15 攻防
「逃すものか!」
ノートルは出て行こうとするユージュ様に向けて、何かを詠唱した。
私の聞いたことのない音の羅列は黒魔術の呪文なのだろう。私は咄嗟に保護魔術をユージュ様に放った。
悪いけど今は私の方が魔力は上なのよ。
私の魔術のほうが早くユージュ様に届き、ノートルの黒魔術を弾き飛ばした。
ノートルが己の黒魔術があと一歩で届かなかった事実に愕然としていたとき、その背後は全くの無防備だった。
すかさずブロディンがボカッとぶん殴ると、ノートルの身体はゆらりと傾き地面に転がった。
私は慌ててブロディンに聞いた。
「失神させちゃったの!? 追いかけさせるのよ?」
「軽い一発だ。すぐ起き上がる。時間稼ぎだ」
……軽いって、けっこうすごい音がしたけど?
まあでもブロディンが言うなら、そうなんだろう。
アメリはユージュ様を先に馬車に乗せると、ノートルが中心街から乗ってきた馬のお尻を蹴り跳ばし、そのまま馬車に乗り込みドアを閉めた。
うわっ! アメリったら結構やるわね、さすが私の侍女!
馬は嘶いて、どこかへ走り去っていく。
「ブロディン、早く!」
馭者台のジオツキーが叫ぶ。
ブロディンが馬車の後方の助手台にひらりと飛び乗る。
私も正門へと走った。
正門のすぐ近くには馬が二匹つながれていた。焦茶毛と黒毛の馬だ。
私はジオツキーから焦茶毛の馬を使うように指示されていたの。
……だけれども。
焦茶毛と黒毛の色の違いが、この月明かりの下で見分けがつく……わけないでしょう!?
「焦茶毛の馬!?」
私は頭を抱えて悩んだ。
「どっちがどっち!?!?!?」
白毛と黒毛みたいにわかりやすくしてよおと泣きそうになりながら、私は何度も見比べて、……多分こっち! と思うほうに跨った。
乗ってみると筋肉の付き具合が良い馬だった。これならよく走ってくれるわね。
「いい子ね。よろしくたのむわよ? 焦茶君?」
声をかけたら、ブルルルと返事をしてくれた。
うん、返事をした! これ絶対間違いない! ……はずよね?
馭者台のジオツキーをふと見ると、この状況なのに妙にギラギラとして楽しそうだった。
「ふふふ…、トゥステリア王国馬車競争大会二十年連続優勝者のこの私に敵う者無し!」
……既に闘志には、かなり火がつきまくっていた。
ジオツキーが合図音を口から発すると、馬車を引く二頭の馬は湖に沿った真直ぐな道を走り始めた。私も焦茶君とすぐ後に続いたわ。
馬車後方の助手台で馬車箱を背に立ち、ノートルの様子を見ていたブロディンが叫ぶ。
「ノートルが出てきたぞ!」
私も後方を振り向いて確認すると、正門前でノートルが騎乗していた。
けれどもすぐにこちらに走って来ることはできなかった。
なんとノートルを乗せた馬は、ぐるぐる回ったり尻を跳ね上げたりと、ノートルを振り落とそうとしはじめたのだ。ノートルは馬に翻弄されて必死に手綱につかまっていたが、ぶらぶらと左右に振り回された挙句に、コロンと落馬した。
「……なにやってんだあいつ」
一部始終を見ていたブロディンが呆れる。
馬車の窓からアメリも目を丸くした。
「馬も悪い奴だってわかるんですかねえ?」
「あんな馬、我が家にはいませんでしたが……?」
とユージュ様。
「ふふふ…、昨日、私がとびきり賢い馬を選んできたのです。ノートルと一緒でプライドが高い馬でして。背負い投げの達人ですよ」
おそらく誰よりもプライドの高いジオツキーが、喉の奥でクックッと楽しそうに笑う。
「ねぇ、レースだとしたら反則じゃないの?」
と私は突っ込んでみたけど、
「反則ではなく作戦です」
と、さらりと躱されちゃったわ。
……私は改めて焦茶君をじいっと見た。
ああ、間違えなくて、良かったあ!!
