23.マーガレットとモートン子爵
「ごきげんよう、マーガレット様」
「ごきげんよう、マーガレット嬢」
ミアとジョシアの声に、モートン子爵がギクリと動きを止め、マーガレットを掴んでいた手を素早く離した。
「モートン子爵も、ごきげんよう」
ミアが礼を取ると、モートン子爵がぎこちない笑みを浮かべてミアを見た。
「ああ、ミア嬢。ごきげんよう。今日は……ああ、婚約者殿とデートかな」
ジョシアを一瞥したモートン子爵は、明らかに好意的ではない視線を小さなため息とともに外した。
「初めまして。ジョシアと申します」
ジョシアが頭を下げると、モートン子爵はおざなりに頷いた。
「これからマーガレット様と会う約束でしたのよ」
ね、とミアが微笑めば、マーガレットも先ほどまでの困った表情ではなく、ツンとすました表情で頷いた。
「そうよ。来るのが遅すぎて、困っていたところなのよ。お父様とお母様も我が家で待っているわ」
「あら、お待たせしすぎたかしら。ごめんなさい。それで、モートン子爵とお話を?」
ぺこりと頭を下げたミアは、モートン子爵に視線を向ける。
モートン子爵は肩をすくめた。
「マーガレット嬢が暇を持て余していたようだったので、話をしていたんだ」
マーガレットは一瞬だけ目を細めて、微笑んだ。
「モートン子爵、お時間をいただきありがとうございました。それではごきげんよう」
マーガレットは礼を取る。
「ごきげんよう」
ミアも礼を取ると、ジョシアがぺこりとモートン子爵にお辞儀をした。
「あ、ああ」
モートン子爵は何か言いたげな表情をしたが、ふい、と背中を向けて立ち去った。
「行くわよ」
マーガレットが歩き出す。ミアとジョシアはマーガレットの後ろを着いて歩き出す。
「マーガレット様、大丈夫ですか?」
使用人が慌ててマーガレットに駆け寄ると、マーガレットに声を掛ける。
「ええ。彼女たちのおかげで助かったわ。……あなたも、モートン子爵の言いなりにならずに、傍にいてくれてありがとう」
一瞬瞬きをした使用人は、笑顔を見せる。
「いいえ。マーガレット様に何かあっては、困りますので」
「そうね。それは当然だわ」
ツン、とマーガレットは前を向いた。だが、使用人の表情は陰ることはなく、口元は上がったままだ。
ミアとジョシアは顔を見合わせて、表情を緩めた。
「ともかく、助かったわ。本当にしつこいのよ、あの方」
マーガレットがぼそりと呟いた声に、ミアは速足でマーガレットの隣に移動した。
「その言い方だと、今回が初めて、ってわけではないんですね?」
ミアをちらりと見たマーガレットは、小さくため息をついた。
「家についたら話すわ」
首を振ったマーガレットは、ミアの目からも、うんざりしているように見えた。
*
ノーム男爵家の屋敷は、伝統的な重厚な作りのお屋敷で、古さで言えば、王都でも指折りのお屋敷だ。サムフォード男爵家とは違い、古くから代々続く男爵家だ。
重厚な扉を開けると、使用人がマーガレットの帰宅と、ミアとその婚約者の来訪を屋敷に告げる。
すぐに奥から、ノーム男爵夫人が顔を出した。
「あら、ミア嬢。いらっしゃい。お見合いの打ち合わせかしら?」
のんびりとした口調のノーム男爵夫人に、マーガレットが首を横にふった。
「違うわ。モートン子爵に絡まれているところを助けてもらったの」
「……モートン子爵……まだ諦めていらっしゃらないのね」
ほぅ、とノーム男爵夫人がため息をついて、ミアたちを見た。
「ともかく、ありがとうございます。……モートン子爵からの縁談は、とっくにお断りしているんですの」
「……でも、モートン子爵は、マーガレット様との結婚を諦めていらっしゃらないんですのね?」
ミアの言葉に、曖昧にノーム男爵夫人が頷く。
「そのようですわ。……私共も、初めて知ったんですけれど……」
「私みたいに若い傷物の令嬢で、モートン子爵が気軽に申し込める家柄なのは、うちだけだからですわ。他のところは、侯爵家以上ですもの」
マーガレットの指す“若い傷物の令嬢”は、婚約破棄をされた令嬢のことだろう。確かにミアが知る限りには、モートン子爵の立場で簡単に申し込めそうな格式なのは、ノーム男爵令嬢であるマーガレットだけだった。
「マーガレット。自分を傷物と呼ぶのは、おやめなさい」
ノーム男爵夫人の言葉に、マーガレットは肩をすくめる。
「そうしたいところだけど、次の婚約も簡単にいかないんだから、傷物ってことで間違いないでしょう?」
ノーム男爵夫人が、マーガレットを困ったように見る。
「今までも、引き合いはあったじゃありませんか。でも、あなたが庶民との結婚は考えられないと言って、断ってばかりだったでしょう? 良縁もありましたのに」
