相談女によって王太子の位を捨てた愚かな男。見捨てなかった公爵令嬢の真実の愛
最初は、ただただ気になっただけだった。
護衛と共に、王立学園の中庭を昼休みに散歩していたら、泣いている少女を見かけたのだ。
ユーグ王太子は、その栗色の髪の少女がベンチに座って、涙をポロポロ流しているのを見ていられなくて、ついつい声をかけてしまった。
「どうしたのだ?こんな所で泣いていて」
少女はユーグ王太子を見るなり、わあっと涙を流して、抱き着いてきた。
しばらく泣くに任せるユーグ王太子。護衛達に大丈夫だと手で制して、少女の背を優しく撫でてやり……
小柄で震える細いその肩に、名も知れぬ少女だというのに、何とも言えない愛しさを感じた。
落ち着いたような少女は慌てて、ユーグ王太子から身を離した。
「申し訳ございませんっ。いきなり頼ってしまって」
「いや、かまわない。何をそんなに悲しんでいたんだ?」
「お時間がよろしければ聞いて頂けませんか?」
「ああ……」
その少女と共にベンチに座り、話を聞いてやることにした。
少女はぽつりぽつりと話始める。
「私は元平民で、今、男爵家の養女になっているマリアーテ・バルトスと申します。男爵家の養女になれたのは嬉しいのですが、ことある毎に義兄が虐めるのです。平民の癖にとか、お前なんて男に媚びるしか能がないのではないのか?とか。本当に悲しくて悲しくて」
そういう少女は華奢な身体に、栗色の髪。目が大きく可愛らしい顔をしている。
ユーグ王太子は思った。自分の婚約者である公爵令嬢アリスティア・ファレントとは大違いだと。
背筋を伸ばした銀の髪の美しい容姿をしている婚約者は、3年前に家柄的に王太子の婚約者にふさわしいと選ばれた女性である。
歳は現在共に17歳。
アリスティアは勉学も出来、とても優秀な公爵令嬢であった。
そんな彼女と婚約者として、時たまお茶を飲む機会を設けて、交流してきたユーグ王太子であるが……
どこかよそよそしくて。
政略の相手だから……と互いに割り切ったところのある関係のような気がして。
「もっと、私に頼ってくれてよいのだ。アリスティア」
「有難うございます。十分頼っておりますわ」
アリスティアはしっかりしている令嬢だ。そうはいっても自分が出来る事なんて何もない。
しかし、何かしてやりたい。どこか物足りなさを感じていたユーグ王太子。
それに比べて目の前のマリアーテは、何もかもさらけ出して、自分の悩みを話してくれる。
とても好ましく感じた。
ユーグ王太子はマリアーテを慰めるように、
「私は他家の事はどうすることも出来ないが、君の話を聞いてあげる事は出来る。少しは気が晴れるといいが」
「お優しいのですね。王太子殿下」
「私の事を知っているのか?」
「だって、学園で有名ですもの。王国の太陽、希望の星、ユーグ王太子殿下って。こうしてお近くで見ると、本当に金の髪が綺麗で、キラキラしていて、このトディス王国に相応しい国王陛下になられるお方だと私、思います」
大きな目で見つめられて、そう褒められてとても嬉しい。
「また、会おう。マリアーテ」
「また、悩みを聞いて下さるのですか?」
「勿論だ」
「嬉しいっ」
それから、毎日のようにお昼ご飯を食べた後の昼休み、中庭のベンチでマリアーテの話を聞く事にしたユーグ王太子。
マリアーテは泣きながら、
「今日も、お義兄様に、ユーグ王太子殿下に媚を売っているのだろう。さすが平民、節操もないな、と言われました。私はただ、お話を聞いて貰っているだけなのに」
「酷い男だな。本当に。聞いていて腹が立つ」
だが、自分ではどうすることも出来ないのだ。
ユーグ王太子の心は痛んだ。
「力になれなくてすまない。こうして相談してくれているのに」
マリアーテは涙をハンカチで拭きながら、
「話を聞いて頂けるだけで、気が晴れます。男爵家の義父上も厳しい方で。王立学園に入ったからには、しっかり勉強をしろと。私、ちゃんと勉強しています。毎日そんな事言わなくてもいいじゃないですか」
「マリアーテは頑張っているのだろう?」
「頑張っています。せっかく王立学園に入れて貰えたのですから。でも……」
「まだ、何かあるのか?」
「クラスの皆が、私の事を元平民だからって、口を利いてくれないのです」
「皆が貴族って訳ではないのだろう?」
「他の平民の皆さんも何だかよそよそしくて。なんででしょう」
