86.なり損ねのヒーロー
「……そうなのね……じゃあ、あの出口から出るしかないのかしら」
ミアが体を持ち上げて、アイザックが出て行った扉の方向に視線を向ける。
「……あの人、もどってきちゃうんじゃないかな」
不安そうなフィッツの声に、ミアはニコリと笑って見せる。
「大丈夫。あの人は、自分の家に帰ったの。ここから、家までは遠いから、すぐには帰ってこないわよ」
「……本当に、逃げていいのかな?」
ウェイも不安そうに眉を下げる。
「いいのよ。あなたたちは、悪い人に捕まっていただけだから」
「……でも」
フィッツも目を伏せる。
「いい? 三人はここに閉じ込められているだけよ。だから、ここからは逃げるのよ。逃げた後のことは心配しなくても大丈夫だから」
ミアが二人を勇気づけるように力強く告げる。
「でも……カルタット公爵様のために、僕らは魔法の練習をさせられているんだ。カルタット公爵様はえらい人だから、僕らが逃げてもどこまでも追いかけるって……」
フィッツが目に涙を浮かべる。ミアはギリッと奥歯を噛みしめる。
「カルタット公爵のことは、心配しなくて大丈夫。私や、私の家族が、あなたたちを守るわ」
ミアは怒りを見せないように二人に微笑む。
「お姉ちゃんは、公爵様よりえらいの?」
ウェイの言葉に、ミアは首を横にふる。
「私はえらくないわ。でもね、カルタット公爵と同じくらいえらい人が味方になってくれるから、大丈夫。心配しないで」
「本当に?」
フィッツの言葉に、ミアが大きく頷く。
「本当に逃げても大丈夫?」
ウェイが伺うようにミアを見る。
「大丈夫よ。もし大丈夫じゃなかったら、一緒に逃げようなんて言い出さないわ。私を信じてくれるかしら?」
ニッコリ笑うミアに、ウェイとフィッツがおずおずと頷いた。
次の瞬間、ミアが困ったように二人を見る。
「ひとまず、私の縄を解いてくれないかしら?」
ハッとした二人は、フィッツが足の縄に取り掛かると、ウェイがミアの手の縄に取り掛かった。だが、二人の小さな指は縄の上を滑って行く。
「全然ほどけないよ……」
ウェイが泣きそうな声を出す。
「時間はあるから、焦らなくていいわ。何か、縄を切れそうなものはないかしら?」
「……ガラスの破片は?」
フィッツの言葉に、ミアが首を傾げる。
「ガラスの破片が落ちてるの?」
「ううん。瓶があるから、それを割ったら、と思って……だって、ガラスの破片で指は切れちゃうでしょう?」
フィッツの説明に、ミアがコクコクと頷く。だが、その表情は困った表情だ。
「でも、フィッツたちが怪我するんじゃないかしら?」
「でも、それしか方法はないから……」
フィッツがそう言った次の瞬間、ウェイが走り出す。
「兄ちゃん、瓶を割ればいいの?」
「バカ! ウェイはやるんじゃない!」
フィッツがウェイを止める前に、ウェイの持ち上げた瓶が床に飛び散る。
「大丈夫?!」
ミアが体をよじって心配そうにウェイたちを見る。
「大丈夫」
ホッとしたフィッツの声に、ミアもまたホッと息をつく。
「ウェイ、危ないから触るな」
フィッツは手にガラスの破片を持ってミアに近づく。
フィッツがおぼつかない手で、ミアの腕にガラスを縄に擦り付けていく。
「あ、切れて来た!」
ウェイの声が跳ねる。しばらく変化のなかった縄が、繊維がほどけるように少しずつ切れていく。
「切れた!」
フィッツが誇らしげに切れた縄を持ち上げる。
「痛っ!」
次の瞬間、フィッツが顔をしかめて、持っていたガラスの破片を落とす。
「大丈夫?!」
ミアがフィッツの手を掴むと、指から血が出てきていた。
「ちょっと待ってね」
ミアはドレスの裾から縦に服を破る。
「お姉ちゃん、何してるの?!」
驚くウェイに、ミアがニコリと笑う。
「指の血を止めるものを作ってるの」
もう一度ミアはドレスの裾から服を破ると、細長いドレスの生地をフィッツの指に巻いていく。
「私のためにごめんなさいね。ありがとう」
ミアの言葉に、照れたようなフィッツが首を小さく振った。
「うん。これで大丈夫だと思うわ」
ミアはそう言うと、フィッツが落としたガラスの破片を自分でつかむ。
「この足の縄が切れたら、私がレイラちゃんをおんぶするから、みんなで逃げましょう?」
ミアの笑顔に、ウェイとフィッツが大きく頷いた。
ギギー!
