91.パーティーの始まり
サムフォード男爵家にはない豪勢な壁飾りに、レインは気圧されている。
「いよいよ、だな」
いつも以上に念入りに化粧を施され、淡い黄色のドレスを着たキャロラインが、燕尾服を着たレインを見上げる。
緊張した面持ちのレインが、眉を下げてキャロラインを見た。
「キャルは……緊張していないみたいですね」
「していないわけではない。でも、楽しみな気持ちの方が強いな」
「楽しみ……ですか?」
レインが首を傾げる。
「今日は、我々の婚約パーティーだ。他のことについては、オマケだからな」
肩をすくめるキャロラインに、レインが、ふ、と口元を緩める。
「我々の婚約パーティー以上に、重要な出来事が起こりそうなのに、オマケと言い切れるキャルは、大物ですね」
「我々の婚約の方が重要だろう?」
目を細めるキャロラインに、レインは目じりを下げて微笑む。
「そうですね。私たちは、私たちのやるべきことを全うしましょう」
「ああ」
キャロラインが微笑んで頷いた。
「我が家であれば、もう少し緊張もしなかったのかもしれませんが……」
レインが苦笑して頭をかく。
「シルフィー様のおかげで招待客の数が増えてしまったし、それに、大人数となれば、警備はこちらの方がやりやすい。仕方あるまい。でも、クォーレ公爵家は敵地ではないから、その分安心はできるだろう?」
キャロラインの言い分に、レインが笑う。
「流石に、義理の両親の家が敵地だと困りますからね」
「父上も母上も、レインのことは歓迎している。大丈夫だ」
「そうですね。ありがたいことです」
レインが大きく頷く。
「私だって……」
もぞもぞとキャロラインが呟く言葉に、レインが首を傾げる。
「何か言いましたか?」
ジロリとレインを見たキャロラインが、首を横にふる。
「いや、何でもない」
何か言いたげなキャロラインに、レインはクスリと笑うと、ふと、笑みを消した。
「……ミアは、大丈夫でしょうか?」
キャロラインもムッとした表情を解除して、困ったように目を伏せた。
「今日はジョシアが婚約者としてずっとそばについているんだ。……大丈夫、と思うしかないだろうな。何しろ、我々も挨拶がある。ずっとミアの側にいるわけにも行かないわけだし」
「アイザックのことはただでさえ許せそうもないのに、更にミアにトラウマまで植え付けてしまって、本当に迷惑な人間ですね」
はぁ、とレインがため息を付く。
「そうだな。だが、まだ2か月しか経っていないから……救いは……ジョシアだけは大丈夫だってことだな」
「ですね。すいません、折角のパーティーの前に、暗い話をしてしまって」
レインの言葉に、キャロラインが首を振る。
「私にとっても、大事な妹だからな」
「ありがとう、キャル」
レインが微笑むと、キャロラインが頷く。
「レイン様、キャロライン様、そろそろお時間です。公爵様が参りますので、お待ちください」
二人にクォーレ公爵家の使用人が声を掛けてくる。
「さて、そろそろ我々の出番だな」
決意を含むキャロラインの言葉に、レインも頷く。
「はい」
その表情には、迷いはなかった。
*
クォーレ公爵家の大広間を、ミアはぐるりと見回す。
「ミア様、大丈夫ですか?」
心配そうにミアの顔を覗き込むジョシアに、ミアはニコリと微笑むと、組んだ腕に入った力を抜いた。
「大丈夫。私はお兄様とキャルお姉さまを見届けるだけでいいわけですし」
「今日は私も側におりますので……頼ってくださいね」
「ええ。ありがとう」
ミアが頷くと、ジョシアは少しだけホッと息をついて、背を伸ばす。
「フィリップ殿下とミイファ様の奥に、ルイ殿下がいますね」
ジョシアの言葉に、ミアの視線が動く。
「そうね。いらっしゃったのね。……ルイ殿下と話しているのは……カルタット公爵と……エリオス様ね」
「エリオス・カルタット公爵令息ですか。確か嫡男でしたね」
ジョシアの呟きに、ミアが頷く。
「本当に、今日は王国中の殆どの貴族が集まったんじゃなくて?」
「そうですね。これほどまで人の多いパーティーに参加者として参加することがあるとは、思いませんでしたけど」
ジョシアが肩をすくめる。
「ミア様」
ミアはその声にすぐに振り向く。
「シルフィー様。本日はありがとうございます」
ミアとジョシアが礼を取ると、シルフィーも同じように礼を取る。腕をほどいたミアの体を支えるように、ジョシアがミアの背中に手を添える。
「本日はお招きいただいてありがとうございます。サムフォード男爵の婚約と、お店の再興を同時にお祝いできるなんて、素敵な日ね」
