【第十五章】2027年7月28日 日本の民のディストピア(翔平の物語)
「みっなさーん! おはよーございまーす!」
壇上で女性の副部長が挨拶する。
保育園の先生が大勢の子どもに呼びかけるような話し方だ。
サカイさん。29歳。背が低くてぽちゃっとした女性だった。
服装は普通のTシャツと短パン。
だが、メイクがやや濃い。通常の社会人というには色っぽすぎる気がする。
時刻は朝の8時30分。
外の駐車場でラジオ体操の後、朝礼。
「先週のエースはハラグチさん! 売り上げ3101万、すごーい! 2番手はオオヤマさん! 売り上げは……」
湧き上がる拍手。
「次に新しいお友だちの紹介です! 今朝、空港から産地直送! まずはヤマダ・タカヒロさん。次がメザキ・ナナコさん。最後の一人は……。おーっと、いい男!」
勘弁しろ。おれは違う。
「タカダ・ショウヘイさんでーす! 中国語ができる期待の新人さん。よっろしくねー!」
反射的に一礼した。日本の社会人の悲しき習性だ。
「この仕事で大事なのは、元気と機転とホスピタリティ! じゃあ、いっきますよおー!」
サカイさんがお遊戯会のような声を張り上げた。
「資産移転で富裕層に……! なるぞ! なるぞ! なるぞーっ!!」
「ありがとうございましたあああッ!!」
21人の社員の大声に驚き、有刺鉄線で区切られた隣の区画で飼われている黄緑色のインコが鳴き叫んだ。
■
話は2時間半前に戻る。
新中華界域には、空港がふたつある。
アイスたちが向かった界延安の新国際空港と、タイ国境のタチレクにある小さな在来空港だ。おれが乗った春眠航空は朝6時に到着した。
道中から不思議だった。
天津を経て中国各地のローカル空港を巡る乗り換えの過程で、ずっと日本人2人と乗り合わせていたのである。
ヤマダという30代の陰気な男と、左腕がリスカ痕だらけの女子大生のメザキ。2人とも中国語はできず、たまに通訳を頼まれた。ヤマダは元教師だが保護者対応に失敗して失職、メザキは自称「彼氏」のホストに借金があるようだった。
「資産移転で人生を変えて……。逆転するんです」
指紋だらけのメガネを震わせ、ヤマダがつぶやく。彼らがどこに行くのか、尋ねても教えてくれない。
もっとも、「人生を変える」という言葉だけは同意できた。
今回、おれが海外に出たのもそんな理由なのだ。
「歩むべき道はいつ見つけたって遅くはない」
日本で仁間にそう言われてから、自分なりに思うところがあったのである。
両親の死の真相を知る。父さんと母さんが書いたノートを取り戻す。
そのために、まずは新中華界域をこの目で見る。
地べたを這うような観察になるが、あとでアイスから話を聞けば複合的に理解できるだろう。今回は知り合いを作るだけにして、今後に何度かこちらに来たっていい。
そして──。
あわよくば、ツテを探して王昊天に会ってみたい。
1989年の事件について尋ね、あいつがやろうとしていることを知りたい。可能ならば、今後の行動はわずかでも阻止したい。
連中は無防備の東京にテロを仕掛けたやつらだ。チャガンというやつは、自分たちの正義をアイスに伝えたいみたいだが、無辜の都民を200人以上も殺せる組織は弁護不可能だ。
それこそ、テロの動かぬ証拠を見つけて世界中に暴露するぐらいのことは──。
叶うならばいつかやってやりたい。
王昊天がわざわざ転生してまで実現したい目標に、くさびを打ち込んでやるのだ。
長年のブラック労働の結果、プライベートがなさすぎたおかげで蓄えはある。当面の生活は大丈夫だ。しかも、おれは刀槍不入の力もあるはずなので、ヤバい地域に行ってもおいそれとは殺されない。
自分だからできることがあるはずだった──。
……と、おれは機内で気負いすぎた。
足元がおろそかだったのだ。つまり油断したのである。
空港に降り立つと、人相がよくない5〜6人の男たちが赤い小旗を持って立っていた。100人ほどの乗客のうち、中国人の男女80人ほどが彼らの誘導で出口に向かい、ボロボロのバスに吸い込まれていく。
その群れのなかで、ヤマダとメザキが右往左往していた。迎えの人間が見つからないらしい。仕方ないな、最後の親切といこう。おれが手伝って探し出し、ついでに通訳もしてやる。迎えにきていた男はよろこんだ。日本語ができないらしい。
「助かったぜ。ところであんたは日本人か? 界域になにしに来た?」
「2週間前に会社が潰れてね。ぶらぶら旅行しようかと」
「そうか……。よかったら、うちの会社で朝メシをどうだ? 近所なんだ」
田舎の中国人ならよくあるやり取りだ。普通は警戒なんかしない。
食事をしながら界域の事情を知ろうと、着いていったのが間違いのもとだった。
他の2人とともに、砂塵で汚れたボロいカローラに乗せられた。