「さぁ……私は君とはクラスが違うし、そのクラスの状況は解らないが」
「私は悲しくて悲しくて」
震えて泣くマリアーテを慰めるユーグ王太子。
彼女を守ってあげたい。かといって彼女のクラスに王太子たる自分が、マリアーテの事をよろしく頼むだなんて言う訳にはいかないのだ。
せめて話を聞いて、傍にいて彼女の心を慰めてあげたい。
いつも泣いている彼女の心が少しでも明るくなったら……
そんなとある日、婚約者であるアリスティアに呼び出された。
「王太子殿下は相談女に騙されていらっしゃるのですね」
「相談女って、マリアーテの事か?」
「ええ、そうですわ」
「マリアーテは私を騙すような女ではない。彼女は私に話を聞いて貰いたいのだ。不幸な出来事を泣きながら耐えている可哀そうな女性だ。だから、私は少しでもマリアーテの力になってあげたい」
「力になって差し上げたのですか?」
「それは、男爵家の事、彼女のクラスの事、私が口出しする訳にはいかないが、話を聞いてあげるだけでも、彼女は癒されると。私は彼女の癒しになってあげたいのだ」
「王太子殿下。相談女は、貴方が高貴な方だからこそ、近づいたのですわ。わたくしという婚約者がありながら……普通ならおかしいと思いません?きちっとした教育を受けている女性なら婚約者のいる男性と親しくしない。それなのにそのマリアーテという女は」
「マリアーテを悪く言うな。彼女は話を聞いてくれる人が欲しかったのだ。私が聞いてやって何が悪い」
「貴方はわたくしの婚約者なのです。ちゃんと解っておいでですの?」
「私はマリアーテと結婚したい訳でも、ましてや淫らな事をしている訳ではない」
「それでは、貴方はわたくしときちっと結婚して下さるという事ですわね?このトディス王国は側妃も妾も許可されておりません。解っておいでですね?」
「ああ、解っているとも」
「それならば、マリアーテの話を聞く事はやめて下さいませ」
「何故だ?マリアーテを癒してあげているだけだ。それなのにっ」
「癒して差し上げるだけならば、ユーグ王太子殿下でなくても良いのではないでしょうか。女友達とか、他にも適任がいるでしょう」
「私に話を聞いて欲しいと彼女は言っているのだ」
「王太子殿下。一つ、忠告しておきますわ。相談女は王太子殿下にもし、不満があれば、いくらでも好物件を見つけ出して、乗り換える程のしたたかさを持っているという事をお忘れなく。わたくしは、貴方が婚約を解消したいと言われるならば、喜んで解消させて頂きますわ」
「婚約を解消するつもりはないっ」
「今は、そうでしょうけれども……相談女とそのうち離れられなくなるでしょう。相談を受けるという事は下手をすれば心を持っていかれる危険がある事をしっかりと認識して下さいませ。では失礼致しますわ」
アリスティアは身をひるがえして行ってしまった。
アリスティアと婚約解消するという事は、ファレント公爵家の後ろ盾を失うという事だ。今の王太子の地位は、アリスティアとの婚約が決まったからこそある地位であり、アリスティアと婚約解消すれば、自分が未来の国王になる道筋は失われることになる。弟である第二王子もしっかりと名門公爵家の令嬢を婚約者にしているのだ。第二王子テレスが王太子になってしまうだろう。
そんな事になりたくはない。そう思っていたのだけれども。
毎日、マリアーテと会って、話を聞いているうちに、泣きながらも一生懸命生きている彼女を応援したいと思えるようになってきた。
マリアーテは明るい顔で、
「ユーグ王太子殿下にお話を聞いて貰ったらすっきりしました。私、お料理を毎日頑張っているのですよ。今度、私の作ったお弁当を食べて欲しいです」
「料理を頑張っているのか」
「未来の旦那様に食べて貰いたくて」
「マリアーテは男爵家の養女になっているのだろう?ちゃんとした家に嫁ぐことが出来れば料理人が作ってくれるのではないのか」
「それでも、たまには奥さんの料理で旦那様を癒してあげたい。いけませんか?」
なんて良い子なのだろう。会えば会う程、マリアーテに惹かれていく。
不幸なマリアーテ。でも、健気で頑張りやなマリアーテ。
いつの間にか、王太子の地位を失ってもいい。マリアーテを幸せにしてやりたい。そう思えてきて。
「マリアーテ。私がもし、今の地位を失って、君と結婚したいと言ったら受け入れてくれるか?」
