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51.薬の話

「ミア嬢?」

 ミカルノの声に、ミアはハッとする。ミカルノにどう切り出すのか悩んで、ミカルノとアイルの話を話半分に聞いてしまっていた。

「お二人が上手くいっていて、良かったわ」

 ミアはニコリと笑う。ミカルノも微笑んでニコリと笑う。それに対して、アイルがムッとした表情で首を振る。

「ミア様、私の話を聞いていて? ミカルノ様は、私の悪いところばかりをまだ褒めるんですの!」


 二人の婚約が成立したパーティーでの出来事を思い出して、ミアはクスリと笑う。

「惚気のようにしか聞こえませんけれど?」

「ミア様も耳がおかしくなったんではなくて!」

 ふい、とアイルが顔を背ける。その耳は赤い。ミアとミカルノは顔を見合わせて微笑む。


 ミアの目には、ミカルノの表情に陰りは見えない。以前会ったときと、何も変わらない。それは、以前から状況が変わっていないから陰るような必要がないのか、そもそもミカルノにとって表情が陰るような事態が起こっていないからなのか、それはミアには分からなかった。

 昨日、いや一昨日までは、ミカルノたちに会って、その表情に陰りがないかを見届ければいいかと思っていた。だが、ミアたちの状況がより複雑かもしれない以上、得られる情報は得ておきたかった。

 だから、どうにかやってあの薬へ話題を移したいと思っている。だが、切り口が見つからない。直接的に話を持って行って、変にミカルノの警戒を引き出したくもなかった。


 この場には、レインはいなかった。それは、今日から働きだした新しい使用人に、仕事内容を教えているためで、この後も同席する予定はない。

 この場にいるのは、ミア、ミカルノ、アイル、アイルの侍女、そして、黒いフードを被ったままのキャロラインと、キャロラインに撫で続けられているカルロだった。ミカルノたちが来ても、ちらりと顔を上げて二人を見て以降顔も上げないキャロラインには、助け船は望めそうにもなかった。

 ミアは小さく息を吐く。

 他に手を思いつかないから、仕方がないと口を開く。


「そう言えば、ミカルノ様」

 ミアは何てことではない、と言う風にミカルノの顔を見た。

「何かな?」

 ミカルノが小さく首を傾げる。顔を背けていたアイルがミアを見た。

「あのパーティーの席で、話に上っていた新しい薬、痛みを感じなくなるって本当ですの?」

 ミアの言葉に、ああ、と声を漏らしたミカルノは、苦笑して肩をすくめた。

「そのようだよ。……少しくらいの痛みは必要だと思うけれどね。私の主張は、誰にも理解されなくて」


「え、ええ……痛みがない方が良いと思うのは、誰しもの希望じゃないかしら」

 ミアはミカルノの素直な意見に苦笑を漏らす。

「ええ。私も御免だわ。ミカルノ様は変よ!」

 アイルはきっぱりと首を横にふる。だが、ミカルノはふふ、と微笑む。

「私が罵ると嬉しそうにするの、本当に辞めてくださる?」

「だって、アイルは相手のことを思うから、ついきついことを言ってしまうんだろう? だから、私が喜ぶのも仕方がないと思うんだけど」


 ミカルノの答えに、ミアはなるほど、と頷く。どうやらミカルノはこうやってカモフラージュしているらしい。だが、次の瞬間、話がずれてしまったことを思い出し、慌てて話を元に戻そうと口を開いた。

「痛みがなくなるのは、すぐなんですの?」

「効き目は早いよ。私も実際に試したことがあるけれど、少しも痛みを感じなくて、手伝ったことを後悔したくらいだよ。ミア嬢、どうしてその話を?」

 ミカルノの当然の疑問に、ミアはニコリと笑って見せる。

「いえ。二人の会話を聞いていたら、あのパーティーのことを思い出して……そう言えば、と思い出したものだから、聞いてみたくて。何しろ、そんなお薬は初めてでしょう?」

 ミカルノが、大きく頷く。


「そうだね。そう言う意味では、我が家が誇れる発見になったはずだよ。実際、あの薬を使った人たちからは、感謝されているしね」

「そうなんですね。私の周りではまだ使ったことがある方は聞いたことがないんですけれど、そんなに使った方がいらっしゃるの?」

 ミアはミカルノに問いかける。

「そうだね……もう実際に20人ほどは使ってるはずだよ」

「まだ20名ほどなんですのね。身分が高い方しか、使えないのかしら?」

「量が作れないってこともあるんだけどね。確かに薬がちょっと高価になってしまうから、まだまだ身分の高い人間しか使えないものだね」

 ミカルノの答えに、ミアはウンウンと頷く。


「いいお薬ですのに、庶民にも手が出るようになればいいですわね」

「そうだね……ある意味、特権階級だから使える薬って感じになってしまっているからね。栽培できればいいんだけど、どうやら原料が自然でしか取れないものらしくて」

「お二人とも、お薬の話はそれくらいにしてくださる? 私はつまらなくてよ?」

 アイルが本当につまらなさそうに告げる。ミカルノはニコニコとアイルを見る。アイルはふんと顔を上げる。


「ごめんよ、アイル」

「ミア様も、仕事の話に興味を持たれるなんて、女性のたしなみとしてどうかしら?」

 アイルの言葉に、ミアはニコリと笑う。

「申し訳ありません、アイル様。初めて聞いたお薬の話でしたので、どうしても好奇心が勝ってしまって。我が家は商いをやっておりましたので、新しいものに関して、興味があるんですの」

