アタッシェケースにぎっしり詰まった札束で、プロの令嬢に「私と契約結婚して欲しい」と申し込んだ
夜更けの公園――
当然利用者は誰もおらず、トレンチコートを着込んだ私の革靴の音だけがこだまする。
コツ、コツ、コツ……。
右手にあるアタッシェケースがずしりと重い。
だが、こればかりは他人の手に委ねるわけにはいかない。
私の名はライアン。伯爵の家系であるフェアード家の長男で、将来的には父から当主の座を受け継ぐことになるだろう。
そんな私がなぜ夜の公園にいるのかというと――とあるプロに“依頼”をするためだ。
待ち合わせ場所は、公園内のある外灯の下。
プロはすでに来ていた。
なるほど、時間には正確というわけか。さすがはプロフェッショナル……。
私が依頼をするプロの名はエミナ・ヴォレオ。
子爵家の令嬢で、年は私の一つ下だ。
長く艶やかな黒髪を持ち、目つきは切れ長で鋭く、凛とした美貌を持つ。夜の闇に溶け込むような黒いロングドレス姿がそれらを引き立てる。
実にプロフェッショナルらしい容姿といえるだろう。
なぜ、彼女がプロなのかというと、理由は簡単。
金を払えばあらゆる依頼を請け負うからだ。
ヴォレオ家はいわゆる没落貴族で、彼女はその家を立て直すために奔走している。
貴族でありながら依頼さえあれば、清掃、料理、給仕、子守り、荷物運び、事務仕事、家庭教師、馬の世話、ダンスのコーチ……あらゆる仕事をこなす。それも完璧に。
いつしか彼女は“プロの令嬢”と呼ばれるようになった。
最初は「令嬢のくせにどんな雑用でもやる」という揶揄の意味合いもあったようだが、今となっては尊敬の意味合いの方が大きい。それだけ彼女の仕事ぶりが優秀なのだ。
私はそんな彼女ととある夜会で知り合い、このたび公園に呼び出したというわけ。
「あなたが私に依頼をしたいというライアン・フェアード様ね?」
エミナの冷たい視線が私を射抜く。ぞくりとする。
「用件を聞きましょうか……」
余計な前置きはなく、いきなり本題に入ってくる。
なんという無駄のなさ。さすがはプロフェッショナル……。
私は手に持っていたアタッシェケースを地面に置いた。
「私と契約結婚して欲しい」
さすがのエミナの表情も強張った。
それはそうだ。今までにこんな依頼をした人間はいないはず。
「私はまもなく当主の座を受け継ぎ、本格的に領地経営に乗り出すことになる。その時、必要になるのは優秀な右腕だ。君の能力ならば、私の右腕として申し分ない。だから君を私の妻として迎え入れたい」
最初私はロマンチックな口説き文句などを考えていたが、彼女を見て考えを改めた。
自分の想いや狙いを率直に告げることにした。
余計な装飾はせず、嘘もつかない。私なりのプロに対する最大の礼儀だ。
「これがその代金だ」
アタッシェケースを開ける。
その中には札束がぎっしりと入っている。
子爵家を立て直すぐらいなら十分できるほどの大金だ。
当然エミナも驚いたはずだが、その表情にほとんど変化はなかった。さすがはプロフェッショナル……。
「いかがだろうか?」
私が問うと、エミナは黙ってアタッシェケースを閉じる。
一瞬断られるか、と思ったが――
「引き受けましょう」
エミナはそのままアタッシェケースを持ち上げた。
「ということは……」
「契約成立です。あなたと結婚しましょう」
OKしてもらえた!
