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83.罠

「サムフォード家の店の権利を戻したとしても、我々とて、取引先との取引を辞めるわけではないからな!」

 叫ぶウォルターに、レインもキャロラインも首を横にふる。

「……暴利を貪るグルグガン商会と、良心的なサムフォード家、どちらと取引をしたいと思うだろうな」

 首を傾げるキャロラインに、ウォルターの手がぶるぶると震える。

「我が家に着くことで、利益を得る取引先だってあるんだ!」

「……何とでも言えばいいさ」

 キャロラインは興味を失ったように頬杖をついた。その態度に顔を赤くしたウォルターに、レインが眉を下げてキャロラインを見る。キャロラインはレインに首を振っただけだった。


「バカにするのもいい加減にしろ! ……そもそも、こんな交渉をしてきたことを、お前たちは後悔することになるだろうな」

 唐突にトーンを下げたウォルターに、レインもキャロラインも訝しそうにウォルターを見た。

「どういうことですか?」

 レインの問いかけに、顔の赤みが少し引いたウォルターが、ニヤニヤと笑う。

「さあな。私は知らん」

「知っているから、そんなことを言うんだろう?」

「結局、サムフォード家は、店の権利をグルグガン商会に渡すしかなくなるさ」

 ウォルターの言葉に、レインもキャロラインも眉を寄せる。ジョシアも厳しい表情を更に引き締める。


「どういうことだ?」

 キャロラインの問いかけに、ウォルターは余裕を取り戻した表情で肩をすくめた。

「さて、今日の用事はこれだけかな?」

「ウォルター殿、どういうことか、説明してくれないかな」

 キャロラインが、ウォルターの座るソファーを少し浮かす。ウォルターはソファーにしがみつくと、首をブンブンとふる。

「知らないと言っているだろう! 私が知ってるのは、お前たちが後悔するということだけだ」

 ソファーを先ほどと同じように上に上げても、ウォルターはそう叫ぶだけだった。埒のあきそうにないウォルターの態度に、レインとキャロラインは顔を見合わせて首を横にふった。そして、二人はウォルターに視線を戻す。


「一体何を考えているのかはわからないですが、後悔するのは、貴方の方ですよ。ウォルター殿」

「ハッ。何を言い出すのやら。後悔するのは、お前たちの方だ」

「間違いなく、後悔するのは、自分のしでかしたことにだ」

 キャロラインがジョシアを振り返る。ジョシアは頷くと、応接間の窓に近寄ると手を挙げた。

「一体、何だ?!」

 ジョシアを視線で追ったウォルターがゆらゆら揺れるソファーにしがみつきながら叫ぶ。

「ウォルター様!」

 同じようにジョシアを追って窓の外に視線を向けていた護衛と使用人たちが、一斉にウォルターを見る。

「何だ? どうかしたのか?」

「王立騎士団が、屋敷を取り囲んでおります!」


 使用人の声に、ウォルターが目を見開いた。

「王立騎士団だと!? どういうことだ?!」

 また使用人たちの叫び声が応接間に響く。キャロラインが逃げられないように使用人たちを浮かせたらしい。

 応接間の外も騒がしくなる。王立騎士団がグルグガン商会の屋敷の中に入って来たらしい。

 ウォルターの視線がレインとキャロラインに向く。ウォルターと目のあったレインが口を開いた。

「王立騎士団に捕まるようなことを、グルグガン商会がしているからでしょうね」

「どこに証拠が!?」

 ウォルターの言葉に、キャロラインがクククと笑う。


「あの小屋を燃やして、証拠隠滅した気持ちでいるのなら、阿呆だな」

「何だと?!」

「あの小屋の中にあったものは、既に王立騎士団の手の中だ。地下にあったものもな」

 キャロラインの言葉に、ウォルターがソファーから身を乗り出す。

「何でだ!? 誰も荷物を持ち出してはいなかっただろう!?」

 ウォルターの言葉に、レインが大きくため息を付いた。

「やはり、見張っていたのですね。ですが、本当のことですよ。あの小屋の中の荷物は、キャロラインが既に王立騎士団に魔法で送っています」

「なぜ地下室の存在に気付いた?! あれは、わからないはずだ!」


「なぜ? 魔法で小屋全体に風を通したからな。風が通り抜ける場所はわかるんだ」

 キャロラインの言葉に、悔しそうにウォルターが唇を噛む。

 ダン、と応接間の扉が開き、王立騎士団が部屋の中に入ってくる。

 浮いていた使用人たちとウォルターが下ろされる。

「残念だが、グルグガン商会の悪事も、これまでだな」

 肩をすくめるキャロラインに、ウォルターは顔を赤くする。

「終わりなもんか! 終わって成るものか! お前たちは後悔することになるんだぞ! それでもいいのか?! 後悔したくなければ、私の言うことを聞け! 王立騎士団を帰らせろ!」

