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【第五十章】2027年10月26日 セロリ(翔平の物語)

 ガルダストリームはあっという間に上海の空に舞い上がった。

 ライの専用機。上海で人民解放軍系企業との会合後、サンフランシスコに飛行予定。途中で范中行が関西空港に寄る。ついでにおれたちを降ろすという。

 機内にいるのはライと范中行、さらにイーサンという苦労人らしい界域の官僚。ほか数名の部下と、おれたち2人だ。


「お礼は言いたいが。おれたちに恩を売って、どうするつもりだ?」

 機体が水平飛行に移り、応接キャビンに移動後。おれはそう尋ねた。

「恩? 恩とはそれを返せる相手に売るものだが、日本では意味が違うのかね?」

 ライが口を開く。嫌味なやつだ。言語は英語だった。

「なら、理由は?」

「私たちの戦術上の必要から」

 そこにイーサンが補足した。

「先に説明しておきます。機体の内部にシーラの盗聴は及びません。われわれもそれなりの防御策を講じていますから」

 どういうことだ。シーラもおまえらの仲間じゃないのか?

「いろいろあるのですよ。とはいえ、会話内容を外部に漏らされては困ります。われわれも各種の制裁を加える方法はある。そこはお忘れなく」

 そう釘を刺してくる。


「──戦術上の必要。チャガンの妨害ですか」

「さすが、范中行の元部下だな」

 待てアイス。おまえらだけで勝手に理解し合うな。

「つまり……。中国の体制内に食い込む事業は、本来あなたがたの領分。しかし、チャガンが白家を復興させるため、わたしを戴奇の孫に嫁がせようと動いた。白錫来釈放の司法操作には、シーラも協力した可能性がある」

「ご明察」

「仮に見合いが成立した場合。チャガンは中国主席の腹心と、独自の外交チャンネルを手にする。界域幹部のパワーバランスにおいてあなたたちが不利になる」

 アイスはおれにわかるように、きれいなクイーンズ・イングリッシュから中国語に切り替えて喋ってくれていた。ありがたい。


「その通りですハク君。従来、中国指導部とのパイプ構築は私の担当なのです。なので見合いの件も、われわれからの再介入策として、私が仲人に横滑りした。影響力の保持を図ったのです」

 范中行が言った。

 ゼリー、賄賂、マネロン、さらに過去の官僚人脈。

 これらを駆使して中国共産党の上層部に取り入り、情報入手とビジネスチャンスの拡大を狙う。そんな裏工作が彼の仕事なのだ。

 界域の国際部門のトップは、ルワンダ人のるーかいだ。しかし、廬凱の仕事は一帯一路諸国との交際。界域にとっての最重要国である中国を含む、東アジア外交の最高責任者は、中国外交部上がりの范中行なのである。

「白君が逃げてくれたときは、快哉を叫びましたよ。チャガンと戴一族のパイプが潰れたわけですから」

 チャガン本人は白家のことしか考えていない。だが、夏の界域元首の件に続く独断行動は、ライや范中行にとっては政治バランス上の大問題だった。

 だから、彼らはおれたちを逃がす。


 機内のギャレから、神戸牛のステーキと赤ワインが運ばれてきた。

 一口目で目に電流が走ったかと思うほど美味かった。最高級品だろう。

 アイスはライたちと会話を続けている。

 ステーキを頬張ってやり取りを聞きつつ、頭を整理する。

「中国人が集まると権力闘争が生まれる。事実上の新興国家である新中華界域も、恥ずかしながら例外ではないわけですよ」

 范中行が赤ワインを手に言った。


 どうやら、界域の幹部には3つの派閥があるようなのだ。

 まず、チャガンが中心の武人派。彼らは権力の源泉となる武力を握る。中国大陸や中国共産党に対する思い入れも強めだ。

 王昊天自身も、傍目から見れば彼らに近い。紅衛兵・武警・軍人というキャリアと親和性が高いからだ。また、前世からチャガン父子を知っていて、絶対に主君を裏切らない性格もわかっている。白家がらみ話も、自分に害がないので容認している。

 それを苦々しく感じるのが、ライが中心の官僚派である。

 彼らは経済と官僚体制を握るいっぽう、中国への思い入れは相対的に薄い。界域の効率的なシステムを愛する文民エリートたちなのだ。

 もちろん、官僚派もエロゼリーやパーマストン・ドラッグを使った他国の切り崩しをおこなっているので、別に品行方正な連中ってわけではないのだが。


 この2派以外に、シーラとノイナーという仲良し天才ガールズがいる。

 彼女らに権力欲はない。「派閥」とも呼べない規模だ。

 だが、シーラ1人で大国の正規軍を上回る攻撃能力がある。株価や地価を操作し、暗号通貨やデジタル人民元を自前で生成することさえ可能なので、経済力も無限。最強のジョーカーである。

