【第三十章】2027年10月10日 耳人民曰報(翔平の物語)
「充分なおもてなしもできず、申し訳ないですけれども」
いえいえ。どこがですか。
おれは70代の品のいいマダムの言葉に恐縮した。
応接間のテーブルの上には資生堂パーラーのショコラと、明らかによい茶葉を使ったダージリンティーが並んでいる。
来る前、アイスと上野松坂屋に寄っておいてよかった。こちら側の手土産の購入は、外交官にやってもらうに限る。おれでは恥をかきかねん。
文京区小石川。千川通りを左に折れた場所にある、黒塀に囲まれた和洋折衷式の昭和邸宅。
井村ゆずの実家だ。
つまり、ソフィア電子創業者で、企業家としての晩年に北京で日中合弁の人体科学研究所の所長になっていた、井村臣之介の旧宅。
「あ、2人ともカッチリしなくていいですよ。うちのばあば、パラグライダーが趣味のハジけた人だから。普通に喋ったほうが本人も気楽だと思います」
ゆずの祖母、井村昭子さん。井村所長の息子の妻。
別荘のある軽井沢のパラグライダー場で、文字通り「飛んでる」ばあばである。令和の日本の名家のばあちゃんってこんな感じなんだな。
井村所長について、昭子さんは「お義父さん」ではなく「臣之介さん」と呼んだ。外向けには呼称を変えるようだ。
「臣之介さんの私物は、あまり残っていないんですよ。仕事関係のものはほとんど、ソフィア博物館が展示用に持っていきましたし。蔵書も神保町の古書店に一括して処分してもらって……」
おれの両親が、1989年5月に書いて井村所長に渡したノート。とりあえず「89年ノート」と呼ぶが、これも蔵書に混じって神保町の古書店の倉庫に眠ったのだろう。
「北京時代の話は、なにか聞いていますか?」
「家ではあまり、仕事の話をしない人で。ただ、天安門事件後に北京から戻った際、ひとこと『研究の最大の意義が消えた』と」
井村所長はその後、死ぬまで中国に行かなかった。人体科学研究所も1989年の8月、つまり六四天安門事件の2ヶ月後に閉鎖されている。
「あ、そうだわ。それから半年後くらい……。1990年3月に、夫と一緒に中国人のご家族を成田空港に迎えに行かされたわよ。臣之介さんが北京でお世話した方の親戚で、40歳手前のご夫婦と、4歳くらいの男の子。あやしても全然笑わない子で、違和感があったから覚えてるの。それが中国との最後のご縁だったわ」
──なに。
おれは瞑目した。
「……その子、おれです。たぶん」
「まあ、こんな素敵な男の子になって。心配していたの。よかったわねえ」
当時の昭子さんが会った「ご夫婦」は、おれの養父母だ。父さんの叔父夫婦で、子どもができずおれを引き取ったと聞いている。
養父母はおそらく、遺児のおれを引き合いに出す形で、井村所長に日本移住を頼み込んだのだ。当時の中国は貧しく、誰もがツテを見つけて国外に移民したがっていた時代である。
「あのー。ちょっとすいません」
隣でゆずが声を上げた。
「翔平さんって、1990年に4歳くらいでしょ? ということはアイスさんの彼氏、その見た目で年齢が──」
「ストップ」
アイスがちょっと怖い声で言った。
■
実のところ、おれたちが界域で入手した89年ノートは、「なんともいえない」としか言いようのない代物だった。
まず母さんの執筆箇所。刀槍不入の能力自体については、おれたちが知る以上の情報はなかった。つまり、能力を強める方法や他者に継承する条件なんかは書いていなかった。
いっぽう、父さんの執筆箇所は文章ですらない。
「5/13 香姐3万人→杜文青」
「5/15 小桜3万人→孫立軍」
「5/17 鷹兄4000人→范中行」
……なんのことだ? 明らかに暗号めいているが。
もっとも、ノートから判明したこともある。
