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14/20

14 開戦

 その日のウフダム侯爵別邸の夜空には、十日夜月が鎮座していた。満月には及ばずとも十分な青白い月明りは、遠くの山や白樺の木の輪郭を幻想的に浮かび上がらせている。そして優しい波音を立てている穏やかな湖面に、十日夜月は美しくそっと映り込む。

 その静かな月明りが、ギャラリーの窓にも入り込んできていた。


「わかりました。明日の夕方までには従者たちを家に帰します」


 部屋のランプの明かりがゆらりと揺れて、ユージュ様の顔を照らす。

 後方のトマスとキャシーも頷き、顔を引き締める。


 ユージュ様と私は、昨晩も一緒に過ごしたギャラリーで、チェス盤を挟んで向かい合っていた。

 明日の夜は、ノートルが戻ってくる。

 いよいよ私たちの勝負の時だ。

 そのことを考えると落ち着かない私たちは、チェスに興じることで心を平静に保とうとしていたのだと思う。

 

 昨日は私が圧勝したけれど、今日の戦況は五分五分だった。

 私は駒を動かしながら、以前から不思議に思うことをユージュ様に尋ねた。


「ユージュ様、なぜノートルは一日置きに、わざわざここまで戻ってくるんだと思いますか?」


「私を監視していたいのだと思っていますが」

ユージュ様も答えながら、駒を動かした。


 確かに監視もあると思うけど。でも術をかけた本人は相手が自分から離れていても術の効力を感じとれるものなのよね。だから本当は帰ってこなくても良いはずなのだけど…

 ユージュ様には魔力がほとんど無いそうなので、このことは知らないのだろう。


「他に思い当たることはありませんか?」


「うーん…」


 ユージュ様は暫く考えこんでいた。


「小さいことでもいいのですが」

と私は、ユージュ様を見ながらひとつ駒を動かす。


ユージュ様は何か思い当たることがあったようで、私の方を向いた。


「ノートルが帰ってくると、体が強張るんです。中心街(セントレ)に行ってしまった翌日は少し楽な気がしますが……。私が…あの男の顔を見るのも辛いので、そのせいかとは思うのですが」


「なるほど……そうですの」


 実は、私の中には思い当たる答えがあった。だけど確信は持てなかったので心の中に留めておいたわ。 

 入り口ではアメリとブロディンが控えていたから、私はブロディンをちらりと見る。私と目が合うと彼は顎を少し引いた。おそらく、私と同じ考えなのだろう。


 そこへジオツキーが入ってきた。洗練された動きでユージュ様と私に一礼する。

「フェリカ様、明日の馬車の準備は整いました」


「ユージュ様、明日黒魔術を解いたら、すぐにこのジオツキーの馬車で魔術聖殿にお連れします。あそこはあなたを黒魔術から守れますので」


 ユージュ様はゆっくりと首を縦に振る。


「ユージュ様、明日のことですが……ご心配ではありませんか?」


 危険な目に合わせてしまうかもしれないと思っている私は、彼にそう訊ねた。

 勿論そうならないよう、全力でお守りするけれど。


「心配が無いといったら嘘になりますが」


 穏やかな口調のユージュ様の目は、怯える者のそれでは無かった。

 そしてキャシーとトマスを振り返って軽く頷きあうと、再び私に視線を戻した。


「でもこれは私たちが切に願ってきたことなのですよ。……ですから覚悟はできています」


 そしてご家族の肖像画に目をやった。


「……きっと父も同じ気持ちだと」


 ユージュ様の表情が一瞬歪んだように見えたが、閉じられた瞼がゆっくり開いた時には、いつもの薄茶色の瞳がそこにあった。


 ユージュ様は私と目が合うと、にこりと微笑んだ。

 瞳には悪戯っ子な少年のあの雰囲気が宿っていた。

 そして指先でポーンの駒を摘まんで持ち上げると、私に見せるように掲げて言った。


「フェリカ様、今夜は私の勝ちですよ。チェックメイト!」





 

