61.魔王の初恋
「キャル……ファジー殿下らしくない、とは?」
レインが首を傾げる。キャロラインが視線を落とす。
「いつもなら、もっと伝え方がやんわりとしたものだ。ファジー殿下は……良くも悪くも、今回は……変にストレートだった」
「……実は、ファジー殿下の伝言ではなかった、とか?」
ミアの言葉に、キャロラインが首を振る。
「わからない。……もし別の人間だったとして、なぜ、ルルリアーノ嬢がファジー殿下と関わりがあると気付いた? ルルリアーノ嬢がファジー殿下と交流があることを知る人間は、ほとんどいないはずだ。それに、万が一アルフォット王国の令嬢が紛れていると気付いたとして、なぜ、ルルリアーノ嬢だけをターゲットにする? ミアだっている。だが、あの伝言は、ルルリアーノ嬢名指しだった……他の人間だと疑うには……内容がピンポイント過ぎるからな」
キャロラインの説明に、ミアもレインも考え込む。
「ミア様に気付いたとしても、ミア様には……一応私が婚約者ということになっていますし……ルルリアーノ様がいる理由が他に思いつかなかったのでは?」
ジョシアの言葉に、あ、とキャロラインが声を漏らす。
「そう言えばそうだったな。……ルルリアーノ嬢がいる理由が……他にない、か。迂闊だった」
「では、あの伝言は、ルルリアーノ様に向けた、嘘の情報だったんでしょうか」
ミアの言葉に、キャロラインが体の前で腕を組む。
「サインは……ファジー殿下のものだと思うんだ……」
レインが首を横にふる。
「サインを偽ることは可能ですから……」
「まあ……そうだな。だが、このメモの紙は、バルオス王家でなければ使えない紙のはずだ。ほら、透かしが入っているだろう?」
キャロラインがメモを明かりに透かすと、バルオス王国の紋章がうっすらと浮かび上がった。
「……やっぱりファジー殿下が……?」
ミアが窓の外を見る。
「えーっと……ルルリアーノ様のことは気がかりではあるんですが、皆さま。そろそろ大広間に……」
ジョシアが気まずそうに告げる。
「……そうだな。戻ろう。ファジー殿下の真意かどうか……見届けるしかあるまい」
キャロラインが頷くと、ミアもレインも追随した。
*
大広間に戻ると、深紅のドレスを着た令嬢が通りかかった。
「あら、キャロライン様。お久しぶりですわ」
「……シルフィー様、お久しぶりです」
キャロラインを呼び止めたのは、ウェーブのかかった金色の髪を緩くまとめるシルフィー・エダモン公爵令嬢だった。
「婚約なさったんですって? おめでとうございます」
「ありがとうございます」
シルフィーの笑顔は、素直な笑顔で、キャロラインの隣にいたレインもはにかんだ様子で頭を下げる。
「……あら、初恋が実ったのね」
シルフィーの言葉に、え、とレインが声を漏らす。シルフィーの視線はレインに向けられているからだ。
「ねえ、キャロライン様?」
揶揄うような声色のシルフィーが、キャロラインを見た。
「……一体、何を言っている?」
キャロラインが困惑した表情でシルフィーを見る。だが、シルフィーは、クスリと笑う。
「もう何年前になるかしら……王城でのお茶会の時に、キャロライン様、傷をつけた男性の話ばかりしていたことがあったでしょう?」
キャロラインが慌てる。
「それは! 一緒にいた狼が欲しかったという話で!」
だが、シルフィーは微笑んだまま肩をすくめる。
「あら。私、キャロライン様の口から、男性の話を聞いたのは、後にも先にも、あの時だけだったわ。婚約者にも興味がなさそうでしたのに」
ウインクするシルフィーに、キャロラインが固まる。
「ふふ。でも、いいじゃない。初恋が実ったのなら」
目を細めるシルフィーは、どう見てもキャロラインを揶揄っている。
ミアはパチパチとキャロラインとシルフィーの顔を見比べる。キャロラインの表情は苦虫を噛み潰したようだ。
「キャロライン様がパーティーに来るのも珍しいのに、今日は珍しい人が色々来ていて楽しいわね。お付きの人も……」
シルフィーの視線がミアに向かう。視線が合ったミアは慌てて視線を落とす。
