【間奏6】2027年8月22日 紅色根拠地(謝雨萌の物語)
「お嬢さま、ご外出あそばされますか」
「……うむ。くるしゅうない」
恭しく頭を下げる管家の言葉に、あたしは鷹揚に応じる。
「ああっ、お嬢さま。1人で廊下をお歩きになっては! 奴才めが電梯までお露払いを」
ふむ、この年配の家僕はなかなか気が利く。愛いやつよの。
──これまでずっと、隠してきた。
あたしの本当の身分。
中華貴族の真の名門、中山の謝氏。
そのご令嬢なのだ。
なに? 中国の貴族筆頭は紅二代の白家?
口を慎むがよい。
わが血族は中華の大地でもっとも高貴なる存在だ。
これほど多くの見目麗しい召使いにかしづかれていることこそ、動かぬ証拠ではないか。
「またのご恩寵を」
そう言って三跪九叩頭をおこなう家僕と別れを告げ、築40年雑居ビルのエレベーターに乗り込んだ。
1階。割れてヒビが入り、シールの剥がし跡だらけのガラス扉。
それを開けて外に出る。
東京の真夏の暑気が一気に襲いかかってきた。
「クソあっぢい」
あたしはキャラコラボデザインのUSB式手持ち扇風機の電源を入れた。
■
……中華宮廷風耽美執事カフェ「秋葉紅楼夢」。
秋葉原駅から東に徒歩7分。雑居ビル4階。
大叔から小鮮肉まで、よりすぐりの在日中国人の男どもがかしづく夢の園。
たまにお嬢さまになるのは実に気分がよろしい。
うちに住んでるリアルお嬢は、本物なので大変そうだが。
ちなみにここは、店名は秋葉原だが住所は浅草橋4丁目だ。
6月3日の夜。近くの公園で、希冰が男と飲んだくれる姿を見た。
考えてみれば、あの出来事がすべての発端だ。
あたしは正体がバレた後も、当初は彼女のことはどうでもよかった。
だが、あのメンタルお豆腐姫は寂しがりやの構ってちゃんだった。妙に懐くのをいなしているうち、いつの間にか親友になっちまった。
そもそも、漫画と関係がない友だちなんて、いつぶりの──。
「謝同志你好」
背後から小声で声をかけられた。
店からあたしの身辺をうかがっていたのだろう。情報機関員特有の、抑制の効いた声だった。
「陳同志你好」
振り向いて声をかける。全体的にでっかい人。陳さん。
中国情報機関、国家安全部所属の腐女子。そして、わがサークルのキャラ考証担当。
「根拠地における秘密会合まであと1時間です。ともに参りましょう」
尾行の有無を確認しながら、陳さんは低い声でそう囁いた。
■
「──同志們好!」
「攻受好!」
「──同志們辛苦了!」
「為耽美服務!」
日曜の午後。赤坂の高級クラブ。
わがサークル「紅色根拠地」は定例の挨拶から王老吉で乾杯し、秘密会合を開始した。
なぜ場所が赤坂か。それは追って話す。
まずはわが同志たちを紹介してからだ。
「いやー。今回マジ焦りました! 輪転機回る直前に前総理のアレの消し忘れ見つけて、大急ぎで修正を」
そう言う彼女は、印刷担当の小敏。
表向きは慶王SNCの大学院生で、知的な文学女子。本業は中国人民解放軍連合参謀部情報局のエージェントで、横須賀の米軍基地と自衛隊基地の観測諜報をおこなう軍事スパイだ。
だいぶ重症の海事オタであり、好きなCPは中国偽装漁船の船長×釣魚島防衛海保巡視船員の禁断の恋。防衛大生もヨダレが出るほど好物で、防大学園祭の棒倒しイベントを(個人的な動機で)延々と動画撮影。自衛隊情報部門に追跡されかけたつらい過去を持つ。
「夏コミも主席アクスタの売り上げヤベえっす!」
こちらの彼女は蔡博士、グッズ制作&販売担当。
TOTOTA自動車のエンジニアを装いつつ技術摂取をおこなう、中国商務部の産業スパイだ。相当な車オタであり、溢れる技術愛から私服でもツナギを着用する。
そんな彼女の推しCPは一汽の長距離トレーラー×党幹部専用車・紅旗の無機物BLだ。中国大陸を数千キロ疾走する泥臭い労働者トレーラー兄貴に、高貴の象徴である紅旗くんが屈服する構図がたまらないらしい。いい趣味してやがる。
「日曜はお客さん来ないからね。夜まで盛り上がっても全然ダイジョブよ」
最後に日本語で喋った年齢不詳美女は張本さん。中国名は張。日本国籍を取得していて安全なので、メガネ&帽子着用で売り子をやってもらっている。通称、赤坂の貴腐人。
