1 フェリカ王女の日常
お読みいただきどうもありがとうございます。
本作は、【王女なのに婚活に苦労してまして。~このたび、会いたくなかった騎士と運命の出会いをしているようですが、それとは別件で歌劇場の殿下のために事件解決奮闘します!~(釣書姫シリーズ②)】の過去編になります。
釣書姫シリーズ②を先に読まれた方は、本作は会話率や物語のスピード感は異なりますが(^-^; もしよろしければお楽しみくださいませ♪
(本作は連載当初、ハイファンタジージャンルでしたが、なろうの傾向に従って、完結後に異世界恋愛ジャンルへ引っ越しました)
「どうかあなたのお名前を教えてください…! 今日会ったばかりだというのに、私の心はもうこんなにも、あなたに夢中になっているのです…!」
その素敵な男性は瞳を輝かせながら、私の手をそっと握り囁いた。
夜会で賑わうホールの喧騒から逃れてきた私たちは、今、バルコニーでお互いの距離を近づけようとしていた。
恋に落ちるってこういうことなのよね……!
私は悦びと手を握られた恥ずかしさで胸をときめかせ、思わず目を伏せた。
頬が紅潮していくのを感じる一方で、頭の中では冷静な声がする。
ここですぐに名前を答えてはダメ。ちょっと焦らすのよ!
深く息を吸ってから、私も囁いた。
「……私も、会ったばかりの貴殿に心を奪われてしまったようですわ」
それを聞いた彼の表情が嬉しそうになったところで、手をそっと握り返す。
うん、いつも通り順調ね。
だいたい、ここまではいつも順調なのよ。
なんとか会話を引き延ばして、もうちょっと名前は後回しにしたいわ……
と考えを巡らせていると、彼の想いの募った声が聞こえてきた。
「どうか、あなたのお名前を…!」
……やっぱり、知りたいわよねえ? …私の名前。
できれば言いたくないけれど、そうもいかないし。いつかは名乗らなきゃいけないものだし……
私は毎回、これが本当に嫌なのだけど。
え~い、仕方がないっ。
覚悟を決めた!
そしてせめてもと、自分史上最高の笑顔をにっこりと作ってから、可愛らしく名乗ってみた。
「フェリカ・ビオレット・ディ・アルタヴィラ=トゥステリアですわ」
その瞬間。
空気が凍った。
空気だけでなく、彼の顔も氷河期の如く凍ってしまった。
さっきまでの嬉しそうな表情は、欠片も見当たらない。
彼は血相を変えて私の手を力いっぱい振りほどくと、確実に大きく五歩以上後退して私との距離を取った。
勢いよく手を振りほどかれた私は、よろめいて膝を着きそうになったけど、なんとかヒールの踵を踏ん張って持ちこたえたわ。
そして彼の様子をうかがった。
すると、ぶるぶる震えた指先を私の顔へ向けていた。
指先を人の顔に向けるなんて、ちょっと…失礼よね?
「フェリカ…トゥステリア…? お、おまえが、あのトゥステリア王国のフェリカ姫、……『釣書姫』か!!」
……その渾名、ここで面と向かって本人に言っちゃいます?
おまえ呼ばわりも気になりつつ、私は急に変わった彼の態度を唖然と見つめた。
「し、死神め…」
彼は蒼白になりながら呻いた。
え? 死神?
「俺は……まだ死にたくない……」
ガタガタ震える彼。
「お、お願いだから、ち、近づかないでくれ~~~~~~~~っ!!!!!」
喉の奥から絶叫してじりじり後退ると、私と恋に落ちる筈だった男性は、脱兎のごとくバルコニーから逃げて行った。
……その小さくなっていく背中を見送りながら、ぽつんと一人取り残された私は、はあああっと深~い溜息をつく。
…………また、振られてしまったわ………
いつも、こうなのだ。
「まぁ、こっちだって失礼男は願い下げだけど?」
と口を尖らせ、小声で言い返す。
私はさらに深~い溜息をつくと、バルコニーの手摺りに背中をあずけて夜空を見上げた。
こういう日に限って、夜空にくっきりと浮かぶ黄金色の満月はとても綺麗で、なんだか恨めしい。
満月は、私の味方じゃなかったのかしら?
あと確か、死神とか言われたわよね?
なんで私がそんなこと言われなきゃならないのよお、と思うとモヤモヤした気持ちが溢れてくる。
私は、なにもしていないのに…!
「もうっ! 私が一体全体、何をしたって言うのよ~~~~~~っ!!!!!」
私は満月に向かって、人目があるから心の中でだったけど、失礼男に負けまいとお腹の底から絶叫した。
「はぁっ…」
夜会を退散した私は、帰国する馬車の中で、もう何度目かわからない溜息をついた。
「もうフェリカ様ったら、らしくないですよ! 元気出してくださいよお!」
侍女のアメリが、いつもの抑揚ある元気な声を一層張り上げて、明るく励ましてくれる。
斜向かいに座っていた彼女は、その小柄な体を身軽に移動させ、私の隣に座ると背中を優しくぽんぽんとたたいてくれた。耳の辺りで結わえたブルネットのツインテールが揺れる。
「振られるなんていつものことじゃないですかあ? そう考えたらどうってことないですよ!」
ぶすっ。
私のガラスのハートに、矢が……
「次の人に期待しましょうよ? 次ですよっ、次っ!」
……ねえ、アメリ、全然フォローになってないわよ?
