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79.ケイトの帰還

「あ、馬車が見えたわ」

 応接間の窓から外をじっと見つめていたミアが小走りで部屋を出ていく。

「ミア、まだ話の途中だ……はぁ、行かずとも、入って来るのに」

 ミアはガストンがいた場所で注意事項を守らずに前に出たことを、レインから説教されている最中だった。苦笑しつつも、レインも外に出ていく。

「……クリスがまた暴走しても困るからな」

 キャロラインが頭をかきながらカルロを引き連れて歩き出す。ジョシアは頷いてそれに付いて行った。


 ミア、レイン、キャロライン、ジョシア、そしてヒースは、ガストンを連れて先に魔法を使い屋敷に戻って来ていた。本当は、クリスとケイトも魔法で移動するつもりだったが、クリスが頑なに、母体に何かがあっては困ると言い張るため、元々乗ってきていた馬車に、クリスとケイトが乗って帰ってくることになった。

 ガストンは、ヒースとシュゼット達によって拘束され、王立騎士団の到着を待っている。

馬車から出て来た二人は、クリスがケイトを横抱きにしている。それを見たミアは、ホッと微笑む。隣に並ぶレインも、表情を緩めて頷く。だが、近づいてみると、何やら二人は言い合っている。


「もう、大丈夫。降りるわ」

 ケイトがクリスに告げると、クリスは首を横にふる。

「いいえ。部屋まで送ります」

「いいわ。もう一人で歩けると思うから」

「駄目です。あんなことがあった後なんですよ!」

「だから、歩けるって」

「そうか、これが痴話喧嘩と言うものか」

 淡々としたキャロラインの声に、ケイトがハッとする。


 キャロラインは腕を組んだまま、真面目な顔で二人を見ている。

 ミアとレインはクスリと笑っていて、クリスは照れた顔をした。

「いえ。キャロライン様、これは痴話喧嘩とは言いません」

 ケイトもそう告げながら、恥ずかしそうに照れている。

「これが違うと言うなら、私には一生痴話喧嘩が理解できそうにないな」

「……別に理解しなくともいいんじゃないでしょうか」

 レインの声は呆れている。

「なぜだ。私にだって痴話喧嘩がどういうものか知る権利はあるだろう!」

「いえ。特にそれについて知る権利はないと思います」

 レインが首を横にふる。


「キャルお姉様とお兄様のやっているのが、痴話喧嘩って言われるものだと思いますよ」

 ミアがはっきりと告げる。

「何?! これが痴話喧嘩だと?」

 目を見開くキャロラインは、純粋に驚いている。

「ミア、変なことを言うな……これは痴話喧嘩ではなくて、常識を指摘しているだけだ」

 レインはふい、とキャロラインから顔をそらす。それは、照れているようにも、呆れているようにも見えた。

 そのやり取りに、ケイトはクスリと笑う。

「もう痴話喧嘩はわかった。クリス、本人がいいと言ってるのだ、ケイトを下ろすがいい」

 キャロラインに告げられ、クリスが渋々キャロラインを下ろす。


「部屋までは送りますから」

 きっぱりと告げるクリスに、ケイトは肩をすくめただけで何も言わなかった。

 気がつけばケイトの手はしっかりとクリスに握られている。

 だがケイトは、手を振り払うことはなかった。

「ケイト。あの男は捕まえたけど、危ないことが何かあるかもしれないし、一人で出歩くのはやめてよ?」

 ミアがケイトを振りかえる。

 ケイトは今度こそしっかりと頷く。その顔は暗い中でもまだ白みがかっているようにも見えたが、目には光があった。

「ええ。気を付けます」


 敷地に入ると、屋敷の扉が開く。そこには、ほぼ全員といっていい使用人たちが集まっていた。

「ケイト、お帰りなさい!」

 ローズが走り出してくる。ケイトはローズに抱きつかれた。ケイトを見上げたローズの目は潤んでいた。

「本当に、心配したんだから!」

「うん。ごめんなさい。……ありがとう」

 ケイトが頷く。

「本当によかった!」

 泣き出したローズを撫でていると、他の使用人たちもケイトの回りに集まってきた。

 皆が口々に、ケイトの帰還を喜んでいる。ミアもレインもその姿を見て、目を潤ませた。


 ミアの視界の端に、誰かが走り込んでくるのが見えた。ジョシアが身構える前に、その人物はすり抜けていく。

「キャー!」

 叫び声が、夜空に溢れる。ケイトの周りを囲んでいた使用人たちがバラバラに散らばって行く。

「ケイトさん!」

 クリスの声がケイトを覆う。

「何で、この女がいいのよ!」

 錯乱したような女性の声が紛れる。

「キャー!」

 断末魔のようないくつもの叫び声が響く。


 ケイトを覆ったクリスの体が、少しずつ離れていく。ドサリ、とスローモーションのように倒れて行く。

 ケイトが自分の横に横たわるクリスの姿に、呆然と立ち尽くす。ミアもレインも目を見開き立ち尽くしている。

「その女は、私に任せろ。レイン、クリスの手当てを!」

 キャロラインの声に、ミアとレインは我に返る。

「クリス! クリス!」

 ケイトはクリスに縋りつこうとするが、突き出たお腹のせいで、クリスの横にしゃがむことしかできなかった。


「ケイト、落ち着いて! 大丈夫、クリスは大丈夫だから!」

 ミアがケイトを後ろから支える。

「でも、でも、私のせいでクリスが!」

 ナイフを持ったサリーが、ジョシアに拘束され、キャロラインが何かをサリーに告げている。つきものが付いたような表情のサリーは、錯乱したように髪を振り乱しているだけだ。

