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【第十八章】2027年7月29日 レックス(翔平の物語)

 光。

 軍用らしき強力な懐中電灯のライトがおれの顔を照らしていた。

「生きているな。それなら起き上がれるだろう」

 誰だ。やや機械的な冷たい声。

 手を貸してもらい起き上がる。硬い手。身体も筋肉質だ。


 彼に誘導されてすこし歩く。

 意外とすぐにジャングルが切れ、2車線道路の脇に出た。

 街灯で男の顔を見る。

 言葉からしてたぶん中国人。黒髪。やや短い頭髪は整髪料で固めていない。顔は優しげで人がよさそうに見えた。インテリ風の眼差しだ。

 夜なのに肌がつるりとしている。風呂でヒゲを剃った後だろうか。服装は何の変哲もないポロシャツ姿だった。


「ありがとう、ございます。あなたは?」

「……レックスと呼んでくれ。僕は英語名のほうがピンとくる」

 しばらくの沈黙の後、彼は柔らかな声でそう言って笑った。

 レックスは道端に停めたBRDの中型EV車のトランクから軍用の救急キットを出すと、おれの上半身を脱がせた。手慣れた様子で消毒し、包帯を巻いていく。

「むかし、ボーイスカウトで習ってね、キットは車に積んでいる。ただ」

 おれを見る。

「止血は不要だな。しばらく放置すれば君なら治る」

「なぜわかるんです」

 尋ねながら、誰かと印象が似ていると思った。いや、外見や性格じゃない。オーラだ。

 そうだ。こいつはどこか、仁間と通じる雰囲気がある。だが……?

「僕も人体特異効能があるんだ。ささやかだけどね」

 彼はそう言った。


 ──レックス・オー。

 陝西省西安市出身。5歳からイギリスで育った英国華人だという。

 本名は欧陽おうやん応天いんてぃえん。時代劇みたいな名前だ。

 たぶん20代後半くらいか? 目つきや表情、口調が若い。

 喋り方に、映画の吹き替え音声みたいな若干の不自然さを感じさせた。海外暮らしが長いせいだろうか?


 彼の父親は、おれの両親と同じく人体科学研究所の調査対象者だったらしい。

「ソフィア電子と合弁で運営されていた研究所だ。さすがに知っているだろう?」

 ソフィア電子。音楽プレーヤーのウォルクマンを開発した日本企業。

 創業メンバーの一人が東洋思想にハマり、1985年に中国政府と合弁で北京に中日友好人体科学研究所を設立した。当時の日中関係は良好だったのだ。

 もっとも、研究所は六四天安門事件の後にほどなく閉鎖された。現在この一件は、カリスマ企業家の晩年の奇行としてお笑いネタになっているのだが。

「お笑いなのは事実だ。僕の親父の能力、なんだと思う? 『耳で人民曰報が読める』だぜ」

 レックスは言った。

 ちなみに北京晩報は読めなかったらしい。息子の彼も、なぜか『ザ・サン』の英国王室スキャンダルだけは耳で読めるが、他の記事は無理だという。


「だが、超能力の実態はそんなものなんだ。圧倒的多数はね」

 当時、人体科学研究所が北京市民から抽出した200人は、ほぼ全員が役立たずだった。

 破れた糧票りゃんぴゃお(食糧引き換え券)を復元できるが、他の紙はもとに戻せない。テレサ・テンの曲を他人の脳内にテレパシーで飛ばせるけれど別の歌手だと無理。いーじんやんろうしゅいじゃお(ヒツジ水餃子)をひと粒だけ牛肉味にできる──。

 人体特異効能は実在した。しかし、まるで使い道がない。

 実は能力自体はちっともめずらしくなく、中国人民のほとんどが多少の訓練で発現することも判明した。誰も耳で人民曰報を読んだりテレパシーでテレサ・テンを発信しようとは考えないので、気づかないだけだ。疑うなら試しにやってみるといい。意外と簡単だから。

 いずれにせよ、実用性はゼロだった。中国政府が研究を放棄した一因も、それだったらしい。


「さっき、おれのケガは大丈夫だと思った根拠は?」

「僕なりに調べたからだ。刀槍不入は本当の無敵じゃない。致命的なダメージを防げるのは自分が危機を感じてからしゅんしーぢーじえん、つまり1分程度だ。連続して攻撃されれば傷つくし、当たりどころが悪ければ死ぬ。まあ、基礎体力や代謝力が極端に高いから、急所さえ外れれば回復できるがね」

