もうちょっと、
目が大きくて、鼻筋が綺麗で、肌が真っ白。
華奢なのにすらりと背が高くて、鎖骨にかかる髪は絹のように滑らかで艶がある。
あの子は、わたしが喉から手が出るほど欲しいものを全て持っている子だった。
「うらやましー」
あの子は颯爽と校門を出て行った。わたしは窓から視線を逸らす。
学校は終わった。これから塾に行かなければならないのだ。
わたしは嫉妬を押し殺して席を立った。
□
大学生になったからと言って、自由を手に入れられるわけではなかった。
おかしいな、高校生活より楽だと聞いていたのに。
わたしは教材を鞄に突っ込んで、研究室を後にした。バイトに遅刻するわけにはいかない。
「あ、ごめんなさい」
廊下を走っていると鞄が誰かに当たった。
その顔を見て、わたしは思わず「あ」と声を零してしまった。
「こちらこそ、ごめんなさい」
あの子だ。
相変わらずあの子はきれいだった。間近で顔を見てしまったけれど、毛穴一つ見当たらない。つやつやの髪を耳にかける何てことない仕草が、まるで映画のワンシーンのように美しく決まっていた。
甘くていい香りもするし、声だって高くて可愛かった。
我に返ったわたしは、すぐさま頭を下げてその場から走り去った。あのまま同じ空気を吸っていたら、嫉妬で狂ってしまうところだった。
□
「きれいだね」
そう言われることが増えた。その度に、わたしはあの子を真似て小首をかしげるのだ。
どうだろう、あの子のように見えているだろうか。それだけが気がかりだ。
綺麗だね、可愛いね、の誉め言葉が欲しいのだ。その為に化粧をした。美容室に通った。ダイエットも、脱毛も、整形だってやった。あの子みたいになりたくて頑張った分だけ、わたしはいつの間にか疲れてしまったみたい。
「どうして、止められないんだろ」
ありきたりだけれど、わたしは今、ビルの屋上で靴を脱いでいた。
あと二歩踏み出したら真っ逆さまに落ちてしまう。夜空の下、暗い屋上にはわたし以外に誰もいない。
わたしはあの子みたいになって、それからどうしたかったのだろう。綺麗だね可愛いねを貰えた先のことなんて、考えたことすらなかったのかもしれない。
ただ嫉妬するのが苦しかったから、あの子になりたかった。だってあの子になれたら、誰かを羨ましく思うことなんて無いだろうから。醜い嫉妬をする自分でいたくなかった。それだけ。
「でも、疲れちゃった」
それだけなのに、どうしてだろう。
褒められる度に、みんなの目がわたしを素通りしているように見えて苦しくなった。あの子の真似事をしているだけの自分を見透かされているようで怖くなった。わたし自身を見てと叫ぶ自分の声を無視できなくなってしまった。
一歩、前へ進む。
「あの、お姉さん!」
突然、屋上のドアが開いた。そこにはくたくたのスーツを着た同年代の男性が一人いた。汗をかいていてひどく額が湿っていることが、蛍光灯の下にいるから良く分かった。
「何ですか」
「あの、すごくお綺麗でしたので、それで、見上げたらいたので、まさか飛び降りるんじゃないかと思いましてですね、慌ててここに来たのですが」
「はあ」
「だから、死ぬなんてもったいないので、止めてくださいと言いに来ました」
わたしはお手本通りに小首をかしげる。あの子のように。もう染みついてしまった悪癖だ。
「わたしの顔、整形ですよ」
「それは関係ないかと」
わたしは一歩下がった。はっきり言って、興ざめだ。誰かの目の前で落ちていくのも可哀そうだし、日を改めよう。
わたしは「死にませんよ、別に」と言い残して屋上を後にした。その背中を追いかけてくる男性は、わたしのストーカーだったりするのだろうか。
薄暗い階段を下って行く間、見知らぬ彼との沈黙は居心地が悪かった。何か話したほうがいいのだろうか。そうして迷っている内に、外へ繋がる自動ドアまで辿り着いてしまった。
男性がわたしに向かってがばりと頭を下げた。
「ありがとう、飛び降りることを選択しないでくれて。あなたのおかげで、僕は人助けをした良い人になれた」
「何それ」
わたしは思わず笑ってしまった。言い方の癖が強くないか。
男性はそんなわたしの顔を見て、頬を緩めていた。
「それじゃあ僕はここで。これからも僕を良い人でいさせてくださいね」
冗談を含めた言い方をした男性は、呆気なくわたしの前から去って行った。
「その言い方は、ちょっとずるいでしょ」
わたしはむすっと口を尖らせた。
ちょっと笑わせてもらったし、変だけどちょっと癖のある面白い人だったし。一度だけなら、まあ、あの人を立てるのも吝かではないと思ってしまったわたしの負けである。
「もうちょっとくらい生きてみるか」
見知らぬサラリーマンに思いもよらず助けてもらったわたしは、調子はずれの鼻歌を奏でながら帰路についた。
自分を見失って疲れちゃったわたしは、これから先もどうしたってあの子にはなれそうにないけれど。
あの子じゃなくたって、こんな夜の中から見つけてもらえたわけだし。わたしだってちゃんと此処にいるって分かったから、ほんの少しだけ呼吸がしやすくなったのだ。
「今度さっきの人見かけたら、ライン聞いちゃおっかな」
さっきまでのわたしだったら、こんな軽口は言えなかったはずだもの。
超短編の読み切りです。
読んで下さりありがとうございました!