「え?今の地位を失ってって……王太子殿下はどうなるのですか?」
「さぁ、どうなるのだろうな。それは解らないが、悪いようにはならないだろう。だから、マリアーテ。どうか私と結婚してほしい。アリスティアとは婚約解消するから」
「嬉しいっ―――」
マリアーテが抱き着いて来た。
その温もりをぎゅっと抱き締めて、ユーグ王太子は幸せを感じていた。
ファレント公爵家はあっさりと、婚約解消を認めてくれた。
不貞による婚約破棄かと思っていたが、それも無く、ユーグ王太子は、王立学園卒業と同時にマリアーテのバルトス男爵家へ王命により婿に入ることとなった。
それにより、男爵家の嫡男だった男は、家を継ぐことが出来ず、泣く泣く家を出て行ったそうだ。
そんな事はどうでもいい。マリアーテを虐めていた嫡男が、家を出て行った事はせいせいする。
ユーグ元王太子は、ユーグ・バルトスとなって、男爵家の婿となった。
だが、ユーグは何も仕事をさせて貰えず、部屋でだらだら過ごすことになる。
王太子だった頃は、学ぶべき事が多く、周りも自分に期待していて毎日が楽しかった。
自分がいないところで、バルトス男爵は愚痴をこぼしているようだ。
「とんだ荷物を押し付けられてしまった。元王太子なんて使い物にもなりゃしない。まぁ王家から高額な持参金がつかなけりゃ断っている所だ」
妻のマリアーテも何だか最近冷たい。
自分を置いて出かける事が多くなった。
ユーグがオシャレをして出かける妻に向かって思わず、
「私も一緒に気晴らしに行きたい」
「ユーグ様はお留守番していて下さいませ。女性だけのお茶会ですから」
そう言ってそそくさと出かけてしまうのだ。
悶々と過ごしているとある日、庭に出て散歩をしていると、一人の男が近づいて来た。
「お前は屋敷の者ではないな?何者だ?」
「そんな事より奥様が今、何をしているか気になりませんか」
「そりゃ気になるが」
「では、一緒に参りましょう」
屋敷の外では一台の馬車が止めてあって、ユーグは男と共に馬車に乗り込む。
馬車はしばらく走った後、とある屋敷の前に止まった。
庭でパーティをやっているようだ。
裏門から、男の手引きでこっそりと忍び込む。
着飾った妻マリアーテが、一人の男性に大きな目に涙をためて訴えていた。
「夫がとても冷たくて冷たくて。ルッテル様なら、私の苦しみ解って下さるでしょう」
「ああ、バルトス男爵子息夫人。解っておりますとも。おかわいそうに」
妻が訴えているのは、伯爵子息のルッテル・ガレットだ。
私という夫がいるのに、他の男に寄りかかって、
妻は涙を流しながら、
「本当にあんなに役に立たない男だとは思いませんでしたわ。義父も私も毎日、泣いておりますのよ」
「王族としての仕事は出来るだろうけれども、領地経営なんてな。いくら小さな男爵家の領地だとしても、あの男には無理だろうな。可愛そうに。私が慰めてやろう」
あああああ……私という夫がいるのに、あの相談女は。
殺してやる。
私はあの女の為に全てを失ったのだ。王太子の地位も、やりがいのある王族としての仕事も何もかも。
今の私は男爵家のお荷物。
殺してやる殺して……
テーブルの上にケーキを切り分けるナイフがあった。
それを手に妻に近づくと、馬乗りになって胸をめった刺しにした。
我に返った時は、血だらけて妻は息絶えて……
私はっ……何を間違った。どうして妻を殺してしまった?
唖然としていると、周りの人達の異常さに気が付いた。
誰一人、悲鳴をあげていないのだ。
誰一人……どういう事だ?
見覚えのある女性が銀のドレスを着て、扇を手に持ち近づいて来た。
「お久しぶりね。ユーグ様」
自分が婚約解消をした元婚約者、アリスティア・ファレント公爵令嬢だ。
彼女は嫣然と微笑んで、
「まぁ、殺してしまったのね。奥様を……」
伯爵子息のルッテル・ガレットも、ニヤニヤしながら、
「ちょっと相談に乗っていただけでしょう。奥様の。別に浮気とかそういうのではなくて、ただ慰めていただけですよ」
ユーグは血だらけのまま、二人を見上げる。
もう、自分には破滅しかないだろう。
「騎士団に連絡をしてくれ。私は妻を殺した」
アリスティアは扇を手に平然とした様子で、
「奥様は、貴方に殺されたのではないわ。お茶会から帰る途中で盗賊に殺されたのです。そうですわよね。皆様」
周りにいた人達が一斉に頷く。
なんだ?どうなっているんだ?