母さんに刀槍不入を伝えた、彼女の曽祖父。つまりおれの高祖父? にあたるご先祖さまは、光緒八年(1882年)に山東省曹県で生まれた人だった。名前は田大勇。
彼は、曽孫娘の田燕芳──。つまりおれの母さんを特にかわいがっていたそうだ。亡くなった1966年には80歳近かったはずだが、傍目には50代に見えた。もちろん、病気もケガもしない人だった。
田大勇は少年時代、義和団の乱に参加経験があった。その生き残りとして、曹県ではちょっとした有名人だったという。彼の異常な健康体も、周囲からは「義和団の人なら、まあ納得」みたいな扱いだったそうだ。
「……って。義和団の乱ってなんだ?」
2ヶ月半前、界域から戻る機内で尋ねたおれに、アイスと謝雨萌が目を丸くした。中国育ちの人間には常識の事件らしい。日本でいう大化の改新ぐらいの知名度だ。
彼女らに教えてもらったところでは、義和団事件は、清朝末期の中国で欧米の侵略に反発した農民が起こした大規模な排外主義武力蜂起だ。
その後の政治混乱と各国の反撃で、清朝が実質的に滅ぶ原因になった事件。まあ、世界史の勉強は後回しにしよう。
義和団の中心にいたのは、中国拳法の達人みたいな連中で、天を飛べたとか遠隔地の火を消せたとかいう伝説があった。
これは荒唐無稽な民間伝承とされているが、いまのおれたちには意味がわかる。
中国人民の誰もが持つ、微妙な超能力「人体特異効能」。たぶん拳法の修行? かなにかで、それをすごい能力に変えたやつが混じっていたのだ。
で、義和団の超能力の代名詞的なものが、刀槍不入。
洋鬼(欧米人)の西洋火器で攻撃されても、決して傷を負わないとされた能力だ。
Wikipediaとかには、無生老母という創造神の力だとも書かれている。つまり、中国の民間信仰の女神さまの力。
……これ以上の説明はいらないよな。
田大勇はほぼ間違いなく、この力を身につけていたのだ。
■
89年ノートに、母さんはこう書いている。
"曽祖父はわたしに力を伝えた3日後、プロレタリア文化大革命のなかで、紅衛兵に連れて行かれました。豚小屋を改造した代用監獄に放り込まれ、迷信分子として何日も尋問と暴行を受けました。しかし、ほとんど傷を負わず、3日間徹夜で責め立てられても平然としていました"
様子が目に浮かぶ。おれが新中華界域で臧獄龍に拷問されたときとそっくりなのだ。
“しかし4日目、県城の中心で開かれた迷信分子批判闘争大会に引っ張り出され、毛沢東語録を手にした30人ほどの紅衛兵に延々と暴行されました。現場を見た親族によると、曽祖父ははじめ平然としていましたが、ナタや青龍刀で連続して斬りつけられると苦しんで血を出しはじめ、ついに喉をナイフで切り裂かれました。彼は倒れ、死んだように見えたそうです……”
無敵時間が切れて、ダメージを受けたのだ。この先は読むのがつらかった。隣にいたアイスが「あなただけで読んで」と目を背けたくらいである。涙目でうつむいていた。おれがチャガンに半殺しにされた光景を思い出したのだろう。
紅衛兵にリンチされた田大勇は、いちど息を吹き返し、「なぜこんなことを?」と尋ねた。母さんのノートには「生きるために必要な身体の部分は、はやく治るのかもしれません」と追記されていた。
”曽祖父が生き返ったことで、紅衛兵たちは怒り狂いました。彼らは「死しても悔い改めぬ封建反動分子を打倒せよ」と叫び、毛主席万歳を唱えながら激しい暴行を再開しました。最後にノコギリが持ち込まれ、ほとんど首と胴が離れた結果、曽祖父は死亡しました。1966年の10月でした”
──刀槍不入者を殺す方法。
それは、無敵時間が切れたときに、一気に即死級のダメージを与えることだ。これを書いた母さん自身、王昊天に心臓を撃ち抜かれて死んでいる。
界域の連中は、この記述を知っていたのだろう。チャガンの部下の拷問は、きっと耐久力や回復・蘇生能力のテストが目的だったのだ。
