7.新しい依頼人の希望
ミアとジョシアの婚約の話は、一応形ばかり維持することで話は決まった。
使用人たちが戻ってきているため、少しバタバタしていたサムフォード家は、2,3日もすると落ち着きを取り戻していた。
「レイン様、ミア様。ブラッドフォード伯爵家のアイル様がいらっしゃいました」
居間に現れたフォレスに、手紙を書いていたミアが手を止める。
「お兄様、次の依頼人が来ましたわ!」
ミアの意気込む姿に、レインは苦笑する。少なくとも一人目の依頼人は、依頼人としての役割を果たしていなかったし、多分また応接間でカルロを撫でまくっているはずだ。
「ブラッドフォード家のアイル様、か。確か、ダイアン伯爵令息のロット様との婚約がダメになったんだな?」
ミアが手紙を送った相手の情報は、既にレインも共有していた。
「ええ。ロット様に話しかける女性と見れば敵に威嚇しすぎて、墓穴を掘ってしまったのよ……」
そのパーティーでの一場面は、ミアも目にしていたが、とても見ていられるような場面ではなかった。
結果、ロットが威嚇されていたカリーノ・エブラン子爵令嬢を守り、そこで恋が生まれてしまったらしい。そして後日アイルはロットに婚約破棄をされた。自業自得、というのが社交界の反応だった。
「……本当にうまくいくのか? ……アイル嬢は、顔がいいからロットにこだわっていたんだろう?」
レインはミアがアイルに提案するつもりの相手の姿絵を思い出す。優しそうではあったが、顔がいいとは言えそうにない顔つきだった。だから、レインはミアの作戦を思い出して、首を傾げた。
「相性は悪くないと思うわ」
「……まあ、相性は悪くないかもしれないけど……」
ミアの言う相性という部分が、一般的な内容とちょっとずれているのを既に知っているレインは苦笑する。
「じゃあ、キャロライン様に声を掛けてくる。さすがに応接間を占領されていても困るしな」
「ええ。お兄様お願いしますわ」
二人は頷きあうと、ミアはフォレスについてホールに、レインは応接間に向かって歩き出した。
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「えーっと、こちらは?」
訝しそうなとげのある声が、応接間に響いた。応接間にアイルを連れて来たミアも、応接間にいたレインも苦笑するしかない。
応接間に入ってきてミアとレインと挨拶を交わしたアイルは、先客がいることに気付いて、濃い紫色のドレスをひらめかせてから瞬きをした。濃い紫色は、アイルのカラーと言って過言ではなかった。あまりにもマッチしすぎて、アイルのきつい顔つきをさらにきつく見せているようにも思える。
「気にするな」
着せられたドレスを隠すように黒いローブをまとったキャロラインはそれだけ言うと、ソファーの定位置に座ったまま、カルロを優雅に撫で続けている。
訪問者が来たから部屋を出て行って欲しいと願ったレインに、私だと分からなければいいだろうと、ローブを被ったのはキャロラインだ。何を考えているかはわからないが、応接間から出ていく気はないらしかった。
「一体誰なの?!」
黒いフードを被った不気味にも見える女性の存在に、アイルはヒステリックに吐き出した。アイルに付いてきた使用人がおろおろとしている。だが、使用人が驚いた様子がないことから、どうやらアイルはすぐ感情的になるらしい。
それが婚約破棄の原因ともなったわけだが、その態度を見る限り、アイル自身はその時の態度も反省はしていなさそうだった。ジョシアには応接間の隣で待機していてもらっている。ジョシアの騎士服を見ればクォーレ公爵家の者であることが一目瞭然だからだ。
レインは、社会復帰してから関わるには少々濃い人間たちに、心の中でため息をついた。
リハビリと言うよりは、ショック療法だと思った。
「我が家の客人でして。この件のオブザーバーとして参加してもらうんです」
そんな事実はなかったが、それ以外に言い訳を思いつかなかった。
「ええ、そうなんです。彼女は……見通す力がありまして」
ミアが思いついた言い訳に、キャロラインがニヤリと笑った。どうやらその立ち位置は気に入ったらしい。
「占い師か何かなの?」
アイルの視線を感じたキャロラインは笑いを引っ込めて、神妙に頷いた。どうやら演じるつもりもあるらしい。
「……そう。わかったわ」
「では、そちらへどうぞ」
レインがキャロラインの向かいを示せば、アイルはキャロラインを伺いながらソファーに座った。
キャロラインの隣にレインが座り、ミアがアイルの隣に座った。
ミアが座るタイミングで、応接間の扉が開き、フォレスと使用人のケイトが入って来た。
ケイトがお茶を出し、フォレスがミアがまとめていた資料と羽ペンのセットをテーブルに置いて出て行った。
「それで、私と結婚したい相手を紹介してくれるんですって?」
腕を組んだアイルが、レインに視線を向ける。視線を向けられたレインは、戸惑ったように頷いた。
「ああ。詳しくはミアから説明いたします」
レインはミアに頷いてみせた。そもそもミアが思いついたことでもあり、この事業はミアが中心になって進めていくと話は決まっていたからだ。
ミアはゆっくりと資料を開くと、ペンを構えてアイルを見た。
