10 ユージュ様とのひととき
夕食が済んでから、私はユージュ様に誘われて屋敷内のギャラリーでお茶をご一緒することになった。
ギャラリーには、湖水地方出身の有名画家の作品やウフダム家の人々の肖像画がいくつも飾られていた。この湖水地方とウフダム家の長い歴史を感じさせる趣のある部屋だった。
ユージュ様は人払いをしてから私の向かいに座ると、改まった口調で切り出した。
「フェリカ様、この度は王都から遥々来ていただいたのに、私事に巻き込んでしまって…」
ユージュ様は申し訳なさそうに右手を胸の前に当てて謝辞を述べた。
「本当に申し訳ありません。そして助けて頂けることになって、なんとお礼を申し上げたらよいか…」
私は慌てて持っていたカップをソーサーに戻すと、首を大きく横に振った。
「いいえ、ユージュ様、まだ私なにもしておりませんし……今はそのお気持ちだけ頂戴いたしますわね」
「そして…今日は、大変お恥ずかしいところをお見せしてしまって…」
ユージュ様は目を伏せた。
自分の一番弱い姿を女性に晒してしまったのだから、年上男性としては複雑な心境なのだろうと思うわ。
ユージュ様は胸の内を語った。
「この三年私は何もできませんでした。ただただ亡き父の意志を継ぎ、なんとか領民を守りたいという一心で生きていました。あの男は私を蔑すめば他の者に見向きもしなかったんです……ですから自分さえ標的になっていれば、従者や領民を守れる、と」
「……黒魔術をかけられていれば、誰だってどうすることもできませんわ」
私はユージュ様を直視した。
「ユージュ様はその強い心の火を絶やすこと無く持ち続けて、皆を守ってきたのではありませんか。自分を犠牲にすることも厭わずに。……それはとても辛いことです。…何もできなかったのではないと、私は思いますわ」
私は素直に思ったままを口にした。
するとユージュ様は驚いたように私を見て……そして微笑んだ。
「…ありがとう」
私はその笑顔にちょっとドキドキしてしまった。
薄茶色のやわらかな瞳が、私を見ているんだもの。
そういえば、昨夜、もっとユージュ様とお話ししてみたいと思っていたのだった。
あら、今、私お話ししてるわ!
と急にユージュ様を意識してしまったら、なんだかもう私は平静ではいられなくなってしまった。
な、なんでもいいから、何か話題になるものないかしら…!?
余裕がなくなってしまった私は、焦って部屋の中を見渡した。
すると向こうに置いてあるチェスボードが目に入った。猫足の木製の台に乗っているチェスボードは、白と黒の石材で作られた洒落た造りをしていた。
話題に困っていた私は、思わずチェスに縋ってしまったわ。
「ユージュ様! い、一局いかがですか?」
「いいですね。久しぶりだな。やりましょう」
そう言いながら、ユージュ様はふと私たちの横の壁を見上げた。
「昔、よく父とチェスを楽しんだのですよ」
その壁にはユージュ様の家族の肖像画があった。
ユージュ様のお父様とお母様と、おそらく幼い日のユージュ様。…五歳位だろうか。髪は今より金髪に近い。目の色は今と同じ済んだ薄茶色。頬が桜色でかわいく、年相応にちょっと悪戯っ子な表情に描かれていた。
ユージュ様はチェスのルールに準じて、白と黒のポーンを両手で一つずつ私にわからないように握り込むと、すっと私に差し出した。
「フェリカ様、どちらにしますか?」
私が左を選ぶとユージュ様は手を開いた。白いポーンだった。
「ああ、先手はフェリカ様ですね」
「ええ。 …ユージュ様、私、手加減はいたしませんわよ?」
私がちょっと悪戯顔で言うと、ユージュ様も肖像画の悪戯っ子の面影を見せた。
「フェリカ様、勿論、私もですよ」
チェスを挟むと、なんだか会話もスムーズな気がしたわ。
さあ、会話を楽しもうっと!
…ところが。
負けず嫌いな私は、途中からチェスそのものに夢中になってしまった。そして試合をぐいぐい押し進めた結果、戦局は私のほうが有利に進み……
「チエックメイト!」
と私が見事、勝利を収めた。
わあ、やったわ! 私の勝ちよ!
あっ!!
私、なんでチェスをしてるんだったっけ……?
……思い出した。
会話を楽しむどころかついつい熱くなちゃって……あーもう、私ったらバカバカ!
負けたユージュ様は、じっと私を見て、いつもの優しい笑みを浮かべながら口を開いた。
「フェリカ様、あなたは……王によく似ていらっしゃる」
何を言われるのかと思ったら突然お父様のことだったので、私はびっくりした。
「ち、父にですか…?」
ユージュ様と視線を合わせられなくなった私は、ウフダム一家の肖像画を見上げて視線の行方をごまかした。……あら、肖像画の若かりしウフダム侯爵様は、今のユージュ様とよく似ているわ。
私の外見は母に似ているのよね、でも父に似ているってどういうことなのかしら…と思いながら、肖像画を見つめていた。
「王に拝謁したのはずいぶん前ですが…、トゥステリア王は懐が深く、物怖じせず、決断力のあるお方かと拝察しております。
実は私は、王のそういうところに憧れているんですが。フェリカ様……あなたは王そっくりですね」
ユージュ様のその美しい瞳でまじまじと見つめられて、私は恥ずかしくて、いたたまれなくなってしまい、慌てて視線をずらす……
うわっ肖像画の幼いユージュ様っ!! …こっち側はもう見れないわ。
「は、母に似ているとはよく言われますがっ、ち、父に似ているとは…」
ガチガチになった私を見て、ユージュ様は楽しそうにくっくっと小さく笑う。
「フェリカ様、可愛いところもあるんですね」
か、可愛い…?
