ともお尻を押さえてしゃがみ込んでしまった。
__ヒトツキ兄者には助けてもらうために来てもらったんだ!取り合えず落ち着け!
『…だってミツキ、こいつドゥーエのお尻にかじり付いたんだぜ…』
トロワがお尻を押さえながら不満そうに唇を尖らせてミツキに文句を言う。
__よく見てみなよ。
『…えっ?…』
ミツキはハリネズミの両手で器用にドゥーエのスカートを勢いよくまくる。ドゥーエは次から次へと襲い掛かる不幸に文句を言う余裕もなさそうだ。…と言うより目を回してしまっている。ドゥーエの全開になったズロースをまじまじと見る三人娘と一匹。なるほどよく見ると多少血は付いているがズロース自体に穴は開いていないし、付着しているのは濃い紫色の何か。…?
『何だ?これ?』
トロワはドゥーエのズロースに顔を近づけて匂いを嗅ぐ。色々ありすぎてそれが如何に滑稽な光景なのか誰も気付いていない。
『血じゃないね、なんかちょっと甘い匂いが…』
と、考え込もうとしたトロワの口に
かぽっ
いつの間にか必死の窒息から回復した緋威がおはぎをトロワの口に突っ込む。
『むぐっ!』
そのまま目にも止まらぬ速さで残りの三つを娘達の口に放り込む。トロワが口を塞がれてバタバタしながら
『もがっ、もがもがもがっ(き、貴様。毒を盛ったな!)!…ん?もがが。(あれ?甘い)』
もくもくもく もくもくもく
『変わった食感だけど、甘くて美味しいね、これ』 トロワ
『そうね、香りもいいし食感の割にすごく上品。美味しい』 ソフィー
『こっちのも香りがよくて歯触りが良いよ。すっごく美味しい』 カティ
『ふむ、わたしには柔らか過ぎるけどぉ、とっても美味しいのは解るわっ♡』 ???
__ひ、緋威!残りを全部娘っ子達にやってしまったのか?!
『ああ、親父がオナゴには甘いものを食わせてやれば何とかなるって言ってたからな』
__…それにしても全部やる事はなかろう。頼久め、つまらん事を言いよる。
ヒトツキは相当ショックだったようで鬼面を歪ませ、単眼を波型にしてしまっている。なんならその波型になった単眼の端が下に向かって涙滴型にぶら下がっていた。
やっと一息ついたという感じでほっとした顔のミツキが
__ヒトツキ兄者、このひ弱な”端末”じゃどうにもならないよ。頼む。
…ハリネズミが両手を合わせて鬼面にお願い事をしている。ヒトツキはまだおはぎに未練がありそうだったが、チラッと巨大な怪獣を見て
__これか?これはたしかもっと南の方の川にいるワニじゃないかぁ?こんなでかいのは見たことないが。それに木造船?変なもの背負っとるのぅ。
それを受けて困った顔をしながらミツキが
__うん、そいつもそうなんだけど、こっちこっち。こいつが俺と相性が悪すぎる。
ハリネズミのミツキが指さした方向にいたのは…
『なかなか美味しかったわ♡こんな美味しい物を作れるなんてあなたも船に乗って乗って♡』
何故かおはぎを食べ終わって口周りを綺麗にしているミラだった。ヴェールに包まれた口元を上手に拭っている。ミラはいつの間にか船から降り、ドタバタ劇を見学している時に緋威から口におはぎを突っ込まれたらしい。
『えっ?コイツ敵なの?』
やっと落ち着いた風の緋威が目をぱちくりさせながらミラを指さす。
__ドゥーエとソフィーを連れて行ってバラバラにするって言っているから敵だよね。
ミツキが力の抜けた半目になりながらえらく物騒なことを言う。
『ありゃ、じゃあおはぎあげることなかったなぁ…』
問題はそこではないと思うが緋威は右手で頭をぽりぽり搔きながらヒトツキに聞く。
__…まったくじゃ…が、当たり、じゃな。
ヒトツキの単眼の光が強くなる。
__兄者、やっぱりそうかい?
__ああ、間違いない、ヤツの臭いがプンプンするわい。…しかし、我等の様な”端末”ではない様じゃな。眷属の様な者なのかのぅ…
ぐんっ
ヒトツキの念波はそこで中断された。ミラが緋威の左腕をとってぐいぐい引っ張りだしたのだ。緋威の体重を感じさせない程軽々と引っ張る。
『坊やもいらっしゃい♡こんなに美味しいものを作れる子は大歓迎よ♡』
ミラはギラギラ光る眼を山形にしてスキップしながら緋威を引っ張った。
ガチーーーーンッ!!
緋威の身体から物凄い擬音が発せられた。それと同時に緋威がミラの拘束を振りほどく。
みしっ バリッ!