 クリスが光に照らされ、おびただしい血が地面に広がっている。その血はまだ止まることなく広がってゆく。ミアが支えるケイトの体が震え出す。ミアもクリスを凝視したまま、ケイトの体をぎゅっと抱える。

 光に浮かび上がるクリスの顔は、青白い。先程微笑んでいた顔は、表情はない。


「いや! お願い! クリス死なないで!」

 ケイトが必死に叫ぶ。

「ケイト、大丈夫。大丈夫よ」

 ミアが静かな声でケイトをなだめる。だが、ミアの体もまた小刻みに震えている。

「だって!」

「お兄様なら、きっと助けられるわ」

 そう言いながらも、ミアの言葉は震える。


 だが、その癒す力は、何もなかったことにできるわけではない。つまり、助からない命を助ける力はない。そして、癒しの力は、じわじわと効いていく魔法だ。だから癒す力が効く前に血が体から抜けきってしまう可能性だってある。

 ケイトは小さく頷くと、両手を組んで祈るようにクリスを見つめている。

 使用人たちも、何かできることがないかと動き回っているが、これ以上出血が増えると困るため、動かすこともできない状況だ。

 ケイトとミアには椅子が用意されたが、ケイトは座ることを拒否した。


「ケイト、気持ちは分かるわ。でも、あなたの体は一人じゃないのよ。……嫌だって言うなら、屋敷の中に入る?」

 ミアにそう告げられて、渋々ケイトは椅子に座った。その視線はクリスから外れることはない。

 ケイトの震えは止まりそうになかった。その手を、同じように震えているミアがぎゅっと握る。

「クリスは?」

 そっと現れたのは、ジョシアだった。

「まだ、わからないわ」

 答えたミアの声は、先ほどよりも落ち着きを取り戻していた。

「そうですか」

 ジョシアの声が沈む。


「サリーは見ておかなくて大丈夫なの?」

 ミアがジョシアに視線を向ける。

「先ほど、王立騎士団が到着しましたから」

「そう。挨拶しないと。お兄様は今治療中だから」

 ミアが立ち上がる。ふらり、と揺れる体を、ジョシアが抱き留める。

「ありがとう、ジョシアさん」

 ジョシアに支えられたまま、ミアはキャロライン達がいる場所に行く。

 その間も、ケイトの視線はクリスから少しも動くことがなかった。


 クリスの傷口に手を当てているレインにも、徐々に疲労の色が見えてくる。魔力は無限ではない。限界がある。

「レイン、代わろう」

 颯爽と現れたのは、キャロラインだった。

「え? サリーは大丈夫なんですか?」

 レインは手をクリスに当てたまま、顔を上げる。どうやらジョシアの声はレインに届いていなかったらしい。

 キャロラインがニヤリ、とこの場にそぐわない笑みを見せた。

「王立騎士団に引き渡したぞ。私の力を侮るな」


 ただ、治療についてはキャロラインとてレインと条件は同じだ。ただ、魔力量が多いために、治療を続けられる時間が長いくらいの差しかない。

 キャロラインがしゃがみこみクリスに手を当てると、レインがホッと息をついた。だが、その表情はまだ冴えない。

「ああ、王立騎士団が来ているんだった」

 ハッと思い出したようにレインは立ち上がると、ケイトの顔を覗き込む。

「ケイト、大丈夫だよ」

 ケイトを心配する言葉に、ケイトの目に涙がにじむ。

「いえ。ごめんなさい。私が……」

 レインが首を横に振る。


「これは完全に逆恨みだ。だからケイトは何も悪くない」

「でも、元はと言えば、今日私が一人で出掛けなければ……」

「あれも、サリーが関係していると私は考えている」

「え?」

 ケイトの口から声がこぼれる。ケイトはレインを凝視する。

「完全に逆恨みもいいところだ。……もしケイトに悪いところがあったとすれば、それだけクリスを心配してるのに、クリスのことを関係ないと言い張るところかもね」

 パチパチとまばたきをするケイトを残して、レインは歩き出す。


「クリス、私がこれだけ労力を掛けているんだから、そろそろ起きたらどうだ」

 ケイトはキャロラインへの声にクリスを見る。まだクリスの顔は青白く、身じろぎさえしない。

「全く、私は狼を可愛がりたいだけだって言うのに、何で次から次へと人助けなどしてるのだ。聞いてるか、クリス! カルロを撫でる時間が減るから起きろって言っているんだ!」

 クリスに手を当てたまま、キャロラインは悪態をつき続ける。カルロはレインが所有している狼だ。その悪態の内容があまりにも可愛らしすぎて、周りにいる使用人たちは少しだけ頬を弛ます。

 ケイトも少しだけ緊張が抜ける。


「クリス、いいか。本当なら今頃私はベッドの中でカルロを抱き締めて寝ている時間だぞ! ようやくカルロが私と一緒に眠ってくれるようになったんだぞ! そうだ、起きなかったら、お前は金輪際ベッドの中でケイトを抱き締めて寝られないんだぞ? いいのか!?」

 ケイトがキャロラインの言い分にあっけにとられる。そんな事実はないが、ケイトはキャロラインに反論できそうにもなかった。

「ケイトとお前の子供にも会えないんだぞ? いいのか?」

 断定されたことに、ケイトは戸惑った表情になる。ケイトの口からは、結局誰が父親なのか告げたことはないからだ。

「そ……れは、こま……り……ます」

 クリスのまぶたが、ゆっくりと開いた。 

『ロマンスの壊し方教えます』とは、僅かに設定を変えています。ジョシアは王立騎士団の詰所に行っている設定でしたが、今回変更しています。

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