わ、私が?
う、………うわ~~~っ!?
私、…今、……何を言われてるの????
も、もう駄目!! む、無理無理無理~~!!!!
心の中で私が頭を抱えて大パニックに陥ったその時、
コンコン!
とノックの音がした。
うわ~、助かったあ~~~!!!
キャシーがお茶のおかわりを持ってきてくれたのだ。
ナイスタイミング!! ありがとうございます、キャシーさん!
「旦那様、夜も更けてまいりましたし、そろそろお開きになさっては? それにお疲れになってはいらっしゃいませんか?」
キャシーが私たち二人を交互に見ながら声をかけてくれたわ。
確かに、今日は昼間大変なことがあったのだ。ユージュ様は心労もあるわよね。
「心配しなくても大丈夫だよ、キャシー。
…でもそうだね、そろそろお開きにしようか」
「そうですね、ユージュ様もよく休んでくださいね? ではまた明日」
自室に戻った私もやっぱり疲れていたのかもしれないわ。アメリが手伝ってくれて寝支度を素早く済ませると、すぐさまベッドに潜り込んだ。消したばかりのシャンデリアがまだ少し明るさを残していた。
「……三年ねえ」
ユージュ様が苦しんできた三年間。
私はと言えば、同じ三年を毎日なんとなく過ごし、人に任せてお相手が見つかるのをただ待っていただけの気がする。
何もしていなかったのは私のほうだわ。
そう思うと自分で自分が堪らなく恥ずかしい。
寝返りを打ちながら、自問自答する……
今の私は前の私と変わってるかな?
変わってるといいな、と思う。
そんなことをつらつら考えているうちに、私は知らないうちに眠りに付いた。
その夜、また夢を見た。
黒霧が渦を巻き、私に近づいてくる。
黒霧? どこかで見たことがある…
ああ、そうだ、ユージュ様に絡みついていたあの霧だ。
私は屋敷の外へと逃げ出した。
だが黒霧は私を逃がさんと延びてきて、身体に巻き付く。
助けてと叫びたいが、喉にも巻き付き声が出ない。
血の如き赤い眼が燃える。
その炎が黒霧を這い、私の身体を焼き尽くそうと燃え上がった。
「フェリカ様! フェリカ様!」
はっと気が付くと、アメリが私の身体をゆすって起こそうとしていた。
「大丈夫ですか? ひどく魘されてましたよ?」
私の心臓は早鐘のように打ち、肩で息をしていた。汗で寝着もびっしょりだったわ。
アメリがカップに水を入れてくれたので、震える手で受け取り一口飲む。
「起こしてくれて助かったわ。ありがとうアメリ」
いいえ、とにっこり笑うアメリを見て、私はほっとした。
「もう大丈夫よ。まだ夜中だから、アメリも寝て? ね?」
「ほんとに大丈夫ですか?」
「うん大丈夫、私も眠いし…、アメリも寝てね?」
アメリには心配させたくないので、私は眠いふりをして寝に行ってもらった。
「それにしても昨日も今日も、嫌な夢を見ちゃったわ」
昼間、黒魔術を視てしまったからだろうか?
二日も続けて嫌な夢を見るなんて。
「まさか……もしかして部屋に魔術をかけられたりしていないわよね…?」
私は心配になって、意識を集中して部屋の中に魔術の痕跡がないかどうか探してみた。
両手の指先を胸の前で合わせて目を瞑る。
私は意識を張り巡らせてみる…部屋の隅から隅へ、床から天井、窓、家具、そして今自分が座っているベッド…
その瞬間、私の意識に引っ掛かかるものがあった。
慌てて立ち上がり、急いでベッドを確認した。
「あった…! これだわ」
一見綺麗なドライフラワーのような一輪の花が、マットレスの下にひっそりと挿まれていた。
私はこれを知っている。
夢待花だ。
魔術で生み出すこの花は、良い夢を見たいときにベッドに入れるまじない花だ。子供の頃、よく遊びでベッドに入れては寝付いたものだった。だけどそれは可憐な花を咲かせている時だけ。枯れてしまうと悪い夢がやってくるので、翌朝にはすぐ捨てるよう言われていたわ。
私のマットレスに隠されていた夢待花は、あえて劣化させた魔術の痕跡もあった。
昨日今日の悪夢は、これの仕業だったのね。
気づかれないために、黒魔術ではない聖魔術を使ってあった。
勿論、こんなことをやったのは一人しかいない。
「よっぽど、私が邪魔なのね」
私は負けず嫌いなのよ?
邪魔者上等!
売られた喧嘩は買いますわよ?
私は本来の可憐な姿を失ってしまった夢待花を凝視した。
ウフダム侯爵家も、こんなことがなければ穏やかな生活が続くはずだった。
彼らの平和を奪ったのは、ノートルだ。
「ウフダム侯爵家から見たら、あなたこそが邪魔者よ」
真夜中のしんと静まる部屋の中、私の奥歯がぎりりと鳴った。
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