【間奏1】2025年4月15日 ロイ・マイセン村(ソーの物語)
ヴヴヴゥン……。
ヴヴォー……。
巨大なハチの羽音。
もう慣れっこだが、今朝はやたらとやかましい。
わしは安っぽいタオルケットをはねのけて寝床を起き出した。
台所で野菜を切っていた女房の、ハムみたいな尻をつねる。
「ソー!」と叫んで目を吊り上げた。
それを見て笑い、洗い場の錆びた蛇口を回す。
鉄臭い水。手のひらにとる。
ばちゃばちゃ。顔に叩きつける。
ついでに口をすすぐ。カーッと手鼻をかむ。
シャツの裾で適当に顔をぬぐう。
わし、農民。
ミャンマー、シャン州のロイ・マイセン村の45歳。
名前、ソー・クン・ザウ。
朝の身支度はこれだけだ。
「おとお! えれえことなっとる!! 機械の羽虫じゃあ!」
甲高い声が庭から聞こえてきた。
4男か5男かどっちかは知らん。とにかくうちの子だ。
中国人たちが作る機械の羽虫は、べつにめずらしくない。
无人机(ドローン)とかいうやつだ。
最近は地主がわざわざ借り受けて、農薬の散布に使っているくらいだ。
騒ぐのは子どもらくらいで──。
ヴヴヴゥン……。
ヴヴォー……。
「おとお、来てみぃやあ。ぶちすげぇんじゃあ!」
……たいぎいのぉ。
台所では女房が、ハーブを適当にぶち込んだだけの汁ビーフンを作り終えていた。
外でわめいている連中を、朝食に呼ばなくてはならない。
わしはくわえタバコのまま、わが家のブリキのドアを開けた。
シャン高原の空気はひやっこい。
今日も天気はよくて──。
「……へ?」
わしは知らん間にぼかっと口を開けたらしく、サンダル履きの右足にタバコが落ちた。
あちち、と足を振ったが、空から目が離せない。
機械の羽虫だ。
生い茂るバナナの葉の向こうに広がる青空を、やつらが覆い尽くしていた。
■
ヴヴヴゥン……。
ヴヴォー……。
ヴヴォヴォヴォヴォヴォヴォヴォ……。
30機、40機。
いや、100機以上。
あたりは養蜂場みたいなけたたましさだ。
こんな光景、はじめて見た。
いや、ガキのときの大地震で、ジャングルの鳥が一斉に飛び立ったときはこんな感じの──。
「NSFの戦闘ドローン部隊じゃ。西に飛んどる」
隣家のラートが話しかけてきた。
こいつはよくタイのチェンマイまで買い出しに行く。なのでわしよりも世情に詳しい。
NSF。つまり新中華界域。
10年ほど前にやってきた中国人たちが、山の向こうに作ったでかい街だ。
例の機械の羽虫を腐るほど持ってるって話である。
「やつら、カネは腐るほどあるけえ。どこの軍閥とやるんじゃろうか」
ラートがつぶやく。
近くの幹線道路まで、様子を見に行くか。
わしらはそれぞれの家で朝食をかきこんでから、中国製のカブを引っ張り出してきた。
4男がいっしょに行きたがったので、荷台に座らせる。
バイク2台で、デコボコの山道をくだった。
15分ほどで幹線に……。
着く前から、とんでもないことが起きているのはわかった。
延々と続くカーキ色のトラックの車列。
装甲車。変なアンテナが出た車。
空には機械の羽虫。鳴り響く中国軍歌。
なによりびびったのが、兵員輸送車に乗っていた連中だ。
こいつら、ロボットか??
いや、よく見ると口元は生身の皮膚なので、人間なのか。
なんだろうか、若いときに海賊版で見た映画の──。
「ロボコップみたいじゃね。色は黒いけど」
わしが言うと、ラートが「化けもんの服じゃけえ」と返した。
やはり中国人が作ったもので「戦闘用スマート外骨格」というらしい。
「着ると、10キロの道でも飯炊く間に走れるんじゃと。鉄砲の狙いも百発百中になるけえ」
けったいな服だ。
しかし、連中の装備よりも、これから何が起きるのか。
そっちのほうがこわい。
「相手は国軍か、国民防衛隊《PDF》か。相当ないくさになるんじゃろうね」
ヴヴヴゥン……。
ヴヴォー……。
羽音がもうもうと響き続けていた。
──内戦、戦闘、虐殺。
この国ではおなじみの言葉が、わが村にやってくるのか。
わしの怖気に気づいたのか、いつの間にか息子が足に抱きついていた。
頭をなでてやる。
シラミがいた。
帰りに川で水浴びをさせるかなと思った。
■
だが、わしの不安は取り越し苦労で終わった。
たった2日後、NSFの完全勝利、という噂が流れてきたのだ。
戦った相手はワ州同盟軍という。
わしが物心ついたときからこのへんを縄張りとする、かなりでかい軍閥だが。
「……ロボコップの兵隊はぶち強かったんじゃのぉ」
とにかく、戦火が広がらずよかった。
喜んでいると、さらに3日経ってから中国人の役人がやってきた。
団結戦線工作だとか民族識別工作だとか。
結果、うちの村はロイ・マイセン村から洛迈生村に変わった。
新中華人民発展党というNSFの政党の支部ができて、村民委員会が設置された。
役人たちはさらに、わしらのスマホに住民管理アプリをインストールさせた。
指紋、声紋、顔写真を登録して、NSFデジタル身分証を発行、紐づけ。
それを、電子通貨NSF‐Payアプリとさらに紐づけ。
ああ、NSF‐Payは新中華界域内部の標準通貨だ。
硬貨や紙幣はなくて、電子決済だけのカネだ。
2ヶ月間限定で、わしらが自宅で貯めている人民元やタイバーツと、NSF‐Payを優遇レートで交換してくれると広報された。
これから、通貨はNSF‐Pay、公用語は中国標準語、時間は北京標準時に統一されるらしい。
「経済発展して、上海や深圳みたいなバカでかい街ができるけえ」
NSF‐Payの両替に並ぶ列で、隣り合ったラートがそう言っていた。
NSFはさらに、近所の街に中国型の寄宿舎学校を作る。
中国語で教育を受ければ、わしらの子でも新中華人民発展党の事業に参加できる。
「わしら、ぶちかっこええロボコップの兵隊になるんじゃあ!」
最近、息子たちはそんなことを言いだした。
──NSF、いいと思う。
わしらの村も、ようやく世界に追いつけるみたいなのだ。
※シャン州の人が喋っている広島弁の校閲を歓迎します