連れて行かれた先は、マシンガンを持った衛兵が立つ「大其力第三新人民公社」。四方が有刺鉄線と壁で囲われ、隣にも似たような区画が無数に広がっている。
到着するやいなや、迎えの男が鬼のような顔になった。怒鳴られ、低層階ビルに引っ立てられる。
他の2人とともに、パスポートとスマホと、財布のなかの免許証を没収された。
そして──。
朝礼がはじまった。
■
業務開始は午前9時。
おれたちはひとまず、1時間ほど見学せよと指示された。
「公安調査庁テロ対策チームの原田です。あなたの口座が、例のドローンテロの資金源に用いられたとの情報がありまして」
「おじいちゃん。また証券会社に騙されたんですか? もっと配当のいい投資信託がありますよ」
「わたし……。もうダメ死にたい。おかあさんが白血病で倒れて生活費がね」
隣ではヤマダがメモを取り続けている。メザキは呆然としていた。
「よしっ! 朝イチで滋賀県の86歳ジジイから120万ゲットぉ!」
サカイさんが叫ぶ。彼女はすこし手が空いたようだ。
「すいません。おれは求職者ではないんですが」
話しかける。
「あー、タカダ君は騙されて来たパターンね。私もそう。高額報酬で風俗の海外出稼ぎだって聞いたのに、職場がこっちになったの。でも、入金業務のほうが稼げるよ」
「いや、おれは界域で別の目的が」
「無理無理。最低半年は出られない。仕事の邪魔だから見学に戻って」
とりつくしまもない。
彼女のTシャツには櫻木軟件科技公司と社名が書かれている。
櫻木軟件。日本語に訳すと「さくらぎソフト」。
皮肉にも、界域版のわが社は商売繁盛だった。
「おはようございます。お疲れ様です」
ドアが開き、左腕に毒々しい龍のタトゥーを入れた丸刈りの男が入ってきた。手の空いた社員が立ち上がり一礼する。上役らしい。
「キムラ部長。朝礼やっといたわよ。また呼び出し?」
サカイさんが声をかける。
「ああ。俺は中国語も覚えたし業績もいいから、人民B層に上がれって。楽しみが減るから勘弁してくれよ。なあ」
キムラと呼ばれた部長が、サカイさんの豊満な胸元に無遠慮な視線を向ける。サカイさんが軽く空中にキスをして笑った。社内恋愛か。露骨だな。
「ところで、新人のタカダ君、騙されて来たみたい。部長からモチベ上げてもらってもいい?」
彼が「タカダか」と言いながらおれを見る。
キムラ部長は一瞬、視線を左上に上げた。目を見開く。
「高田……。あの、高田翔平さんですか?」
え。
「俺ですよ! 木村です。わかります?」
この名前。誰だ、過去に会ったやつで、たぶん仕事関係の──。
■
「こんなところで再会するとは。そのせつはお世話になりました」
おれを連れ出した非常階段で、コーヒーを片手に木村が話す。
指3本でタバコを持つ癖に見覚えがあった。外見は変わったが、確かに木村だ。
木村達也。33歳。元さくらぎソフト社員。
新潟県出身。かつての性格はお人好し。頭はよかったが仕事を断れないタイプ。3年前までの同僚だ。
彼の退社の経緯は、いま思い出してもしんどい。2歳の息子が保育園でおさんぽ中に、免許返納済みの後期高齢者が運転するクラウンが突っ込んだ。だが、木村は二徹明けのデスマ進行で半日以上も連絡がつかず、病院に駆けつけたときは息子が冷たくなっていた。なのに通夜の日まで上に呼び出されたので、おれがむりやり仕事を肩代わりして限界突破の七徹で働いたのだ。
しかし、睡眠不足の木村は息子の通夜中に居眠りして、妻に激怒されたと聞いた。その後は会社を辞めて……。
「裁判で不起訴になったボケ爺さんを、自暴自棄になって暴行してしまったんです。妻とは離婚して暮らしも詰んで、ここに流れてきました」
「でも、見知らぬ老人相手の詐欺をやらなくてもいいだろ?」
「その話はやめましょう。ここの勤務時間は前よりホワイト。貯金も2億は貯まりました」
おれはスマホとパスポートの返却を求めたが、断られた。会社のバックにいる福建系マフィアの管理下にあり、下手に触れないらしい。
「あと半年、仕事をしてみてください。むかしのお礼で翔平さんは今日は休みにしますから、街を見てみるといいっすよ。夜8時にメシ行きましょう。明日の朝になれば、ここも悪くないと思ってもらえるかもですし」
ただし、街を散策するときの注意点。
公社の外には許可無く絶対に出るな。問答無用で撃ち殺される。
「でも、隣の第四新人民公社は壁の出入り口がつながっていて、立ち入れます。中国人の労働者用のユルい区画なんで、昼間はあっちのほうが楽しいと思います」
木村はそう言い、オフィスから社用の空きスマホを持ってきておれに渡した。5万円を渡してチャージしてもらう。この場所ではNSF Pay(通称「界幣」)という電子通貨しか使えないのだ。
