3.魔王の結婚観
「では、どうぞ」
ミアとレインが応接室の扉を両側から開ける。
応接室に入ったキャロラインが、おお、と声を上げる。
「本当に何もないのだな」
「ええ、ご覧の通り」
レインの言葉に、キャロラインがうむ、と頷く。
次の瞬間、部屋の中に、コンパクトなソファーセットが出現した。
さっきまで何もなかった部屋の中に、二人掛けのソファーが二つ、向かい合って鎮座していた。
「ええっと、キャロライン様、これは?」
レインが尋ねる。こんなことができるのは、この場ではキャロラインしかいない。レインには無から何かを生むような魔法は使えないからだ。
「ああ。私の部屋にあったソファーセットだ。何もないよりもましだろう?」
「えーっと、それは流石に……」
ミアの言葉に、キャロラインがこともなげに首を振る。
「別に構わん。私がここに居るんだ。一体だれがこのソファーセットを使うって言うんだ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
レインがそう返事をすると、キャロラインはツカツカとソファーセットに近づき、ソファーに体を沈めた。
「ジョシアさんも、どうぞ?」
ミアが入室をすすめると、ジョシアが首を横にふって、ミアが押さえている扉を押さえた
「私は単なる付き添いですので。お二人こそ先に入られてください」
ジョシアの言葉に、ミアとレインが部屋に入る。
「ところで、狼はどこに?」
キャロラインが後ろを振り向いた。レインはジョシアがまだ押さえているドアから顔を出した。
「カルロ!」
レインの呼び声に、カルロが走ってやって来る。するりとレインの足元にカルロが寄り添う。
「おお、狼だ! カルロ、と言うのか!」
キャロラインが勢いよくソファーから立ち上がってソファーの脇にしゃがみ込む。
「ほら、おいで」
キャロラインが手を伸ばし、カルロを誘う。その声は跳ねている。
カルロは困ったような顔をしてレインを見上げた。
「カルロ、行って」
レインは願いを込めてカルロに告げた。カルロは迷いなく真っすぐキャロラインに向かう。レインもそのカルロの後ろに付いて行く。
「おお。いい子だ」
キャロラインは嬉しそうな声を出してカルロの背中を撫でた。そして、一度撫でるとタガが外れたように、カルロを抱きかかえるようにして撫でまくった。
カルロは困ったように時折レインを見るが、レインもどうしようもないと首を小さくふるだけだ。
一人と一匹のこの光景は、永遠に続くような気さえする。
ミアはハッとして、口を開いた。
「ところで、キャロライン様は、その……結婚相手を求めて、我が家にこられたのですよね?」
「はい?」
顔を上げたキャロラインの声は、そんな話は聞いてもないとでも言わんばかりだ。ミアは固まる。あの招待状を出したこと以外で、キャロラインがこの家にくる用事などないと思えたからだ。
ジョシアが肩をすくめた。
「キャロライン様。確かにそう言うお話でしたよ。そうしたら、キャロライン様が『狼がいるところなら行ってもいい』とおっしゃったじゃないですか」
なるほどそう言う話だったのか、とミアとレインは納得する。
「そう言えば、そうだったのかもしれない」
キャロラインはそれだけ言うと、興味がないとも言いたげにカルロをまたわしゃわしゃと撫で始めた。
「ええっと、キャロライン様? 結婚相手を探しに、我が家にいらっしゃったんですよね?」
ミアが再度問うと、キャロラインは首をゆっくりとふった。
「結婚に興味などない」
「キャロライン様。公爵様が悲しみますよ」
ジョシアが間を開けず口を開いた。
「知らぬ。既に姉たちも兄も結婚しているではないか。私一人結婚せずとも、困りはしまい」
キャロラインは5人兄弟の末っ子で、他の4人は既に結婚している。
「……えーっと、そうなのですか。そうなんですね。キャロライン様は結婚を望んでおられないわけですね……」
ミアは相手を探していないと言われて、ホッとしたような、でも顧客にならないと分かると惜しいような気持ちになっていた。クォーレ公爵家であれば、かなり高額の成功報酬が望めたと思うからだ。
「ミア、そんなに簡単にお金が手に入るわけじゃないってことだよ」
レインがミアの肩を叩く。
「お兄さま。お金を稼ぐって、大変なことですのね」
ミアは片頬に手のひらを当てると、ため息をついた。
レインは店の経営に関わっていたが、ミアは殆ど関わっていなかった。だから、お金を稼ぐことの大変さを身に染みたことがなかった、ということもある。
「大丈夫だ、ミア。この家を売ってしまえば、ひとまず資金は出来る。その後に、また考えよう」
「何だ。この家を売る気なのか?」
いつの間にかキャロラインがソファーに座っていた。ミアもレインも驚くが、キャロラインはずっとそこに居たかのように、ソファーの上に寝かされているカルロを撫で続けている。
カルロの表情には、あきらめが見えた。
「そうですね。我々が資金を手っ取り早く手に入れる方法は、他にはありませんので」
