9 宣戦布告
ユージュ様の話はこうだった。
四年前、ユージュは父であるウフダム公爵のもとで領地の仕事を学び始めた。最初の頃は父に言われるままにこなしていた仕事も、季節が一回りすると各業務の繋がりも見えてくるし、やりがいを感じられるようになっていた。
いつものように執務室で書類の確認を行っていたときだった。突然父が胸を押さえて床に倒れた。ユージュは慌てて医者を呼んだ。
駆けつけた医者によって、心臓の病と告げられた。
今まで大きな病気ひとつしたことのない父親であったのに。
やはり歳のせいなのだろうな。
と、父はベッドで休みながら苦笑した。
それから父は度々発作を起こすようになり、とうとう立っていることも儘ならなくなって寝たきりになった。
心臓の病はこんなに急に悪くなることは無いのですが…
と医者は首を傾げた。
領主の役割を急に担うことになり、大事な決断を迫られることも多く難儀したが、幸いウフダム家には昔から父の片腕となっていた秘書がいた。その秘書のおかげもあり、領地の仕事はなんとか滞りなく行うことができた。
だが。ある日突然、秘書が暇を欲しいと言い出した。
ユージュは驚いた。昨日までいつも通りに仕事をしていたのに、何故突然辞めるなどと言いだすのだろうか? それに今彼に辞められたら、仕事にも支障がでる。まだまだ自分は半人前だ。ベッドに苦しそうに横たわっている父には、今はもう何も尋ねても声すら返ってはこないのだ。
必死に秘書を説得するも、涙ながらに秘書に辞めさせてくださいと懇願され、最後はユージュも諦めざるを得なかった。
――そしてその数日後、父は亡くなった。
後から思うと、父も秘書のことも、不自然が重なっていた。
だがまさか悪魔の転がす歯車に己が乗せられていたなど、誰が気づくことができようか?
ユージュは仕方なく新しい秘書を雇うことにした。この仕事の経験豊かな、頼れる秘書を。
求人を募ると数人の応募者がいた。その中の一人がノートルだった。
どの者もなかなかに有能だったので、ユージュは悩んだ。しかしノートルの押しは強く、彼の熱弁に丸め込まれるようにして雇うことになった。
ノートルは仕事も早い。ユージュの知らない知識も豊富に持っていた。よくできた秘書にユージュは安堵し、ノートルに信頼を置くようになった。
しかし、次第にノートルは主人の至らなさを痛烈に指摘するようになる。
ユージュは仕事が決して出来ないほうではない。父やかつての秘書がみたら、むしろユージュは仕事覚えは早く、優秀な次期侯爵と認めてもらえただろう。
ユージュとノートル、いつしか二人の立場は逆転するようになった。何かにつけて叱責され、時に罵倒される。ユージュは次第に心神耗弱になっていった。そうなるともうまともな判断はできない。低頭して嵐をやり過ごすだけの毎日を繰り返す。それでも領民のためと、歯を食いしばって暴言に耐えた。
だがある日、どう考えても不可思議な金の流れに気がついた。領民から集めた血税は領民のために使われるべきなのだが、かなりの金額がどこかに消えていた。
ユージュは調べた。
そして、思った通りノートルが着服していることを突き止めた。
ある日覚悟を決めたユージュはノートルに向き合った。
「ノートル、これはいったいどういうことなのだ…?」
ノートルは平然と、そして高飛車に言い捨てた。
「当然の対価だよ」
「ノートル、恥を知れ。領地を治める者の心得違いもいいかげんにしたまえ」
「お前が俺に命令するのか? はっ」
ユージュを嘲笑うノートル。
虐げられてきた恐怖で、ユージュの身体は条件反射で委縮する。
しかし、ユージュは勇気を振り絞った。
「私は何を今までやっていたのだろう…。ノートル、…今日を限りに辞めてくれ」
ノートルの眼が怪しく揺らめいた。
「俺に命令するのか? 辞めろ、だと?」
ノートルの瞳が血の如く赤く変化する。
魔力とは無縁のユージュには、初めて見る異様な光景。
突如ノートルの手が沸騰した泥沼のようにぶくぶくと沸き立つ。
ユージュは恐怖でただただ立ち尽くす。
ノートルは何かを叫んだ。
その瞬間、ユージュの全身が見えない何かに巻き取られる。
鉛のように重たい何かにぎりぎりと締められ…苦しい。喉が焼けるように痛む。全身が総毛立つ感じたことのない感覚。
…………ユージュの意識は、そこで切れた。
「それからというもの、この屋敷の中で私は生きているのです。
外に出られないのは不自由ですが、ただノートルとは距離ができた分、精神的にはずいぶん楽になりました。最低限の従者達とだけの生活ですが、彼らは私の苦しさをわかってくれて随分励まされています。今こうしてここにあるのは、彼らのお陰なんですよ」
ユージュ様は隣に居るキャシーと、それからトマスに温かい視線をゆっくりと配るとそう言った。
……あまりにも冷酷無比な話だった。
しかしこんなに酷い目に合っても、ユージュ様の心は温かさを失っていない。私のお相手は本当に良い方なのだわ……!
己の目的のために黒魔術を使って人を死に追いやり捩じ伏せるノートル。
私たちのノートルに対する怒りは爆発寸前だった。
「絶対に許さないわ……!!」
握った拳が白くなる。
私は、決意を口にした。
「ブロディン、ジオツキー、アメリ!
ここは、一役買いますわよ?」
「お嬢が言うなら一気にやっちまいましょう」
ブロディンの全身は奮起する。
「筋肉が鳴るぜ!」
「仕方ないですねえ、お手伝いいたしましょう」
ジオツキーの眼が不敵光る。
「完膚無きまでに!」
「フェリカ様の仰せのままに」
アメリは極上の笑顔で。
「ボコっちゃいましょう~!!」
私たち四人は、がっちりとお互いの視線を交わした。
次回、第10話「ユージュ様とのひととき」(全19回)