12 魔術聖殿
魔術正殿の正門から比較的近い棟は、魔術学校、図書館、事務所などがあり、奥の棟は魔術や魔道具の研究所、非公開図書館などとなっている。大抵どこの魔術聖殿支部もこのような造りなのよね。
正門から最も近いホール棟は重要文化財に指定されていて、ここだけが一般公開されていた。ホール棟は、主に式典やパーティなど大勢の人が集う時に使われる場所なのだ。
ホール棟への芝生エリアを歩き出したところで、私はあることに気づいた。
周囲は観光客が多かったのだけど、家族連れの子どもの頭上には、皆お揃いに、何やら白い半透明の物体がフワフワと浮いていたの。
あれは何かしら?
よく見てみると、魔術で作られた蝶や蜻蛉に紐が付いていて、その紐の先を子供たちは握っていた。
どうやら魔術聖殿が遊びに来た子供にプレゼントしているようね。ほらよく、街のお店で風船を配っているじゃない? あれと一緒よね。
子供たちが手を動かすと、蝶も蜻蛉もお利口についてくるので楽しいのだろう。
みんなきゃあきゃあと嬉しそうだったわ。
そうそう、昔アメリも可愛い小鳥を作ってくれたわよね。あの時は大人の私もはしゃいじゃったものねえ。
魔術正殿には観光に来たわけではないけれど、せっかくここまで来たからには重要文化財も見てみたいわよね。
建物はブラーニャ様式だし、中にある絵画や彫刻なども芸術的価値が高いそうよ。
なので、私はわくわくと期待してホール塔へ足を踏み入れた。
だけど入った途端、がっかりしてしまったわ。
『本日、一階ホールは魔術聖殿の研修利用のため、見学は二階のみとなります』
というお知らせが貼ってあったのだ。
う~ん残念! でもまあ見れないよりはいいわよね?
私たち見学者は入口をくぐるとすぐに、二階へ上がる階段へと案内された。
二階といってもそこに広いフロアがあるわけではなく、左手には窓、右手には幾つもドアが並ぶ長い廊下がそこにはあった。…そう、例えていうならコンサートホールの二階席の廊下ね。
係の人が、ドアからホールの様子を見学できますよと案内してくれた。
ドアの中に入ると、そこは椅子が二、三列設置されたバルコニー席になっていたので、そこから階下のホールを見渡すことができたわ。
研修会場と化した広い一階のホールは、魔術聖殿関係者がグループに分かれて魔術を学んでいるらしく、人々の頭上には水が渦を巻いていたり、炎が揺らめいていたり、魔法陣などが描かれていた。
あら、みなさん熱心で、よろしいこと……
と、ついつい私は王族の公務の視察視点で見てしまったけど、
あっ! 今日は視察に来たのではなかったんだわ! と思い出して、自由に楽しくホール内をきょろきょろ見学した。……王族もいろいろ大変なのよ。
天井は私たちのさらに高いところにあり、そこには大きなシャンデリアが幾つも吊り下げられていた。きっとアンティークのポネゼアガラスね。
「すごいわねえ。あれだけの大きさとなると価値も相当よ」
私が感嘆していると、アメリは、
「いくらぐらいするんですかねぇ?」
王女つきの侍女とは思えないセリフを言いながら、うっとりした目で見上げている。
ホールを支える柱には、魔術神話に出てくる人物達が物語を紡ぐかのようにレリーフされていた。
ジオツキーが魔術神話について教てくれたわ。ジオツキーは結構物知りなのだ。神話が武力の神マゼランの話になると、眠そうだったブロディンの目が開いていた。
壁には大きな絵画も掛けられていた。有名な画家ロワナルドの作品なのだそうだ。
ホール内には一階から二階につながる広い階段があり、そこからだとロワナルドの絵画が見やすそうだったので、私たちはそちらへと移動した。
「うわ~、やっぱり近くで見ると素晴らしいわね」
「ほんとですねー! なんかすごいですっ」
「ふむ…これは、なるほど」
「…………」
一名、黙ったままだけど、気にしないでね。
なるべく近くで絵の迫力を感じたかった私は、二階のフロアぎりぎりまで来てその絵画を眺めたみたわ。
一階の見学はできないので、階段の降り口にはロープが渡されていた。
うーん、絵画鑑賞のベストポジションは階段の中段辺りなのだけど、今日は仕方ないわ。こんな日もあるわよねえ。
その時だった。
絵を見る私の視界を白い半透明のフワフワした蝶が通り過ぎた。
それとほぼ同時に子供のわっと泣き出す声。
私は反射的に、その蝶に手を伸ばした。
が、わずかに遠く届かない。
なので当然、一歩足を前に出す。
私の手は素早く動いて、ばっちりと蝶の紐を掴むことができたわ!
やった!つかまえたわ!
だけど、私が踏んだつもりの床はそこには無くて…………
きゃ~~~っ!!! ここ、階段だったあ!!!!!
気が付いた時には、降り口のロープを薙ぎ倒し、身体はバランスを失って階段を転がり始めていた。
とにかく慌てて保護の魔術を蝶と自分にかけた。
だけれどそれが精一杯で、身体は止められない。
階段のあちこちにぶつかりながら、私は長い階段を見事なまでに転がり落ちて、一階の研修会場の床にごろりと到達すると、ようやく身体は止まってくれた。
いたたたた…………!