■
「ああ、そうだわ。臣之介さんの仕事用の手帳は残してあるの。会社の方が、業務上で確認する必要があったときのためにね」
昭子さんにそう言われ、おれは現実に引き戻された。
物置の奥から、きれいに段ボール箱に入れられた手帳の束を、ゆずちゃんが持ってきた。
「むかしの人だから几帳面ですよね。私、こんなに毎日記録つけるの絶対無理」
彼女が言う。お小遣い帳魔だったアイスはともかく、おれも同じタイプである。
さておき。
人体科学研究所が発足した1986年から手帳を読んでいった。
井村所長の北京滞在は、超能力研究だけが目的ではない。むしろ、バブル景気を背景に飛ぶ鳥を落とす勢いだったソフィア電子の販路開拓や、党へのロビー活動に重点を置いていた。
会食した党高官には、趙紫陽や李鵬みたいな、おれでも名前を知っている党高官の名前がズラズラ並んでいる。
「……。ひいおじいさま……?」
リストに白一泉の名前を見つけ、アイスが目を丸くした。会っていても不思議じゃない。ただ、回数は他の幹部や長老よりも多い。関係が良好だったのか。
いっぽう、人体特異効能の研究所については。
"今日の調査対象者も耳で人民曰報が読める人物。もう飽きた"
"北京晩報と解放日報を試すも不可。意味不明"
どうでもいい記述しかない。なぜ人民曰報は超能力と親和性が高いんだ。
しかし八九学潮──。
つまり、天安門事件に先立つ1989年4月15日からの大規模学生デモの期間になると、驚くべき記述が大量に出現した。
”4月24日 市内で発生中の件につき、高志軍に調査依頼”
"4月30日 北京の都市機能大幅に低下。事業の影響深刻。仮に党体制が崩壊したら? 懸念する"
”5月2日 B氏に紹介された人物に会う。王昊天という。依頼する”
”5月3日 王、高と3者で会う。彼ら2者それぞれの見解は異なるが、当方の新たな依頼に理解を得る”
”5月6日 王と会う。研究所に強い関心示す。彼は1967年春に人体特異効能を得たと話す。ただし能力は通常の「耳人民曰報」。研究の必要はなし”
──なぜ、父さんと王昊天がいっしょに会っているんだ?
しかも記述を読む限り、井村所長は2人になにかを頼んでいたようだ。
5月6日の記述も気にかかる。
「耳で人民曰報が読める」みたいな人体特異効能が、中国国内のメディアで話題になったのは1970年代以降だ。その結果、研究対象になった能力なのである。
だが、王昊天はそれよりも前の「1967年春に能力を得た」と言っている。
能力に「気づいた」じゃなく「得た」?
誰かから継承したのか?
でも、耳人民曰報だぞ。超どうでもいい能力を、わざわざ継承???
■
「……おれの父さんは、なにをやってた人なんだろうな」
ゆずの家を辞去したあと、根津駅近くのちょっと洒落たインド・ネパール料理店でおれは言った。
アイスと外食するときの大問題は、中華料理店に行けないことだ。白家の娘が彼氏と食事するところを、他の中国人に見られると大変なのである。お嬢さまは不便が多い。
いっぽう、中国人は南アジア系の料理店にほぼ来ない。なので、この手の店はおれと彼女のオアシスである。
「井村所長にも驚いた。わたしたち2人の親族と、それぞれ面識があったわけでしょ?」
アイスがそう言いながらマンチュリアンをつついている。インド式中華料理と呼ばれる、甘い味の肉団子だ。
口に入れてから微妙な顔をした。まあ、中華とはかけ離れた味なのだ。でも、最初からこれはインド料理だと割り切ればうまいぞ。
「当時を知る人、他にいるのかなあ……」
昭子さんによると、律儀に年賀状を送ってくれていた北京時代の部下がいたが、十年前に途絶えた。亡くなった可能性が高いという。あとは、父さんの暗号に登場する中国人を探してみるか……?
