32.思いがけない約束
「ルルリアーノ嬢は、本当に美しい」
ファジーが目を細める。
普通の令嬢であれば、ふふふ、と微笑むところだが、ルルリアーノは無表情のまま俯いた。
「ほら、顔を上げて。折角の美しい顔が見えないよ?」
ミアもそれなりに社交界に出ているし、殿方の誉め言葉は耳にしているものの、こんな風に流れるように嫌味なく優雅に褒める人は、多くはない。何しろ、下心を感じないというのが、一番のポイントかもしれない。
流れるように褒める人間のうちの大半は、下心が透けて見える。それは、性的な部分の下心の場合もあれば、政治的な部分の下心の場合もある。
下心なくルルリアーノを褒めまくってくれる、と言うのであれば、確かに、ルルリアーノの自信回復には役に立つかもしれない。
……隣国の第二王子をそのために活用するのは、どうかと思うが。
だが、活用しようとしたのはキャロラインで、ミアは今日の今日まで、いや、この場に到着するまで、まさかその相手がファジーだとは知らなかったのだ。
ハッキリ言って、ミアの男爵令嬢の立場で隣国の王子と同席することなど、ありえない。自分の国の王子と同席したことすらないのだ。
侯爵令嬢であるルルリアーノならば辛うじてあるかもしれないが、そうだとしても、稀なことだ。
そして、キャロラインにとっては“知り合い”レベルの認識のため、普通の事なのかもしれないが、それをミアにまで当てはめられると困る。
「ミア嬢は、どうしてキャロライン嬢と仲良くなったんだい?」
首を傾げるファジーに、ミアは微笑んでみせた。
「キャロライン様が、我が家の狼に会いに来たのです」
ああ、とファジーが声を挙げる。
「と言うことは、ミア嬢の家には、魔法を使える人間がいるのだね?」
「ええ。お兄様が使えます」
「そうか。魔法を使ってみたいものだね。キャロライン嬢はなかなか魔法を見せてくれないんだよ」
え、とミアがキャロラインを見ると、キャロラインが首を横にふった。
「殿下は、面白がっているだけです」
いつもと言葉づかいの違うキャロラインに少々違和感を持ちつつも、ミアは首を傾げた。
「バルオス王国にも、魔法を使う方はいらっしゃいますよね?」
ミアはバルオス王国について詳しく知っているわけではないが、魔法を使える人間がバルオス王国にもいると知っている。
「我が国にも、僅かにいるよ。でも、キャロライン嬢ほどの魔法が使える人間は、聞いたことがないね」
「……殿下、大丈夫です。この国でも、キャロライン様ほどの魔法が使える人間は、他に聞いたことがありません」
ミアは大きく頷いた。だからこそ、キャロラインは“魔王”などという二つ名がついてしまっているのだ。
「そうなのか。やはり珍しいんだね。ルルリアーノ嬢は、魔法は見たことがあるかい?」
ファジーの柔らかい視線がルルリアーノに向く。
「いえ……」
ルルリアーノは無表情のまま首を振った。
「本当に不思議なものだよ。世の中には、説明がつかないことは沢山あるね……ルルリアーノ嬢の美しさがこの国の男性に理解されないように」
真顔のファジーに、目を泳がすルルリアーノ。
聞いているミアまで恥ずかしい。
だが、キャロラインは平然としている。流石、としかミアは思えなかった。
*
「お帰り、ミア。キャロライン様も、お疲れさまでした。それで、首尾は?」
サムフォード家に戻り、応接間に移動したミアとキャロラインとジョシアの元に、カルロを従えてレインがやって来た。
「守備は上々だ。なぁ、ミア」
キャロラインが手を広げるとカルロは悠々とキャロラインの元に移動する。
ミアは首を少し傾げて、僅かに頷く。ジョシアは少々呆れた顔をしている。
「たぶん」
「どうして、そんな反応なんだ?」
レインの疑問に、ミアはキャロラインを見る。
「キャロライン様、言ってもいいでしょうか?」
「当然だ」
キャロラインはあっさりと頷く。
「バルオス国の第二王子殿下がいらっしゃって」
レインが瞬きを繰り返す。そしてジョシアを見た。ジョシアがゆっくりと頷く。
「……もしかして……キャロライン様の当てがある人物って……」
レインの問いかけに、キャロラインがニッコリと笑う。
「ファジー殿下のことだ。殿下は、人を褒めることに長けている。適材適所という奴だ」
レインがこめかみを揉む。
「キャロライン様。……適材適所、というのは、時と場合によります……。確かに、ルルリアーノ嬢の自信をつけるために、褒め上手な人は必要かもしれませんが……」
「何が悪い?」
「……よく、ファジー殿下もご協力いただけましたね」
レインの言葉に、ミアが苦笑する。同じ問いを、帰りの馬車の中でしたばかりだった。
「女性を褒める手伝いをして欲しいと言ったら、喜んで協力してくれたぞ」
「……そんなこと、殿下に頼めるのは、きっとキャロライン様だけでしょうね……」