私は自分の顔が緩んでしまったのを感じた。
彼女は全く緩まなかったのに。なんという未熟。
「ではたった今からあなたと私は恋人同士ということで」
「ああ、よろしく頼む」
「とはいえ、今日はもう時間も遅いですから、交際は明日以降ということで」
「ああ、それでいい」
完全に相手のペースで、一切の無駄なく、私たちの関係が築き上げられていく。
ペースを握られているのに、それがどこか心地よい。
さすがはプロフェッショナル……。
エミナは優雅なカーテシーの後、アタッシェケースを持って、立ち去ろうとする。
私はそんな彼女に呼びかける。
彼女の身体能力の高さは知っているので、今更「重くないか?」などと尋ねるつもりはない。
「金をちゃんと確認しなくていいのかい?」
私が安めの紙幣を混ぜていたり、最悪偽札の可能性だってある。
そのことを問うてみた。
「眼を見れば分かります。あなたは嘘を言っていない、と」
「……!」
「それに時には相手を全面的に信頼することも、ビジネスのコツですから」
エミナはうっすら微笑むと、ハイヒールの音を奏で、夜の公園から立ち去った。
私はその美しい後ろ姿を見ながら、立ち尽くすのみ。
それにしても「全面的に信頼」って……。顔がニマニマしてしまうのを抑えられない。
一切の無駄なく私の恋人となり、心まで奪っていった。
さすがはプロフェッショナル……。
***
私はエミナと契約したわけだが、もちろんこれは二人だけの問題ではない。
私たちが結婚するということは両家が交わるということ。
お互いの両親に話をつけねばならない。
没落しているヴォレオ家からすればフェアード家との婚姻は願ってもないところだろうが、問題は私の両親だ。
「なぜ落ち目の貴族などと……」という意見も当然出るはず。
ところが、エミナと会話をした私の父と母は――
「素晴らしい人じゃないか。よくあんな人を見つけたな」
「あの人が私たちの家に嫁いでくれるのは心強いわね」
彼女を高く評価した。
人を見る目はだいぶ厳しい私の両親に、短時間でこうまで気に入られてしまうとは……。
さすがはプロフェッショナル……。
婚約式は滞りなく終わり、数ヶ月の交際期間を経て、私たちは無事に結婚式を迎える。
ウェディングドレスを着たエミナはそれはもう美しかった。美しすぎた。
月並みな表現だが、まるで女神のようだ、と思ってしまう。
祈りを捧げたくさえなる。
「綺麗だよ、エミナ」
「ありがとうございます」
クールな顔立ちでわずかにはにかむ彼女の姿が愛おしい。
ちなみに彼女の生家は、私が渡した金のおかげもあり、この時点でだいぶ立て直しに成功している。つまり、彼女はすでに目的を達成しているといえる。
それなのに、彼女はこの結婚に一切手を抜くつもりはないらしい。
引き受けた仕事は最後までやり遂げるということか。
さすがはプロフェッショナル……。
***
私の妻となった後も、エミナの働きぶりはめざましかった。
夫婦で社交の場に出れば、私の少し後ろを歩くようなスタンスで、私を引き立ててくれる。
おかげで社交界での私の名はだいぶ高まることとなった。
領地においても、エミナは領民とのコミュニケーションを積極的に行い、時には彼らの仕事を手伝うこともして、すぐに領民たちの信頼を得た。
エミナが領民の抱えている問題を持ち帰ってきてくれるので、私としても領地経営がだいぶやりやすくなった。
弱点を見つけ、補強する。これは何事においても基本中の基本だが、エミナはそれをちゃんと理解している。
事務仕事などは彼女に頼めば一発だ。
「エミナ。すまないが、今期の税収の計算をしてくれないか」
「分かりました」
嫌な顔一つせず、仕事を引き受けてくれ、仕事ぶりは早く正確だ。
彼女のあまりにテキパキした仕事ぶりに、私はこんなことを口にしてしまうこともあった。
「君の仕事ぶりは実に素晴らしい。いっそ君が当主になった方がフェアード家は上手く回るのかもしれないな」
すると、エミナはきょとんとした表情をする。
「何をおっしゃってるの?」
「え?」