「数年がかりで調べても無理かもしれんな」
「結局、当時の北京で生きてた人しかわからない話だものね」
ラッシーを飲み、彼女がため息をついた。
対して、おれはバター茶を注文していた。この店はコックの1人がチベット系らしく、あちらの飲み物も出してくれるのだ。
──ん。
待て、チベット?
当時の北京で生きてた人しか?
「どうしたの?」
「いや、突破口を見つけたかもしれん」
1週間前に仁間が言っていた。
使い道がなんともいえない、チベットの活仏の新能力。
転魂法。
過去の時間に、魂を数日だけ飛ばす。その時代の誰かの人生を数日だけ生きさせてもらえる。ただし歴史は一切改変できない。
これだ!
当時の北京で「生きる」だけでも、わかることがあるかもしれない。すくなくとも、井村所長の大昔の部下を訪ね歩くよりは手っ取り早いんじゃないか。
おれは慌てて仁間に電話を掛けた。
■
「他者の魂を過去に送ることは、技術的には可能です。しかし……」
次の週末。10月16日の午後。
おれはアイスを連れて、すでに今シーズンの全日程が終了した仁間の部屋にいた。
1989年5月ごろ。
父さんと王昊天がなにかをやっていた、六四天安門事件の直前の北京。
歴史を変えられなくても、傍観する方法ならばあったのだ。
「しかし……? なにか問題があるのか?」
仁間に尋ねた。
「本来の魂に負荷がかかるのです。なので、わたし以外の人間は、1回やったら今後20年は再トライ禁止です」「あと、行き先のコントロールも困難です」
つまり、仁間本人以外が転魂法をやった場合、転魂先が誰になるかを選べない。
いちおう、親族や友人といった縁ある人の身体を借りられる場合が多いが、誰になるかは完全にガチャらしい。完全に無関係な他人になる可能性もあるわけだ。同性になるほうが多いというが。
魂の定着も不安定になる。
転魂は最長で4日間可能だが、相性が悪い人間に当たると、その前に追い出されてしまう。
「まあ、逆のパターンもありますが。わたしが野村監督を救おうとしたケースでは、あの方の魂と異常に相性が良好で」
「お前、野村監督マジ大好きだもんな」
「はい。現代に戻ってからも3日くらい、自分が沙知代夫人だと思って暮らしていました」
沙知代側に行ったのかよ。
「……あの、サチヨさんって誰ですか?」
「女性の真の理想です。アイスさんも彼女のように」
やめんかい。話を本筋に戻せ。
「……わかりました」
なんで残念そうなのか。
「魂の相性がよすぎた場合でも、4日が終われば帰れますから、この点は安全です。例外は──」
パシンと手を叩いて、「ずっとこのままでいい」と3回言う。
逆に途中離脱したい時は、手を叩いて「すぐ帰る」と3回言う。
重要なのは後者だろう。
万が一、王昊天本人に転魂した場合。知るべきことを知ったら、さっさと離脱するに限る。
「とにかくわかった。やらないよりはやったほうがよさそうだ」
「わかりました。では準備を」
仁間はそう言って隣の部屋に行き、チベット僧の袈裟姿になって戻ってきた。
普段のストリートファッションのときとは、完全な別人だ。最高位の活仏にふさわしい、凄まじいまでのオーラを放っている。彼はこれで完全体の4割の力なのか。
「では、数珠を。こちらの金剛鈴と金剛杵を手に座ってください。仏画の前のほうがよろしい」
言う通りにする。
「目をつむって瞑想……」
仁間がそう言い、おれが目を閉じかけたところで、「あの。お願いが」とアイスが言った。
「──わたしもいっしょに行けませんか?」




