4 フェリカ王女の従者達
王都から北西方向に延びる基幹街道を馬車で走ること一日半。
開けた農地の向こうに小さく連なっていた山々が、次第に迫力を帯びて近づいてくる。
トゥステリア王国の北部に位置するクンミ地方に入ると、街道脇には蜂蜜色の石灰石で作られた家々が立ち並び始め、背景の山とあいまって美しい光景が広がる。その家の数がみるみる増えてくると、そこはウフダム侯爵領の中心街だ。
私たちはその中心街の宿駅で休憩を取ろうと馬車を止めた。
宿駅とは、街道沿いに設置されている人と馬の為の休憩所よ。宿泊や食事の提供、馬換え等を行っているところなの。
さすが中心街だけあって、この宿駅はかなりの人で賑わっていたわ。
昨日から馬車に乗り続けているので、さすがに体中が強張ってしまったわ。
私の馬車はお忍び用だから、目立たないように一般的な黒塗の外観なんだけど、旅の疲れを考慮してやや広めに設えてあるの。それでもあちこち身体は強張っちゃうのよね。
馬車が停車場に止まるとすぐに、先にアメリが、そして私が転がり降りた。
そして地面に降り立つと、二人して空へ両手を挙げて体を思いっきり伸ばす。
「うーん、さすがにしんどいわねえ」
「はい、フィー様」
お忍び中なので、アメリは私を仮の名前で呼んでいるの。
私は馭者のジオツキーにも、一声かけて労った。
馭者を務めてくれている彼は、王宮近衛騎馬隊の元隊長である。
「ジオツキーもお疲れ様! 昨日からずっと運転してるから疲れたでしょ? 一休みしてね!」
ジオツキーは馭者台の上から、淡々と否定する。
「いいえ、全く。私としては、馬が許せばこのままずっと運転したいと。休憩は不要」
白金短髪と眼鏡が太陽光に反射して良く見えないが、たぶんいつものクールな表情をしているのだろう。
そう、ジオツキーは三度の飯より馬が好きな、馬夢中男なのだった。
乗るのも、競馬も、馬そのものも、とにかく馬の全てが好きらしい。
……気遣いは無用だったわ。
痩身で男性にしては背丈がやや低めのジオツキーは、馭者台から颯爽と降りた。馭者服を品よく纏ったその身熟しはしなやかで、とても退官が近いとは信じられない動きだ。
慣れた手つきで手綱を銜から取り外して、鞍の手綱通し環にかけ、馬換えの準備を始める。
人に対してはクールなくせに、馬の世話は本当に楽しそうなのよね。
ふと思い出してジオツキーは冷ややかな顔をこちらに向ける。
若い頃は常に女性に囲まれていたという話は嘘ではないのだろう。
その涼しげな容貌は目尻に皺あれど、今でも充分現役でいけそうな超美男なのだ。
「フィー様、乗り心地はいかがでした?」
ジオツキーと付き合いが長い私は、どう答えるべきか心得ているので、
「ええ、いつもどおり大きな揺れはほとんど無くて。さすがジオツキーね」
と、誉めることを決して忘れない。
ジオツキーは切れ長の目を細めて、満足気ににやりと笑う。
「そこら辺の馭者とは、腕が違いますから」
と、ジオツキーは自分の腕を軽くたたくとさらっと自慢した。
確かに、ジオツキ―の腕は馬車にしても乗馬にしても超一流なので、他とは比べ物にならないのだけれど……
ここは馬車の停車場。周囲の同業者即ち、そこら辺りの馭者たちが一斉にギロリと鋭い視線をジオツキーに投げた。
でも当のジオツキーは何処吹く風だ。
「フィー様、私、宿駅の休憩室をキープしてきまーす!」
アメリは元気にそう言うと、一人で広場を横切って宿駅の建物へと走って行った。
ジオツキーは了解と片手をあげると、宿駅の馬替え担当者と厩舎へと向かった。
アメリの後ろ姿を見送る私の目に飛び込んできたのは、こういった広場に必ず屯しているヤプジー達だった。
ヤプジーとは、不慣れな旅人に近づいて、窃盗や恐喝を行う無頼集団だ。
彼等はお互いに目配せすると、そのうちの一人の男がアメリの後を追っていった。
スリでも働くつもりかしら?