ノートルはその後、何回か振り落とされていたようだったが、難なく馬に乗りこなすとこちらに向かって走り始めた。
「魔術で乗り熟したか。フン、紛い物だな」
ジオツキーはそう冷罵した。
そしてふと真面目な声で、
「そろそろ本気モードに入りましょうか」
と手綱を握り直した。
やっと体制を立て直したノートルは、ユージュを追った。
「くっそお、どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって……」
馬車はそう遠くないところを走っている。
「あいつらの馬車はまだあそこか。すぐに追いついて捕まえてやる!」
いくら二頭立てとはいえ、人間四人を乗せてさらに馬車箱を引いているのだ。たかが知れている。
ノートルは馬を全速力で走らせた。鞭も振るう。しかし駆けれども駆けれども、距離は全く縮まらない。
「なんだ? あの馬車どうなってるんだ? 全然追いつかないじゃないか!」
馬車の横にはさっきの王女とやらが馬に乗って走っている。
イライラが募って、先ほど味わった屈辱が思い出される。
「そうだ、あの女だ! あいつがユージュを俺から取り上げようとしている。
あいつ……夢待花を焼き払い、俺の呪縛の黒魔術も妨害しやがった」
フェリカへの対抗心からノートルの魂が烈火のごとく燃え上がる。
「……そうだ。それならひとつゲームでも始めてやろう。黒魔術のすばらしさを教えてやろうじゃないか」
ノートルは薄気味悪く笑う。
黒魔術を使うのは気分が良い。生意気なやつらの引き攣った表情を見るのは最高だ。
ノートルは手を空に向かって高く掲げると、黒魔術の呪文を詠唱した。
その目は血の色に変化し、その手はもはや人の皮膚にあらず。人の皮膚だったはずの部分は、沸き立つ泥沼のようにぶくぶくと真っ黒く蠢いていた。
ジオツキーの馬車は、かなりのスピードで走りながらノートルの馬と一定の距離を保ち続けていた。
私はその左横を併走する。
私たちは、湖と別れて魔術聖殿のある街へと続く街道に入った。
その時だった。
ブロディンが急に緊迫して叫んだ。
「お嬢、頭の上だ!!」
慌てて頭を引っ込めた。と同時に、拳の倍ほどの大きさの炎玉がバチバチという音と共に私の頭上を通り越し、前方へと飛んで行った。
炎玉? 後方からということは――
「今、お嬢と馬車に防護魔術をかけた!」
もう一つ後方から飛んできた炎玉がジオツキ―の右肩を掠め、馭者服をジリリと燻ぶらせた。
ジオツキーがギクリとする。
「ブロディン、私には?」
「すまない忘れてた!」
「忘れるな!!」
ジオツキーの怒声は次の炎玉が飛んでくる音によって搔き消された。
見れば、ノートルが炎玉を次々繰り出して投げている。燃え盛る炎玉からは禍々しい瘴気が漂う。炎玉が防護魔術の障壁にぶつかると、黒魔術で作られたその威力は大きく、防護壁が軋んだ。
やられっぱなしでは、こちらの防護壁は長くは持たないだろう。
ブロディンが向かってくる炎玉に照準を合わせて、反撃の魔術を放って対抗する。ブロディンが投じた反撃の光の矢は炎玉を粉砕した。
炎玉は私たちを狙って真直ぐに飛んでくる。ブロディンの光の矢がそれを次々と破壊していった。
私は振り返ってブロディンとノートルの攻防を見るも、騎乗しているのでそうそう後ろは確認できない。けれどもできる限り私も光の矢を放って応戦した。
バチバチと私の左横を炎玉が通り過ぎていく。
続けて馬車の上方を炎玉が前へと流れていく。
……なんだかさっきより、炎玉の数が増えてない?
確認しようと振り向くと、私を目がけた炎玉が焦茶君の尻尾ぎりぎりで光の矢に分断された。
…っ! 危なかったわ!
新たに飛んでくる炎玉が、途中から二つに分かれるのが見えた。向こうにある炎玉も分裂する。
うわっ、多くなっていたわけね!
数が倍だ。
私も光の矢を放つけれど、ダメだ、振り返れないこの体勢では全然戦力にはなれないわ。
ブロディンが次々降りかかる炎玉から目をそらさずに叫んだ。
「これ以上増えたらお手上げだ! 対処しきれない!」
ブロディンのキャパをオーバーした炎玉たちが、防護壁にぶつかり出す。私は更に防護魔術を皆にかけ、応戦したけれど、防護壁に当たる炎玉の数は増えていく。
このままだと防護壁は破られてしまう! ……どうしたらいい!? どうしたら……?
落ち着いて考えなくてはと思ったとき、ユージュ様の声が響いた。
「フェリカ様! 私が指示します! あなたはe4です!」
あなたはいいよん? ……いいよ?
もう、私のバカ! 違う! そんなことじゃない筈よ!