「あなたはたとえるなら、巨大な傘。ライアン・フェアードという逞しい傘があるから、私は安心してのびのびと働くことができる。あなたがいなければ、私なんてとっくに雨風に晒されてダメになってしまっていたわ」
柔らかな笑みとともにこんなことを言われてしまうと、私としても張り切るしかない。
「そうか、私は傘か。これからも体を張って君を守ってみせるぞ!」
「お願いね。頼りにしてるんだから」
彼女との釣り合いについて悩むこともあった私だが、すっかり自信を取り戻してしまった。
私を励ますコツも心得ている。
さすがはプロフェッショナル……。
さて夜になり、夫婦で二人きりでいる時――
「なぁ、エミナ」
「なに?」
結婚はしたが、忙しさもあり、私たちはなかなか関係を深めることができていなかった。
私は勇気を持って切り出す。
「貴族というのは……えー、あれだ。やはり、後継ぎもきちんとしておかねばならない……。そうは思わないか? つまり、えー、何が言いたいかというと……」
すると、エミナは――
「今夜は二人で一つのベッドを使いましょうね」
実に簡潔に答えてくれる。
「はいっ!」
私は思わず元気よく返事をしてしまう。上官に命じられた兵士か。
私の遠回しすぎる夜の誘いもすぐに意図を察し、あっさりと応じてくれる。
さすがはプロフェッショナル……。
***
十年の月日が流れた。
私は父から当主の座を受け継ぎ、どうにか領主をやっている。
私とエミナが結婚したのは十代の頃なので、二人とももうすぐ三十。貴族としてはいよいよ脂が乗る時期だ。
子供は三人産まれた。長男、長女、次男の順に生まれ、すくすくと仲良く育っている。
そして、結婚十年目の結婚記念日である今日、私は領地の見回りを終えると、その帰りに花屋でバラの花束を買った。
この十年、妻にはなかなかプレゼントらしいプレゼントもしてやれなかった。
アタッシェケースに入れた札束を渡して始まった結婚だったが、彼女はもうとっくにその分の働きを終えたといっていい。それなのに未だに私なんかに尽くしてくれている。
そんな彼女にお礼がしたい。
いささか平凡だが、そのために買ったバラの花束だった。
喜んでくれるといいんだが……。
花束は大きめのボストンバッグの中に隠して、二人きりになったら渡そう。そう決めた。
邸宅に戻ると、まず子供たちが出迎えてくれる。
「父上、お帰りなさい」
「パパ、お帰りなさーい!」
「おかえりー!」
元気な子供たちを見ると、私も自然と笑顔になる。
夫人として貫禄と美貌を身につけたエミナが、白いイブニングドレス姿で出迎えてくれる。
疲れた体が瞬時に癒されるひと時だ。
ところが、ここでハプニングが――
「あっ、花束入ってる!」
子供たちがバッグの中の花束を見つけてしまった。
せっかくサプライズプレゼントにするつもりだったのに、台無しになってしまった。
もうこうなっては出し惜しみする意味もない。
私は照れながら、バラの花束をエミナに手渡した。
「結婚十年目に、と思ってね……」
子供たちが面白がって私をからかう。
ムードもへったくれもない。
バラの花束も、贈り物としては工夫がない。
どう自己採点しても、落第点になってしまいそうな結婚記念日プレゼントになってしまった。
ところが、エミナはバラの匂いを嗅ぐと――
「いい香り……」
「そ、そうかな。すまない、本当はもっといいプレゼントを用意したかったんだけど……」
言い訳しようとする私に、エミナは首を横に振った。
「最高のプレゼントだわ」
「……!」
「私、あなたと結婚できて、本当に幸せ」
とびきりの笑顔を見せてくれた。
これを目にしてしまうと、私も自分の中でしていた採点など、バカバカしくなってしまう。こんなの丸めてポイだ。
まったく、結婚十年目にもなるのに、まるで新婚の頃のように私を喜ばせてくれるなんて。エミナ、君は本当にすごい女性だ。
さすがはプロフェッショナル……!
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。