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57.ルルリアーノの新たな決意

「ファジー殿下を助ける?」

 ヴィンセントが困惑したようにルルリアーノの顔を見る。

「ええ……望まない婚約をしたと聞いておりますので……婚約破棄が出来るよう、お手伝いをしようと思っています」

 ルルリアーノは真っすぐヴィンセントを見る。ヴィンセントは固まったあと、我に返って口を開く。

「えーっと……そもそも、ルルリアーノ嬢は、どこでファジー殿下と交流されたんです? ……バルオス王国に行ったことが?」

 ヴィンセントの言葉にちらりとミアを見たルルリアーノは、小さく首を横にふるミアに頷くと口を開く。

「ファジー殿下とは、思いもかけないことで出会いましたの」


「えーっと……それで……えー?!」

 ヴィンセントが混乱したように頭を抱える。そして、顔を上げるとミアとレインに視線を向ける。

「えーっと、どうしてお二人……いや、三人は、今の話を聞いて、落ち着いていられるんです?」

「ルルリアーノ様の想い人については、存じ上げておりましたので」

 ミアが頷くと、レインも頷く。だが、落ち着いた表情のミアと違って、レインは困った顔をしてミアを見た。

「……では、私をルルリアーノ嬢の相手に選んだのは……単純に、ファジー殿下の話を聞きたかったから、でしょうか?」

「ないとは言い切れませんわ」

 ニッコリと笑うミアに、ヴィンセントが大きくため息をつく。


「それならば、そうと言ってくれればいいのに……とは言っても、私はさっきも言った通り、ファジー殿下と親しく交流しているわけではないですからね……」

 そこまで言ったヴィンセントは、ルルリアーノをじっと見る。

「ルルリアーノ嬢、悪いことは言わない。バカなことは辞めた方が良い」

 きっぱりと告げるヴィンセントに、ルルリアーノは真顔で首を横にふった。

「いえ。私は決めましたの」


「……ルルリアーノ嬢の気持ちは……わからなくはないよ。好きな相手が……意に添わない相手と結婚しようとしているのかもしれないのを止めたいと思う気持ちは。でも、本当のファジー殿下の気持ちはわからないし、ことも大きくなりすぎる。相手はヴァージニティー辺境伯のご令嬢だ」

 真剣な表情のヴィンセントに、ルルリアーノは頑なな表情で首を横にふる。

「嫌ですわ……」

「本気で辞めた方が良い。何しろ、ヴァージニティー辺境伯だ。ルルリアーノ嬢の身に、何が起こるかわからないんだよ」

 ヴィンセントの言葉に、ルルリアーノは首を傾げる。


 ミアとレイン、そしてキャロラインは、ピクリと反応する。

「ヴァージニティー辺境伯は、何か曰くがあるんでしょうか?」

 ミアが首を傾げる。

「あ……いや……バルオス王国では、ヴァージニティー辺境伯領の薬茶が広く出回っていて……多くの貴族が、必要な嗜好品としてあのお茶を好んでいるようだよ……だから……」

「なるほど、その薬茶を望む貴族たちは、ヴァージニティー領の味方なんだな?」

 キャロラインが初めて口を開く。渋々ヴィンセントが頷く。

「だから、王家も断れなかったんだと思うと、私の友人も手紙に書いていたよ」


「ヴィンセント殿は、あの薬茶を飲んだことは?」

 レインの問いかけに、ヴィンセントは首を横にふる。

「私がバルオス王国で一番仲が良かった友人が、そのお茶を飲むと具合が悪くなる友人でね。具合が悪くなることもあるし、依存性があるからやめた方が良いと言われて、飲むことは無かったな」

