9.魔王の魔法
「で、どういう意味だ、レイン」
キャロラインの視線がレインに向く。レインは、天井を眺めていたかと思うと、あ、と声を漏らした。
「言葉でいじめられるのが好きってことです」
なるほど、と思ったのは、ミアとジョシアだ。確かに間違ってはいないだろう。
「……なるほどな。アイル嬢は……口が悪い」
キャロラインも納得した顔をして頷いた。わしゃわしゃとカルロが被害を受けている。とりあえず三人はホッとする。
「……まあ、それは良いんだがな。ジョシア」
それはいい、と手を止めたキャロラインの矛先が自分に向かってきたことにジョシアが小さく首をかしげる。
「何でしょうか、キャロライン様」
「お前が吹聴しないでいるせいで、ミアとの婚約の話が広がらないではないか」
「キャロライン様、お言葉ですが、ミア様との婚約の話は形の上ですので、吹聴して回ると、今後ミア様が困ることになります」
キャロラインはジョシアの言い訳にふん、と鼻で笑う。
「あの男の方が『自分の方が婚約者だ』と吹聴して回っては、意味がないだろう。ほら、今すぐ街中に言って『私がミアの婚約者です』と叫んで来い」
「キャロライン様。それは無茶と言うものです」
「知るか。お前はあの男に好きなように言われていいのか?!」
「あの、キャロライン様」
キャロラインとジョシアの会話に割って入ったのは、ミアだ。
「何だ、ミア。ミアもやっぱりそう思うだろう?」
ミアは苦笑して口を開いた。
「アイザックが私との婚約の話を吹聴していたのは、半年以上前の話ですから」
「……半年以上前から、今でも言っているだろう?」
キャロラインが首をひねると、ミアは首を横にふった。
「その話は、本当に半年以上前の話で、その時にはお父様がきっぱりと断ってなかったことになった話だったんです。ですから、アイザックが半年以上前に私と結婚すると断定的に話したというのは、おかしい話なんです」
「……そうなのか?」
キャロラインがレインを見る。レインも頷く。
「父上は迷うことなく断っていましたから、婚約者にもなれていません。それなのに結婚すると断定的に話すなど、おかしな話です」
「あの男は、ひどく自信屋だった。断られるとは思わなかったんじゃないのか?」
うーん、とミアとレインは顔を見合わせた。
「そうかもしれませんけど……」
「それならば、ありうるかもしれないけど……」
腑に落ちない表情で、二人は言葉を濁した。
「ダイアン伯爵の名前が出たのが、腑に落ちないのか?」
キャロラインの指摘に、ミアとレインがハッとする。ミアがレインを見て、レインがコクリと頷いた。
「ダイアン伯爵が喜んでいた、という点が腑に落ちないのかもしれません。我が家とグルグガン商会の繋がりができることが、ダイアン伯爵にとって特段利がある訳でもありませんし……」
うむ、とキャロラインが口元に手を当てた。
「普通に、祝い事を喜ばれただけではないんですか?」
ジョシアが首をかしげる。
「……ええ、妙に気になっただけで……おかしいところは何も」
レインが首を振る。ミアもゆっくりと頷いた。
「グルグガン商会とサムフォード男爵家に繋がりが出来ると、ダイアン伯爵にとっての莫大な利益になりうるとしたら?」
キャロラインの落とした爆弾に、ミアもレインも固まる。
「キャロライン様! 滅多なことをおっしゃらないでください! ダイアン伯爵家は、由緒ある家柄ですよ!」
ジョシアがキャロラインを叱ると、キャロラインが肩をすくめる。
アルフォット王国は、クォーレ家やカルタット家のような3大公爵家と、古くからある侯爵家、伯爵家は由緒ある家柄で構成されている。それに対して、子爵家男爵家は、振興の貴族も混じる。サムフォード家も何代かには渡っているものの、新興貴族としてまとめられている。
「だがな、ジョシア。ダイアン伯爵家の領地は疲弊していたじゃないか。何か利益を求めていたとしてもおかしくないだろう?」
ジョシアが気まずそうに目を泳がす。どうやら、実際に目にしたらしい。
「……あの、どうしてキャロライン様が、ダイアン伯爵家の領地のことをご存じなんです?」
ミアの疑問は最もだった。
「それは、ダイアン伯爵家の領地を通ったからだろうな。我が家の持つ領地は、あちら側から行った方が近道だ」
キャロラインの答えに、ミアもレインも首を傾げた。
「近道、ですか?」
ミアは戸惑っている。
「……お言葉ですが、キャロライン様。確かに地図上では近道に見えますが、実際にあの間には深い谷がありますよね?」
ミアとレインが思い浮かべた国内の地図には、キャロラインの言っていると思われるルートには深い谷があることが記されている。少なくとも馬車でも徒歩でも行けそうにはない。
「浮けばいいだろう?」
こともなげに告げたキャロラインに、ミアとレインは固まる。
「なあ、ジョシア?」
キャロラインに視線を向けられて、ジョシアが渋々と頷いた。
「飛ぶ馬車、というものを体験するとは思いもしませんでした」
「……キャロライン様、一体どうやったらそんなことが出来るんですか?」
レインの疑問は、素朴な疑問だった。少なくとも、レインにはそんな芸当は出来そうにもなかったし、アルフォット王国でそんな話を聞いたことはなかった。
「どうやったら? ……念じればできるぞ」
キャロラインも不思議そうに首を傾げた。どうやら、できない、ということは理解できないらしい。
「それはきっと、キャロライン様しかできないことではないでしょうか」