レインはカルロを不憫に思いつつ、そう告げた。
「そんなに金がないのか?」
「笑ってしまうくらいないのです。元々の使用人たちが不憫に思って食料や服などを差し入れてくれていますので、何とか生活できている状態です」
ミアの言葉に、レインが頷く。
「使用人たち……?」
キャロラインが首をかしげる。想像がつかないのかもしれない。
「お二人、いやサムフォード家の方たちは、使用人たちを大事にしていたんですね」
ジョシアの言葉に、ミアもレインも首をかしげる。
「普通に接してきたつもりではありますが」
レインの言葉に、ジョシアが首を振る。
「それが、使用人たちにとっては、大事にされていると思えるものだったんだと思います。使用人の扱いが酷い家の話も、耳に挟むことがありますので」
「なるほどな。だが、二人は家を売って、それでどうするつもりだ?」
キャロラインの言葉に、ミアもレインも詰まる。
「愚かだな。計画性のない行動は、身を滅ぼすぞ」
「それ、キャロライン様に言われたくない言葉ですよ」
ジョシアが呆れた顔で首を横にふった。
「うるさいぞ、ジョシア。私は計画性がないわけじゃない。単に衝動的なんだ」
「キャロライン様。言ってることが滅茶苦茶ですよ」
ジョシアの返事に、ついミアもレインも頷いてしまった。
「知るか。……私が結婚相手を紹介されれば、お前たちに金が入るのか?」
唐突な申し出に、ミアはぱちくりと瞬きをした。
「えーっと、まあ、いくらかは頂くことになると思いますけど……一応結婚が決まったら、きちんとした報酬をいただくことになりますので」
ミアの答えに、キャロラインがふむ、と顎に手を当てた。
「結婚か。正直する気はないんだ」
間違いなくそうだろうと思ったが、ミアとレインは曖昧に頷いた。
ふ、とキャロラインの顔がレインに向かう。視線を感じたレインは、何事かと目を泳がす。そもそも日々、人に会わない生活をしているため、人に見られるのには慣れていない。
「ソファーに座らないのか?」
ほぼ座れの命令だと理解して、レインとミアは並んでキャロラインの向かいに座る。
キャロラインの視線は、レインに向かったままだ。
「そのあごの傷、何か覚えがあるな」
「あごの傷、ですか?」
レインが首をかしげる。
「その傷、いつできたんだ?」
キャロラインの言葉に、レインが指を折り始めて、すぐに止まった。
「丁度10年前のことです」
切りのいい数字だったため、レインはすぐに思い出せたらしい。
「……10年前……もしかして、狼を連れていた時か?」
具体的な指摘に不思議に思いつつ、レインは頷いた。
「カルロの前に飼っていた狼を連れていた時でした」
「ああ、そうか。それでこの狼には見覚えがないんだな」
きっぱりと告げるキャロラインに、レインは嫌な予感がした。
「あの時は、私も若かったからな。どうしてもすぐに狼が手に入れたくて、つい攻撃をしてしまったんだ」
キャロライン以外の3人が固まる。
「……あの、キャロライン様。それって、どういうことでしょうか?」
おそるおそる、ミアが問いかける。
「ほら、私だ。見覚えはないか?」
キャロラインがフードを取ると、銀髪の菫色の目の女性が現れた。美女、と言っていい類だが、美女の口元は面白そうにニヤリと笑っていて、とても褒められる表情ではなかった。
「……もっと幼かったように思いますが、確かに、その笑い方には覚えが……」
「よし、決めた。レイン、お前が私の結婚相手だ」
部屋に沈黙が落ちた。
「……キャロライン様、言ってることが無茶苦茶です」
一番最初に気を取り直したジョシアが、キャロラインに告げる。
「どこがだ。私は狼がいる家ならば結婚していいと言っているじゃないか」
きっぱりと告げるキャロラインに、ジョシアが咳ばらいをした。
「キャロライン様、結婚は、狼とするわけではありませんよ?」
「そんなことわかっている! だが、狼がいることは絶対条件だ!」
ムッとしたキャロラインの表情は、実年齢よりも幼く見えた。
「えーっと、嫌です」
我に返ったレインがきっぱりと告げた。
「どうしてだ?」
キャロラインが目を見開いた。
「……キャロライン様。お言葉ですが、私は自分を躊躇なく攻撃してきた相手と結婚したいとは思いません。……あの時、シリウス……狼が間に入らなければ、きっと私はもっと痛めつけられていたんですよね?」
「そうだな」
「……そういう相手とは……結婚は難しいかと……」
キャロラインにじっと見つめられて、レインの言葉が尻すぼみになる。
「私はこの間、飼っていた狼を亡くしたんだ。そして、新しい狼が欲しい」
「ですから、キャロライン様、無茶苦茶です」
口をはさむジョシアを、キャロラインがギロっと睨む。
「何だ、自分に彼女がいないからって、うらやましいのか」
「そんな話じゃありません」
「えーっと、キャロライン様。それは全然違うと思いますよ」
ミアもジョシアが可哀そうになって口をはさむ。
「ミアも、反対だよな?」
レインは味方が増えたとホッとして、ミアに問いかける。
が、ミアは頷かなかった。