緋威の黒衣の左袖が肘のあたりから引き千切れ、緋威の身体が自由になる。
『俺は坊やではないっ!!元服しているっっっ!!!』
今までの緋威からは想像できないくらい激高している。ミラは千切れた黒衣の袖部分を持ってキョトンとしている。ここでよく見てみるとミラの身長はトロワよりやや大きめで175センチくらいありそうだった。対して緋威は160?センチくらいか。明らかにミラを見上げる格好になっている。その様子を見てヒトツキはしまったという顔になった。単眼がまた波型になっている。
それにしても黒衣を引き千切られてあらわになった緋威の左腕は明らかに異様だった。全体的に青白くなっていてさらにその表面を一段色の濃い部分が網の目の様になっている。手首のあたりまでそのまま模様が続き手首から先に至ってはほとんど真っ青、そう、ヒトツキの鬼面の色と同じ色になっている。しかしミラは意に介さず、と言うより緋威の腕の異様さはミラの興味の範疇には入っていないようだ。
『あらら、困ったわ。みんな素直に乗ってくれないのねぇ。そうだ♡クロコディルちゃん、クロコディルちゃん♡』
ミラがそう言って船首の方を見た…ら、
くぅ…くぅ… すぴぴ
帆船を背負っているワニ型の巨獣は眠ってしまっていた。わかりやすく寝息を立て、右の鼻からは人の身体より大きい花提灯まで作っている。頭の大きさとほぼ変わらないくらい大きい口からはよだれまで出ている。…何か良い夢を見ているようだ。
『あららぁ、寝ちゃってる。暗黒大陸から長旅だったもんねぇ、疲れちゃったのかなぁ』
ミラはそう言って困ったように首を九十度傾けると、何かを思い出した様に
『う~~ん、まだちょっと早いんだけどなぁ 』
と言いながら軽々と帆船の甲板までジャンプすると艦橋についているかなり大きめの扉を開けた。
『みんなちょっと手伝ってぇ♡』
すると、扉の中から
のそっ のしり
現れたのは濃い緑色の体表にでこぼこした鱗の様な表皮。頭頂にはサメの背びれの様な形をしたツノ?突起がある。四つ足で歩いているが足はやや細い印象を受ける。尻尾も少し細めだ。明らかにこの帆船を背負っているワニとは違う生物。一番異なるのは、目。瞳孔の部分が極端に小さく白目の部分が無い。緑色のお椀の様だ。その目が左右別々に動いている。そう、カメレオンだ。チチュウカイカメレオンと呼ばれる種類のカメレオンである。しかしこのカメレオンは大きい。体高が2メートルを超えている。その大きな怪物が5頭ぞろぞろと出てきた。
『ま、また違うドラゴン…?』
トロワが絶句する。その怪物が三頭、帆船の左舷であるこちら側に来てお互い左右バラバラに動く目で緋威達を物色?している。
シュルシュルッ 『ぎゃあっ』 『うわぁっ』
帆船の右舷の方で悲鳴が聞こえた。いつの間にかクネオの住民たちが異変を聞きつけて建物の影の方から遠巻きに異形の帆船を見ていたらしい。悲鳴が聞こえた。その悲鳴が合図になったかのようにあちこちから悲鳴と怒号が。
『か、怪物!』
『ドラゴンッ?!』
『に、に、逃げろっ!!』
まさに蜘蛛の子を散らすように巨獣が背負った帆船から逃げていく。各々が必死の形相で逃げる。子供の手を引いて泣きながら逃げる者もいる。
右舷の二体のカメレオンが大きな口を黙々と動かしている。左右バラバラに動く目が満足そうに見えるのは気のせいか?
『あら、お腹すいてたのねぇ、丁度良かったかな♡』
ミラが悪びれる風もなくギラギラしている目をにこやかに曲げてそう言う。自分のペットが食事をする光景を嬉しそうに眺める子供そのものの表情だ。
シュルルルルルッ どんっ
突然甲板から三条の太い蔦の様な物が飛んで来てドゥーエ、トロワ、ソフィーを捉えた。そのまま三人は凄い勢いで甲板に向かって引っ張られて行く。
『『きゃ~~~っ!!』』
『すと〜〜〜ぷっ!!その子達は食べちゃダメよぉ♡』
そのミラの声を聞いた巨大カメレオンの動きがピタッと止まる。ドゥーエを捉えたカメレオンなどはいったん閉じた口を慌てて全開にあけた。三頭とも空を見上げて口を開いた状態で止まっている。今まで独立させてキョロキョロ周りを見ていた目も真上を見たまま微動だにしない。そして三頭とも全身から脂汗をかきだした。軍隊でもかくやと言うほどの反応だ。
たん たんっ 斬ッッッ!!
黒い影の様な物があっという間に甲板に上がったかと思ったらドゥーエを咥えているカメレオンの顎から上が切り飛ばされた。鋭利な切り口で切られたカメレオンは苦痛を感じる間もなく顔の上半分がスライドしながらぽとりと落ちる。
ぐらっ どんっ!