 天才ガールズは界域の柱だ。テック技術やイデオロギー構築の面で武人派と官僚派の双方から頼られている。だが、シーラの行動に予測可能性はゼロである。

 ライは彼女を買っていない。官僚の理想は1人の天才ではなく、1000人の秀才だからだ

 なお、医療おばちゃんの耶律淑珍とルワンダ人の廬凱は、派閥抗争の対象外。


「加えてもうひとつ、われわれが彼らを掣肘する理由がある」

 ライはステーキを3分1しか食べない。

「チャガンらの発想は、古くてハイコストだ。中国本土への極めて性急な介入と、直接支配を望んでいる。そこで手段を選ばない作戦をとれると、シーラも大いに乗り気だ。あいつは自分が楽しいことしかやらないからな」

 ライの立場上、最高権力者を名指しでは批判しない。

 だが、実質的にはチャガンではなく王昊天本人が中国征服を望んでいると言いたいのだろう。()()()()()という部分以外、話に驚きはない。


「だが、それは困る」

 ライが言った。

「わが界域の官僚体制は、世界で最も芸術的で効率的だ。しかし、中国を直接支配すれば、無能で腐り果てた中国官僚が大量に吸収される。私が手ずから作り上げた芸術品に、クズどもが交じるのは耐え難い」

 ヒューマニズム的な動機はゼロ。官僚の美学のための平和主義。

「あなたたち官僚派も、中国支配は望んでいる。ただ、やるのは巧妙な間接支配。もっと効率的でコストの低い手段を採る」

 アイスが言った。

「なので、あなたたちはチャガンやシーラの……。いえ、トップの王昊天の方針を抑制したい。そういうことですね」

 ふん。ライが鼻で笑った。

 気に食わないやつだ。しかし、ひとまず当面の利害は一致する。


 機体はすでに、日本の領空上にあった。

 窓の下を見るだけで肩が軽くなる。

 いま、北九州あたりか。

 アイスは前に、福岡に行きたがっていた。横浜も鎌倉も横須賀も行ったが、次は遠出かな。

 まあ、急がなくていい。彼女はこれからずっと、平和な日本で暮らすのだ。たとえ今後の中国がどうなろうとも。


 ……いや、待て。

 ()()()()()

 今後、シーラの手で進む作戦。

 あることに思い当たった。


 今年の6月4日。

 テロで日本が平和じゃなくなった日。

 フィールドシミュレーション。

 あの襲撃は、今後の大規模行動の予行練習だったはずだ。

「……今後。あれ以上のことを、中国国内でやる気なのか」

 ライたちは否定しなかった。それが答え。


 イーサンが無言でスマートリモコンを手に取った。

 モニターに英語のニューステロップが表示されていく。


”中国各省の財政危機さらに深刻に”

”反政府デモでナイジェリア、ハンガリー、スペインの政府機能が崩壊”

”ボリビアの麻薬組織拠点の大爆発。詳細いまだ不明”

”フィリピンのアンガットダム大決壊。死亡者80万人以上か”

”日本衆院解散、総理が再否定”


「まさか……」

 アイスが絶句した。

 シーラの仕業。東京の件と同じく、中国介入に備えた世界規模の事前演習。当然、王昊天に許可された行動だ。

「また、私の業務範囲が乱されますよ。いまから行く国もね」

 范中行の外交官語法。意味は、つまり。

 ──日本でも再び、なにかが起きる。


「おい、それって」

 おれが口を開きかけたところで、機内のパーサーから離着陸用座席への着席を促された。機体は岡山上空。これから降機体制に入る。


「白君。私は次の駅で降りる。その前に聞く」

 日本。

 関空特急はるかの車内で范中行が言った。

 おれたちはあっさりと入国を済ませていた。


「君の日本赴任が決まった際、私が言った言葉は覚えているか?」

「はい。『任務の意義に私的な価値判断は挟まない。それが外交官の規範』」

 なんだそりゃ。

 むかし、おれと浅草橋の公園でザリガニを食った夜に、アイスが言った言葉。

 元上司の受け売りかよ。

「その通りだ。先日の親王邸の一件が免責されるとは思わない。だが、最後に私的な価値判断も示しておく」

 はるかが大阪駅に着いた。

 范中行が小ぶりのスーツケースを持って座席を立った。

「──幸せになりたまえ。高老師(せんせい)の息子ならば間違いない」

 そう言って、ふっと笑って降りていった。

 

 なんだよ、このおっさん。

 ふざけんな。

 中国の上層部にエロゼリーをばら撒いた張本人のくせに。そもそも、おれの大事な彼女と、ド変態デブ野郎の見合いにしれっと同席したやつのくせに。最後だけ紳士的なフリをしたって絶対に許さねえ。

 だが、アイスは隣で「范司長……」とつぶやきながら目に涙を溜めていた。

 おまえは人がよすぎる。

 あいつ、敵の仲間だぞ?


 その後、終点の京都駅で降りた。

 おれたちは市内で一泊してぽん町で京料理を食べ、翌朝午前に南禅寺を見てから新幹線で東京に戻った。

 綾瀬駅で下車し、慣れた道を2人で歩いていても、まだ現実感がなかった。

「……帰ってきた」

 北京亭の扉を開けて、やっとこの10日間の騒動が終わったことを実感できた。


 ──その後のことも述べておこう。


 アイスは中国外交部を11月30日付けで退職し、ただの人になった。

 円満退職だった。北京本庁の手続きを免除され、日本国内での離職と一般人パスポートへの切り替えが特例的に許可された。どうやら范中行が、仲人の件の詫びとして古巣に手を回したらしい。

 その後の彼女は井村所長の曾孫のゆずちゃんに相談して、井村家の資産管理財団の研究員になった。ただし、ビザのための名目的な肩書。実際は充電中である。


 おれがフリーランスSE。彼女はほぼ無職。

 2人とも大丈夫かって?

