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8 ユージュ様の秘密 其の二

「朝食のご用意ができました」


 笑顔のトマスが呼びに来てくれた。

 私たちは素知らぬ顔で朝食室へ向かったわ。


 朝食室は朝日のよく当たる気持ちよい空間だった。床から続く大きな開閉式の窓の向こうには、湖面が朝の光でキラキラ輝いている。

 気になることはあるけれど、この風景を見ながら朝食がいただけるなんて最高ね。


「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」


 先に席についていたユージュ様がにこやかに挨拶する。今朝のあのやりとりが嘘のように、爽やかな笑顔だった。

 丸テーブルには白いテーブルクロスが掛けられ、数種類のパンやハム、サラダ、ジュースなどがすでに並んでいた。

 嫌な夢を見たし、先程の会話も聞いてしまったので、ユージュ様の前でどんな顔をしたらよいものか迷うけれど……。

 とにかく、こういう時は平静を装うのが一番よね。


「はい、ぐっすりと」

 にっこりと私も笑顔。


 そこへ、侍女のキャシーが好みの卵の調理法を尋ねに来た。


「ポーチドエッグ、スクランブル、オムレツ…どれにいたしましょう?」


 私は即答で、大好きなオムレツを選んだわ。

 ユージュ様は私とは反対にどれにしようか……と悩んでいる。

 キャシーは気を利かせて、


「スクランブルになさっては?」

と、主人の好みを推し測って助言した。


「うん、そうだね。じゃあそうしようか」


 ユージュ様はにこりと微笑んだ。


 確か昨日も似たようなことがあったような気がするけど。

 …ユージュ様ってこういう時、けっこう悩む(タイプ)なのねえ。


 私はナフキンを膝に広げながら、今朝の感動を口にする。


「今朝、湖に朝霧が立ち昇るのを見たのですが、あまりに美しい風景なので見とれてしまって」


「そうですか、朝霧をご覧になったのですか。美しかったでしょう?」

 

 ユージュ様は光る湖面をじっと見入る。


「本当にね、ここは美しい所ですよ。……いつもここに居る私も、心を癒されていますから……」


 目を細めて独り言のように言う。

 侍女のキャシーも頷きながら、湖の景色を見やった。


 私は、今朝のユージュ様の言葉を思い出していた。


『どうせ私はここから出られないのだから』


 一体どういうことなのだろう、と思いながら会話をつなげたわ。


「お住まいになっている方々が心からそう思えるなんて、湖水地方は本当に素晴らしい所なのですね」


 そう言いながらふと気が付いた。

 そういえばユージュ様は昨夜は私とお見合いをして、今朝も私たちよりも早く起きていたようだし、体調は大丈夫なのかしら? 

 別邸(ここ)では、確か静養をされているのだし……


「ユージュ様、そういえば体調はいかがですの? お疲れになっていらっしゃいませんこと?」


 後ろに控えているアメリ、ジオツキー、ブロディンが、ぴくん!と動いた。

 三人とも耳が大きくなっているでしょ? 私わかってるからね!?


「ああ、体調ですか…。体調はいいんですよ。ここにいれば、体調は問題ありません」


「…ご無理なさらないでくださいね?」


「ご心配ありがとうございます」


 ユージュ様は、心なしか悲し気に笑う。


 食事を進めながら、秘書のノートルの姿がずっと見当たらないことに気が付いた。

 彼のあの態度ではここに顔を出すとは思えなかったけれど、ノートルについて知りたい私は、ユージュ様に質問してみた。


「秘書のノートルさんは? お姿が見えませんが?」


「…あの者は、もう仕事に行きました」


 返事に、少し間が空いた。


中心街(セントレ)へですか?」


 昨日の今日だ。驚いたわ。


「……ええ…、一日置きにここに帰ってきます。この館でも彼はやることがあるようですし、中心街で公務をこなさないと収入も得られませんからね」


 ユージュ様の声は固く、突き放すような言い方だった。

 そして他の使用人たちに見せるような気遣いは、ノートルに仕事を肩代わりしてもらっているにもかかわらず、微塵も感じられなかった。


 ……二人にはやはり何かあるのね。


 ユージュ様の顔が強張っている。この話題がなぜだか辛そうだった


「そういえばフェリカ様、昨日お話ししていた館の案内ですが、よろしければ後程いかがでしょうか?」


 あからさまに話を変えられたけれど、私も慌てて合わせたわ。


「大変興味がありますわ! 是非お願いします」





 午後、ユージュ様が私たち四人にお屋敷の中を案内してくださった。

 何世紀にもわたって増改築を繰り返してきたというそのお屋敷は、こちらの塔はランブレア時代の様式、あちらのホールはコザック様式といった具合であちこち異なり、壁の造りや窓枠の装飾も各々の時代を反映していて、とても面白かった。

