6 ユージュ・ウフダム侯爵
ウフダム侯爵別邸は湖の畔に立つ大きなお屋敷だった。増改築を繰り返してきたようで、壁面が棟ごとに凹凸のある立体的な外観の建物だった。
天気が良ければ趣のある佇まいなのだろう。しかし大雨のせいで、まだ夕方だというのに日が落ちたかのように薄暗くて、周囲の景色も建物もほとんど何も見えなかった。美しいという蜂蜜色の石壁も雨をたっぷり含んで、今や黄土色に変わってしまっていた。
胸をときめかせてこの地に来たのに、大雨のせいなのか、お屋敷全体が淀んだ雰囲気を纏っているようだったわ。なんだかさっきから蟀谷の辺りに違和感があるし……。
幸先は良くない気がする……と思ってしまうのは、この天気のせいなのか、お見合いが上手くいったためしがないせいなのかしら……? それともやっぱりフラグ(ガーン!)なのっ?
ぶんぶんと頭を振ってマイナス思考を振り払い気持ちを切り替えて、私はウフダム侯爵別邸を訪ねたのだった。
「はじめまして。ユージュ・ウフダムと申します」
「フェリカ・ビオレット・ディ・アルタヴィラ=トゥステリアですわ」
今回は名乗っても逃げられることはないから、それだけでもなんだか嬉しくて、ちょっと気持ちが明るくなったわ。
「この度フェリカ王女様には、王都より遠路はるばる足をお運びいただき、お詫びの言葉もございません」
私たちを出迎えたウフダム様は、会うなり謝罪をしてくださった。
「いいえ、ご体調のことは伺っておりますので、どうかお気になさらないで」
私は微笑んでお返事をした。
ウフダム様は少し困ったようなお顔をされる。
「……申し訳ございません」
迷惑をかけて、と気を遣っているのだろう。低姿勢の侯爵様ね。
ウフダム様は私より五つ年上で、三年前に亡くなったお父様から爵位を引き継いでいる。お会いしてみると、背丈は私よりやや高く、身体が丈夫ではないからか華奢、日に当たっていないのか色白だ。髪と眼が薄茶色で、その双眸は澄みやかで魅力的だった。全体に色素薄めなところが、とても優しい感じに見えた。実際、話し方や声も穏やかな方だったわ。
うん、第一印象、悪くないわ。
これは、当たり、ね!
気づかれないように、品良く、小さくガッツポーズ!
「長旅、お疲れになりましたでしょう? 酷い雨の中を大変でしたね。
まずはゆっくりなさったほうがよろしいですか……? それともお夕食を先にされますか……?」
と言い淀むウフダム侯爵様。
初対面だし、客人だし、こちらから要望を言うわけにも行かないので、どうお返事をしたものか戸惑っていると、ウフダム様の後ろから従僕が笑顔で助言する。
「旦那様、まずはお部屋がよろしいかと」
「…そうだね、そうしようか。それではまず皆様をお部屋にご案内をして。トマス、キャシー頼んだよ」
呼ばれた二人、従僕のトマスと侍女のキャシーが私たちを部屋へ案内してくれた。とても人の良さそうな二人である。私たちに笑顔で接し、ゲストへの気配りも細やかで素晴らしかったわ。
従者の雰囲気を見れば、主人の人柄がわかるというものよね。
まだウフダム様のことは良く知らないけれど、星を一つ増やしておこうっと。
そして私は、今、ウフダム様と向かい合って、ディナーをご一緒しているわ。
そう、お見合い大本番中よ!!
まずは、当たり障りのない会話、これが大事よね。
「あの…、こちらのお屋敷は建てられてからどれぐらいですの? かなり歴史がありそうに見えますが」
「かなり古い建物なんですよ。元々これは、遥か昔にこの辺りを治めていた王の城だったのですよ。それを私の先祖が増改築を繰り返しまして、このような複雑な形になったんです」
「それで、このお屋敷は不思議な形をしているんですのね? それぞれの時代の建築様式があって面白そうですわ」
「フェリカ様ご興味ございますか? 明日、是非ご案内いたします」
「ありがとうございます、ウフダム様。楽しみですわ」
あら。なんか会話が弾んでるわよね?
しかも案内もしてくださるなんて。
向こうも私のこと好感触なのかしら?
