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31.魔王の行い

 ルルリアーノが居なくなった応接間に、沈黙が落ちた。

 ミアもレインも難しい顔をして座っていて、ジョシアは困ったような表情で立ちすくんでいた。

 ただ一人ニヤニヤしているのは、カルロを思う存分撫でまくっているキャロラインだけだ。


「お兄さま、何かいい手があるかしら?」

 ミアがようやく口を開いた。

「あったら既に出している」

 レインが首を横にふる。


「どう考えても、ルルリアーノ様が笑わなくなったのは、テリー様の言葉が影響しているわ。……例え気持ちのない婚約者だったとしても、あんなことを言われたら、きっと笑えなくなってしまうわ」

 徐々にムッとした表情になるミアは、大きくため息をついた。

「きっと、ルルリアーノ様は、テリー様を憎からず思っていたのよ。だからさらに、笑えなかった。なのに、笑わないからって、あの表情だけで冷たいって決めつけるなんてひどいわ!」


「……ルルリアーノ様がテリー殿をどう思っていたのかはわからないが、表情は出さずとも、十分感情を持っている方だと思うけどね」

 レインが頷いた。

「どうしたら……いいかしら。ルルリアーノ様は、自信を無くしてしまっているんだわ……」

「褒めては、どうでしょう?」

 ジョシアの声に、ミアとレインが顔を上げた。


「褒める?」

 レインの言葉に、ジョシアが頷く。

「ええ。ルルリアーノ様を褒めるんです。自信を持てるようになれば、自然と笑顔が生まれるかもしれない」

 なるほど、とミアが頷く。

「いいアイデアかもしれないわ。……でも、私たちが褒めるだけで足りるかしら?」


「褒めるのが得意な人間を知ってるぞ」

 キャロラインが顔を上げた。

「得意な方、ですか?」

「ああ。私は褒められても嬉しくもなんともないが、褒められた人間たちの様子を見ていると、皆嬉しそうにしていたな」

 キャロラインはそう言って、肩をすくめた。


「えーっと、ご家族ですか?」

 レインの問いかけにキャロラインは首を横にふった。

「いや、兄上の……友人……だな」

「本当にお知り合いなんですか?」

 確信を持てないようなキャロラインに、レインが眉を寄せた。


「兄上の友人で、我が家に来ることもあるのだから、知り合いで間違ってないだろう」

 キャロラインは飄々と告げた。

「確かに、それはお知り合いでいい気がします」

 ミアが頷く。

「ちなみに、どなたですか?」

 続いた質問に、キャロラインはニヤリと笑って、またカルロに視線を向ける。


「まあ、そのうち会わせるつもりだから、その時にな。そうだな、2、3週後には会える」

「……無関係なのに、ご協力頂けるんでしょうか?」

 レインの疑問に、キャロラインが頷く。

「ご婦人を褒めるのが仕事みたいなものだと、言っていた気がするから、大丈夫だろう」

 ミアとレインは顔を見合わせる。どちらの顔も少々困っている。


「その方……信用して大丈夫なんですか?」

 ジョシアの問いかけに、キャロラインはまたニヤリと笑った。

「本人を前に言えたら、ジョシアに褒美をやろう」

 ジョシアが首を横にふる。

「キャロライン様が面白がっている様子からするに、私がそんなことを言ったら命すら危なそうな気がします」


「そうかな? 言ってみればいいじゃないか。私に対しては、散々な言いようじゃないか」

 ジョシアは大きくため息をついた。

「キャロライン様に対しては、苦情も兼ねておりますから。そのままお受け取りください」

「酷い言いようだ。なあ、カルロ」

 カルロがキャロラインにわしゃわしゃとかき混ぜられている。だが、もはやカルロは動じもしなかった。


「ところで、クエッテ殿は、上手くしっぽを掴んだかな?」

 キャロラインはカルロに視線を向けたまま、話題を変えた。

「どうでしょうか。まだ3日しかたっておりませんし」

 ジョシアが首を小さく傾げる。

「3日もあれば、探し出せるんじゃないのか? 王立騎士団、であれば」

「キャロライン様。流石に王都だけ探すとしても広いですし、沢山の人がおりますから。流石にそれは……」

 レインも苦笑する。


「魔法であぶりだせればいいのにな……あ」

 キャロラインの呟きに、3人はギクリとした顔になる。

「キャロライン様! 王都に何かしようとするのはおやめになって!」

 ミアが慌てると、キャロラインがクスリと笑う。

「私が使えるのは、風の魔法と転移の魔法だけだ。火は流石に出せないぞ」

「扱えても、ダメです!」

 レインが厳しい声を出すと、キャロラインは肩をすくめる。


「おとりでもどうかと思ったんだが」

「もっとダメです!」

 レインがキャロラインをギロリと睨む。キャロラインは僅かに両手を上げてレインを落ち着かせるように小刻みに前後に動かした。

「わかった。そんなことはしない。そもそも、思いついただけで怒られるのも腑に落ちんがな」


「キャロライン様、日ごろの行いの賜物です」

 ぴしゃりと告げたジョシアに、キャロラインはちらりと視線を向けただけで、すぐにカルロを撫でる方に意識を向けた。

「ここにはうるさい人間が多いな、カルロ」

 カルロは困ったようにキャロラインを見上げた。


 *


「え? クエッテ様から、お手紙?」

 ミアは咄嗟に手を差し出した。フォレスの手にあった手紙を、ミアが受け取る。

 クエッテがサムフォード家に現れてから1週間経っている。どちらかに進展があったのかと、ミアは咄嗟に思った。

「ありがとう」

 ミアが受け取ると、フォレスは頭を下げて居間を出ていく。代わりに、お茶を持ったケイトが入って来た。


「お兄さま、クエッテ様からお手紙ですって」

 窓辺で一生懸命に書き物をしていたレインに、ミアは近寄る。あて先はレインだったのだが、レインが書いている途中だったためフォレスはテーブルの上に置いて行こうとした。それをミアが受け取った。

