隣の人がムカついたのでぶん殴ることにします
隣の人がムカついたのでぶん殴ることにします。
いつもの帰りの電車内。
座席でうとうとしていたら、突然寄りかかってきたのは見ず知らずの男の人。
私の肩を枕代わりに、瞳を閉じてすやすやと、夢の世界に乗車している彼に、私は猛烈に腹が立ち、握った拳を振り上げて、その顔面に1発ぶち込んでやろうと思いました。
しかしながら、よく見てみると、その目元はパンダみたいに真っ黒で、肌も荒れ気味なご様子です。
全体的にも痩せ気味で、明らかに分かる不健康。
いわゆるブラック企業戦士か?
私は彼を哀れに感じ、握った拳を下ろしました。
それから、自然と目が覚めるまで、肩を貸してあげることに。
仕方ない奴め。
安くはないぞ?
彼が目を覚ましたのは、私の目的駅から5駅過ぎた頃合いで、目をこすりながら起きた彼は、私を見る時目を見開いて、ピンと背筋を伸ばし、何度も何度も頭を下げてきました。
その姿が、お土産で有名な赤べこみたいで、私は思わず、クスクスと笑いました。
笑う私を不思議そうに見つめる彼の、ポカーンとした間抜けな顔が可笑しくて、私はさらに笑いました。
笑い過ぎて出た涙を吹きながら、ふと思いました。
彼と友人になりたいと。
何故そう思ったのか?
それはよく分からないけれど、何故かこの人を知りたいと、思ってしまったからでした。
隣の人がムカついたのでぶん殴ることにします。
電車内で時折会話するようになった私と彼。
話をする中で気づいたことがありました。
彼はブラック企業を辞めたいと願って毎日過ごしているものの、いまいち踏ん切りがつかないらしく、うじうじと悩んでいるみたいなのです。
私は、絶対にそうした方がいいとわかっているのに、行動できない人が大嫌いです。
なので、私は彼に説教しました。
自分の人生を、何故自分のことを大切にしない人たちのために切り売るのか?
あなたは自分の人生を生きていない。
他人の人生を生きて、いいように使われている。
そんな生き方、奴隷と何が違うんだ。
今すぐにやめてしまえ。
できないならぶん殴る。
私はそう言いました。
すると、彼は黙り込み、しばし俯いた後、顔を上げました。
その瞳にはある種の決意が満ちていました。
次の日、退職届を会社に出したと彼は言いました。
退職願は却下されるから、届を先に書いたと胸をはって言っていました。
そんな自信マンマンにいう事でもないだろうに。
……まぁ、ヘタレてた彼にしては頑張ったほうかな?
少しは褒めてあげよう。
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連絡先を交換し、休日に遊ぶことになりました。
今日は近所のデパートに、服を買いにきています。
私は持った服を左右違いに掲げ、「どっちがいいかな?」と聞いてみたら、「うーん…わ、分からない…」と答えました。
そこは「こっちの方が似合う」とか、「どんな服に合わせる予定?」とか言うところでしょうがー!?
ぶん殴るぞー!?
私がそう言うと、彼は縮み上がって、「こ、こっち!こっちが似合う!」とオフホワイトのブラウスでした。
ふーん…私が着たいと思っていた方を当てたか。
…やるじゃん。
でも、調子にのるなよ?
隣の人がムカついたのでぶん殴ることにします。
「ぼ、僕と付き合ってください!」
そう言って頭を下げて私に手を差し出した彼。
私は顔が真っ赤になりました。
喜びから?
いやいや、違います。
羞恥心からです。
何故なら、告白された場所が、某有名テーマパークの広間のど真ん中だったからです。
周りの人間の目が集中して、私は逃げることもできず、手を握り返しました。
瞬間、拍手が沸き起こりました。
彼は、顔を上げて嬉しそうに笑っていました。
私は額に血管を浮き立たせて、思いました。
こいつ、絶対、後で殴る。
隣の人がムカついたのでぶん殴ることにします。
付き合ってから半年が過ぎた頃。
大事な話がある。
そう言って彼に呼び出されたので、指定された場所に行くと、そこは少しお高めなフレンチレストランでした。
席に着くと、ガチガチに緊張した彼が、引き攣った笑みを浮かべて待っていました。
どうやら慣れている風をして、大人っぽくしたい様子。
でも、いざ料理を食べようとしたらテーブルマナーも全然なってなくて、匙の使う順がバラバラ、ナイフとフォークの使い方がなっておらず、食器をガチャガチャ鳴らしまくり、隣にいた私は羞恥心からくる怒りで思わず、ぶん殴ってしまいそうになりました。
しかし、最後の最後。
食事を終えた私の前に跪き、彼は小さな箱から指輪を取り出しました。
指輪にはダイヤモンドが光っていました。
薬指に嵌められる指輪に私の心から羞恥心は消えていました。
ただ、胸には暖かな気持ちがありました。
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無垢なドレスに身を包み、タキシードを着込んだ彼の腕を組む私はスポットライトを当てられながら、式場の中を歩きます。
父さん、母さんが目に涙を浮かべているのが見えて、私もそれをみて涙が出ました。
ですが、それ以上に涙が出たのは彼のサプライズでした。
内容は私に対する感謝の手紙。
どれだけありがとうと思っているのか。
どれだけ好きで、愛していると思っているのか。
その心境がありありと綴られていました。
ありきたりかもしれないけれど、私にとっては信じられないくらい嬉しい宝物でした。
こんな物を書くなんて生意気な。
ぶん殴ってやらなければ。
隣の人がムカついたのでぶん殴ることにします。
私の膨らんだお腹をさする彼。
「母さんに似るかな?それとも僕に似るのかな?どっちにしても可愛いだろうなぁ」
そう言って、鼻の下を伸ばし切った顔は、あまりにもデレデレし過ぎてみっともないです。
みっともなさ過ぎて腹が立ちます。
ぶん殴ってやりたいです。
…ですが、まぁ、こんなに喜んでくれるなら。
よかったかな?
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抱いた赤ちゃんがすやすやと寝息を立てています。
さっきまで、わんわん泣いていたのに、嘘みたいに静かに、安らかに。
私の隣では、私の肩を枕に、彼が寝息を立てています。
私に赤ちゃんの世話を任せて寝るなんて不届な、ぶん殴ってやろうか?
…でも、殴ることはできません。
何故かって?
彼の目元を見れば分かります。
初めて会った時ほど酷くはないけれど、そこにはパンダみたいにクマがあります。
昨日は寝ずに、私の代わりに赤ちゃんのお世話をしてくれたんです。
だから、仕方ないですが、今回は多めにみてあげます。
初めて会った日の様に。
肩を貸してあげましょう。
全く、仕方のない人です。
かっこ悪くて、不器用で、おっちょこちょいで、ダメダメで、時折腹も立つけれど、だけど、とっても愛おしい。
そんなあなたが、私が好きです。
とっても、とっても大好きです。
わたしは微笑み、彼の頬にキスします。
すると、彼は寝言を言いました。
「うーん……母さん。太った?」
………………前言撤回。
決めました。
隣の人がムカついたのでぶん殴ることにします。