6.新たな婚約話
キャロラインがサムフォード家に突撃してきた翌日、いや、客人として招かれることになった翌日から、サムフォード家の元使用人たちは続々と屋敷に戻ってきていた。勿論、昨日の今日で他の屋敷を離れられない使用人もいるため、全員が戻るためには1か月ほどかかるかもしれない。
それでも、キャロラインによって提供された潤沢な資金は、元使用人たちを1年やとっても、何も支障がない金額だった。
そして、何もなかったがらんどうの屋敷の中には、必要最低限の家具や食器が揃えられ、生活には困らないことになった。
たった1日で、サムフォード家は、何もない状況から脱した。レインは、戻ってくる使用人たちに声を掛けながら、キャロラインの資金頼みの今の状況を、早々に改善しようと決める。
キャロラインは要らぬ金だと言ったが、レインとしても、サムフォード家を立て直さなければ、と思っていた。昨日までは、突然両親が亡くなり、店の権利を失い、そして家財道具一式も渡さなければいけない状況に慌てふためき呆然としていたわけだが、妹のミアは早々に建て直す方法を考え始めていた。それを見習わなければ、と思っていた。
勿論、ミアのようなアイデアはレインにはまだない。だが、サムフォード男爵として、前を向かなければ、と思っていた。
「な、なんだこれは?!」
戻って来た使用人たちの名簿を居間でチェックしていたレインは、ホールから聞こえてきた声に、うんざりした顔になった。テーブルの上で急に呼び戻すことになった使用人たちを早々に戻してくれた家への礼状を書いていたミアも、顔を上げた。その顔はあきれ果てていた。
「アイザック、また来たのかしら。仕事があるはずなのに、暇な人ね」
ミアは嫌味を言いつつも立ち上がった。レインも相手をするほかはないとミアの前に立ちホールへと向かう。
ホールに向かうと、以前いた年老いた執事が代わりにと推薦してきたフォレスが、アイザックの相手をしていた。
が、アイザックはレインたちの姿を見ると、フォレスを無視してレインたちに向かって来た。
「何なんだ、これは?!」
怒ることでもないはずなのに、なぜかアイザックは怒り狂っていた。
レインもミアも顔を見合わせて、肩をすくめた。
「客人を招くことになりまして、使用人たちを呼び戻したところです」
ニッコリとレインが笑うと、アイザックがひくりと頬を震わせた。アイザックもレインと何度か顔を会わせたことはあるが、笑ったレインに会ったこともなく、しかも、レインの目は少しも笑っていなかったせいで、おびえたのかもしれなかった。
「客人、だと?!」
やれやれとミアはため息をついた。ここはサムフォード男爵家であって、グルグガン家ではない。客人を招くことをアイザックに文句を言われる筋合いなどないのだ。
「ええ。昨日、お客様がいらっしゃって」
「だ、誰が来たんだ!?」
ミアもレインも首を横にふる。客人を明かす必要などないし、それを知る権利はアイザックには存在しないからだ。それに、客人を明かすなど、マナー違反もいいところだ。特に今回は公爵家の娘であるキャロラインだ。明かすことなどできない。
「教える必要はないだろう? 一体何の用事で来たんだ?」
レインは今までにない態度でアイザックに言い切った。アイザックが目を見開く。昨日までは間違いなくおどおどしてアイザックに言い返すことなどできそうにもなかったレインが、一日で明らかに変わっていたからだ。
だが、ミアはレインの態度に最初は驚きはしたが、おかしいとは思っていなかった。少なくとも、引きこもりになるまでのレインは、普通に人と話すことが出来ていたからだ。それに、昨日の出来事が、ショック療法で良かったのかもしれないと思っていた。
「し、知る権利はあるだろう?! 俺はミアと結婚するんだぞ!」
アイザックの言葉に、レインもミアも溜め息しか出なかった。少なくとも、今のところその予定はゼロだ。
「そんな予定はありませんし、私たちはアイザックに用事もありませんから、お帰りくださる?」
ミアがニコリと笑って退去を促す。フォレスが待っていたかのようにアイザックの腕を取った。
「痛い! 痛いぞ! お前のところの執事は、客人にけがをさせるのか!?」
思いがけなく騒ぎ出したアイザックに、ミアもレインも首を振るしかない。フォレスもミアたちの視線を受けて、アイザックから離れた。
「じゃあ、魔法をかけますので」
レインがそう告げれば、アイザックは「その必要はない」とぼそりと告げ、腕をさすった。
レインの使える魔法は、掃除と、簡単な癒しの魔法。ただ、癒しの魔法は、本当にケガがなかった場合、反作用でケガを作ってしまうことがある。だから、おいそれと癒しの魔法は使えないし、本当にケガをした場合にしか使えない。つまり、アイザックは本当はケガなどしていないのだ。
「ミアの婚約者様だぞ! もっと丁重に扱えないのか!」
気まずそうなアイザックはフォレスに怒鳴りつける。
「サムフォード家では、アイザックをミアの婚約者とは認めない」
低い声で、レインが告げる。ぎょっとしてアイザックが振り向いた。
「だ、だが! 客人が来たからと言って、こんな風に使用人を使っていては、屋敷を売らなければならなくなるだろう!」
