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88.新しい舞台

 ミアの姿を視界に入れたジョシアはホッと息をつく。だが、次の瞬間、ミアの恰好に気付いて、グッと拳を握りしめる。

「ミア様……失礼します」

 ジョシアは浮かんだミアを抱きかかえると、そっと切り裂かれたミアのドレスを素早く重ね合わせた。ミアは自分の恰好を思い出して、目を伏せる。その仕草に、ジョシアは怒りの視線をアイザックに向ける。


 体が浮いたままのアイザックは、現れたジョシアを睨みつける。そして次の瞬間、ニヤリと笑う。

「悪いな。ミアは傷物になったんだよ」

 ギリリ、とジョシアが奥歯を噛みしめる。だが、ミアを抱きしめているために、ジョシアはアイザックに攻撃を繰り出せずにいた。

「嘘よ! 何も、何もなかったわ!」

 ミアがジョシアに訴える。必死なミアの言葉に、ジョシアは細く息を吐くと、頷いた。


「さて、どうかなぁ」

 おちょくるようなアイザックの言葉に、ジョシアは冷たい視線を向ける。

「黙れ」 

 そしてジョシアは、自分の手に触れる冷たい感覚に気付く。

「ミア様! けがをされているんではありませんか?」

 ミアは青ざめた顔で、力なく笑うと首を横にふる。

「ジョシアさん、私よりも、子供たちを助けてあげて。アイザックたちが、魔法を使える子供たちを、悪用するために閉じ込めていたの!」


「はぁ? 俺は、死にそうだった子供を助けただけだ。その代わりに魔法で俺を手助けしてくれただけだ」

「嘘よ! あの子たちは、アイザックに暴力を振るわれて、恐怖で逃げられなくなっていたの。しかも、カルタット公爵のために魔法を練習させられていたのよ」

 ミアが必死で首を振る。

「だからどうした。俺は命の恩人だ。助けた駒をどう使おうと、俺の勝手だろう? 魔法が使えるなら、存分に役立ってもらうだけだ」

 アイザックの言葉に、ミアもジョシアも侮蔑の視線を向ける。


 カラン、と床で音がした後、アイザックの首元に、先ほど手を離したナイフが突きつけられる。

「なっ」

 浮かんだまま振り向いたアイザックの視界に、ローブを被ったキャロラインが入る。

「なるほど、腹が立つとは、こういうことか。ミアを見付けられたのを喜ぶ気分が害されるな」

 キャロラインの掴んだナイフが、ピタリ、とアイザックの首元につけられる。さっきまで、余裕のああったアイザックの表情が少し引きつる。

「キャロライン様、そんな男はどうでもいいですから、ミア様の手当てを!」

 だが、アイザックを睨みつけたままのキャロラインには、怒りのためかジョシアの声は聞こえていないようだった。


「クォーレ公爵家のお姫様が、人を殺すのは不味いんじゃないのか?!」

 アイザックは、人の気持ちを逆なでするように笑う。

「キャロライン様!」

 ジョシアが再び名前を呼ぶが、キャロラインはアイザックしか目に入っていないようだった。

「先ほどの衝撃の末、不幸な事故で亡くなった、というのはあり得るだろうな」

 淡々と告げるキャロラインに、アイザックが表情をこわばらせる。

「いいか。魔法は、悪用するためにあるんじゃない。人を助けるためにあるんだ」

 キャロラインの言葉は真剣だった。


「人を助ける?! 魔王と呼ばれるお前に言われたくない! お前だって自分の都合のいいように悪用してるだろうが!」

 アイザックの罵倒に、キャロラインが目を細める。

「救いようがないな」

「キャル!」

 気が付くと部屋の中に舞っていた粉塵は落ち着き、部屋の中は見通せるようになっていた。レインがナイフを持つキャロラインに心配そうに近づいてくる。


「そんな男のことで手を汚すことはありません。もうグルグガン商会はお終いだ。アイザックは、これから罪を問われる。もう、我々の邪魔にはなりません」

 レインの言葉に、キャロラインはふ、と力を抜くと、ナイフを投げ捨てる。カラン、とナイフが床を響かせる。

 アイザックはレインを睨みつけるが、レインはアイザックがいないように振舞って、ミアに近づいていく。

「シュゼット、悪いがこの男を王立騎士団に渡してくれるか?」

 キャロラインがシュゼットに声を掛ける。


「それは構いませんが、この子供たちは……?」

 シュゼットはフィッツたちのところにしゃがみ込んでいる。

「サムフォード家に連れて帰ります」

 ミアの声に、レインが眉を下げる。

「ミア、無事で良かった」

 だが、その表情はすぐに驚愕に代わる。


「ミア、酷いけがをしてるんじゃないのか!?」

「ええ。血を流しているようなんです。早く、手当てを!」

 ジョシアが頷く。

「私は大丈夫よ。お兄様、3人を家に連れて帰っても大丈夫?」

「あ、ああ。それは構わない」

 レインの言葉にミアは安堵の表情を浮かべると、ふ、と意識を手放した。


 *


「ミア様、お加減はいかがかしら?」