「依存性?」

 ミアが目を見開くと、ヴィンセントが頷く。

「飲めば飲むほど、手放せなくなるらしい。……だから、ヴァージニティー辺境伯は、……他の貴族を操って権力を持っている、と言われていた」

「まるで、毒だな」

 キャロラインが吐き捨てる。ミアもレインも硬い表情で頷いた。


 ルルリアーノは、唇を噛んでうつむいた。

「そんな……そんなことで、ファジー殿下が望まない結婚を……」

 だが、ヴィンセントは首を横にふる。

「逆に言えば、ヴァージニティー辺境伯を取り入れておけば、大方の貴族が味方につくってことだから……王家としては望んでいる結婚のような気がするよ」

「……信じられません!」

 ぎゅっと手を組むルルリアーノをじっと見るヴィンセントは、首をゆっくりと横にふる。

「ルルリアーノ嬢が、ファジー殿下に何を言われたのかは知らないけど……ファジー殿下は……その……誰に対しても優しいから……勘違いする女性が後を絶たなかったよ……」

 うつむいたルルリアーノの目から、涙がこぼれた。


 *


 ヴィンセントが帰ってしまった応接間の中は、ルルリアーノの表情と一緒で暗く沈んでいた。ミアもレインも、うつむいたままのルルリアーノを気づかわし気に見つめている。

 キャロラインは体をソファーに預けると、フードをはいだ。

「辞めるのか? ルルリアーノ嬢」

 ノロノロと顔を上げたルルリアーノが、初めてキャロラインに気付いたらしく目を見開く。

「キャロ……ライン様……」

「どうするんだ? 私はどちらでもいいが」


 ルルリアーノはまた俯く。

「私の勘違いだったんだわ」

「そうかな?」

 即座に否定するキャロラインに、ルルリアーノが勢いよく顔を上げた。

「ヴィンセント様がおっしゃったじゃありませんか!」

「ああ、確かに言っていたな」

 頷くキャロラインに、ルルリアーノが涙目になる。唇を噛んでいるルルリアーノの目からは、今にも涙がこぼれてきそうだった。


「だが、ヴィンセントはこうも言っていたではないか。ファジー殿下と仲が良かったわけではないと」

「ですが!」

「ファジー殿下の心の内は、誰がわかる?」

 畳みかけるキャロラインに、ルルリアーノが視線を揺らす。

「私にも、ヴィンセントにも、本当のところは分からない。勿論、ルルリアーノ嬢にもな」

 キャロラインの言葉に、ミアもレインも苦笑する。二人の気配に、キャロラインがギロリと睨みつける。


「何か笑うようなことがあったか?」

「いえ。キャルお姉さまらしいな、と思って」

 クスリとミアが笑うと、レインも口元を緩めて頷いた。

「何だ? ……別に普通のことを言っているだけだ」

 視線をキャロラインに停めたルルリアーノがゆっくりと口を開く。

「キャロライン様は、あの話を聞いても、私がファジー殿下の婚約を壊そうとすることを、止めないんですの?」

 キャロラインは肩をすくめる。


「流石に、不敬罪になりそうなら、魔法で我が家に飛ばすさ。だが、その目で見て、ファジー殿下が不幸そうに見えるなら、何か力になってやっていいんじゃないのか?」

「……いいんでしょうか?」

 ルルリアーノの言葉に、キャロラインは首を傾げる。

「さあな。それを決めるのは、自分だ」

 ルルリアーノが目を伏せる。

「ファジー殿下が、幸せそうに笑っているのを見るだけになるかもしれないんですよね……」

「そうかもしれないな」

「キャル……」

 否定しないキャロラインを、レインがやんわりたしなめる。


 だが、ルルリアーノは顔を上げるとキャロラインをじっと見た。

「私、行きますわ」

 キャロラインが頷く。

 ルルリアーノは、また目を伏せた。

「……でも、このことを言ったら、ますます両親が行かせてはくれないでしょうね」

「隠れて行くか?」

 キャロラインの提案に、ルルリアーノは、首を横にふる。

「例えどんな結果になっても、見届けたいのです……だから、堂々とファジー殿下の前に出たいですから……両親を説得しますわ」

「わかった」

 ルルリアーノの出した答えに、キャロラインだけじゃなく、ミアもレインも頷いた。



「暇だな」

 扉が開いた昼下がりの応接間に、キャロラインのつぶやきが落ちる。その言葉に、部屋に入って来たミアとレインが苦笑する。キャロラインの足元にいるカルロは、珍しく眠っていた。キャロラインの後ろに立つクリスは、所在なさげに視線を動かした。

