80.証拠集め
「クリス!」
ケイトが立ち上がる。
虚ろなクリスの目が彷徨い、ケイトを定めると、青白い顔がうっすらと笑った。
「よ……か……った」
その表情に、ケイトが唇を結ぶ。
「クリス、全然良くないぞ。お前のせいで、わたしはカルロを抱きしめられてないだろう」
間近に聞こえたキャロラインの声に、クリスが目をわずかに開く。まさか手当てをしてくれているのがキャロラインだと思わなかったのかもしれなかった。
「聞いてるのか、クリス。お前の血が止まらないせいで、私は大切なカルロを撫でてる場合じゃなくなっただろ」
「す……みま……せん」
「悪いと思うなら、早く血を止めろ」
言っていることが無茶苦茶だと思うが、今ここにいるメンバーでキャロラインを止められる人間など誰もいなかった。
「は……い……」
クリスは消え入るように返事をすると、また目を閉じた。
「クリス?!」
ケイトが凍りつく。呼び掛けにクリスは目を開けなかった。
「クリス! クリス!」
ケイトがしゃがみこむと、キャロラインがケイトを見る。
「静かにしろ」
その表情は淡々としていた。ケイトは口を噤むと、唇を噛んだ。
「まだ死んではいない。臓器についた傷は塞がったと思う。だが、失った血が多すぎる」
「何か私にできることは?!」
ケイトの言葉に、キャロラインが、あー、と声を漏らす。どうやら何も思い付かないらしい。
「クリスさんの手を握ってあげたら?」
背後からかかったミアの声にケイトが顔をあげる。
「手を、ですか?」
「それがクリスさんにとっては、一番力が出るんじゃないかしら?」
「私もそう思います」
ミアの言葉に、ミアの隣にいたジョシアが頷いた。
ケイトがクリスの手にそっと手を伸ばし、その手を掴んだ。
「へー。そんなものか」
淡々と告げるキャロラインに、ミアが顔を向ける。
「キャロライン様だって、カルロをいつも撫でまわしているでしょう? あれと同じようなものです」
「なるほどな!」
ミアの表現も、キャロラインの納得もちょっと違うんじゃないか、という言葉は、周りにいた誰もが飲み込んだ。
ケイトは、二人の話を聞いてはいなかった。ただじっと祈るようにクリスを見つめていた。
一度開いたはずの瞼は、開きそうな気配がない。
時折誰かがひそひそと会話する声がするだけの時間が過ぎていく。
ケイトがふいにキャロラインを見る。
キャロラインはケイトの視線に気づいて、顔を上げた。
「どうかしたか?」
「いえ、クリスの手が温かくなってきた気がして」
キャロラインがニヤリと笑う。なぜニヤリと笑うのかが分からなくて、ケイトが戸惑う。
「クリスも現金な奴だな。魔法よりも、好きな相手か」
「え?」
ケイトが首をかしげると、キャロラインが肩をすくめた。
「たぶん、峠は越した。血も止まったようだ。ミア、部屋は用意できるか?」
キャロラインがミアを見る。
「勿論! 既に用意してあります!」
「え?」
呆然とするケイトに、キャロラインが微笑む。
「クリスはもう大丈夫だろう」
ケイトの目から、大粒の涙がこぼれた。
「ケイト、クリスを連れて行くから」
ミアの言葉に、ケイトが頷く。だが、離そうとした手が、逆に握られてしまう。
「クリス? 手を離して?」
クリスの意識は戻っていなさそうだが、ぎゅっと手が握られていた。ケイトの表情が少し緩む。
パシャ。
何かが零れ落ちる音がした。
「ケイト……もしかして、生まれるんじゃないの?」
ミアがケイトの足元に光をかざした。
ケイトが足元を見る。ケイトの足元は濡れていた。
「……破水?」
ケイトが呆然と呟いた。
*
ミアが扉を開けると、シルフィーが微笑む。その後ろにはエダモン家の騎士が立っている。
「いらっしゃいませ」
ミアが体をずらすと、シルフィーと騎士が部屋の中に入ってくる。
「例のものをお持ちしましたわ。……あら、赤ん坊の泣き声がしますわね」
赤ん坊の泣き声が、ホールまで響いている。ミアは表情を緩める。
「ええ。使用人の子供が生まれまして」
ミアの言葉に、シルフィーが目を見開く。
「子供を産んだ使用人がいますの?」
「ええ。我が家では引き続き働いてもらう予定になっておりますので」
「……使用人同士の結婚なのかしら?」
シルフィーの質問に、ミアが苦笑する。
「お答えしなくてはなりませんか?」
シルフィーが不思議そうに首を傾げる。
「聞いては駄目だったかしら? 初めて耳にすることは、興味があるわ」
ミアはシルフィーを先導するように歩き出す。
「シルフィー様は、好奇心旺盛なのですわね」
「そうかしら?」
「我が家では、結婚してもしなくても、使用人に仕事をして欲しいと思っているだけですわ」
「そうなの。……職業婦人ね。……いいアイデアが生まれそうだわ」
シルフィーが目を輝かす。ミアはあえて“何の”アイデアかは追及しなかった。