耳障りな音を立てて、扉が開く。
「はぁ? お前ら、何してるんだ!」
アイザックの声に、ミアもウェイもフィッツも、目を見開く。
「どうして」
ミアの呟きは、アイザックの乱暴な足音に消し飛ばされた。
「お前らか! 何やってんだ!」
アイザックの手がヒュッと鳴る。フィッツが首をすくめて、ウェイがぎゅっと目をつぶった。
バン! ザザッ。
フィッツをかばう様に体をねじ込んだ、ミアの体が床を滑って行く。
「いっ」
ミアの沈痛な声が薄暗い中に響いた。
「バカだな。こいつらをかばう必要なんてないのに」
アイザックがミアに近づくと、目を細める。
「チッ。ガラスで怪我までしてるのかよ!」
アイザックが後ろを振り返る。
「お前ら、ミアの怪我を治せ」
アイザックの言葉に、ウェイとフィッツが困ったように首を小刻みにふる。
「今は、魔法が使えないから……」
おずおずと告げるフィッツに、アイザックがまた舌打ちをする。
「役立たずめ」
ウェイたちに近づこうとしたアイザックの足を、ミアの手が掴む。
「辞めて!」
「辞めろ」
振り向いたアイザックに、小さく割れたガラス瓶の中に体を突っ込んだミアが、痛みよりも怒りの表情を見せる。
「子供たちを暴力で従わせるなんて間違ってるわ」
「は? 貴族様はおきれいごとが好きだな。と言うか、今は本当にそんなことどうでもいいんだよ! 何で王立騎士団の奴らが、ここにも入って来てるんだ!?」
ミアがハッと息をのむ。
「おかげで俺はここに逃げ込む羽目になっただろう!? くそっ。どうやって逃げればいいんだよ!」
アイザックがミアの手を振り切るように足でけり上げる。
ミアは飛ばされはしなかったものの、その場に突っ伏す。
背を向けたミアのドレスに、沢山の血が滲んでいる。
「魔法もまともに使えないクズどもが!」
アイザックの怒鳴り声に、ミアが体を持ち上げる。
「クズは自分の事でしょう! こんなところに子供たちを閉じ込めて、都合のいいように魔法を使わせようとして!」
キッと睨むミアに、アイザックがイラついたように目を細める。
「夫に向かってクズ呼ばわりとはな」
「アイザックとなんて結婚しないわ!」
「怪我してても、口だけは元気だな。……まあ、ここはあいつらには簡単には見つからないからな。あいつらが帰るまで身を潜めておくか。手始めに……夫婦の営みといくか」
近づいてくるアイザックに、ミアは後ろ手をつく。だが、ガラスの破片がザクリとミアの柔らかな手のひらを貫く。ミアはグッと奥歯を噛みしめて、痛みを我慢すると、じりじりと手を使ってお尻で後ろに下がる。いくつものガラスの破片が痛みを呼び起こしたが、アイザックに触れられるよりは何十倍もマシだった。
だが、ミアの後ろ手が、絶望に突き当たる。もうミアの後ろには壁しかなかった。
アイザックの笑みが深くなる。
「足をはだけて、誘っているんだろう?」
ミアは慌てて、破れた服を手で合わせようとする。が、アイザックに片方の端を靴で押さえられて、はだけた足は隠せそうにもなかった。
「従順な女には飽きてたんだけどね。こんな風に誘われるのも、悪くないな」
「私がアイザックに従順ですって? 何を言っているの?」
ミアは震える手をぎゅっと握りしめると、アイザックを睨みつける。
「ミアが従順でなければ、あのガキたちは、どうなるんだろうなぁ」
顔を近づけて来たアイザックが、耳元でミアをあざ笑う。
ギリッと奥歯を噛みしめたミアは、一瞬だけ目を伏せて、またアイザックを睨みつける。
「あの子たちにこれ以上危害を加えるなんて許さないわ! いいえ。あなたは、すぐに捕まって、罰を受けることになるだけよ!」
ミアの言葉に、クククとアイザックが笑い出す。
「罰ねぇ。逃げきれれば俺の勝ち、だからな。安心しろ。あいつらは殺しはしない。俺……いや、俺たちが逃げるためには、必要な道具だからな」
「あの子たちは道具じゃないわ! それに、あなたのことは、絶対に私の味方が見つけ出すわ!」
「ほぉ。ミアは見られるのが趣味なのか。それはそれは、変わった趣向だな。だが、それもおもしろいかもしれんな」
顔を更に近づけて来たアイザックに、ミアは顔を赤くして、アイザックの頬を叩く。
「人を侮辱するのもいい加減にしなさい!」
打たれた頬に手を添えたアイザックが目を細める。
「侮辱、か。流石貴族様は、プライドが高いと見える」
「プライドとかじゃないわ! あなたがやっていることは、人として最低のことよ!」
アイザックがククク、と喉の奥を鳴らしながら、顔を天井に向けると、首を振った。
「最低ね。では、その言葉、そのまま実行するとするか」
ミアに視線を向けたアイザックは、自分の唇をねっとりと舐める。
ぶるり、とミアは体を震わせて、自分の体を守るように両手で抱きしめた。
「お姉ちゃんをいじめるな!」
ドン、とアイザックの体が揺れる。アイザックの後ろに立つウェイは、倒れもしないアイザックに目を見開く。
「おお、クソガキ。残念だったな。ヒーローにはなり損ねたわけだ」
一瞬のうちに、バン! とウェイの体が宙に飛ぶ。
「「ウェイ!」」
倒れたウェイにフィッツが駆け寄る。ミアは心配そうに視線を送る。フィッツに抱きしめられたウェイが身じろぎして、ミアはホッと息をつく。
「ホッとするのは、早いだろう?」
ニヤニヤと笑みを浮かべたアイザックが、ミアの露わになった足元を、更にあらわにする。
「ロープが邪魔だな」
アイザックはポケットからナイフを取り出すと、ミアの足のロープを引きちぎる。
「さて、お楽しみと行くか」
アイザックの手が、ミアの足首を持つ。ミアは足を動かさないようにぎゅっと力を入れるが、アイザックの力に負けて、くっついていた内股の間に空間が出来ていく。