「来ますよ! e5の位置!」
いいご…?
何を言われているかわかっていない私のすぐ頭上をバチバチと炎玉が飛んでいき、金茶の髪の毛が数本燃えた。
命の危険を感じた瞬間、ユージュ様の言いたいことが分かった。
「わかった!! チェス盤ね!」
チェスのマスは、左から横にアルファベットでaからh、左下から縦に数字で1から8まで振られている。一番左手前のマスはa1、その右隣はa2、次はa3。一番左の二列目はb1、その右隣はb2……とマスごとに呼び名がついているの。そのことをユージュ様は言っていたのよ。
「d3の位置、来ますよ!」
私は前を向いたまま左斜め下に向かって光の矢を放つ。衝撃音がすると、私の足元を炎玉は通過して行かなかった。うまく当たったようだ。
これなら、後ろを振り返らずに対応できるわ!
「馬車の方に来る炎玉は俺が片づける! ウフダム様はお嬢のほうを頼む!」
「わかった! フェリカ様、f4!」
私はすぐ右横後方に向かって魔術を繰り出す。これも命中、私は音で確認した。
「d2とe5!」
今度は二発! 見事命中して私の左足と頭上から熱だけが伝わってきた。
ブロディンは馬車に向かって飛んでくる炎玉をどんどん粉砕している。
「b4! それからg5!」
ユージュ様の指示に従って私も炎玉をいくつも破壊した。
ユージュ様の気転に助けられ、ブロディンと二人して炎玉に対抗した。
こちらに余裕が少しできた頃、
「e4!……フェリカ様危ない!」
私の背中へと近づく炎玉に気が付いたブロディンと、遅れて気が付いた私の光の矢が同時に炎玉にぶつかって難を逃れた。
危ない! ぎりぎりだったわ……!
そろそろ集中力が、保てなくなってきていた。
気が付けば私たちの行く道の周囲には建物が増え始めていた。街に入ったところなのだろう。
「直線道路だと狙われるばかりです! 遠回りになるが迂回します!!」
ジオツキーはそう叫ぶと、街道から建物が立ち並ぶ細い道へと馬車を滑らせた。
夜ということもあり、幸い人通りが少ない道だった。まれにすれ違う人たちは、遠くから響いてくる唯事でない馬車の音に驚きの表情を浮かべて、建物の影に素早く張り付いて身を守る。
ジオツキーが選んだ細い道は右に左に曲がりくねっていた。炎玉は直線ではないと投げられないらしく、細道に入ってからはぴたりと止んでいた。
二頭立て馬車がなんとか通れるこのうねうねとした細道をよくもまあこのスピードで、無駄な動き無く駆け抜けることができるものだと、後ろから追随する私は改めてジオツキーの腕前に感服した。
細道を抜けると、ジオツキーはノートルが後ろをついて来ているか確認しては、相手から直線にならないような道を選んで角を曲がり馬車を進めた。私も馬車に併走した。
「ずいぶん入り組んだところだけど……道は大丈夫なの?」
街道を脇に入ったところから、私はもう道が分からなくなっていたのでジオツキーに尋ねた。
「地図がありますから、迷いませんよ」
月明りの中で目を凝らして見たけれど、馬車の馭者台に地図など無かった。
見る暇なんか無いとは思うけど。
「どこに?」
「ここです」
ジオツキーは自分の頭を指さしながら返答をする。
「……どういうこと?」
「魔術聖殿に行くときに地図を見たから、全部覚えましたよ」
「……地図を全部覚えてるですって?」
「……凄え……」
「どうしてです? 見たらそのまま覚えるでしょう?」
逆に不思議そうに訊ねるジオツキー。
私とブロディンは、これでもかっていうぐらい、頭を横に大きく振った。
「「いや!! 無理無理!!!!」」
ここまでお読みいただきましたあなた様! 本当にどうもありがとうございます。
残すところ、あと4話です。
フェリカ達とノートルの戦いはどうなるのでしょうか? そしてフェリカとユージュ様は……?
どうぞ最後まで伴走し、見守ってくださいましたら嬉しく思います。
少しでもいいなと思ったり続きが気になりましたら、ブクマや★で応援していただけますと励みになります。
感想は、超短い文章も大歓迎です。 気軽に声をおきかせください。
本作は作者の処女作です。今後の参考に是非、読者の皆様の声をいただけたら嬉しいです。<(_ _)>
次回第16話(全19回)「フェリカ王女とノートル」