「少なくとも何もない、ってことは平和でいいじゃないですか」

 レインの言葉に、キャロラインが首を横にふる。

「この2週間近くのジョシアたちの報告にも、特に変わったことはないしな……嗅ぎまわる人間が一人や二人、いてもおかしくないのにな」


 ジョシアたちがシュゼットと共に王都に戻ってきてから2週間近くが経過した。だが、特にサムフォードの家の周りでは変わった出来事は起きることはなかった。それは、キャロラインから報告を受けているミアとレインも知っていることだ。

「その方が良いとは思いますけど……」

 ミアが肩をすくめる。

「それよりも何だ? ミア達がこの部屋に来たってことは、何かあったんだろう?」


 ミアが頷いて口元を緩める。

「カリファル侯爵夫人から、お届け物が来たんです」

「カリファル侯爵夫人から? ……一体何が?」

「ルルリアーノ様のドレスです」

 キャロラインが驚いたようにミアを見た。

「なるほど、侯爵夫人はルルリアーノ嬢の味方になったのか」

「流石キャルですね。……カリファル侯爵からは許しは出ていないようですが……キャルはどうするつもりですか?」


 レインの問いかけに、キャロラインが頷く。

「少なくとも、大手を振って応援されるようなことではないからな。侯爵の理解が得られないのも仕方がなかろう。だが、侯爵夫人が許したのなら、ルルリアーノ嬢をパーティーに連れて行ってもいいだろう」

「……わかりました。私たちも、ルルリアーノ様の不名誉な噂にならないよう、できる限り力を尽くしますわ」

 ミアとレインがコクリと頷くと、キャロラインが頬杖をつく。

「そんなに畏まらなくともよい。私が良いように取り計らう」

「……えーっと……キャルの『良いように』は、本当に一般的な『良いように』なんでしょうか?」

 レインが首を傾げる。


「何だ? 不満があるのか?」

 ギロリ、とキャロラインがレインを見る。

「キャル、良ーく考えてみてくださいね? そもそも、私の顔の傷も、キャルにとっての『良いように』が理由だったんじゃありませんか?」

 真面目な顔で問い直すレインに、クリスは驚いたようにレインを見る。

「あー。確かに、そうかもしれん。私は狼第一主義だからな」

 ニヤリと笑うキャロラインが、カルロに視線を向ける。その視線は柔らかい。

「では、今回の場合の、キャルにとっての『良いように』は、一体どんな状態なんです?」

 首を傾げたキャロラインは、しばらくして口を開いた。


「私が面白いように、だろうな」

 レインがこめかみを押さえる。ミアは首を横にふる。

「それは、一番駄目だと思いますわ」

「大丈夫だ。安心しろ」

「全然、安心が出来ません!」

 レインがきっぱりと言い放つ。


「……あの、ジョシアさんは、勿論そのパーティーに一緒に行きますよね?」

 ミアの質問に、キャロラインがニヤリと笑う。

「そもそも、ジョシアは明後日からクリスと交代するだろう? 私の護衛だ。一緒に行くことになるだろうな。ミアは婚約者と一緒にパーティーに行きたいのか?」

「そうではなくて、キャルお姉さまの行動を止められる人間は一人でも多い方がいいってことですわ」

「暴走などせぬ」

「キャル、普通の令嬢は、『暴走などせぬ』という言葉を発することはありませんよ」

 レインの指摘にキャロラインが目を逸らす。ミアは小さく噴き出して、クリスはまた所在なさげに視線を揺らす。でも、その口元は笑っていた。


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