ミアは自分が言ったことと同じことをレインが告げたことに、また苦笑した。
「そうか?」
ケロッと告げるキャロラインは、本当に特別なことをしたとは思っていないらしい。
「それで、ルルリアーノ嬢は……どんな反応だったんだ?」
レインの視線がミアに向く。
ミアは首を傾げた。
「戸惑っていたように見えましたけど……嬉しそうには、見えなかったかしら」
レインが苦笑する。
「ある意味、正常な反応かもしれない。……それで、この後ルルリアーノ嬢はどうしていくつもりなんだ?」
ミアに向けた質問だったが、キャロラインがニヤリと笑う。
「殿下がいる間は、ご協力いただけるそうだ」
レインが目を見開く。
「……えーっと」
「本当みたいよ、お兄様」
ミアが頷く。
「……では、毎日ミアとルルリアーノ嬢とキャロライン様はクォーレ公爵家へ?」
「……そうなるみたい」
ミアが眉を寄せる。
「どうかしたか、ミア」
キャロラインがミアの表情に首を傾げる。
「そうですね。何と言いますか、あれだけ盛大に褒めているのを横で聞いていると、ちょっと気恥ずかしいと言いますか……」
「気にするな。あれが、殿下の通常モードだ」
「……あれを続けることで、ルルリアーノ様、何か変わるでしょうか?」
ミアはキャロラインに問いかける。
「どうだろうな。でも、やってみないと分からないだろう? とりあえず、3週間ほど滞在の予定があるから、その間は、ほぼ毎日褒め続けてもらえばいいだろう」
「ほぼ毎日。……殿下も、色々と用事があるのではないのですか?」
レインが首を振る。隣国の王子だ。王家との用事もありそうなものだ。
「いや、殿下はお忍びで来ている。だから、特段用事はないんだよ」
「……なるほど、それでルルリアーノ様には口外するなとおっしゃったんですね」
ミアが頷く。
「……お忍びで我が国に来て、女性を褒めるためだけに……使われるとは……」
レインの表情には同情が見て取れる。
ジョシアも大きく頷いた。
「そう言えば、ファジー殿下が魔法が見たいと言っていた。どうだ、レインもクォーレ家に行くか?」
キャロラインの言葉に、レインが首を傾げる。
「どうして、私が行く必要があるのです? そもそも魔法ならば、キャロライン様が使えるではありませんか」
「私は殿下には見せない」
きっぱりとキャロラインが首を横にふる。
「どうしてですか? ……バルオス王国にも、魔法を使える人間はいるはずですし、特に他国の者の前で使ってはいけないという決まりもないですよね? そもそも、それならば、私が魔法を見せるのも、おかしな話ですし」
「実験動物としてバルオス王国に連れていかれるのがオチだ」
ミアもレインも顔を見合わせた。
「でも、キャロライン様。既にファジー殿下は、キャロライン様が他の人には使えないほどの威力の魔法を使えることを、ご存じだったじゃないですか」
「……そもそも、殿下が我が家に来たのは、私の婚約が破棄されたことを耳にして、時間を作って来たのだ」
なるほど、とミアが頷く。レインは戸惑った表情になる。
「ファジー殿下は、キャロライン様との結婚を望まれているのですね?」
ミアの問いかけに、キャロラインがうんざりした表情で頷いた。
「ああ。単に魔法が使えるから、という理由でな」
「キャロライン様は公爵令嬢ですから、身分としてはつり合いますから、それだけではないでしょうけど……道理で、そんなお願いを、ファジー殿下に聞いてもらえるわけですね」
レインが淡々と頷いた。だが、レインをギロリとキャロラインが睨む。
「どうして他人事なんだ」
「え? ……そうですね、キャロライン様とファジー殿下の結婚について、私には口を出すような立場にはありませんので」
レインの答えに、ミアが天井を見上げる。ジョシアも視線を外に向けた。キャロラインがニヤリと笑う。
3人の反応が理解できなくて、レインが首を傾げる。
「殿下には、レイン・サムフォード男爵と婚約した、と言っておいた」
「え?」
キャロラインの言葉に、レインが瞬きをする。
「何を驚いているんだ? そもそも、この家に来たのは、私の見合いをするためだっただろう?」
キャロラインは平然とした顔をして告げる。
クォーレ公爵家でこの話を既に聞いていたミアとジョシアも、当然この話に驚いていた。
だが、キャロラインが何をしでかすかなど、誰にも分かるはずがない。
「そうだったかもしれませんし、確かに私との婚約の話は出ましたが、なかったことになったはずでは?」
レインが真顔で首を傾げる。だが、キャロラインはニヤリと笑う。
「だれが、そんな話をした?」
レインはあの時のことを思い出す。
確かに、話は曖昧なままに終わったのかもしれなかった。
「まあ、魔法を見せないにしろ、ファジー殿下は、会いたがっている」
キャロラインがこともなげに告げる。
レインは天井を見上げて、ため息をついた。