「なるほどね。……サムフォード家は、もう商いはやらないのかい?」

 ミカルノの問いかけに、ミアは頷く。


「可能ならば、やりたいと思っているんですけれど……グルグガン商会に、扱っていた商品の権利がほとんどありますから……一から始めないといけませんから」

 ミアの言葉に、キャロラインがちらりとミアを見る。

「そうか。そうなると、なかなか大変だろうね……だが、我が家としても、グルグガン商会からではなくサムフォード家から買いたいんだけどね。何しろ、元々のものとは値段が変わってしまっているからね」

 肩をすくめるミカルノに、ミアは頷く。

「フィリアス家には、長年お取引いただいておりましたものね」

「我が家も、そうなのよ。グルグガン商会のやり方は嫌いだわ。一刻も早く、元のように商売をして頂戴」

 アイルが眉を寄せる。


「確かに……グルグガン商会のやり方は、私も好まないね」

 ミカルノが首を横にふる。ミアが咄嗟に口を開く。

「もしかして、グルグガン商会は、フィリアス家の薬の扱いをしたいと言ったりしたのかしら?」

 ミアの言葉に、ミカルノが驚いた表情になる。

「よくわかったね?」

 ミアは苦笑する。

「グルグガン商会ならば、お金になると思ったことには、手を出しそうですもの」


 うんうん、とミカルノが頷く。

「結構強引だったが、勿論両親はきっぱりと断ったよ。目的以外に使われると困る薬もあるからね」

 ミアは次の言葉を探す。だが、その前にアイルが口を開いた。

「嗜好品の値段が倍以上しているのよ。本当に、どうにかしてくださる?」

「できるだけお応えしたいんですけれど……」

 ミアは苦笑する。アイルが居ることもあって、あまりフィリアス家の薬の話ばかりするわけにも行きそうになかった。


 おもむろに、キャロラインが立ち上がる。急に立ち上がったキャロラインに、皆の視線はキャロラインに向く。だが、キャロラインが窓を開けるだけだと分かると、皆の視線は元の位置に戻った。

 キャロラインがカチャリと窓を開けたタイミングで、窓から風が吹き込んでくる。

 その風には、ミアの嗅いだことのない独特なツンとした匂いが乗っていた。

「何ですの! この匂い!」

 鼻と口元を押さえたアイルの声につられるように、同じように鼻を押さえた皆が窓を見る。


 窓を開けたキャロラインは、首を傾げる。

「どうかしたか?」

「この匂いは……」

 ミカルノが突然立ちあがる。そして、ツカツカとキャロラインのいる窓に向かう。

「あれ? でも……あの匂いは……」

 窓の外に顔を出したミカルノが困惑した様子でキョロキョロと外を見ている。


「ミカルノ様、どうかされましたか?」

 ミアも立ち上がると、窓に近づき、窓の外を見る。

 だが、その景色は、ミアのよく知る景色で、あんな嗅いだことのないような匂いの原因になりそうなものは、何一つなかった。

「いや……あの匂いは……こんなところに自生しているのかと……思ったんだが」

 歯切れの悪いミカルノの言葉に、アイルが首を傾げる。

「今の匂いは、何なの?」

「……いや、さっき話していた薬の匂いに似ていたんだけれど……今はもう匂いはしないし……気のせいだったのかな?」


 首を傾げるミカルノに、キャロラインが肩をすくめる。

「薬の匂いか、すぐわかるくらいに随分わかりやすい匂いがするものなんだな」

「薬は匂いがきついものも多いですからね。勿論、我が家の使用人たちは、薬の強い匂いを押さえようと頑張ってくれているんですけどね。あの匂いは……一体どこから?」

「もう、匂いはしないわね」

 恐る恐る手を離したアイルの言葉に、ミアも頷く。


「あなたが急に窓を開けたりするから、ヘンなニオイがしたのよ!」

 向けられたアイルの言葉に、キャロラインがニヤリと笑う。

「それは悪かったな」

「その態度、悪いと思ってなんてないんでしょう!」

 ムッとするアイルとニヤニヤしたキャロラインに、ミアは肩をすくめた。

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