「それではアイル様。とりあえず、アイル様が今持っているご希望を伺いますわ」
「……あら、結婚の申し込みもない状況なのに、希望が通るの?」
「アイル様」
アイルを咎めるようにそっと声を掛けるのは、アイルの後ろに立っているブラッドフォード家の使用人だ。
「あら、だって本当のことじゃない。誰もかれも、私を腫れものに触るようにしてっ」
忌々しそうなアイルに、ミアとレインは顔を見合わせる。どうやらアイルは一応状況は理解しているらしい。
「そうですね。勿論、条件が全て整うわけではありません。ですが、アイル様のご希望をできる限りには汲みたいと考えていますわ」
ミアの言葉に、アイルは大きくため息をついた。
「なら、何を言ってもいいのね?」
ミアは肩をすくめる。
「条件が多くなっては、当てはまる方も少なくなりますので、譲りたくない条件をおっしゃっていただければ」
「……譲りたくない条件? そんなの、決まっているわ」
「何でしょうか?」
ある意味予想はしているが、ミアはアイルを促した。
「顔よ、顔。顔が美しくなければ駄目よ」
アイルの元婚約者であるロットは、線の細い美形だった。確かに美形だったが、ミアにはロットが線が細すぎるように見えたし、何を考えているかわからない目が苦手だった。
「そうですか、顔、ですね」
それでもミアは言われたとおりに書きつけた。
「他に譲れない条件はありますか?」
ミアの言葉に、アイルが眉を寄せた。
「そうね。……家柄は同じくらいがいいわね。今更生活を変えろと言われても、無理よ」
「ええ。家柄ですね」
心なしか、ミアの声が弾んだ。少なくとも、ミアが考えていた相手は、希望に合っている。
お茶のカップを持ったアイルが、一口飲んでカップを戻すと、あとは、と声を漏らした。
「私が何を言っても、文句を言わずに聞く人がいいわ。……ロット様も、私が言うことを何も言わずにいたのに、あんな女にたぶらかされて急に私の言葉に反論するようになったのよ!」
段々興奮していくアイルに、ミアは黙ったまま頷いた。
実際は、アイルの性格に反論するのを諦めていたロットが、とうとう反旗を翻しただけではないかと思ったが、そんなこと口にできそうにはなかった。
「譲れないのは、それくらいですか?」
レインの声に、アイルが肩をすくめる。
「今思いつくのがそれだけってことだから、他にもあるかもしれないわ」
「そうですね。他にも何かあるかもしれませんが、とりあえず、この3点でお相手を考えますね?」
ミアの言葉に、アイルが鼻で笑った。
「全部を叶える相手など、いないでしょう? そんな相手がいたら、私が名前を言っているわ」
ミアは頷く。
「ええ、残念ながら、全てを叶える相手は今のところ見つかっておりません。ですが、2つでしたら、ご紹介できますわ」
ほう、と声を漏らしたのは、アイルではなくキャロラインだった。キャロラインはニヤリと笑っている。完全に面白がっているらしい。
「一体、誰よ?!」
誰とも想像がつかないらしいアイルは、ミアにずいっと体を寄せる。
「フィリアス伯爵令息ですわ」
ミアの提案に、アイルが戸惑った表情を見せる。
「……もしかして、ミカルノ様のこと?」
「ええ、ミカルノ様のことですわ」
大きく頷いたミアに、アイルが大げさにため息をついてみせた。
「どうしてミカルノ様なの」
やはり不満らしい。
「どこがダメなんだ」
キャロラインが口を開いた。
「顔、ですわ」
アイルがキャロラインを睨むように見る。
「顔か? 顔など、頭についているだけで役には立たぬぞ」
ミアとレインは吹き出しそうになるのを、何とか堪えた。アイルに付いてきた使用人も笑いをこらえているのか口元がぴくぴくと震えている。
「それは、造形美が分からない人間の言うことよ? 私のように美しい人間は、美しいものを求めるの」
高飛車に言い切ったアイルは、大きな瞳に鼻筋が通り、ふっくらとした唇が確かに美人の類と言える。だが、性格のきつさも表情に出ていた。
「造形美? 狼は間違いなく美しいと思うがな。狼こそ造形美をそのまま表した生き物だろう!」
力強く言い切ったキャロラインを、アイルは鼻で笑った。
「……何で笑われたのかが分からないんだがな」
キャロラインの声が低くなった。ミアとレインは焦る。
「アイル様、ミカルノ様の話に戻りましょう」
「ミカルノ様は、同じ伯爵家、そして、アイル様が何を言っても絶対に反論しません!」
ミアの提案に、レインがコクコクと頷いて続ける。そもそも狼の話は蛇足だし、下手するとキャロラインの地雷にしかならないため、話を逸らしたかった。
「女性の美しさの基準は自分の顔よ。ご自分の顔を見せないようにしているあなたには、本当の造形美などわからないのではなくて?」
だが、アイルは戦いの場に乗り込んでしまった。
まずい、とミアとレインが顔を見合わせた瞬間、アイルが立ち上がる。
「え、アイル様!?」
ミアが立ち上がったが、アイルを止めるには間に合わなかった。
「そもそも客の前でフードを被ったままなんて、無礼よ」
アイルがキャロラインのフードを外す。意地の悪い笑みを浮かべていたアイルの表情が、唖然としたものに変わった。
キャロラインはきちんと化粧を施され、多分この国でも指折りの美女の姿にしか見えなかったからだ。