74.シルフィーの再来
応接間の窓の外は、しとしとと雨が降っている。
「そう言えば……」
キャロラインが顔を上げる。視線を向けられたジョシアが首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「婚約パーティーの準備をするつもりだったのを、すっかり忘れていた」
「……キャロライン様が、そのような形にこだわるとは、思いもよりませんでした」
ジョシアは淡々と告げる。
「……そう……か?」
首を傾げるキャロラインに、ジョシアがクスリと笑う。
「楽しみにしている、ということはよくわかりますけれど」
キャロラインはムッとした顔をして、カルロの首元に顔をうずめる。
「ジョシアまでうるさいぞ」
「それは、申し訳ありませんでした」
「謝る気がないのに謝るな」
「わかりました」
頷くジョシアを、キャロラインがじろっと見る。
「お前たちはどうするんだ?」
「……私達、ですか?」
ジョシアが首を傾げると、キャロラインはニヤリと笑う。
「ミアとのことだ」
「それは、キャロライン様には関係ないのではありませんか?」
「いや、義理の妹の話だ。無関係とはならないだろう?」
「……それよりも、ご自分のことを考えてはどうですか? 婚約パーティーの準備をすっかり忘れておられたんでしょう?」
「意地が悪いな」
ムッとしたキャロラインに、ジョシアは肩をすくめる。
「お互い様ではありませんか」
「……まあ、いい。ジョシアに一方的にからかわれるのが嫌だっただけだからな」
「……そうですか」
小さくため息を付いたジョシアが、姿勢を正す。
「……しかし、ダイアン伯爵家の処分が大っぴらになったというのに、動きはないな」
キャロラインの呟きに、ジョシアが視線を向ける。
「やはり、シルフィー様がおっしゃっていた通り、ダイアン伯爵を切って、カルタット公爵はあの問題は終了したことにしたいのでしょうね。……あの男も特に怪しい動きがあるとも報告はありませんし……しっぽを掴むのも簡単じゃありませんね。ケイトさんには付きまとっているようですけど、我々の監視の下ですので、特に何事も起こっていませんし」
「シルフィー様と言えば……ミアは考えがあると言っていたが、シルフィー様の動きも、ないな」
首を横にふるキャロラインから視線を外したジョシアが、窓の外を見る。
「そうでもないかもしれませんよ? エダモン公爵家の馬車が到着したようです」
「……噂をすれば、何とやらだな。……ミアは一体、シルフィー様に何をやったんだと思う?」
「手紙を書いた、とは聞きましたが……内容までは知りません」
ジョシアの言葉に、キャロラインが頷いた。
「まあ、シルフィー様の話を聞けばわかるだろうな」
キャロラインは頬杖をついた。
*
雨の匂いと共に応接間に入ってきたシルフィーは何かを言いたげにミアを見ているし、レインも戸惑った表情だった。そして、事情を知っているミアは、微笑んでいる。シルフィーは応接間の中のジョシアに気付くと口を開いた。
「あら、キャロライン様専属の騎士ですわね。外に出ていただけるかしら?」
「……キャロライン様の暴走を止める役割がある騎士なのですが、よろしいですか?」
レインの忠告に、シルフィーは肩をすくめる。
「今回、暴走しているのはキャロライン様ではなくて、ミア様だわ。大丈夫よ」
シルフィーの言葉に、頷いたジョシアは、ミアにちらりと視線を向けた後、部屋を後にする。当のミアはジョシアの視線に微笑んだまま首を傾げただけで、特に表情は変えることはなかった。
ため息を付いてソファーに座ったシルフィーが、向かい側に座るミアを見る。
「ミア様は、一体何がしたいのかしら?」
その声には苛立ちが含まれている。ミアはニコリと笑ってみせると、口を開いた。
「私は、私の仕事をしているだけですわ」
シルフィーが大きく首を横にふった。
「お父様に連絡をしたことは、理解できるわ。でも、スカイにまで手紙を出すことはないでしょう?! ……一体、スカイに何を書いて送ったの?!」
シルフィーだけではなく、レインとキャロラインの視線がミアに向く。最も、怒った表情のシルフィーと、不安そうな表情のレインに対して、キャロラインは面白がっている表情ではあるのだが。
ミアは首を傾げて微笑んだ。
「シルフィー様のためにご協力いただけないかと」
目を見開いたシルフィーが、信じられないものを見るようにミアを見つめる。
「信じられないわ!」
「どうしてでしょう?」
「だから! だから、スカイは、あんな手紙を!」
シルフィーが唇を噛む。
「一体、どんな手紙が届いたんです?」
キャロラインの言葉に、シルフィーが俯く。
「口にしたくもないわ」
キャロラインは肩をすくめて、カルロを撫で始める。
「ミア様、もう金輪際、辞めてくださる?」
顔を上げたシルフィーがミアを真剣な顔で見つめる。
「私は、シルフィー様のお見合いをするという仕事を全うしなければなりませんので」
ミアは首を振って、シルフィーを見つめた。
シルフィーは大げさにため息を付く。
「私は望んでおりませんわ」
「私の雇い主は、シルフィー様ではなく、エダモン公爵ですので。シルフィー様が見合いをしたいとおっしゃったので、エダモン公爵からお金を頂いておりますから」