 おれや母さんが撃たれたのはそういう理由か。

「自分なりに調べたって、どこで?」

「……いろいろだ」

「刀槍不入は、例外的に使い道がある超能力だったのか?」

「さあな。わからない部分も多い」

 はぐらかしているのか。それとも、なにか別の理由があるのか。

 助けてくれたのだから、おそらく敵じゃないのだろう。だが。


 車が郊外の小さなホテルに停まった。

 安普請。中国の低級ビジネスホテルという感じだが、宿としては充分だ。

 レックスがかわりに宿泊登記を済ませてくれた。本来は禁忌だが、なんとかなったようだ。宿の姉ちゃんが怯えたような目で手続きしていたが、通報リスクを考えたのだろうか。

 それよりも気になったのは彼女の顔だ。場末の安宿なので服装は質素だったが、目を見張るような美人だったのだ。しかも、ただの美人ではなく、それこそアイスの同僚にいそうなタイプの品のいい中国人。サイバー人民公社ではまず見なかったタイプだ。

「1泊200界幣じぇびー(3000円)なんだろ? おれに出させてくれ。助けてくれたお礼に払うよ」

「そうか」

 レックスが妙に皮肉っぽく笑った。

 おれが界域スマホで、宿のカウンターにあるQRコードを読み込む。支払いエラーが出た。

「タカダ。君の通貨は界幣Cだ。公社の外じゃ使えない」

 新中華界域は、人民の階層によって通貨が違ったのだ。


「中国の……。そうだな、たとえば六四天安門事件の時代の通貨制度はわかるか?」

 レックスは言った。

 社会主義色が強かった時代の中国では、紙幣のような紙が3種類も存在した。食糧などの生活必要物資の引換券であるりゃんぴゃお、国内決済しかできない人民元、海外決済ができる外貨兌換(だかん)券だ。おれもぼんやりと記憶がある。

「いわば、この界域で人民C層が使う界幣C(NCF-Pay Comunity)はりゃんぴゃお、B層の界幣B(NCF-Pay Basic)は国内決済限定の人民元、界幣A(NCF-Pay Advance)は外貨兌換券に近い仕組みだ。人民A層以外の優秀じゃない人間が、海外と接触したってろくなことにならないから、こうなっている」


 上位通貨から下位通貨への両替や支払いはできるが、逆は非常に難しい。電子マネーなのでヤミ両替も困難だ。経済活動はすべてデジタルIDと紐づけされる。

 なので、人民C層が許可なく居住地を離れた場合、カネを使えない。逆に上位層がサイバー人民公社の格安風俗やKTVで遊ぼうとした場合も、自分のスマホを使うと一発でバレる仕組みだ。

 まあ、()()()C層である黒社会や詐欺拠点なんかは、界域政府への上納の見返りに外貨保有も黙認されているらしいが。他にも支配地の少数民族(非籍民)向けの軍票みたいな界幣もあるそうだ。電子マネーマニアじゃなきゃどうでもいい話ではあるけどな。


 ……それよりも、大問題だった。

 おれの界域スマホに入っている界幣Cは、人民公社の外では紙切れ──。いや、紙ですらないゴミデータになったのだ。残高が4万8000円くらいあったんだが。

 それもキツいが、より大きな問題は自分のスマホとパスポートだった。アイスに連絡したいし、なによりパスポートがなくては合法的にここを出られない。

「今後の状況によっては戻ってくる。君からできることは何もない」

 変なことをいう。なぜ、そんなことが言えるんだ。

 

 結局、宿代はレックスにおごってもらった。

 夜も遅いので、それぞれが部屋に引っ込む。

 レックスがどうやっておれを見つけたのかも、今夜は聞きそびれてしまった。

 右肩を触ってみた。

 傷はほぼ塞がっている。

 財布のなかを見る。日本円が10万円、人民元が1000元。米ドル200ドル。外の世界で使える可能性があるカネはこれだけだ。

 シャワーを浴びてベッドに横たわると、すぐに睡魔におそわれた。


 翌朝。おれは午前5時半に目が覚めた。

 元社畜の悲しい習性だ。これまで毎日起きていた時間に、勝手に目が開く。界域と日本との時差は1時間だから、つまりこんな時間に覚醒してしまうのだ。

 しかも悪夢を見た。顔だけが仁間になったサカイさんが、魚雷バットと爆弾おにぎりを手にKTVでキスを迫ってきて──。おれの精神はかなり追い込まれているのだろう。

 外は白みはじめていた。朝5時半に起きている人間なんて、よほどの老人か、托鉢の坊さんくらいだ。界域には新聞配達もないだろうし。

 天気を知ろうとカーテンを開けた。右手は普通に動く。痛みはもうない。

 そして、驚いた。


 無人の屋外を走る、レックスの姿が見えたからだ。

 アンダーアーマーのウェアが汗でぴったりと身体に張り付いていた。同性でもほれぼれする理想的な筋肉で、腹は見事なシックスパックだ。半袖の腕には、遠目にもわかる古傷がいくつか。