彼女はこの高級中国クラブの経営者だ。例によって、中国共産党統一戦線工作部のもと、日本の政治家と官僚の機密情報を収集する政治工作員である。
わりと手遅れな政治オタであり、グッとくるCPは周恩来×毛沢東×田中角栄だ。中日国交正常化の陰で結ばれた愛交異常化。もう声が出ちゃう中日共同声明。そんな妄想を5時間語る。
そしてこのあたし、執筆担当。同志愛の伝道師、天才Red★Star先生。
本業は人民曰報東京支局の記者──。まあ、ウチの党報の場合、取材の半分はスパイみたいな仕事だ。で、キャラ考証担当の陳さんが国家安全部員なのもご存じの通り。
つまり。
わがサークルのメンバーは全員が中国当局の諜報関係者なのだ。
でも、誤解しないでほしい。
あたしら全員、党とか国家とかのために働いてない。
──BL主義♡核心価値観。
妄想と創作のため、自分が激シコれる分野の情報をトチ狂ったように追う。で、シコり養分摂取済みでクソどうでもいい絞りカス3分の1ぐらいを、とりあえず所属機関に流しとく。日本が滅ぶとBLが滅ぶ。だから、みんな対日諜報情報はだいぶマイルドにして提出してる。安心してくれ。
結果、われわれには海外駐在手当付きで多めの給料が出る。
その給料でグッズや資料を買い漁り、コミケで戦利品を調達する。それらを秘密会合で同志たちと共有して盛り上がり、さらなる養分を摂取する。創作と妄想がもっとはかどる。
あたしが発明した完璧なエコシステムだ。超すげえだろ。やっぱ天才だぜ、あたし。
■
「ところで同志們。気が早いが次回作の構想を提案させてくれ」
あたしの言葉に、8つの腐った瞳がキラリと光った。わがサークルは、半分くらいはレッドスター作品のプレミアファンクラブみたいなところがある。
「次回、前総理×主席の王道CPは一回休みだ」
「ええええっ!」
悲鳴を上げた貴腐人を「うろたえるな」と制する。
「……新たな企画。新中華界域」
ざわめいた。
みんなプロの人なので、知識はある。小敏が「生き急ぎすぎです先生」と叫んだ。
「心配いらん。あっちの序列4位の幹部が腐の者だ。たぶん彼女がなんか適当にごまかす」
おお。
公式の身内がナマモノ容認。これならなんとかなる。
「あたしのiPadの画像を見ろ。腹黒冷血官僚のライ、忠義の熱血武将チャガン。そして悪のカリスマ王昊天だ。全員マジで渋い。むしろカラミを実写で見たい」
同志たちが熱気でざわめいた。
──しかし、ここで問題がある。
ライとチャガンは資料が充分だが、王昊天が足りん。
キャラ設定を深堀りしなくては、激エモ激シコい関係を描けない。
神は細部に宿る。わがサークルの強みは、各人が党内機密にアクセスして集めた情報をすべてぶっこみ、万全のキャラ造形をおこなうことにあるのだ。
「なので、考証担当の陳さん。仕事をしてくれ」
「好」
「1989年6月4日、北京市内で死去した『王昊天』と同名らしき男がいる。あたしの創作の糧にしたい。国家安全部のルートでこの男の档案(プロフィール)を──」
そうなのである。
界域から戻った数日後、北京亭で高田から打ち明けられた。
あっちの親玉の王昊天は、かつて六四天安門事件の夜に死亡した男の──。つまり、高田の両親を殺した男の転生者らしいのだ。
「おれの隣りに座ってる仁間の正体は、中国政府の迫害から逃げたパンジュン・ラマ11世だ。もはやアイスやおまえが党にチクるとは思えんから、明かす」と。
高田の人外めいた能力は希冰から聞いている。界域の空飛ぶクルマでレックスも喋っていた。もはやあたしも疑っていない。
刀槍不入が実在する以上、転生があっても変じゃないだろう。どっちも、中国の民間信仰や古典文学では定番の話だ。高田が自分の親の死因に関係するシビアな話で、変なことを言うとも思えない。
それならば、あたしが持つチャンネルから、前世の王昊天の情報を取ってくる。創作の糧になるのも事実だからな。
「……わかった。やってみよう」
陳さんはそう言い、情報部員特有の不敵な笑みを片頬に浮かべた。
なお、彼女は仁間より横幅がでっかい。