■
街を歩く。
新人民公社。こっちの日本人たちは「サイバー人民公社」とも呼ぶらしい。
さくらぎソフト周辺の店舗は、日中はほとんどが閉まっていた。なので木村の話に従って隣の公社に行く。
こちらは1年前に増設されたらしく、中国EV企業のBRDや台湾企業ファックスコムの工場で短期労働を繰り返す中国人労働者が多い区域だ。つまり、昼間からブラブラしている人も多く、ヒマが潰せる場所ってことである。
雑貨店、足裏マッサージ屋、麻雀屋、ネトゲ用ネットカフェ、安カラオケ屋、宝くじ売り場、アダルトグッズショップ、エロ床屋──。
街には限りなく意識が低い店ばかりがひしめいていた。
路上を歩いているのは、シャツの腹をめくり上げた「北京ビキニ」姿の角刈りのおっさんや、着古したジャージを着た茶髪の姉ちゃんたち。
中国国内──。特に都市部の城中村(スラム)や田舎とほぼ同じ雰囲気だ。一言で言うと「限りなくユルい」。ただ、なぜか妊婦や乳幼児の姿は、中国国内よりもかなり多く見える。
試しにネトゲ屋をのぞいてみたら、公社経営の無料遊技場なので身分証QRコードを出せと言われた。持っていないので、内部をのぞくだけにする。
店内は満員だ。前夜からぶっ通しでLoLで遊んでいたらしい入れ墨の兄ちゃんたちが、上半身裸に短パン姿でペットボトルの水をかっくらいながら、バカバカとタバコを吸っている。
「ここは天国だぞ。2週間働く、1週間ネトゲする、また2週間働く。仕事がめんどくせえときは、サボってもなんとかなる」
出てきた入れ墨兄ちゃんの一人にタバコを1本渡して、話を聞いてみる。
界域人民C層──。それが、サイバー人民公社で暮らす彼らの身分らしい。
いわく、人民C層の家賃と携帯代は格安、しかも給料天引きなので体感的には無料だ。仕事をサボりまくって家賃の足が出ても、3回までは警告で勘弁してもらえるという。
メシも同じく給料天引きで、人民公社大食堂に行けばスマホの身分証QRコードをかざすだけでいつでも食べられる。価格は1食8界幣(日本円で120円)。味は値段なりだというが、公社ビールや公社コーラもあるそうだ。もちろん、自費でそのへんの食堂で食ってもいい。
「家賃の警告、3回目も無視したやつはどうなるんだ?」
「わからん。どっか行く」
怖い。
「おれ、今日ここに来たばっかりなんだ。B層って単語も聞いたが、ありゃなんだ?」
「人民B層はいちおう上の身分だが、バカだ。真面目に働いて向上心持ってる連中だ」
「それってバカなのか?」
「家庭果凍をヨメとしか使えねえ。量もちょびっと。なのに努力してるバカだ」
意味がよくわからない。
「B層がいるならA層もいるのか」
「いるけどわかんねえ。なんかすげえんじゃねえの」
タバコを吸いきってしまった。また別の人に聞こう。
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いっぽう、この街で驚いたのが接続速度だった。
キャリアの「界域電信」の回線も早いが、サイバー人民公社のWi-Fi大躍進(給料天引き体感無料)があり得ない爆速で、YouTubeの4K2時間動画も5秒くらいで最後まで読み込まれる。
街を見ても、店先や縁石に座ったり寝っ転がったりしてショート動画や電子書籍のマンガを眺める人たちが中国国内以上に多い。路上でエロ動画をイヤホンなしで堂々と見ているやつまでいる。後で知ったが、違法アップロードサイトのmistAVや「漫画町」は、界域のやばい連中が特殊詐欺拠点と兼業で運営しているらしい。
スマホを触っていると、YouTubeもGoogleも普通に見られることがわかった。中国では海外サービスの大部分がアクセスブロックを受けているが、ここは中国本土じゃないので規制がないようだ。
あることを思いつく。
ちょうど昼になったので、手近な沙県小吃──。つまり意識の低い中華食堂に入り、水餃子を食べながらいろいろなサイトにアクセスしてみた。
新中華界域に批判的なタイのジャーナリストの個人サイトと関連ニュース、「新中華階域 テロ」「王昊天 過去」といった特定の言葉の組み合わせだけは接続がブロックされた。あとはポルノサイトや中国政府に批判的なサイトを含めて問題ないようだ。ネット接続規制は存在するが、中国よりも大幅にゆるい。おそらく、タイやシンガポールと変わらない程度だ。現地に行ったことはないが。
アイスに連絡したかった。
いちおう無事だけど、わりとヤバい状況だと。
だが、あいつの電話番号もRINEも、没収されたスマホのなかだ。朝にタチレク空港で到着メッセージを送ったが、やがては心配をかけるかもしれない。
やはり、自分のスマホを取り戻さなくては。