レインの冷たい視線に、アイザックが慌てる。
「それは、今から建て直す。だから、アイザックの相手をしている暇はないんだ。出て行ってくれないか」
ミアは、きっぱりと告げたレインに、心が熱くなった。昔のレインが戻ってきたような気がしたからだ。レインは、妹想いの優しい兄だった。そして、サムフォード家をもっと大きくするんだと夢を語っていた。だから、急に引きこもりになった兄が、ショックだったし、心配もしていた。だが、いつかは、と思い続けていたことが、今現実になったような気がしていた。
「俺は、ミアと結婚するんだ!」
「誰が、ミア嬢と結婚するんだ?」
ぎょっとするアイザックが視界に入れたのは、昨日とは全く違う令嬢らしいドレスを身にまとったキャロラインだった。
あ、とミアもレインも呆気にとられる。まさかキャロラインが人前に出てくるとは思っていなかったのだ。
実はドレスをキャロラインに着させるように仕向けたのは、他でもないレインで、それはカルロをひたすら撫でまくったキャロラインに対するお仕置きの意味があった。勿論キャロラインは抵抗したが、カルロを人質ならぬ狼質にとられ、抵抗をすることが叶わなかった。あれだけ嫌がっていたし今までのことを考えると、人前には出てこないだろうとミアもレインも思い込んでいた。
だが、キャロラインはカルロを従えてホールにやってきてしまった。
「クォーレ公爵家の令嬢? ど、どなたですか?! 」
キャロラインの後ろに立つ騎士服をまとうジョシアを見て、アイザックは当たりをつけたらしい。そして、流石に罵声を浴びせることはなかった。キャロラインが人前に出てこないため、顔は勿論知らないらしい。
「で、誰がミア嬢と結婚するんだ?」
キャロラインは答える気が一切ない。
「えーっと、私アイザックと、そちらのミアが結婚の話が出ておりまして……」
「そんな話はありません!」
アイザックの言葉をミアが即座に否定する。
うむ、とキャロラインが頷いた。どうして頷いたのか、ミアもレインも見当が付かなかった。
「生憎、ミア嬢とこのジョシアの婚約が決まったところでな。お前に出る幕はない」
落とされた爆弾に、ミアもジョシアも固まる。レインはそっと息をついて、また巻き込まれてしまったジョシアを不憫に思う。ジョシアは結局、昨日からサムフォード家での生活を始めている。
「どういうことだ!?」
アイザックがミアを責める。その間にスッと入って行ったのは、他でもないジョシアだった。
「私の婚約者をののしらないで欲しいですね」
毅然とした態度に、アイザックがおののく。
「俺の方が先に結婚の話を出したんだ!」
「話を出すのが早ければいいってものでもないだろう。下らない、カルロ、行くぞ」
バッサリとアイザックを切り捨てたキャロラインは、爆弾を落とすだけ落して応接間に戻って行った。そして、カルロはその後ろを付いて行く。
応接間には、キャロラインが最初に魔法で呼び出したコンパクトなソファーセットがそのまま置かれている。……キャロラインはカルロとの愛を深めるために、あそこに置いたままにしておくことにしたらしい。
「お前たちの結婚など認めない!」
捨て台詞を残して、アイザックが家から出ていく。
バタンと強い音がして、扉が閉まると、ミアもレインもホッと息をついた。
「あの……」
ミアが口を開こうとすると、ジョシアが首を横にふった。
「話はキャロライン様のところで致しましょう」
ジョシアの提案に、レインはハッとして頷いた。
そして、ホールでミアとレインとジョシアは顔を見合わせた後、キャロラインのいる応接間に向かった。
「あの男は帰ったのか?」
応接間に入って来た3人に、ソファーに座るキャロラインが尋ねる。
「ええ、帰りましたが、あの宣言は唐突過ぎます」
ジョシアが苦言を呈す。
「追い出せたんなら良かったじゃないか。あんなふうに騒がしい男は好かん」
人間の男は全部お断りなんじゃないか、と思いながら、ミアとレインは曖昧に頷いた。
ジョシアは首を横にふった。
「キャロライン様。あんなことを唐突に宣言されたら、ミア様が困ります!」
「あの男は撃退できたんだ。それでいいだろう」
キャロラインはカルロを抱き寄せた。
「文句は受け付けん」
「キャロライン様にも、困りますね」
申し訳なさそうに首を傾げたジョシアに、ミアも困った表情になる。
「ごめんなさい。巻き込んでしまって。でも、助かったのは確かだわ。アイザックは強引だから」
ジョシアが首を横にふる。
「それで、ミア様が助かるのであれば、婚約の話はそのままにしておいてくださって構いませんよ」
ミアもレインも、え、と声を漏らす。
「でも、それだとジョシアさんが困るのではなくて?」
「私はどうせ独り身ですし、付き合っている相手もおりませんので……ミア様が助かると言うのであれば、私の名前を使っていただいて構いません」
ジョシアは優しく笑ってミアを見た。
「私とキャロライン様の結婚より、よほど現実味がある話だ」
うん、と頷くレインに、ミアは慌てる。
「でも……」
「ミア嬢、ジョシアがいいと言ってるんだ。嫌になったら婚約破棄でもなんでもしたらいい」
キャロラインの言葉に、ミアはおずおずと頷いた。