「実は、私はフェリカ様のお兄様…フランツ殿下と同級なんですよ」
「ウフダム様が、お兄様と?」
「ええ、学生時代は王都の寄宿舎に入って学んでいたのです」
わ! ここで思わぬ共通点! さ、話を広げて広げてっと。
「ウフダム様は兄と親しいんですの? 学生時代の兄はどんなでした?」
「いえ、私はフランツ殿下とはクラスメイトという位でしたが…そうですね、
殿下はクラスの人気者でしたね」
フランツお兄様は私のすぐ上の兄なの。
明るくて気さくな兄なので、人気者なのも頷けるわ。
「そうですの、兄らしいですわ」
でもあまり親しくは無かったのね…じゃあこのあと、どんな話題にしようかしら……? と考えていると、ウフダム様が少し照れたように微笑むと、優しい声で言った。
「あの…フェリカ様、私のことはどうか、ウフダムでは無く、ユージュと」
「まあ! ……はい、ユージュ様」
会話が、弾みそう! よねっ!?
ところで、私がお見合いディナー用に選んだ服は、薄い葡萄色をしたハイウエストドレスよ。膨らんだパフスリーブ、胸の前にはギャザーがたっぷり寄せられて、胸の下から百合の花のように広がるスカートのラインは美しく、その正面に赤と黒の格子リボンが可愛らしく付いているの。夜会ではないから派手ではなく、でもディナーに相応しいドレスだと思うわ。髪の毛はゆるふわにアップにして銀の髪飾りで留めている。
一方ウフダム様、いえユージュ様は、真っ白いクラバットを形よく襟もとに収め、細い金糸刺繍で飾られた明紺のウエストコート、同色のトラウザーという装いだ。
ユージュ様にとてもよくお似合いだったので、そのようにお伝えしたわ。そうしたら、
「実はどれにしようかと……かなり悩んでしまいまして。困っていましたら、このキャシーがこちらを推薦してくれたんです。こういうことはやはり女性が得意でしょうから」
と微笑んだ。
ユージュ様は雰囲気が柔らかいからか、なんだかとても話しやすい。
私たち二人は、それからいろいろな話題を楽しんだわ。
……これはいい感じよね? 星もうひとつ追加かしらっ?
心の内でウフフとほくそ笑んでいると、私はふと誰かの視線に気づいた。
侍女のキャシーが私を時折ちらちらと見ていた。にやにやしていたのを見られたかしら、恥ずかしいわ……思っていたら、目が合って真っ赤になったのはキャシーのほうだった。
私と同じ位の年頃かしら?
私は笑顔で返すと、さらに真っ赤になって下を向いてしまうキャシー。
あらなんか、可愛い人だわ。
「どうした? キャシー」
「あ、いえ、あのっ、……フェリカ王女様はとてもお美しい方だなと……それにドレスも素敵で、やっぱり王族の方に……あ、す、すみませんっ」
「大丈夫だよ、キャシー」
慌てているキャシーに声をかけるユージュ様。どこまでも優しい方なのね。
キャシーは恥ずかしいようで顔を真っ赤にさせて、失礼しますと空いたお皿を持ち、逃げるように部屋を出て行った。
すると、そのドアから入れ替わりに一人の男が入ってきた。
この別邸に来てから、初めて見る顔だった。
「只今戻りました。旦那様」
「……ご苦労様、ノートル」
ノートルと呼ばれた男は私を一瞥した。
「こちらの方は?」
「フェリカ王女様だ。先日お手紙を頂戴したから、お招きしたんだよ。話はしただろう?」
「承諾した覚えはありませんが」
男の冷たい声が部屋に響く。
先程この男がダイニングルームに入ってきた途端、ユージュ様も従僕のトマスも人が変わったように表情が硬くなってしまった。
ノートルと呼ばれたこの男は、明らかに皆から歓迎されていないようだった。
「フェリカ様に失礼だぞ、ノートル」
ユージュ様が厳しい口調になる。そしてユージュ様が詫びた。
「申し訳ございません、フェリカ様、失礼をお許しください。この者は私の秘書で、ノートルでございます」
ノートルは三十代後半の細い男だった。髪は赤毛で目つきが鋭く、瘦せこけた顔に頬骨が尖って目立っていた。できれば近づきたくないような刺々しい雰囲気の人物だ。
なぜこの男がユージュ様の秘書なのか。
不釣り合いな二人だった。
ノートルは形ばかり私に会釈をすると、さっさと出て行こうとした。
ユージュ様がその背中に向かって問いかけた。
「侯爵領は特に変わったことは無かったか?」
「万事問題ありません」
ノートルは振り向きもせず答えると、そのまま退室した。
彼が部屋から出ていくと、部屋は水を打ったように静まりかえってしまった。
ユージュ様が、場を取りなそうと説明する。
「……私が出かけられないので、今は中心街での公務はノートルに任せているのです」
横で控えていたジオツキーが、そういうことか、という顔をする。
ユージュ様は場の緊張を解そうと笑顔を取り戻すと、明るく言った。
「お見苦しいところをお見せしてしまいましたね。さ、そろそろデザートにしましょうか」
……しかし、ユージュ様のその顔色は、声の明るさとは裏腹に一層青白く見えた。
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次回、第7話「ユージュ様の秘密 其の一」