 私は昨日、このお屋敷の壁が棟ごとに凸凹と立体的に作られていたことを思い出した。

 増改築を繰り返してきたから、ああいった構造になったのかしら? そういえば昨日は大雨で外観をよく見れなかったのよねえ。

 そこで私は、ユージュ様に外観も見たいとお願いしたわ。


「いいですね。ではこちらへ」


 ユージュ様は私たちを正面玄関まで案内すると、静かに言った。


「どうぞフェリカ様、ごゆっくりごらんになってきてください。

……()()()()()()()()


 もう外へと足を踏み出していた私は、まだ入り口に留まっているユージュ様を振り返った。


「……ユージュ様?」


 当然、外を案内してもらうつもりだったので、なぜ彼が入り口に留まったままでいるのか、そして彼の言葉の意味も理解できずに困惑した。


「フェリカ様、私はこの屋敷から()()()()()()()()()()()()()()


 彼はそう言った。


 私は、今朝のユージュ様の言葉を思い出す。


『どうせ私はここから出られないのだから』


「……どういうことですの?」


 尋ねる私に、ユージュ様は何も言わずにただゆっくりと両手を広げ、(かぶり)を振った。

 悲しそうに苦しそうに、そして悔しそうな表情で、静かに立っていた。


 私は自分の蟀谷(こめかみ)が、今やはっきりと警告を鳴らしていると気がついた。

 

 私には、その瞬間、()()()


 蜂蜜色の美しい屋敷の壁全体に広がっている気味の悪い真っ黒な霧と、その霧がユージュ様に向かって延びているのを。

 その黒い触手は、彼の口元と喉、それから身体にべったりと絡みついていた。

 外の眩しい日差しと周囲の美しい風景が嘘のように、この屋敷と屋敷の主人であるユージュ様は、禍々しい悪魔の霧に捕らわれていたのだった。


 私は黒霧の忌まわしさを肌で感じて、恐ろしさから目が離せなかった。


 ユージュ様は、私のただならぬ表情から何かを感じ取ったようだった。


「フェリカ様…あなたは、もしかして、……わかるのですか…?」


 私は黙って頷いた。

 声が出せなかった。


 話に聞いたことがある。

 これは、きっと、

 ………呪縛の黒魔術。


 そして、それを他人に悟らせないための、

 ……言妨の黒魔術。


 ユージュ様には、この黒魔術がかけられている。

 私はごくりと唾を飲んで彼に言った。


「……お屋敷から出られないのは、呪縛の黒魔術のせいですね?」


 ユージュは驚いて目を見張り、首を縦に振った。


「…そしてそのことを話せないのは、言妨の黒魔術ですね?」


 ユージュ様は一層驚いて、そして深く頷いた。


「そう…ですか、視えて…いるのですか?…これが…?」


「ええ、視えていますわ」


 ユージュ様は苦しみの表情を浮かべたまま、安堵したのか少し笑った。

 ユージュ様の体がゆらりと崩れて、両手両膝をガクンと床の上についた。立ってはいられなかったのだろう。


「…私を……助けて…ください………!!」


 ユージュ様はやっとの思いで声を絞り出す。

 ユージュ様の肩が震えている。


 トマスとキャシーが慌てて駆け寄り、優しく主人を抱きかかえた。

 トマスは(むせ)び泣いていた。

「あの男が()()をしたのだろうとはわかっていたんです……! でもまさか…そんな…黒魔術だったとは……」


 キャシーの目からは大粒の涙が次から次へと溢れていた。

「ずっと、ずっと私達には何もできなくて……どうか、どうか、旦那様をお助けくださいませ……!」


 ユージュ様は、黒魔術に抗えず、どうすることもできなかったのだろう。

 誰にも伝えることもできず、ずっと苦しみ続けてきたのだろう。


 私は歩み寄って(ひざまづ)くとキャシーの肩に手をかけた。

 そうして、ユージュ様たち三人の目をしっかりと見た。

 アメリ、ジオツキー、ブロディンも素早く彼等のサポートにまわる。


「ご安心ください。私が必ずやユージュ様を呪縛から開放いたしますわ。

そしてこれにはやはり、ノートルが関わっているのですね?……詳しくお話を聞かせてくださいますか?」


次話【第9話】「宣戦布告」 (全19回)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 流れるような情景描写に加え、衣装や建築物が丁寧に描かれていますね。 それによって、フェリカの立ち居振る舞いや心情の変化が際立ち、目が離せなくなって来ました。 人物間の会話も工夫されたもので…
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