「そうかな?」
キャロラインはこともなげに言っているが、間違いなくキャロラインの使った魔法を再現できる人間は、この国にはいないだろう。ミアもレインも想像もできない魔法に、顔を見合わせて苦笑した。
あ、とミアはあることを思い出して口を開く。
「ところで、キャロライン様。ダイアン伯爵家の領地は、それほど貧しかったんですか?」
「そうだな。人々もやつれて覇気がなかったが……土が痩せていた。あれでは大した食料が作れないだろうな。だったよな、ジョシア」
「ええ。実りのある作物も、ひどく弱弱しかったです」
どうやらダイアン伯爵家領の窮状は本当のようだ。
「……ダイアン伯爵は、社交の場では領地は肥沃だと話しておられましたが……それに、ダイアン伯爵の羽振りはいいと、もっぱらの噂ですよ?」
ミアの言葉に、キャロラインが首を横にふった。
「あれで肥沃だとは、到底言えぬだろう」
「街道に面した土地は、実りが良いと感じましたが、谷を越えた辺りの土地を始めとする、人があまり行き交わない土地は、実りの乏しいものでしたよ」
ジョシアも頷く。
「実際にダイアン伯爵家の領地を通った人々は、口々に領地の豊作さを褒めたたえていましたけど……あれは、見えるところだけを豊かにしているんでしょうか?」
「そうなるだろうな」
ミアの疑問を、あっさりとキャロラインは肯定した。
「でも、それは……領地の窮状を放置している、と言うことになりますよね?」
レインが声を低くする。サムフォード男爵家は新興の男爵家で領地を持たないため、領民も束ねてはいないが、貴族が果たすべき役割については理解しているつもりだ。
「そうなるな」
キャロラインが頷く。
「ダイアン伯爵家の領民の窮状を、国に訴えるべきではありませんか?」
きっぱりとキャロラインを見るレインに、ミアは驚く。
「父上には言った。だが、困ったような顔をされて終わってしまった。ダイアン伯爵家はカルタット公爵家の派閥だ。要らぬ争いになるのは困ると言われた。それに、王家に婚約破棄された私が王家に訴えて話を聞いてくれるものか」
自嘲したようなキャロラインの言葉に、ミアもレインも戸惑う。キャロラインは止めていた手をまた動かしてカルロを撫で始めた。
ミアもレインも、なぐさめるような言葉も、反論する言葉も持ち合わせていなかった。
「どうにか、できないかしら。ダイアン伯爵家の領民が不憫だわ」
それでも、ミアは何とかできないかと考えてしまう。
「あ」
ミアが声を漏らす。
「何だ?」
「どうかしたか?」
「何かありますか?」
3人の視線が、ミアに向かう。
ミアがパチパチと瞬きをした。
「いえ。ダイアン伯爵家の噂が書いてあったのを思い出したの」
「噂?」
キャロラインが首をかしげる。ジョシアもきょとんとした表情をしている。
「ええ、噂。……でも、関係ないわね」
ミアは肩をすくめた。
「どんな噂だ?」
キャロラインの問いに、ミアが笑う。
「いい噂なんです。ダイアン伯爵家の領地から、新しい薬になる薬草が見つかったって話です」
ああ、とレインもキャロラインも肩を落とした。ジョシアも苦笑している。
どう考えても、ダイアン伯爵家を責められるような内容ではない。
「もしかしたら、その新しい薬になる薬草のおかげで、ダイアン伯爵家は潤っているのかもしれん」
気が抜けた様子のキャロラインは、わしゃわしゃとカルロを撫でた。
「そうかもしれませんね」
ミアは領民たちが貧しい暮らしから抜け出せたのだと思いたかった。
「ですが、あのやせ細った領民たちを見てからそんなに時間は経っていませんが」
首を振るジョシアの言葉に、ふむ、とレインが顎に手をやった。
「どういうことなんでしょうか?」
レインの問いに、キャロラインはちらりとレインを見てすぐカルロに視線を向ける。
「どちらにせよ、我々には何もできん」
「町を一つ破壊したと言われているキャロライン様にしては、弱気なことをおっしゃいますね」
レインの挑発的な言葉に、キャロラインがフン、と鼻を鳴らす。
「あれは我が公爵家の領地の話だ。しかも町は破壊していない。場所を変えただけだ」
「キャロライン様には、その溢れる魔力と強い魔法があるではありませんか」
レインの言葉に、キャロラインは呆れたように笑う。
「私の魔法で全てが良くなるのなら、さっさとやっている。私にできるのは転移の魔法と風を操る魔法と、癒す魔法だけだ。風を操る魔法と癒す魔法はレインもできるだろう?」
レインは頷いた後に、首をかしげる。
「どうやって馬車を浮かすのです?」
「風で浮かしたのだ。レインも風の魔法は出来るだろう?」
「えーっと、私を攻撃したのは?」
「それも風の魔法だ」
レインが止まる。
「どうした?」
「あの威力で、風の魔法と言われても、信じ切れないのですが」
「だが、事実だ」
ミアもレインも、思っていたよりもキャロラインが使える魔法の範囲が狭いのに驚いていた。
あ、とミアが声を漏らす。
「では、お茶や料理を魔法で出す、と言っていたのは?」
「それは、クォーレ家の屋敷から転移させればいいだけだろう?」
なるほど、と頷くミアとレインの顔は、明らかに困っていた。本当にそうならなくて良かった、と二人とも思っている。
そしてジョシアは、相変わらずのキャロラインの思考回路に、首を横にふった。山にいるときにもその魔法で食事を調達していたせいで、クォーレ家は異常事態に一時大騒ぎになっていたと聞いている。