アメリが危ないわ!
私はすぐに反応してその男の方へ走りながら、呪文を唱えたわ。
アメリを追いかけていた男は、足を絡ませて地面に転がった。
やったわ!
「いってえ! 足が急に…? いったいどうしたってんだ!?」
こういう輩、本当に許せないわよね。
私は地面に転がっている男のそばまで行き、素知らぬふりをして話しかけてあげた。
「あら、大丈夫ですか? お怪我はありませんこと?」
痛がっていた男は私を目に留めるとにやりと笑った。
多分ターゲットを私に変えたのだろう。すごくわかりやすい人ね?
それならこちらにも考えがあってよ?
「すまねえな、姉ちゃん、手を貸してくれ」
この男の考えが手に取るようにわかっちゃうわ。
きっと何か仕掛けてくるはずよね? そうはさせるもんですか。
私はにっこり笑って、手を差し伸べたわ。
案の定、向こうは手を取った瞬間、私を転ばせようと強く引っ張った。
そんなことは想定内だったので、私は掌から魔力を軽く放出して男にぶつけたら、男はそのまま二十メートル位すっ飛んでいき、もう一度地面に転がっちゃったわ。
「しばらくはこれに懲りて、おとなしくしていてほしいものねえ」
私が両手を腰にあてて、困ったものよねえ…と思っていると、真後ろでシュッと風を切る音がした。
慌てて振り返る。
仲間の男が逆上して、片手に持った短剣を振り回しながら私に切りかかろうとしていた。
身構えようとしたその時、短剣男は突然空中に浮かび、足をバタバタさせた。
「ぐぐ、なにするんだ? は、放しやがれ!」
短剣男は背後から首根っこを掴まれて、持ち上げられていた。
軽々と持ち上げているのは、もう一人の私の従者、ブロディンだ。
短剣男は誰が自分を持ち上げているのかと鼻息荒く振り返って、固まった。
ブロディンは短剣男よりも頭二つ分大きく、ゆったりした生成りのチュニックを着ていても、鍛え抜かれた筋肉は隠すことができない程の見事な肉体の持ち主だ。男との力の差は歴然ね。
ブロディンが短剣男を軽く放り投げると、枯枝のようにすっ飛んで、さっきの男の隣にキレイに転がった。
よく見ると、他のヤプジー達も全員同じ場所に転がっていた。ブロディンがあっという間に片づけてくれたようだ。
さすがブロディン! 仕事が早いわ。
ブロディンは私の護衛で王宮近衛師団の優秀な猛者の一人なの。
筋肉隆々、肩まで緩く波打つ黒髪は無造作に束ねられ、顔は……うーん無精髭が凄すぎてよくわからないけど、堀の深い目鼻立ちをしているわ。
口数の多い方ではないし、この風貌である。彼が何を考えているのかわからないときも多いけど、正義感溢れた熱い心の持ち主なのよ。
「ブロディン! ありがとう」
と声をかけると、
「お嬢、早く飯にしましょう」
ブロディンは私の名前を呼び代えるのが面倒臭いらしく、いつも私をお嬢と呼ぶの。
あれ? でも、今の会話、なんか変じゃなかった?
「ここで食事はするつもりだけど。 そんなにお腹がすいてるの?」
「いや違う。さっき筋トレしてたんで」
そういえば彼は馬車での移動中、後部の助手台でずっと筋トレをしていたわ。
常に己を鍛える男、向上心は見上げたものね。
…でも。ますます会話が嚙み合わないわ。答えになってないわよね?
「お腹が空いたわけじゃないのに、すぐ食事にしたいの?」
「筋トレ後すぐの飯は、筋肉が付くんで」
そう彼は……己の筋肉夢中男なのだった。
改めてブロディンの体格を遠慮なく見てしまう。
それ以上筋肉付けるって、どこに付けようがあるのだろう?
って、個人的には思ったけれどねえ。
ひとまず筋肉増強を目指し、私とブロディンはアメリを追いかけて、宿駅の建物へと向かったのだった。
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次回第5話(全19回)「ワケアリのお見合い」