【第二十一章】2027年7月31日 界域の女王(翔平の物語)
未読92通。
着信28回。
1日目、7月28日の日中はまだ5通。
だが、同日深夜から怒涛のように増えている。
2日目以降になると、送信時刻は午前4時半から夜3時まで──。って、ほぼ寝てないぞ。大丈夫かよ。
送信者は誰か。
言うまでもない。
さきほど、チャガンはおれの顔にスマホを当て、ロックを解除した。
目の前でトーク画面をざっとスクロールされたが、特に深夜のメッセージは見るのがつらかった。昼間は比較的抑制的な文体で、数行以下の安否確認が多い。しかし、夜中になると一気に500文字くらいの長文を何度も送ったりしているのだ。
自分の生い立ちや学生時代のさみしさを書いたり、むかし雪の日にタオルを借りたお礼をまだ言っていないとずっと謝っていたり。文意は明らかに混乱していて、あいつらしからぬ日本語文法の間違いも多かった。
ほかにも──。
”ソフトクリームを食べたい”
”茶葉蛋以外の朝食の作りかたを覚えたい”
”また、神社にいきたい”
「かわりに返事をしておいてやる」
チャガンはそう言って、なにかしらの文言を打ち込んで送信した。間違いなくろくなことを書いていない。
直後。bot並みの速度で返信されたメッセージの着信音がヒュッと響いた。
「……ふん」
眉間に皺を寄せ、カバーをたたんでスマホをポケットにしまう。
■
「話とはこの件だ」
チャガンが向き直り、再び言った。
「仮に万が一、貴様が釈放された場合でも、お嬢さまには二度と近づくな」
おれは返事をしなかった。
また蹴ってくるかと思ったが、彼は動かない。
任務上の暴力行使には一切の躊躇がないが、そうでなければ手を上げない男らしい。
「おまえ……。アイスの一族の家宰だっけか」
「かつてはそうだ。しかし、現在の私が忠誠を誓う対象は王総司令だ」
チャガンがポケットからシガリロを取り出す。
野生馬のレリーフが刻印されたジッポライターで火を点けた。
「よかったら一本くれないか」
そう言ってみた。
彼は一瞬考えてから、黙っておれの口にシガリロをくわえさせ、手の拘束だけを外した。
ライターを投げてよこす。やはり、この時間は任務外、ということか。
「……ありがとう」
「礼に及ばん」
吸ってみたシガリロはおそろしく美味かった。最高級に近い品だろう。
「新しい主人がいるなら、滅んだ白一族の娘にそこまでお節介を焼かなくてもいいだろ?」
「白家は滅んでなどいない」
めんどくさいやつだな。
「……王総司令はお心が広い」
チャガンがつぶやいた。
「わが父祖からの代々の忠義と、新たな主君への忠誠。私の仕官にあたり、あの方はそれを両立して構わないとおっしゃった、むしろ、その思いは界域の力になると」
アイスを新中華界域に「出張」させた件も、王昊天と相談のうえなのだ、という。
「王総司令はすべてをお認めくださった。お嬢さまは今後……。こちらににお残りいただく。そして、界域の最高幹部の1人として白家を再興していただく」
おれのシガリロから、灰が勝手に落ちた。
■
理屈自体はわかる。
アイスは中国の官僚体制のなかで出世の道を閉ざされ、かつての身分を回復することも絶対にできない。彼女を名家のお嬢さまに戻すのなら、場所を変えるしかない。
すなわち、もうひとつの中国を選ぶことだ。
そういえば……。
6・4テロの日、シーラを前にものすごい勢いでテロの背景を推理して喋っていたアイスの顔つきは、かなり嫌だった。
あいつのなかには、紅二代の元エリート党官僚として、界域の発想をごく自然にトレースできる素地がある。
いや、それだけではなくて──。
「中国共産党は偉大、光栄、正確だ。党の理念は常に正しい」
チャガンが口を開いた。
「しかし、歴史上その実現においては、各種のノイズに邪魔をされ、多大な問題が生じてきた。われわれ新中華界域は、過去の課題を解決する集団だ。中国共産党の正しき理念を、すべて完璧な形で実現してゆく」