 顔を上げたレインが、ミアを見る。

「中身が気になるのだろう? 先に読んでいい」

「でも、あて先はお兄様だわ」


「フォレスからは受け取ったのに。……ちょっと待ってくれ。すぐ終わる」

 苦笑したレインがいくつか書くと、ペンを置いた。ミアが差し出した封筒を、レインがペーパーナイフで開ける。

 レインは読み始めると、小難しい顔をした。そして最後の方で頷くと、その手紙をミアに渡す。

 ミアは受け取ると、便せんを開いた。

 読み始めたミアの表情は、徐々に暗くなり、そして、最後の方でパッと明るくなった。


「クエッテ殿は、頑張っているようだな」

 レインの言葉に、ミアが頷く。

 手紙の最後には、“マーガレットとお茶が出来るようになった”と書かれていた。

「そうね……」

 だが、ミアの表情が暗く沈む。


「ガストンって人……」

 つい、その名前がミアの口から漏れた。

 同時に、カチャンと茶器が音を立てた。ミアとレインは音を立てたケイトを見た。ケイトはバツが悪そうな表情で頭を下げた。

「申し訳ありません。手元が狂いました」

 ミアとレインは顔を見合わせて、もう一度ケイトを見る。


「ガストンという名前を、知っているのかな?」

 レインの問いかけに、ケイトは首を横にふる。

「知っている……と言うよりは、聞いた気がするだけですわ」

「どこで?!」

 ミアが身を乗り出すと、ケイトが苦笑する。

「どこで……でしょう? ……聞いた気がするだけで……記憶はおぼろげですわ。もう、大分昔の話だと思います」

 ミアとレインは同時に肩の力を抜く。


「昔の話だとすると……関係はなさそうだね」

 レインの言葉に、ミアも頷く。ケイトが、あ、と声を漏らす。

「雑貨屋にもガストンさんがいらっしゃいますけれど……?」

 ミアもレインも苦笑する。そのガストンが探しているガストンではないと思うからだ。雑貨屋のガストンはサムフォード家の商会との取引もしていた相手だったが、モートン子爵と関係している話は聞いたこともなかった。それに、手紙の文面からは、明らかに違うだろうと言えた。

「たぶん、そのガストンなら、僕らも知ってる」


 ケイトが眉を下げる。

「そうですよね。ガストンさんは、きっとお探しのガストンさんじゃありませんよね……。申し訳ありません。お役に立てそうになくて……」

「ううん。いいのよ。忘れて?」

 ミアの言葉に、ケイトが頷く。

「ご希望とあらば」


 ミアはケイトのことを信用している。だが、この話を聞いたせいで、ケイトが何か厄介ごとに巻き込まれることは御免だった。何しろケイトは忠誠心が強い。だから、もし何かがあった時に、ケイトが巻き込まれないとは限らなかった。

 だから、忘れて、と頼んだ。

 そうすれば、ケイトが記憶の隅に追いやってくれることも、ミアは知っていたからだ。


 クエッテの手紙には、“ガストンが住んでいた家を突き止めた”ということと、“ガストンが身をくらましたこと”が書かれていた。そして、“キャロラインが足を突っ込んでしまったことで、もしかしたら何か厄介なことに巻き込まれてしまう可能性はあるため、十分注意をするように”と書かれていた。

 キャロラインとジョシアにも忠告が必要だろう。

 ミアとレインは心が軽くはなりそうにない話に、小さくため息をついた。

 とにもかくにも、キャロラインは何をしでかすかわからない。それは二人の共通認識だ。


 *


 ミアは爽やかな風に吹かれながら、小さくため息をつく。

「どうかしたかな? ミア嬢? かわいい顔に、ため息は似合わないよ」

 ニコリと笑うその男性の姿は、整った顔立ちと、金色に煌めく髪を更に優美に見せる。そしてきっと、その顔の人物から褒められれば、確かにほとんどの人は、ぼおっとなるのかもしれない。

「いえ、あまりにも素晴らしいお茶でしたから、感動しておりましたの」

 ミアはニコリと笑って見せた。


 心の中では、キャロラインに抗議をしていたが。

 当のキャロラインはニヤニヤしながらミアを見ていた。

「ねえ、ルルリアーノ様。このお茶、すばらしいわ」

ミアはニヤニヤ笑うキャロラインから目を逸らし、隣に座るルルリアーノに話を振った。

「ええ、そうね」

 無表情のルルリアーノが、小さく頷いた。


「ルルリアーノ嬢の口にもあったようで良かった。今回は、美しいルルリアーノ嬢のために選んだお茶だからね」

 男性がまた微笑む。

 ルルリアーノが視線を揺らす。こんな風に正面切って褒められることには慣れていないのだろう。

「私は、幸せ者だね。こんなに美しくかわいい女性たちに囲まれてお茶ができるんだから」

 ミアは微笑みながら、心の中でため息をついた。


 目の前に、隣国バルオスの第二王子であるファジー・バルオス王子がいる。そして、ここはクォーレ公爵家の庭。

 一体どうしてそうなったのか、未だにミアは理解できていない。

 本当に、キャロラインは何をしでかすかわからない。


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