ミアがニコリと笑うと、シルフィーがぎゅっと拳を握った。
「……本人がお見合いをする気がないと言っているのよ?」
「シルフィー様。シルフィー様だって、ご存じではありませんか。貴族の結婚は、恋愛感情を第一といたしません。家と家のための結婚がほとんどですわ?」
シルフィーが首を横にふる。
「もし、お見合いを組まれたとしても、何度組まれても、私は断り続けるわ」
「だとすれば、私は何度でもお見合いを組むことになるんでしょうね」
ミアが微笑んで首を傾げる。シルフィーは悔しそうに唇を噛んだ。レインはハラハラした表情で二人を見つめている。キャロラインは既にカルロにしか意識が向いていない。
「……私は……スカイと結婚したいの」
「ですが、スカイさんからの手紙が、その答えなのではないでしょうか」
「……そんなわけないわ。スカイは……スカイは私と結婚してくれると言ってくれたもの」
ほろほろとシルフィーが涙を零し始める。ミアは困ったように眉を下げる。
「それは……いつの話なんでしょうか」
シルフィーがキッとミアを睨む。
「いつの話かなんて、関係ないでしょう?」
「……ですが、スカイさんの答えは、シルフィー様への手紙にしたためられた通りですわ?」
「嘘よ! 嘘! あんなの嘘だわ! だって、小さい頃に約束したんだもの!」
わっと泣き始めたシルフィーを、ミアは困ったように見つめ続ける。レインは所在なく視線を彷徨わせ、助けを求めるようにキャロラインを見たが、キャロラインは興味もなさそうにカルロを撫でているだけだ。
しばらく経って落ち着いてくると、シルフィーが泣き顔を上げた。
「例え何度見合いを組まれたとしても、私は同意しませんわ」
「では、私はシルフィー様のお気持ちが変わるように、関わっていくしかないでしょうね」
ミアが優しく言い含めるように告げると、シルフィーのぎゅっと握られた手がフルフルと震える。
「どうして、わかって下さらないの?!」
「……シルフィー様が一番ご存じのはずではないですか。貴族社会が、物語のように思った通りにはならないことを」
ミアの言葉に、シルフィーがフルフルと首を横にふる。
「そんなことないわ! ……私は、ミイファ様で証明したもの! それに……マーガレット様だって、ルルリアーノ様だって、物語のように素敵な婚約をされているわ! キャロライン様だって、ミア様だってそうでしょう?」
名指しされたミアとキャロラインは、困ったように顔を見合わせる。
「……シルフィー様は、思ったよりも、夢見がちだったんだな。悪いが、私は利害が一致しただけだ」
あっさりと言いのけたキャロラインに、シルフィーが目を見開く。
「嘘よ、嘘! キャロライン様の初恋はレイン様だもの!」
「……そんなことを言った事実はない」
ふい、とキャロラインは顔を逸らす。当のレインは困ったように微笑んでいる。
「あの……シルフィー様。私の婚約も……物語のように素敵な婚約というわけではなくて……キャロライン様と同じなんです」
流石に正式に婚約していないとはミアも言えずに、控えめに告げた。
「そ、そんなわけないわ……」
フルフルとシルフィーが首を振る。
「確かに、ルルリアーノ様は私も想像しない結末になりましたけれど……本当に偶然の産物でしたので」
「そうよ! ルルリアーノ様も、ミア様はお見合いを組まれたんでしょう?! どうして、ルルリアーノ様の希望は通すのに、私の希望は聞いてくださらないの?!」
「……申し訳ございません、シルフィー様。シルフィー様のご希望のお相手であるスカイさんは、今のところシルフィー様とのご縁をご希望されておりませんので」
「それは! ……それは、スカイが……自分の身分を……」
「シルフィー様、本当は理解されておられるのですよね?」
じっとミアがシルフィーを見つめると、シルフィーが俯く。
「……でも、スカイ以外と結婚するなんて……嫌よ」
ハッとシルフィーが顔を上げる。
「ミア様、お願いするわ。私とスカイが結婚できるように……手伝って欲しいの」
ミアは困ったように首を横にふる。
「シルフィー様。それは、先日もお断りしたではありませんか。お約束が出来ないと」
「……わかっているわ。約束が出来ないことだって。それでも、他の人と見合いをするのは嫌よ! ……じゃあ、これはどうかしら? 私に見合いを組まないでいただける?」
「……それでは、何もしていないことになりますから、エダモン公爵に頂いたお金をお返ししなければなりませんわ」
ミアが困ったように首を横にふる。
「その保証は私がするわ」
ミアはレインを見る。レインも困ったように肩をすくめる。
「……わかったわ。私が掴んでいるグルグガン商会関係の情報では、どうかしら?」
「それは……ありがたい申し出ですが……」
レインが告げる。ミアはじっとシルフィーを見つめる。
「私に見合いを組まないでいてくださる限り、情報は提供いたしますわ。お約束します」
シルフィーの言葉に、ミアとレインは顔を見合わせて頷き合う。
「……わかりましたわ。シルフィー様のお見合いについては、組むことはしません」
ミアの宣言に、シルフィーがホッと息をつく。
「良かった。スカイとの結婚の話にも、協力してくださるのね」
微笑むシルフィーに、ミアもレインも驚きで目を見開く。キャロラインは肩をすくめて、カルロの頭を撫でた。