「でも、子供を抱えていて仕事をするって大変ではなくて? 仕事の時間を調整したりするのかしら?」
「それは、子供を見てくれる人を、他に雇う予定にしていますわ」
ミアの言葉に、シルフィーが目を瞬かす。
「他に雇う? ……それって、本末転倒ではありませんの? 新しい使用人を雇えばいいんではなくって?」
「いいえ、シルフィー様。新しく雇うよりも、慣れた使用人に続けて働いてもらう方が、やってもらう側からすれば利があると私は思っておりますわ」
「……確かに、そうかもしれないけれど……。それでも、余分に人を雇わなくてはいけなくなるわ?」
「たとえそれでも、今働いている使用人たちに、仕事を続けて欲しいと思っていますわ」
ミアが応接間の扉を開けると、シルフィーは後ろに立つ騎士から荷物を受け取ると応接間の中に入る。中にいたレインが立ち上がった。
「いらっしゃいませ、シルフィー様」
シルフィーが部屋の中をキョロキョロと見回す。
「今日は、キャロライン様はいらっしゃらないの?」
ミアとレインは顔を見合わせると、肩をすくめる。
「たぶん、そのうち来ると思います」
「そう。まあ、キャロライン様がいらっしゃらなくても、話はできるんですけれど」
ミアとレインの視線が、シルフィーの持つ荷物に注がれる。
「それが、例の」
レインの言葉に、シルフィーが頷く。
「思っていたより、早く届きましたわ」
「本来なら、私たちが直接頼むものですのに、わざわざお力添えいただき、ありがとうございます」
レインが頭を下げる。
「いえ。キャロライン様がファジー殿下に声をかけて下さらなければ、私だってこんなに早くやってもらえたかどうか」
シルフィーが肩をすくめる。
「では、早速拝見しても?」
レインの言葉で、3人はソファーに腰掛けた。
シルフィーが荷物の中から書類を取り出す。
「こちらが、預かっていた2枚の書類。そして、鑑定書よ」
2枚の書類をテーブルに置いて、鑑定書を手に取ったレインが、ホッと息をつく。
「父上のサインではないと、これで認められたわけですね」
顔を上げたレインに、シルフィーが頷く。
「ええ。バルオス王国が認定している鑑定人ですから、グルグガン商会が反論する余地はないはずよ」
「本当にありがとうございます」
ミアの言葉に、レインも一緒に頭を下げる。
「いいのよ。私も頼みたかったものがあったから、キャロライン様伝手ではなく、私の手を介したわけですし。でも、噂には聞いていたけれど、本当に鑑定できるものなのね」
シルフィーが関心したように呟く。レインも頷く。
「そう……ですね。私も風の魔法は使えますが、風の魔法でサインの気の流れを読み取るということが、可能だとは……思いもよりませんでした」
「バルオス王国では、数人いるようですけどね。流石に鑑定はキャロライン様にも難しいようですし」
シルフィーの言葉に、ミアが頷く。
「不思議なもの、ですのね」
ミアの手が、アイザックが持ち帰り損ねたグルグガン商会の書類と、父親が書いたサインの残された書類を取る。
「違うことが、証明できる方法があるなんて……」
「これで、証拠は揃ったんじゃないかしら?」
シルフィーが、ミアとレインの顔を見る。
「先日の大捕り物は聞こえてきましてよ」
ミアとレインは困ったように首を振る。
「大捕り物……というわけではなかったんですが……。ガストンをあっさり捕まえることが出来ましたし、ガストンがいた小屋は、グルグガン商会の持ち物だと判明しましたけど……」
ミアが頬に手を添えて眉を下げる。
「あら、大捕り物の最中にけが人が出たと聞いているのだけれど、その方は大丈夫なの?」
「……それは、話が少しねじ曲がって伝わっているようですね。けが人が出たのは間違いないですが、ガストンを捕まえる時ではなかったんです」
レインが肩をすくめる。
唐突に応接間の扉があき、3人の視線が扉に向く。
「悪い。観察していたら、シルフィー様が来る時間を忘れていた」
応接間の扉を開けたのは、キャロラインだった。足元にはカルロも従っている。
「観察? 何を観察されていまして?」
シルフィーが首を傾ける。
「赤ん坊だ。赤ん坊とは、面白い生き物だな」
淡々と告げるキャロラインに、シルフィーは反対側に首を傾ける。
「……キャロライン様も、人の子に興味を持つようになったのねぇ。赤ん坊を抱っこしたりするキャロライン様を想像なんてしなくてよ」
頬に手を当てたシルフィーが感慨深げにつぶやく。
「抱っこ? そんなものはしないぞ」
え、と声を漏らしたシルフィーに、ミアとレインは苦笑する。
「観察するだけだ。案外飽きないものだな。そろそろ、カルロにもつがいが欲しいな」
ソファーに座ったキャロラインの笑顔に、シルフィーが同情の視線でレインを見た。