 ニコリと部屋に入って来たシルフィーに、ベッドに入ったまま体を起こしているミアは、困ったように微笑む。

「ええ。もう大丈夫ですわ。本当に申し訳ありません。わざわざこんな風にお見舞いに来ていただいて……ケガもすぐ魔法で癒えたので、本当に大丈夫なんですよ?」

「シルフィー様もミアが心配なんだ」

 そう告げたキャロラインにも、ミアは困った視線を向ける。


「キャルお姉様も、ずっとそばにいて下さらなくても大丈夫ですのよ?」

「……いや、私が怒りに我を忘れてなければ、ミアはもっと早く痛みから解放されていたんだ」

 ミアが連れ去られた事件があってから3日。

 キャロラインは怒りに我を忘れて、ミアの手当てが遅れてしまったことを気にしているようで、ほとんどの時間をミアの部屋に来ていた。当然、ジョシアも付き添うことになる。ジョシアはいつも申し訳なさそうな表情をミアに見せるが、キャロラインに意見しようとはしなかった。


「今回、ミア様が巻き込まれたと聞いて、本当に心配だったの」

 シルフィーが頷く。

「ありがとうございます」

 ミアが力なく微笑む。

「それで、キャロライン様から聞いたのだけど、カルタット公爵も今回の事件に噛んでいるようね?」

 シルフィーの言葉に、ミアは困ったようにシルフィーを見る。

「今回の事件、と言いますか……。アイザックは、カルタット公爵のために魔法を使える子供を無理やり監禁していたんです。ですから、直接今回の事件とは関係はしてないと……」


「あら。そうかしら? でも、カルタット公爵がいなければ、ミア様は監禁されることはなかった、とも言えるんじゃないかしら?」

「えーっと……そうではない、とは言い切れませんけれど……」

「いえ、そうよ。下手をすれば、私はミア様を失うところでしたのよ?」

 拳を握って力説するシルフィーに、ミアは首を傾げた。

「えーっと……私を、失う……ですか?」


 なぜシルフィーがそんな風に言うのか、ミアにはさっぱり理解が出来なかった。

 シルフィーは微笑む。

「ええ。私とスカイが結婚するために重要な役割があるミア様を失っていたとしたら、私の損失は計り知れないでしょう?」

 シルフィーの説明に、ミアは困ったように視線を揺らした後、助けを求めるようにキャロラインたちを見る。だが、キャロラインは肩をすくめるだけで、隣にいるジョシアは苦笑しているだけだった。


「あの……シルフィー様。期待していただいているのは十分に分かったんですが……」

「ですから、キャロライン様」

 シルフィーの視線が今度はキャロラインに向く。キャロラインは首を傾ける。

「あの……何が、ですから、なんだ?」

 シルフィーはニッコリと笑う。

「私、カルタット公爵のことが、許せませんの」

「えーっと……そうか……」

 キャロラインが歯切れ悪く告げる。


「あら。キャロライン様は、カルタット公爵のことを、何とも思ってらっしゃらないの?」

 シルフィーが首を傾げる。

「……カルタット公爵が、色々なことの黒幕のようにも思えるからな……何とかしたいとは思うが……。今回のグルグガン商会の捜索でも、カルタット公爵の悪事に繋がるような証拠は得られなかったようだしな……」

 キャロラインが困ったように告げる。実際、グルグガン商会の悪事は暴かれることにはなりそうだが、ダイアン伯爵家の時と同じで、カルタット公爵家には何も影響はなさそうだった。


「私も、ミア様のことがなければ、まだ動くつもりはなかったんですけれど」

 シルフィーの言葉に、3人の視線が集まる。

「あら、どうかしまして?」

「シルフィー様は、カルタット公爵の悪事に繋がる証拠をお持ちですの?」

 ミアが起こしている体をシルフィーに近づける。シルフィーはコクリと頷いた。

「ならば、すぐに王立騎士団に出せばよい」

 キャロラインの言葉に、シルフィーが微笑んで首を横にふる。

「駄目よ。もっと、舞台を整えなきゃ。もう二度と、誰も、ミア様にちょっかい掛けたくなくなるように」


「……舞台?」

 ミアもキャロラインもジョシアも、眉を寄せる。

 シルフィーはニッコリと微笑んだまま頷いた。

「そう。舞台。それで、キャロライン様にお願いがあるんですけれど」

「私に?」

「ええ。キャロライン様に、舞台を貸していただけないかと思って」

 シルフィーの言葉に、キャロラインは首を傾げる。


「……どういう意味だ?」

「キャロライン様とレイン様の婚約パーティーを、舞台としてお借りできないかしら?」

 パチパチ、とキャロラインが瞬きをする。

 ミアとジョシアは、固唾をのんでキャロラインを見つめている。

 一瞬だけ考えるように顎に手をやったキャロラインは、心を決めたようにシルフィーを見る。

「いいぞ」

 ミアとジョシアは驚きで目を見開いた。

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