それにそんなにコロッと、気持ち切り替えられないって。
まあこの本音がついつい出ちゃうところが、アメリなのだけど。
良く言えば嘘がつけない正直者。そう俗にいう天然っ子なのよ……あらコホン。
アメリは落ち込む私の気持ちをなんとかしようと、宥めることを一旦切り上げた。
息を深く吸って背筋をピンと伸ばし両手を腰に当てると、私の眼をその茶色の団栗眼でぐっと見上げる。
「いいですかフェリカ様! その男はフェリカ様の素晴らしさが全然わかってないんですよ!」
アメリは、主人同様、失礼男に対して怒りを顕わにする。
「見る目が無い男なんて、こっちから願い下げなんですよ!」
それ、私も同じこと言った! さすがアメリ、私の侍女!
「そんな男、気にするだけ時間の無駄です!」
パチパチパチ!
なんかかっこいいわ、アメリ。
かっこいいアメリは、私に向けたその強い視線をすうっと横に滑らせると、今度は遠い目になって話し始めた。
「……思い起こせば、私が十歳、フェリカ様が十三歳の時です」
うわっ、始まっちゃった! アメリの十八番話。
この話を何回聞いたことか。
私は、私を励まそうとするこの話の展開を知っているので、首を竦めながらそっとポケットのハンカチーフに手を伸ばした。
「初めてお仕えしたあの日のことを私は一生忘れることは無いでしょう」
アメリはうっとりと両手を胸の前で組む。
「あの時、中庭で凛と佇むフェリカ様は、愛犬のバウちゃんを大事そうに抱っこしていらして」
うんうん、シャンプー嫌いのバウが脱走したのを追いかけて、なんとか捕まえて逃げないように、しっかり押さえこんでいたときね。
「長いウエーブの金茶色の御髪がしっとり輝いて美しく」
バウが暴れるから、私までびっしょり濡れちゃったのよねえ。
「その明碧色の美しい瞳でバウちゃんを優しく見つめていらっしゃいました」
いや、暴れるバウを目力でもって、おとなしくさせていただけなのよ?
「私が初めてご挨拶申し上げると、緊張する私をほぐそうとあれこれ話しかけてくださって。自分は末っ子だから、私を妹のように思えて嬉しいともおっしゃってくださいました」
はい、それ本当。
あの時のアメリは緊張でちょっと震えていて、でも私を見上げる真直ぐで真ん丸な眼がとても可愛くて。妹がいたらこんな感じなのかしら、私が守ってあげなくちゃって思ったのよね。
「フェリカ様は私たち従者に同じ目線で語りかけてくださいますし、私の家族までもいつもお心にとめてくださっておられます。このような心根のご主人様は他にいらっしゃいません!」
これはトゥステリア国王一家の家憲の影響もあるかもしれない。民と心を共にせよという一文があり、幼い頃よりそれを学んできた私は、一人一人の声を傾聴し真摯に向かい合うよう心掛けているの。
まあアメリは、私以外の人に仕えたことは無いのだけどねえ。
でもそう言ってくれて嬉しいわ、ありがとう、アメリ。
「あれから長~くお傍に仕えさせていただいて、フェリカ様のことをずっと見守って参りましたから、どんなにフェリカ様が素晴らしい方かは私が一番存じ上げているつもりです」
そろそろ、かな? と私はポケットに入れたままの手を準備する。
「こんなに見目もお心も魅力的な方なのに、……婚約者は皆さん次々に死んじゃうし……なかなかお見合い相手は見つからないし……釣書姫なんて不名誉な渾名をつけられて、おまけにさっきは死神なんて言われて……! 私はもう、悔しくて悔しくて……!」
途中から涙声になっていたアメリが堪えきれずわっと泣き出したので、私は間髪入れずに、
「アメリ、婚約者は二人だけなんだからね!」
とさりげなく訂正して、先刻から手で掴んでおいたハンカチーフを差し出した。
アメリがこんなに私のことを想ってくれるのは嬉しいけれど、最後はいつも微妙な気持ちになるのよねえ、この話。
可愛い妹分のためにも、あんまり溜息ばかりついてもいられないわ、と私は気持ちをポジティブに保つべく、頑張らなくてはならないのだった。
はじめまして!
あき伽耶です(^^)
星の数ある作品のなかから、本作をお読みいただきましてどうもありがとうございます。
本作は著者の処女作のため至らぬ点が多々ありますが、ありがたいことにレビューを複数頂いてます<(_ _)> ので、お付き合いいただけましたら幸いです。
それでは、フェリカ王女と従者たちのお見合いと冒険の物語、どうぞお楽しみください!
次回第2話「ことのはじまり」(全19回)