計画経済、計画生育、大躍進、改革開放。
そして、中華民族の偉大なる復興──。
過去の中華人民共和国の歴史に登場した一切の政策を、賢人の頭脳とテックの力で本来の理念通りの現実に変える。
それが王昊天と界域の理想だ。
「近日のお嬢さまは、貴様のおかげかお気色がすぐれない。しかし、われわれの理念や界域の社会自体には、一定の理解と共感も示されている」
あいつの党員としての顔を思い出した。
「当然だ。この場所こそ真の中華人民共和国なのだからな。紅二代の血の故郷。心からお嫌いになられるはずがない」
「おれを揺さぶるためのウソ……。って口ぶりには聞こえないな」
「任務外で貴様を騙す意味がない。むしろ状況を正確に理解してくれることを望んでいる」
むろん界域側の事情もある。
このまえ自分でも調べてみたが、アイスのじいさんの白一泉は党元老のなかでも筆頭格の人物だった。
失脚したおじさまの白錫来も、統治手腕が優れていたらしく庶民人気はいまでも高い。党の社稷を体現する白家の滅亡を惜しむ声は、水面下で常に囁かれている。
界域が政権の正当性を高めるうえで、アイスを仲間に引き入れる政治的意味は非常に大きいということだ。
「王総司令は、お嬢さまを欧州諸国の王家のような象徴元首に据える構想を述べられた。わが主は実務を好み、煩瑣な儀礼はお嫌いだ。ゆえに、いわば国事行為の専任者を必要としている」
──聡明で美しき界域の女王。
至高の権威のみを持ち、実権は持たない。われわれ日本人にもおなじみの、高貴な血筋の芸術品。
あいつなら、その役割を充分に果たせるだろう。人民に慕われ、西側諸国からさえ好感を抱かれ、文字通りに新国家の象徴になるような。
おれは王昊天の転生について、アイスに話していない。チベット問題がからむ仁間の素性を、いちおうは中国外交官のあいつに明かすのが憚られたからだ。だから、あいつ個人は王昊天に対してわだかまりはない。こっちに来ても働けるはずだ。
しかし。
■
「……ソフトクリームを食べたい」
おれは言った。
チャガンが「ふざけるな」と顔をしかめる。
「おれが食いたいんじゃない。さっき、アイスの深夜のRINEにそう書いてあった」
「あのホテルのルームサービスは充実している。今後は毎夜、お送りするよう手配しよう」
朴念仁め。
わかるように翻訳してやる。
「あいつは、街で友だちと買い食いして歩くような経験をもっとしてみたいって言ってるんだ」
「くだらんな」
「ああ」
マジで超くだらねえ。
でも、そのくだらねえことが許されないお育ちだったんだろ。
……チャガン。まさにおまえみたいなやつらだ。
あいつを20数年間ずっと、気の毒な檻に閉じ込めてきた犯人は。
「アイスを界域に残す話、本人の意向は聞いたのかよ?」
「早晩お伝えする。白家のためであり、人民のためだ。最後までご反対はなさるまい」
「反対できる立場じゃなくても、女王になるのを内心望んでいないとしたら?」
「役割と責任の前で、個人の感情は不要だ」
こいつの忠義は白家に向いている。アイスの人格や、人生の幸せに対しては何も思っちゃいない。
「……今後、絶対にお嬢さまに近づくな」
チャガンがシガリロをもみ消した。
話は終わりってことか。
「これからまた拷問かよ? だが、知らないことは喋れないぞ」
そう強がったものの、内心では怖い。
あの責めが延々と続けば、おれは耐えきれずに秘密を口にするかもしれない。
そうなれば、おれは界域に──。いや、この世界と自分の人生そのものに敗北する。
役割と責任。チャガンが持つ規律とは種類が違う。だが、いまのおれにもそれはあるのだ。
「今夜はよく寝ろ。ベッドを用意しておく。手錠はつけさせてもらうがな」
「どういうことだ?」
チャガンは答えなかった。
拷問官の部下も寝なきゃならないから、ってとこか?