急激に脱力したカメレオンの身体はゆっくりと横倒しになった。ドゥーエは捕らえられた舌からは解放されたが全身ヨダレまみれだ。そしてその側には左手一本で長剣を逆手に持つ緋威が立っていた。一般的な日本刀の長さは70センチくらいなのだがこの刀は優に100センチを超えている。地金の部分は濃い青色をしており、刃先は青白くほんのり光っているように見える。
『ああっ!アタマはだめぇ!』
珍しくミラが慌てたように倒れたカメレオンに近づく。両手を膝にあて、ちょっとカメレオンを見下ろす。そして少し困ったように人差し指を顎に当てて
『う~~ん、やっぱりまだ早かったかなぁ』
するとミラはとことこと歩いて緋威に近づき緋威の持っている長剣の刃の部分をむんずと掴んだ。
ぴりっ
この時ミラの腕に小さな電流の様な物が走った。人間ならば違和感と呼ばれるものだがミラには”感”と言うものが理解出来ないので”勘”違いをした。
『ちょっと変わった剣ねぇ、魔力?呪術?変わった力を感じるわぁ。坊や私に教えてねぇ♡』
ぶちんっ
『坊やではないっっっ!!』
緋威が左腕を振り払う。瞬間緋威の剝き出しになった左腕が青白く光る。
ぐんっ! バガンッ!!
長剣を掴んだままだったミラは吹っ飛ばされ艦橋の厚い扉をぶち破った。緋威の小さな体からでは想像もできない力だ。追撃に入ろうと艦橋に向かう緋威の背中に
しゅるるるっ どんっ!
右舷に居た巨大カメレオンの一頭の舌が緋威の背中に張り付く。
『ぐうっ』
巨大カメレオンだけあって舌の大きさもかなりのものであり、その衝撃に緋威が思わず呻く。
『このぉ!』
顔をしかめながらも身体を反らせ、捻りながら左手で持った長剣でカメレオンの舌を切り裂く。
ざんっ! ぎゃっ!!
舌を両断されたカメレオンは激痛に顔を歪めてひるんだが、もう一頭のカメレオンの舌が緋威の長剣を握っている左手を捉えた。
どんっ!
物凄い力で緋威の左手を捉え、同時に引っ張る。
ぐんっ
『舐めるなぁっ!!』
緋威の左腕がさらに強く光った。すると
ぐぉ!
巨大カメレオンの身体が宙を舞った。そのまま艦橋や艦首を飛び越え、船外まで放り出されるが緋威と舌で繋がっているため手摺の部分に舌が引っ掛かり急激に下に向かって落下した。
ぐちゃっ!!
なんと巨大カメレオンが巨獣ワニの頭にあたって爆ぜた。水風船が地面にあたって破裂するのに似ているか?
ぴくっ
巨獣ワニは一瞬顔や目をしかめたがまたこくりと眠りに戻る。しかしカメレオンがはじけた中身が…
どろっ
かなり濃い粘液の様な物が広がりそこには無数の…カメレオン。手足、尾を丸めて縮こまっている体長40センチはありそうなカメレオンが何十頭、いや、百頭を超えているか?丸まりながら眠りについているように見える。よく見ると額のあたりに文字と思われるものが各個体に付いている。
〈封受眠材封〉
エウロペでは見慣れない絵の様な、文字の様な物が記されていたが…
甲板では主人の命令を待って大きく口を開けたままの巨大カメレオン二頭の頭が緋威によって切り飛ばされていた。二頭はそのまま甲板に横倒しになる。右舷にいて緋威に舌を切断されたカメレオンは船尾の方で小さくなって怯えている。巨大カメレオンの口の中でバタバタ暴れていたトロワとソフィーが解放された。…が、舌の粘液と唾液で二人とも全身でろでろになっている。
『ぐぶっ、げほっ、げほっ!』
トロワが甲板でむせ返っているが、他の二人の事が気になっているらしく彼女等の方に這って行く。
『大丈夫?ソフィー?!ドゥーエ?』
トロワは心配そうにのぞき込むがソフィーは目を回しているだけで取り敢えずは無事なようだった。ドゥーエはかろうじて体を起こしてはいるがぺたんと女の子座りで首を折り、魂が吹き飛ばされ様な表情をしている。取り敢えず安否だけは確認出来たとほっとしたトロワのところに緋威が近寄ってきた。
『大丈夫か…?……??』
と、手を差し伸べてきた緋威の手がぴたっと止まった。緋威の眼帯をしていない右目が渋く歪む。
『…く…臭えぇ…』
一瞬トロワはキョトンとなったが瞬時に察して顔が真っ赤になった。巨大カメレオンの口の中にいたトロワは舌の粘液と涎でべとべとになっていたが、それが猛烈に悪臭を放っていたのだ。生きるか死ぬかの状態に置かれていたトロワの感覚は悪臭まで感じる余裕が無かったらしい。しかし、女性に対する無神経な言葉と言うのは……特に相手が悪かったらしい。
がんっ!! 『ぎゃっっっ!!』
トロワの踵で思い切り脛を蹴られた緋威の悲鳴が響いた。
*