 彼はやがて、宿の隣の空き地に入ると、砂利の上で腕立て伏せと腹筋を100回ずつ済ませ、仰向けやうつ伏せの姿勢から一瞬で立ち上がって戦闘ポーズを取る訓練を20セットずつ。さらにそのへんに落ちていた短い棒を拾い、軍用ナイフに見立てて斜め上からの斬撃を20セット。相手が武器を持っている場合を想定した対応訓練らしきものを20セット。やがて棒を捨て、太極拳──。じいさんたちが公園でよくやる健康法めいたものではなく、いつでも人を殺せそうな隙のない構えだった。

 最後に坐禅を組む。

 朝の高原の空気に完全に同化したかのようだ。

 そう思って眺めていたら、レックスが突然目を見開いてこちらをじっと見た。

 思わず窓から離れたが、姿を見られたかな。もちろん見られても困らないが、昨晩の温和な物腰とのギャップは大きい。

 彼の朝の日課は、どう見てもただの早朝筋トレじゃない。軍人やそれに近い人間の早朝鍛錬だ。

 しかし、どこの軍隊だ?

 界域の警官や軍人がおれを助けるだろうか。じゃあ、イギリス軍?

 いや、あの訓練は明らかに中国風だ。それなら人民解放軍か。

 しかし、なぜ?


「やあ、おはようタカダ」

 2時間後。おれはホテルの1階でレックスと合流した。

 彼は朝のトレーニングの件はおくびにも出さず、近所で買ってきたというビニール袋入りの朝食をおれに渡した。肉松(ろうそん)(乾燥肉)が乗った中国特有の菓子パンと、プラスチック容器に入った豆乳。丁寧なことに着替え用の黒いズボンとTシャツも入っていた。

 中国人同士の付き合いなら、ぎりぎり常識的にあり得る範囲の気遣いだ。それでも着替えまで準備するのは親切だった。しかも、服はよく見るとポール・スミス。菓子パンや豆乳も、明らかに上品な味だ。これは本当に周囲の店に売っていたのか? デパ地下なんかこのへんにないだろうに。

「僕は今日、界延安に行く。君も旅行中だろう? 車に乗れ」

 パスポートとスマホがあるサイバー人民公社から離れるのは不安があった。

 だが、深い親切を受ける行為は、相手の意向に逆らえなくなることを意味する。昨晩以来、ずっとレックスのペースに乗せられている気がするが、どうしようもない。

 彼は界域の身分証を持っていて、しかも人民C層よりも上の身分らしい。しばらく巻き込まれていくしかないのだろう。


 タチレク郊外をEV車で進んだ。

 フロントガラスに光学式ARナビの誘導ラインがうっすら浮かんでいるが、レックスはほとんど見ていない。よく知った道というわけか。

 運がいいことに、交差点でもまったく信号につかまらなかった。しかも前後の車や対向車もめったに通らない。この街の経済は大丈夫なのか。


「レックス。あんた、仕事は?」

 おれは尋ねた。

「仕事は……。新域数字共創実験室の一般研究員だ。人民A層」

「なんだそりゃ?」

「知らないのか? ぢゅーがぁ特別顧問、LU()NA()っていう天才ハッカーの遊び場さ」

 LUNA。諸葛。

 ひょっとして、6月4日にカフェのドローン襲撃のあとに出会ったイカれた女か。

 諸葛詩月。シーラ。

「その通りだ。君は台湾のオーガスト・タン(たんほあん)はわかるか?」

「ああ。さすがにITの仕事やってて知らないやつはモグリだからな」

 日本でも有名な台湾テックの天才だ。

 自由と民主主義のため、社会をよくするために戦う正義のホワイトハッカーである。

「LUNAは例のオーガスト・タンと同等か、それを凌駕するテックの魔道士だ。ただしタンとは違って、社会をおもちゃにすることにしか頭脳を使わない。笑えるだろう?」

「想像はつく。下で言うこと聞くのは苦労するだろうな」

「ああ。むかし12歳でMENSA(高IQ者サークル)に入ったが、他のメンバーがバカすぎたので煽りまくって出禁になったと聞いた。いっしょに働くのは大変な人材だが……。能力はある」

 その気になれば兵隊を1人も動かさずに国家を滅ぼせるほどの。

 レックスはそう続けた。

 