 いや、まあ。それがな。


 アイスは自分が公務員じゃなくなった瞬間、おれがドン引きする勢いで動き回り、塩漬け状態の暗号通貨をあらゆる方法で合法的なカネに変えた。

 一族のペンダントも売っぱらった。従来、彼女がひそかに管理を任されていた白錫来の巨額の海外資産も、あんな方はもう知りませんと手元ですべて接収し──。

 彼女の資産総額がいくらなのか、怖くて聞いていない。うち、財布は別々なんで。


 結果、彼女の現住所は、東大前に1億8000万円で購入した豪華マンションの1室だ。在日中国人に人気の公立小学校の学区内、値上がり確実。蘭蘭に紹介された池袋の中国系不動産屋で見つけたという。

 民間人になっても、当分は大使館から住所をチェックされる。なので元監視対象(=おれ)の家に住民票を置けない。それなら投資物件を買うという発想らしい。

 ──中国共産党、紅二代ほんあるだいの”元”お姫さま。

 普段は上品でおしとやか。でも、資産管理が絡むと超怖い。

 本人は日々、「わたし、はやく中国人やめたい」とか言っているくせに。こういう部分は100%完全に中国人である。


 謝雨萌は冬コミが近い。アイスの北京での一件を聞いてから、自分も人民曰報を退職したいと言い出した。ずっと日本で漫画を描きたいそうだ。

 仁間はシーズンオフ。2月から、高地トレーニングも兼ねて再び中国雲南省に向かう。王昊天の力を再び観測しにいくという。

 蘭蘭は娘の模試の結果が良くて機嫌がいい。11月に彼女ら母子とアイスと4人でキャンプに行ったら、おれはずいぶん可心ちゃんになつかれた。

 マー先生はいまでもアイスに稽古をつけている。だが、彼女が昔以上に怒りをぶつけてサンドバッグを蹴るときがあり、困っているらしい。


「ただいま」

 2028年2月9日、夕方。

 食材を詰めたエコバッグを手に、アイスが困った顔で帰ってきた。

「ねえ聞いて。駅前のヨーカドーでセロリ買ったら、向こうの八百屋のほうが15円安かった。……くやしい」

 なぜ、その数億倍の資産があるのに15円でがっくりきてるんだ。それでいて来週の旅行は、ニセコのお高いリゾートホテルを予約している。消費感覚が謎である。

 アイスは外交部を辞めた後、住所の場所ではなく北京亭に住んでいる。思い入れのある家で、普通の子として日常を送りたいそうだ。


 今夜はおれが夕食を作る係だった。

 涼拌干豆腐絲りゃんばんがんどうふすー(干豆腐の和え物)とちんつぁいちゃおろうすー(セロリと豚肉の細切り炒め)。あとは適当にスープ。

 調理の途中で、背中を指先でかりかり引っかかれた。

「ねえねえ。セロリが高いー」

 なぐさめろと。よしよし。

 っていうか、こっそりニヤけているので甘えたいだけだな。料理の手が止まる──。別に困らん。べたべたが優先。いいじゃないか。夕食を食べるのは自分たちだし。

 こいつは、半年前と同一人物とは思えないほどよく笑うようになった。

 日々、幸せである。

 震えるほどに。


 新中華界域と関係がありそうな国際ニュースは、最近あまり聞かない。

 テレビは今日も、長江でスナメリの目撃数が増えたとか超どうでもいい話を伝えている。

 ライの機内では剣呑な話を聞いたはずだが。界域で官僚派が主導権を握ったのか?

 おれたち2人はまだ、両親と翔翔児の仇を取れていない。王昊天やシーラも止められていない。

 でも、現実的になかなか難しいよな。


 ハッピーエンド。

 だって、アイスが幸せそうじゃん。

 当事者としては、お話はもうこれでいいと思うのである。


「洗濯物、取り入れてくるね」

 彼女がそう言って、上機嫌でトントンと階段を登っていった。

 ひとりで調理を再開した。


 ん?

 店の入口に人影があった。

 曇りガラスの扉が、音を立ててゆっくりと開く。


「やあ、久しぶり。友人の新生活を祝福に来たんだ」


 ……おい。

 なんで、こいつが。


「なるほどね。()()()()()()か。君の魂の組成は4ヶ月前とは違っている」

 待て。

「公園でビールでも飲むか。今回は、奥さんがビール瓶の上に転ばないよう気をつけろよ」

 ──な、タカダ?

 そいつは、つるりとした肌で爽やかに笑ってみせた。


 ハッピーエンド。

 そう思っていた。

 しかし、世界の側はまだ、おれたちを手放す気はなかったのである。

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