 太陽が沈むのを待っていたかのように、暗くなり始めた夜空の反対側に月が昇った。


 「ノートルが戻ってきました!」

 正門の外に様子を見に行っていたアメリが叫ぶ。

 ウフダム侯爵別邸の玄関ホールでは、ユージュ様と私、それにブロディンがノートルを待ち構えているところだ。

 遠くからノートルの跨る馬の蹄が聞こえ、その音が次第に近くなってきた。

 これからノートルと対峙することを考えると、私の心臓は早鐘のように鳴って掌は汗ばんでいたけれど、ユージュ様の手前、努めて落ち着いたふうに装ったわ。


 ドアの外から、ノートルの怒声が聞こえてきた。


「誰も迎えに出ないとは、どういうことだ!? 誰か! 誰かいないのか!?」


 ノートルはこの屋敷の主人であるが如く威張り散らしていた。

 いつもは対応する従者が今日は誰一人いない。

 それはそうよ。従者は全員下がらせているのだから。


 地面を踏み鳴らす足音、そして玄関のドアがノートルによって乱暴に開けられた。

 ぞんざいに扱われて機嫌を損ねたノートルは、既に怒りの形相だった。

 が、待ち構えた私たちを見て驚き、立ち止まった。

 私は、澄まして挨拶したわ。


「おかえりなさい、ノートルさん。今夜は私たちがあなたをお迎えに出て参りましたのよ」


「…おまえ、まだ居たのか」

 ノートルは眉を跳ね上げた。


 私、王女だけど、時々お前って言われるわね?


「ええ、すみません。お邪魔して大変失礼いたしておりますわ。でも大丈夫、ご安心くださいませ。あなたをお迎えにあがるのも、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「なんだって?」


「それにほら、私のような邪魔者は早く去らなければなりませんでしょ? ノートルさんにとって、とてもご迷惑でしょうから?」


 そう言いながら、私のベッドに隠されていた夢待花を取り出した。此れ見よがしに、指先でくるくる回す。


「女性客の部屋に入るなんて、秘書としてあるまじき行為ですわよ?」


 私はジオツキーに、できるだけ慇懃(いんぎん)無礼に振舞うように言われていた。……そう、ノートルのプライドを刺激するために。


 ノートルは怒りで顔が真っ赤になっていた。ぎょろっとした目が吊り上がる。

 

 うまくいかなかったのが悔しいのね。

 まあ実を言うと、この花には二日間すっかり悪夢を見せられちゃったけど、それは内緒にしておこうっと。


 ノートルは息を荒げながら、ユージュ様に向き直った。


「ユージュ……この女に何を吹き込まれたんだ?」


 そしてユージュ様に近づくと、ぐいと乱暴に胸倉をつかみ怒鳴った。

 

「おまえは俺に抗えるとでも思ってるのかっ? ()()()()()()()()()()!?」


 脅しをかけるノートルを、ユージュ様はただ冷ややかに見返していた。


「………ノートル。…私はもうお前と話すことは、何も無い」


「何を言ってる…?」


 荒ぶるノートルとは対照的に、感情を込めず只静かに語るユージュ様の態度に気圧されて、ノートルは今までとは違う何かを感じ取って青ざめた。胸倉をつかんでいた手が思わず緩む。

 成り行きを見守っていたブロディンが二人の間に割って入り、ユージュ様をノートルから遠ざけた。そして自分の身体で隠すようにして、ユージュ様を玄関のドアへとそっと誘導した。

 私はそれを確認すると、おもむろに口を開いた。


「残念でしたわね。()()()()()()()()()()()()()()()()中心街(セントレ)からわざわざ帰っていらしたのに」


 ノートルの身体がピクリとはねる。


「二日程度で、ほころびの出る黒魔術じゃ、ちょっとお粗末じゃないかしら」


 ノートルは全身をわなわなと震わせる。


 私は夢待花を掌の上に乗せると、魔術で一気に燃やした。

 夢待花は炎に包まれて、一筋の煙となり、あっという間に消えた。


「ほらこうやってすぐに、術は破られてしまいますわよ」

というや否や、私は素早くユージュ様を(から)めとっている黒魔術の解放呪文を詠唱した。


「この女っ!」

 慌てたノートルが私に跳びかかってきたが、身を(ひるがえ)してノートルを(かわ)した。

 私に視えていた屋敷とユージュ様に(まと)わりついていた悪魔の黒霧は、みるみるうちに薄くなり、そして消失した。


「身体が、軽くなった…」

 ユージュ様が己の変化を感じ取る。


「ユージュ様! 黒魔術は消えましたわ!! さあ早く!!」


 ユージュ様は、玄関を飛び出そうと動いた。


「逃すものか!」


 ノートルは出て行こうとするユージュ様に向けて、何かを詠唱した。

 私の聞いたことない音の羅列は黒魔術の呪文なのだろう。私は咄嗟に保護魔術をユージュ様に放った。

 悪いけど今は私の方が魔力は上なのよ。

 私の魔術のほうが早くユージュ様に届き、ノートルの黒魔術を弾き飛ばした。ユージュ様がその衝撃に驚いて振り返る。


「こっちです! ウフダム侯爵様!」


 正門前の馬車の隣で叫ぶアメリに促されて、ユージュ様は走り出す。


 屋敷の外の自由な世界へと――――――



お読みいただきありがとうございます。

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次回第15話「攻防」 (全19回)


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