「あら……ルルリアーノ様は?」
声を潜めたシルフィーに、キャロラインが首を振る。
「何のことだ?」
キャロラインがシルフィーの顔をじっと見る。その表情には動揺はない。
「……なるほどね。わかったわ」
シルフィーがニコリと笑うと、その視線をまたミアに向ける。
「気持ちが決まったら、お伺いするわ」
え、とミアが声を漏らす前に、シルフィーは去って行く。
ハッと我に返ったキャロラインが、ワタワタとレインを見る。
「シ、シルフィー様が言った話は……あ、あれだ……私が狼が欲しいと何度も言っていた、という話だ!」
ミアもジョシアも、見たことのないキャロラインの動揺に、目を丸くする。
レインも一瞬目を丸くした後、クスリと笑った。
「ええ、確かに。キャルは、私の狼が欲しくて、私に戦いを挑んできましたからね」
「そ、そうだ」
「そういうことにしておきましょう」
ニコリと笑うレインに、キャロラインが目を見開く。
「それ以外などない!」
クスクスと笑うレインを、ミアは不思議な気持ちで見つめた。
ブツブツと呟きながら、キャロラインは会場を横切って行く。
ミアは隣を歩くジョシアを見上げる。
「キャロライン様とシルフィー様は、仲がよろしいの?」
「私がキャロライン様付きになってから、私的に交流している姿を見たことはありませんが、おそらく、王子妃教育で一緒に過ごすことがあったんではないでしょうか」
ジョシアの説明に、ミアは頷く。
「まさか、キャロライン様を揶揄える人がいるなんて」
クスリと笑うミアに、ジョシアも頷く。
「確かに、初めて見かける姿でしたね。魔王と呼ばれても、動じもしませんから」
「キャル、どこに行くのです?」
レインがキャロラインに問いかける。
「壁の花になりに行くさ。もう用事は終わってしまったからな」
「他の貴族との挨拶はいいのですか?」
レインの指摘に、キャロラインがため息をつく。
「別に、私がしなくともいいだろう。そもそも、今回のことがなければ、来るかもわからなかったパーティーだ。……こんな会場にドレスを着て立ったのは、幼い時以来だ」
「えーっと……ルイ殿下の婚約者だった時、パーティーには出ていたんじゃありませんか?」
「何のためにだ?」
キャロラインの返事に悟ったレインは苦笑する。ミアも、社交界でキャロラインを見かけた記憶はなかった。
「パーティーに出ずとも困ることはなかろう? そもそも、レインもパーティーには出ていなかっただろう?」
「私とキャルでは、立場が違うと思いますが……」
レインの答えに、キャロラインが目を細める。どうやら不満だったらしい。が、すぐに表情を緩める。
行き止まり、とも言える壁際に落ち着くと、キャロラインがレインを見上げた。
「もし、サムフォード商会として交流したい貴族がいれば挨拶に行くといい。クォーレ公爵家の名前は、役に立つだろう」
キャロラインの言葉に、レインは、あ、と声を挙げる。
「ウルルカ領の領主にご挨拶がしたいですね」
「ああ、織物で有名なところだな」
キャロラインが頷くと、会場を見回す。
「父上か兄上に聞かないと分からん」
キャロラインの視線の先には、クォーレ公爵夫妻の姿があった。
レインにエスコートされて歩き出すキャロラインの後ろを、ミア達も付いて行く。
ふと、窓の外を横切る影に、ミアが視線を向ける。ジョシアは既に外に視線を向けていた。
「キャロライン様、ちょっとお待ちください」
ジョシアがキャロラインの耳元に声を落とす。
ミアは視線を窓の外から会場に戻す。だが、今の状況が理解できなくて、キャロラインとジョシアの会話が終わるのを待つ。
キャロラインの視線が窓の外に移る。が、それはすぐにレインに向かう。
「まだ父上は話をしている。あとで聞いてみよう」
キャロラインの言葉に、一行はまた壁際に寄る。
キャロラインがレインに何かを話しかけている。そして、ミアの隣に移って来たジョシアはミアに耳打ちする。
「これから何かが起こるかもしれません。私から離れないようにしてください」
ミアは、会場の外を取り囲んでいる騎士たちを思い出して、コクリと頷いた。