ニコリと笑うシルフィーには、他の目的があるようにはミアには見えなかった。きっと誰が見ても、これから何かを企んでいるようには見えないだろう。
「シルフィー様……」
ミアが少し視線を揺らすと、シルフィーがニコリと微笑む。
「ミア様大丈夫よ。キャロライン様だって、この婚約を喜んでいるんですから」
ヒソヒソと周りで聞こえてきた声に、ミアが姿勢を正す。ミアとジョシアだけであればそれほど視線を集めることもないが、シルフィーも一緒となると、当然視線を集めることになる。そもそも公爵家令嬢であるし、それに何しろ、婚約破棄をした相手であるフィリップや、恋敵であったミイファもこの会場にいるのだ。
「シルフィー様、キャルお姉さまのことで心配しているわけではないんですのよ。お兄様は人前に出るようなことは初めてですから……」
ミアは当たり障りのない理由をつけて微笑み返す。
「ご兄弟仲が良くていらっしゃるのね」
「そう……かしら? 普通ではなくて?」
「そうでもない方も多いわ。お二人が兄弟仲が良くてらしたから、きっとサムフォード家のお店を再興することもできたんだと思いますわ」
シルフィーの優しい笑みに、ミアが嬉しそうにほほ笑む。
「ありがとうございます」
「今日は嬉しいことばかりね。私、本当に心からキャロライン様をお祝いできることを楽しみにしてきたのよ」
「キャルお姉さまが喜びますわ」
「喜んでくれるかしら」
ウィンクするシルフィーに、ミアは苦笑する。
「嫌な顔をするとしたら、きっと照れているんだと思います。キャルお姉さま……案外照れ屋ですから」
「そうね」
ふふふ、と二人が微笑むのを、ジョシアが苦笑して聞いている。
シルフィーはジョシアに視線を向ける。
「ミア様はきっと緊張していらっしゃるから、助けて差し上げて」
「はい」
ジョシアがしっかりと頷くと、シルフィーは満足したように頷いて、またミアに視線を向ける。
「お手紙にも書いたけれど、レディー・フィルの本は読みまして?」
シルフィーの言葉に、ミアが間髪置かず頷いた。
「ええ。読みましたわ。新しい本も、とても素晴らしい本だったわ。呪いの宝石って、何だか怖くて。オレンジ色の宝石なんてあまり見ないけれど、本当にあったら怖いですわね」
シルフィーがニコリと笑う。数週間前、レディー・フィルの新刊が出た。今までと違って謎解き調のその本は、オレンジ色の宝石がキーポイントになる仕掛けで、その呪われた宝石によって、人が亡くなるような描写があったことで、王都ではオレンジに近しい色の宝石が売れなくなったと言われるくらいだった。
「私も、良い本だと思ったわ。それでは、今日は楽しませていただくわ」
軽く礼をとると、シルフィーは人ごみに紛れていく。
シルフィーの背中を追っていたミアが、ジョシアを見上げる。
「シルフィー様、本当に喜んでくださっているのね」
「そうですね。嬉しいことです」
ジョシアも口元を緩めて頷く。
「ミア嬢、お久しぶりです」
後ろからの男性の声に、ミアがビクリとなり、無意識にジョシアの腕にすがる。ジョシアはミアの腰を抱くと、ミアが後ろを振り向くのを誘導する。
「……あ、ミカルノ様。お久しぶりですわ。アイル様も、ごきげんよう」
柔らかな表情のミカルノの隣には、ちょっと澄ましたアイルもいて、ミアは変わらない二人に微笑んだ。
ミアの表情が緊張した面持ちから笑顔に変わるのを、ジョシアが心配そうに横目で見ていた。
「本日はおめでとうございます。レイン殿の婚約も嬉しいですが、サムフォード家の事業が本格的に再開されることになって、本当に嬉しいと思いますよ」
ミカルノが力を込めて告げる。
「ありがとうございます」
ミアが頷くと、アイルが心配そうにミアに顔を寄せる。
「あの石をつけていらっしゃる令嬢を先ほど見かけたわ。近くで他の令嬢と、あの本の話をしていたら、気まずそうにしていたから……もう使わなくなるかもしれないけれど」
アイルの言葉に、ミアが小さく頷く。
「ありがとうございます、アイル様」
「いいのよ。私の嫌味も、たまには役に立つでしょう?」
ニコリと微笑むアイルたちには、あのオレンジの宝石のことを説明してある。無論、アイルたちだけではなく、ミアたちは信頼できると思っている相手すべてに協力を依頼している。
それは、シルフィーも同じで、だからこそ、タイミングよくレディー・フィルの新刊が出たのだと、ミア達は思っている。
「皆さま、お待たせいたしました。本日のパーティーの主役である、レイン・サムフォード男爵とキャロライン・クォーレ公爵令嬢が参ります」
大広間に響いた声に、ミアもジョシアも、周りの視線も、大広間の入口に向かう。