伯爵令息ルッテルが、
「私達はアリスティア様に忠誠を誓う者」
全員が一斉に跪いて、アリスティアの方を見上げる。
アリスティアは満足そうに、再びユーグの方を見つめ一言。
「貴方……帰って来て下さるわね?悪い夢を見た。そう思いなさい」
「君は私を許してくれると言うのか」
「わたくしは貴方の事を許しますわ。愛しておりますもの」
「愛して?」
「ええ、わたくしにとって貴方は真実の愛ですわ。もし、あの時、無理やり、この女と別れさせたとしても貴方の心は手に入らないでしょう。だから待ったの。じっくりと。貴方が反省するまで」
血だらけのままユーグは立ち上がる。
「私は君の心に応える資格はない」
何もかも嫌になった。
この場から消えてしまいたい。
ふらふらと門の外へ出ようとした。
雨が降って来て。
アリスティアが追って来た。
雨に濡れて、高貴な公爵令嬢のはずだろう?
それなのに、びしょ濡れで。
「だったら、着替えて頂戴。着替えてモーリス街、一丁目のガルス商会へ身を寄せるといいわ」
「ガルス商会?」
「ええ。さぁ着替えて行きなさい」
服を渡される。木の下で着替えて。その間もアリスティアはじっと見つめていた。
着替えると、アリスティアに頭を下げる。
「有難う。アリスティア」
アリスティアは頷いた。
翌日、ガルス商会で荷運びの仕事についたユーグ。住み込みで雇って貰えた。
そして、男爵子息夫人マリアーテ・バルトスは、物取りによって馬車から引きずり出され殺されたという事になっていた。
慣れない荷運びの仕事。
そもそも、王族であった自分、そして男爵家の婿になっていた自分、重い物なんて持ったことはない。
それでも。仕事をするという事は楽しかった。
今はただ何も考えず仕事をしたい。身体は辛くても……ひたすら働いた。
仕事にもすっかり慣れて、商品管理も任された頃、
一年程経ったある日、アリスティアが尋ねて来た。
「大分、仕事に慣れたようね」
「ああ、商品の仕分けにも慣れてきた。良い職場を紹介してくれてありがとう」
「そろそろ、わたくしの元に戻って来ない?」
「今は、仕事が楽しいんだ」
「だったら時々でいいの。わたくしとデートをして頂戴」
「そんなに私の事が好きだったのか?」
アリスティアは思い出したように、
「あの頃はプライドが邪魔をして心が伝えられなかったわ。貴方の優しいところが好きだったけれど嫌い。貴方の愚かな所が好きだったけど嫌い。だって、貴方はわたくしを捨てたのですもの。
でも、わたくしは貴方がわたくしを捨てた後も、男爵令嬢と結婚した後も忘れられなかったの。だからあの女の本性をあぶりだすために派閥を巻き込んでパーティを開催したわ。あの女は見事にルッテル・ガレット伯爵令息に引っかかった。彼ね。顔だけはいいからモテるのよ。我が公爵家に忠誠を誓っているけれどもね。わたくしは貴方が好き。貴方があの女をめった刺しに殺した時にわたくしの心は幸福に包まれたわ。裏切られた苦しみも全て忘れる事が出来たの。わたくしは十分待った。まだ待たせるの?結婚して頂戴。わたくしの婿となって公爵家に来て頂戴」
こんな愚かな自分でも、待っていてくれたアリスティア。
「解った。私でよければ、結婚しよう」
ユーグはアリスティアの愛を受け入れる事にした。
王家にも改めて許可を貰い、ファレント公爵と公爵夫人は当然ながら良い顔をせず、
公爵は渋い顔で、
「公爵家としては反対をしたいのだが、娘の気持ちを考えると反対は出来んわ。あれだけの仕打ちを受けても娘は諦められず、娘は君に執着をして十分待った。私達は君を婿として受け入れよう」
ユーグは頭を下げる。
「有難うございます」
そりゃ、不貞をした上に婚約解消をした家に再び婿として、入ることになる。
反対するだろう。
それを認めてくれたのだ。
有難いと思った。
ユーグは、ひたすらアリスティアの為に、ファレント公爵家の為に働いた。
二人の間には一男一女に恵まれて。
ユーグは子煩悩な父親になり、子供達を可愛がった。
二度と、他の女に心を移すことも無く、アリスティアと子供達だけを大切にし、よき夫として父親として、過ごしたと言われている。