 喚くウォルターを、クエッテが拘束する。

「ご協力、感謝いたします」


「お前らいいのか!?」

 頭を下げるクエッテの前で、ウォルターが叫ぶ。

「だから、何のことを言っているんです?」

 レインが首を傾げる。

「お前の妹のことだ!」

 3人はハッとして顔を見合わせる。だが、キャロラインが首を横にふる。

「屋敷の中に、は誰も入って来てはいない」


 次の瞬間、キャロラインが目を見開いた。

「え? いや、人の出入りが増えた」

「ミア?!」

「何をしたんだ!?」

 ジョシアがウォルターに叫ぶ。

「さあな。王立騎士団を帰らせてくれれば、教えよう」

 口元にいやらしい笑みを含ませたウォルターに、3人は怒りをあらわにする。


「クエッテ殿、手を離せ」

 キャロラインの言葉にレインがキャロラインを見た瞬間、ウォルターの叫び声が応接間に響く。

「やめろ! やめてくれ!」

 ウォルターは勢いよく浮き上がり、天井にぶつかりそうになっている。

「答える気がない、人間の相手をしている暇はないんだ」

 低い声を出すキャロラインは、怒りを体中から溢れさせている。

「私は知らない! 本当に知らないんだ! ただ、アイザックが」

「アイザック!?」

 レイン、キャロライン、ジョシアの3人は誰ともなく声をそろえる。


 ドスン、と勢いよくウォルターが床に落ちる。

 ぐえ、と情けない声を出したウォルターは、立ち上がることもできずに蹲っている。

「キャロライン様、ウォルターは大事な証人になりますので」

 クエッテがウォルターに駆け寄る。キャロラインは目をすがめると口を開く。

「衝撃は少ないように下ろしておいた。私は人を殺めるつもりはないからな。悪いが、サムフォード家に問題が起きたらしい。行くぞ」

 ウォルターから視線を外したキャロラインが、レインとジョシアを見る。頷く二人をクエッテが目に入れた瞬間、グルグガン商会の応接間から、3人の姿が消えた。


 *


 ミアの感覚が戻ってきたのは、最後に嗅いだツンとした匂いではなく、かび臭い匂いが鼻をついた時だった。ミアは身じろぎしてゆっくりと目を開けた。

 次に聞こえてきたのはシクシクと泣く小さな声たちで、薄暗い中、奥の方で聴こえるような気がした。

「ここは?」

 ミアの声がかすれる。ミアはぐるりと周りを見回す。

 かび臭い匂いに、薄暗い部屋。明かりは、小さな明かりが部屋の隅にあるだけで、その隣に、人がうずくまっているように見える。

 立ち上がろうとして、ミアは腕と足がそれぞれ紐でくくられていることに気付く。


 ミアは今の状況を思い出そうとして、その人の体が小さいことと、意識を失う前に見た子供たちの姿を思い出した。

「誰なの?!」

 ミアがうずくまっているように見える背中に声を掛けると、小さな体がビクリと揺れる。

「お姉ちゃん、目が覚めたの?」

 立ち上がったのは、陰になっていて見えていなかったもう一人の少年だった。まだ10歳くらいの年頃だろうか。力のない足取りで、ミアの元にやって来る。

「あなたは、誰?」

「僕は……フィッツ」

 ぐぅぅぅ、とフィッツのお腹が鳴る。よく見ると、フィッツの体はやせ細っており、服に覆われていない手足の至る所にあざが見えた。


「お姉ちゃん、もう逃げられないんだよ」

 フィッツの後ろから、フィッツより2、3才ほど年下に見える少年が顔を出す。

「どうして?」

 ミアの言葉に、フィッツと年下の少年が顔を見合わせる。

「だって、ぼくらもずっと逃げられないから」

 首を傾げるフィッツに、ミアが首を横にふる。

「どうして?!」

「どうしてって……だって、逃げられないんだもん」

 フィッツの瞳にも、年下の少年の瞳にも、光はない。


「お兄ちゃん……」

 シクシクと泣く声が止まって、奥から、女の子の声が微かに聞こえる。その声は舌足らずで、きっと少年たちよりも小さい少女なんだろうと想像できた。

「レイラ」

 少年たちが慌てたように奥に戻って行く。

「どうした?」

「苦しいよう……」

 絞り出すような少女の声に、少年たちがしゃがみ込む。

「レイラ、大丈夫だ。熱はすぐに下がるからな」

 フィッツの声にはレイラと呼ばれた少女をなだめるだけではなく、確信のようなものもあって、ミアは不思議に思う。


「何か冷やせるものはないの?」

 ミアが2人の背中に声を掛けると、年下の少年が振り向いて首を横にふる。

「何もないよ。誰も……持ってきてくれないから」

「レイラの熱は、すぐに下がるんだ。魔法を使ったせいだから」

 フィッツは振り向いて、またレイラに顔を向けた。

「魔法? レイラちゃんは、魔法が使えるの?」

 ミアの言葉に、フィッツと年下の少年が不思議そうに振り返る。

「お姉ちゃんは、僕らが魔法を使ったから、ここにやって来たんでしょう? 覚えてないの?」


 フィッツの言葉に、ミアは目を見開いた。

 目が覚める前、ミアは確かにサムフォード家にいた。だが、唐突に表れたこの子供達と、忌まわしい人物が、きっとミアをこの場所に連れて来たのだと思えたからだ。

「魔法って……」

 ギギ―、と重い扉が開く音がする。

「何だ、もう目が覚めたのか。寝ているのを可愛がるのも楽しみだったのにな」

 扉から入って来た光が、その姿を照らす。

「アイザック……」

 ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべるアイザックが、ミアを見下ろしていた。

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