「……明日は朝から、病院に行ってもらう手筈になった」
わずかに、不快そうに眉間を寄せた。
チャガンはやはり、理由を答えなかった。
■
「いやはやあ、びっくりだねえ。こんな人がいるもんなんだねえ」
翌朝。
おれの目の前で、人の良さそうな初老の女がのんびり喋っていた。
言葉に中国東北なまりが強い。眉を太く描きすぎた厚い化粧と、変なパーマのせいで頭がやたらに巨大なヘアスタイル。見るからに垢抜けない田舎の人である。服装はいちおう白衣だが、東北大媽がよく着るパンダ柄の赤いナイロン綿入れでも着せたほうが、よく似合うんじゃないか。
キャセイ・イェリュ。中国名、耶律淑珍。
黒龍江省牡丹江市出身、66歳。漢化ダフール族の医師。香港大学医学博士、元教授。
中華ゆるキャラ的な外見に似合わず、界域医療部門トップの衛生医療福祉局長を務めているらしい。最高指導部の序列7位だ。
おれは朝から、界301医院という彼らの巨大な病院で、徹底的な身体検査を受けた。身長体重からはじまり、採血、X線、MRI、エコー……とフルセットだ。バリウムも飲まされた。昨晩食事が出なかったのはそういうことか。
ちなみにおれは、注射や点滴の針は普通に刺さる。散髪や爪切りも同様だ。たぶん、明らかな危険じゃないと能力が発動しないのだろう。なぜかはわからん。
「数字上は『完全な健康体』以外に何も出ないねえ。あんたの身体の強さは、気功とか中医(東洋医学)とかあっち方面の理由だね」
そういうことなのか。
事実、過去の学校や職場では「ただの健康な人」でしかなかったので、誰もおれの能力に気づかなかったのだ。
「じゃ、次かねえ」
大丈夫大丈夫、と1200ccも血を抜かれた。通常の献血の3倍だ。
終わってから、中国のコンビニで売っている「1日分の鉄分」の果物ジュースを渡された。そして、息子の嫁が義母に尽くす内容の中華おばちゃん向け昼ドラを見ながら30分休憩。それで体力が回復してしまう自分の身体がうらめしい。
「こんなに血を抜いて、どうするんすか?」
今日の検査は公安部門ではなく医療部門の管轄だ。私語を喋っても問題ない。
「そうだねえ。とりあえず、家賃が払えなくて飛んじまった人民C層に輸血して安全性を確認してから、そのC層の身体の耐久力をとことん試して──」
さらっと言っている。人体実験じゃねえか。
淑珍は、性格自体はそこらの田舎のおばちゃんである。
なので、なんでも喋った。
どうやら彼女は、本業では相当なやり手らしい。かつて湖北省武漢市にある人民解放軍系の某研究所で、ゲノム編集ベイビーとか人豚キメラ胚とかコウモリ檻の新型ウイルス培養とか……。
要するにやばい研究を山ほどやっていたら、西側のマスコミにバレてしまい、界域に引っ越してきたという。
▪️
「ところであんた、結婚はまだかね。隣の李さんの娘も35なのにブラブラしていて、片付かないで困ってんのよ。あんた、どうかね」
淑珍はそう言いながら、赤い粉を水で溶いておれに静脈注射した。
その後15分間、彼女の話題は李さんの娘から、隣の張さんの鬼嫁と呉さんの犬、さらに市場の白菜の値段の話に移り続けた。白菜は2.5界幣で、今月はちょっと値上がりしたらしい。
「……あらま。予想はしたけどびっくりだわ。さっきあんたに打ったのは、廃人一直線のパーマストン・ドラッグだよ。ちっともパンダハガーにならないねえ」
通称、レッド・パンダ。アメリカや西欧で乱用者が1億人以上も出ている悪魔のドラッグだ。
なんてものを打ちやがる。
「次はあれを食べなさい。うちで腕によりをかけて作ったんだけども」
自家製の漬物みたいな言い方をするな。
むかしの中国鉄道の車内販売車みたいなカートが、見覚えのある長細いパックを山盛りにして持ってきた。
NCF家庭和階ゼリー。
通称、家庭果凍。つまりエロゼリーだ。
「でも万が一、効いちゃってあたしに抱きつかれてもねえ。いや、あんたなら嬉しいけども。まあちょっと待ってなさい。軽い拘束具持ってくるから」