痛みで我に返ったわ。
保護の魔術をかける前にできた打ち身が痛い。
私は、床に突っ伏したまま寝転がっていた。
目の前はホールの濃紺色の絨毯。
絨毯の毛ってこんな風にできているのね、ってわかる位アップで見た。
右手で掴んだ紐が時々くいくいと引っ張られた。
どうやら蝶は無事らしい……ああよかったわ。
身体を起こそうと絨毯についた左手に力を込めようかなと思ったところで、ぎょっとした。
私の手の横には、魔術聖殿の聖職者の長衣を着た人物が立っていたのだ。
そしてその長衣の色は……深い紫。
紫は、確か……えーと………聖殿長の衣装。
せ、聖殿長!? ……まずいわっ!!
なにがまずいって。
私はこの人のことを知らないけれど、王都での公務で会っているかもしれないし。聖殿長は国王一家の肖像画を目にしていて、私が誰かわかってしまうかも…?
私は今お忍び中なのよ。こんなところで、お見合いしているとかバレたくないし……!
とにかく、フェリカ王女だと気づかれたくないの!
い、いたたた…
………あれ? ……そういえばなんだか周囲がやけに静かじゃない?
さっきまでの研修会場のざわめきが、嘘のように静まり返っている。
これって、もしかして、すごく注目浴びてるってこと……??
階段から落ちただけでも目を引いただろうけど、聖殿長のすぐそばに転がっていたら尚更だわ。
ああ恥ずかしくて気が遠くなりそう!
私は顔がどんどん熱くなるのを感じていた。
顔を上げられず這いつくばった姿勢のまま、頭ばかりがぐるぐる回転していると、アメリの切羽詰まる声が、階段の上から広いホール全体に降り注いだ。
「フィーさまーっ!!!!!!、大丈夫ですかーっ??????」
お、大声で……
私の(仮の)名前を呼ばないで~~~(泣)!!!!!!
し、心配は嬉しいけど、出来るだけ目立ちたくないのよお……いたた。
私は絨毯に載った自分の手元をもう一度確認する。
深紫長衣の聖殿長の隣にはちょっと見慣れない雰囲気の靴を履いた人物もいる。そしてその周りにも同じような靴が複数あった。
トゥステリアの靴ではないわ、…外国人かしら?
すると一人の人物が、私に声をかけてきた。
「フィー? 様…? 大丈夫ですか? フィ―様! フィー様!!」
聖殿長の隣にいた人物だ。
ちょっと大きめの男性の靴……ブロディンみたいにちょっと大きな人なのかしら?
私が這いつくばったまま動かなかったので、どうやら気を失っていると思われたようだ。
意識を確認するためなのか、ご丁寧に覚えて欲しくもない名前もしっかり連呼されてしまったわ。
それにその人物はわざわざ屈んで、私に手をかけて起こそうとしてくれていた。
「このお嬢さんを早く救護室へ。聖殿長、部屋はどちらですか?」
きびきびと周囲の者に命令し、聖殿長にお伺いを立てる。
救護室!? とんでもない!
意識があった私は慌てた。こんなところはさっさとおさらばしなくっちゃ。
「だ、大丈夫ですっ!」
意識が無いと思っていた女が突然喋ったので、その人は驚いたようだった。
起こそうとしてくれた手がびくりと止まる。
「一人で起きれます」
と言って手助けを断ったのだけど、手を差し出してくれたので、私はその人の手を借りて起き上がった。
いえここで遠慮するのも失礼だし、それにこの人の身体が盾になってくれたから、聖殿長に顔見られないのも丁度よかったのよ。
私は立ち上がりながら、紐を持った手を後ろにさりげなく伸ばしてアメリに待てとサインを送る。おそらくこれでジオツキーとブロディンも待機するはずよ。
「あの…、ありがとうございました!」
「怪我は無いのか…? 本当に?」
あの階段を転げ落ちて大丈夫なわけないわよね。怪訝そうにその人に尋ねられてしまった。
「ほ、本当に大丈夫なんです。御心配には及びません! どうもありがとうございました!」
助けてくれた人、顔も見ずにごめんなさい。
ここで顔を上げるわけにはいかないので、どうか許してください。
心でお詫びしまくって、私はひたすら下を向いていた。
「し、失礼いたしました!」
せめてもと丁寧にその人と聖殿長に向かってスカートを少し持ち上げカーテシーをすると、一気に今落ちた階段を駆け昇った。
落ちるのは一瞬でも、恥ずかしさの中で昇る階段はやたらと長く感じたわ。
階段って遮るものが無いので、会場の視線を一心に集めているのがわかった。……もう耳まで真っ赤になっちゃったわ。
しばらくすると、ホール内は何事もなかったかのようにざわざわと元に戻っていった。
私は泣いている男の子に蝶を渡してあげた。
心配したアメリ、ジオツキー、ブロディンが私のもとへ駆け寄ってきて、各々に私の無事を確認するとハグしてくれた。
――――そんな私たちの様子を 不思議そうにじっと見上げている人物がいたなんて。
この時の私には、知る由も無かった――――――――
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次回、第13話「作戦会議」 (全19回)