 じえんしぇーほあしゃーうぅとぅおばんだぁざおだーとんじぇぢょんゆえん(中華のユートピアを建設せよ)。

 巨大なスローガン看板が設置されたラウンドアバウトを右に曲がり、真新しいハイウェイに入った。

「おまえは界域政府の人間だろ? なぜおれを助けた?」

「困っていた外国人の人助けに、なぜとは心外だな」

 レックスは表情を変えない。

「ひょっとして、おまえも例のPDFファイルを読んだんじゃないのか?」

「ほう……。どのファイルだ」

 声が低い。妙な圧を感じた。

「おれの両親が書いたノートだ。界域にあるのは確かなんだ」

「お前はそれを、どこまで読んだ?」

「母さんが書いた部分の、ほんのさわりだけだ」

「さわりか」

 沈黙。


 レックスは150キロくらいで車を飛ばしていた。ハイウェイに他の車両はまったく走っていない。

「能力を継承した際の記憶はあるか?」

 彼の声は相変わらず低い。暗く沈むような響きだ。

「……わからない。ただ、3歳のときにひざをすりむいた覚えがある。その後だろう」

「日本に移住したのは4歳の春だな。母親が死んでから継承した可能性は」

「ないと思う。日本に移ってからの自分の記憶は、比較的はっきりしてる」

「継承方法は本当にわからないんだな?」

「ああ」


 レックスが運転しながらスマホを触っていた。

 ながら運転の罰則は界域には存在しないらしい。彼がスマホを置く。

 タチレクから界延安までは40キロ程度の距離しかない。周囲はすでに、大都市圏の周縁の工場群や郊外型住宅地が広がりはじめている。

 レックスがかもしだした妙に圧のある雰囲気と、沈黙が息苦しい。

「ところで、サイバー人民公社のWi-Fi大躍進、ありゃどういう実装なんだ?」

 おれはひとまず世間話に逃げた。


 なにより、あの爆速Wi-Fiは技術的に気になった。

 Wi-Fiには多少の因縁があるのだ。往年、おれと加賀・木村のチームが多重下請け五徹でものすげえ適当に仕上げた東●道新幹線のフリーWi-Fiは、いまだに日本全国のビジネスマンを大いに苦しめ続けているのである。

「……電波が強いんだろう」

 ん?

「いや、4Kの2時間動画が5秒で再生されたってことは、動画が事前にローカルキャッシュされてるのか? それとも6Gをミリ波と光通信のハイブリッドで補強するみたいなものすごい──」

「かなりの圧縮もある」

 変だった。

 こいつが「LUNA」、つまり界域サイバー帝国を担うシーラの部下なら、元ブラックIT社員のおれでも見当がつく話に、こんな答え方をするはずがない。政府機密を隠している様子ではなく、明らかに「業界をモヤっとしかわかってないやつ」の反応なのだ。


 レックスの職業はおそらくウソだ。

 そもそも彼の名前や、英国華人っていう経歴も本当なのか? 昨晩の宿泊登記の様子からは、すくなくとも人民B層以上の人間なのは間違いなさそうだが。

 だが、さっきシーラについて話した様子は、明らかに彼女を知っていそうな感じだった。言葉が地に足がついていて──。

「界延安インターに到着した。だが、がおしゃんぴん。お前は運が悪い。検問だ」

 レックスが無表情に言った。

 検問? 1台も車が走っていない高速道路で?


 黒いロボコップみたいな格好の連中が、インターチェンジの入口で待っていた。

 助手席のドアが開く。引っ張り出された。

 レックスは前を向いたままだ。連中はなぜか、彼の身分証はチェックしなかった。

「おれは旅行者だ。パスポートを紛失しただけだ」

 いちおう言ってみたが、ロボコップからは完全に無視された。羽交い締めにされ、一人がおれをひょいと肩に担ぐ。とんでもない力だ。仮面のせいで表情も見えない。

「降ろせ。逆らわないから」 

 やはり無視された。おれはアスファルトを見つめながら足掻くがどうしようもない。


 ──靴。

 視界の端に黒い靴が見えた。乗馬靴か? 

 顔を上げる。

 身体に完全にフィットした制服を着た長身の男が立っていた。

城市(シティ・)戦術(タクティカル)警備(・セキュリティ)局長、チャガン・バトエルデネだ」

 男が胸ポケットからシガリロを取り出した。


「貴様とは初対面だな。……がおしゃんぴん


 紫煙を空中に漂わせながら、男はおれの中国名を呼んだ。

爆速Wi-Fiの技術トーク、適当です。詳しい人の訂正求む

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