トコトコと出ていった。足元は健康サンダルだ。
ゆるい。
その所業は人類の医療倫理から完全に逸脱しているのに、人格がゆるすぎる。
部屋の端にはいちおう、チャガンの部下の一人が部屋の隅に立っていた。
だが、淑珍のキャラに当てられたのか、さほど集中してこちらを見ていない。
おれはそっと、カートの上の家庭果凍を3包ほどつかんでズボンのポケットに入れた。
たしかこのエロゼリーは、人民C層には無制限に供給されているが、B層やA層による使用は厳格に管理・規制されている。この程度のワイロで拷問係を籠絡できるとは思えないが、切り札はひとつでも増やしたいと思ったのだ。
「待たせたね。じゃあ、よく味わっとくれ」
淑珍が戻ってきて、おれにゼリーを食べさせた。1包、2包……。5包。
その後に検査ルームで、拘束されたまま台湾製の中華ポルノ動画を見せられた。
三国志の桃園三兄弟が仙女とおっぱじめ──。って、こんな意味不明な設定で欲望を刺激されてたまるか。むしろ淑珍が興奮しているし。
当然、ゼリーはなんの効き目もなかった。
▪️
おれに昼食は出なかった。
かわりに個室で3時間ほど休むよう指示され、言う通りにする。
その後、部屋にいきなり看護師が入ってきて、電動シェイバーで全身の体毛を剃られた。シャワー。出てからは下着をつけず患者用のガウンを着るように指示される。
やがてストレッチャーに寝かされ、手足を拘束された。
そして──。
廊下を進んでいくつかのドアを潜り抜けた先には、緑色の手術着を着た淑珍が、2人の医師と数人の看護師をしたがえて待っていた。
「すいません、これは」
「申し訳ないね。とりあえずあんたの腎臓を摘出して、落ちこぼれの人民C層にくっつけてみるんだ」
ちょっと。待ってくれ。
「大丈夫。腎臓はひとつ取っても死なない。しかも、あんたの場合は再生する可能性が高い。あたしゃそれが見たいんだよ。もし再生するなら、こりゃすごい」
今後、血液型が合うレシピエントであれば、心臓と脳以外はおれから無限に移植できる。しかも、もしかしたらその臓器はものすごく強靭かもしれない。こりゃ、医療の進歩なんてもんじゃないよ。
淑珍はそう言った。
「うちはこれでも、ちゃんとした病院だ。あんたを苦しめる気はないから、麻酔科医に来てもらってる。……しかし、あんたって、全麻はちゃんと効くのかね?」
おい。
「メスが身体に入らないときは、悪いけれど頭に1分間、電流を使うよ。チクッとするけども、泣かずに我慢しとくれ。男の子なんだから」
やめろ。
おれを乗せたストレッチャーが、手術前室から麻酔導入室に入った。
その向こうは手術室だ。
やめろ。
おれは暴れて、叫び続けた。
看護師たちがわっと飛びかかり、鎮静を試みる。
淑珍は目の前の騒動をろくに眺めもせず、隣にいる執刀助手の男性医師に、界延安ストアのクーポンで玉子が2割引になる話と近所の完顔さんがゴミの日を守らない話を延々と喋り続けていた──。
▪️
「やめてくれ! お願いします! やめて!」
おれはいつまでも叫び続けた。
手を焼いた中年の女の看護師が、例の電極ハチマキと謎の機械を持ってくる。
頭を振って抵抗し続けたが、数人がかりで押さえつけられ、最後は巻かれた。
看護師がプラグのジャック接続を確認する。コンセントを入れる。そして、ツマミ式の電極スイッチに手を伸ばして──。
バン。
音がした。
電気ショックの音じゃなかった。
「……やめなさい」
声。女の声。首を動かせない。
「そこ! やめろと言っているの!」
「手術時に執刀医の許可を得ない者の立ち入りは」
看護師が言い返している。
「執刀医の耶律淑珍よりも、高位の人間が命じています。つつしんで聞き入れなさい」
え?
「──中華人民共和国、建国八柱石、白一泉が裔子。紅一等白家の家主」
おれは耳を疑った。
「新中華界域元首、白希冰による最高指示」
「界301医院の全医療従事者は、高田翔平に対する一切の処置を停止せよ」