「だって、お父様だって、出来たら庶民じゃない方がって言ってらしたわ」
「……お父様は、出来たらって言っていたでしょう? ……もう、おじい様はいらっしゃらないのよ? 庶民だから、と馬鹿にするのはおやめなさいって、あれほど言っているでしょう?」
「……はい、わかりました、お母様。ミア様、こちらへどうぞ」
マーガレットは肩をすくめるとミアに声をかけて歩き出す。
「……クエッテ様も、良縁だと思うのよ?」
ノーム男爵夫人が呟いた言葉に、背を向けたマーガレットがピクリと小さく反応した。
後ろを歩くミアとジョシアは、お互いに顔を見合わせた。
*
「どうぞ、ジョシアさん、だったかしら」
ソファーに腰掛けず佇んでいたジョシアに、マーガレットが声を掛ける。
「よろしいんでしょうか?」
「今は騎士の仕事をしているわけではなくて、ミア様の婚約者でしょう?」
「どうして、騎士と?」
ジョシアの問いかけに、マーガレットが首を傾げる。
「ミア様の婚約者がクォーレ公爵家の騎士だということは有名ですわ」
マーガレットの言葉に、ジョシアは苦笑して頷いた。
「ところで、モートン子爵は、一度断られた後は、特にご両親にはアプローチをされていないんですね?」
カップを置いたミアがマーガレットを見ると、マーガレットが頷いた。
「ええ。してないわ。ただ、夜会に行って会うようなことがあると、両親の目を盗んでしつこく話しかけてくるの」
「……そうですか。今日のようなことは以前にも?」
ジョシアの問いかけに、マーガレットは首を横にふった。
「あんな強引なことをされたのは、初めてよ」
「……モートン子爵は、結婚に焦る理由でもあるのでしょうか?」
ジョシアの疑問に、マーガレットは首を振る。
理由は知らないらしい。
「ヒアリア元伯爵の遺産を40才までに受け取ることになっているんだけど……その条件がモートン子爵に子供がいること、だって話だわ」
ミアが顎に手を当てたまま、呟く。
マーガレットとジョシアは驚いた顔をしてミアを見た。
「あなた、よくそんな話、知っているわね」
「そうかしら? ヒアリア元伯爵が亡くなった時、噂になっていたわ」
モートン子爵はヒアリア元伯爵の次男の子供だった。その次男は早々に亡くなり、モートン子爵は20代という若さでモートン子爵の名前を継ぐことになった。きっと、その次男に入る予定があった遺産をモートン子爵が手に入れることになっているのだろう。
「でも、なぜ40才までに子供がいることが条件に?」
ジョシアの言葉に、ミアが肩をすくめる。
「ヒアリア元伯爵は、子供がいない人は一人前だと考えない方だったみたい。……モートン子爵が前の奥様と離縁した理由は、子供が出来なかったこと、みたいだったから」
なるほど、とジョシアが頷く。
「私は、若いから、ちょうどいい子供を産む道具として目をつけられたってわけね」
マーガレットがうんざりした様子でため息をついた。
「いや、そこまでとは……」
ジョシアが困った様子で告げる。
「結局は、そう言うことでしょう。そんなことに巻き込まれるなんてまっぴらよ。……本当に、ご老人は、皆頭が固いのね」
マーガレットが遠くを見つめる。
「それは、あなたのおじい様のことを言っていて?」
ミアの指摘に、マーガレットがミアを呆れた顔で見る。
「あなたは、色んな事をご存じなのね?」
だが、ミアは首を横にふった。
「ノーム男爵夫人が、マーガレット様に注意されていたから、そうなのかと思っただけですわ」
ミアの言葉に一瞬考え込んだマーガレットが、ああ、と声を漏らす。
「そう言えば、そんな話をしたかしら。……そうね。私が庶民を見下すようになったのは、おじい様の影響が大きいでしょうね」
「……お父上、ノーム男爵は、その影響を受けていらっしゃらないのですか?」
ジョシアの言葉に、マーガレットは首を傾げる。
「受けていないと言えば嘘になるでしょうね。でも、お母様にたしなめられれば黙り込むの。だから、私程影響は受けていないんじゃないかしら」
ミアも頷く。以前、一度見合いのためにノーム男爵夫妻と会話した感じから受けた印象は、マーガレットが話した通りの印象だった。
ミアが庶民を紹介してもいいのか、という問いに、ノーム男爵は渋る様子を見せたが、ノーム男爵夫人がきっぱりと「構わない」と告げたのを見て、あっさりと頷いていたからだ。
「……モートン子爵は、なぜマーガレット様にこだわるんでしょう?」
ジョシアの問いかけに、マーガレットは首を横にふった。
だが、ミアがため息をつきながら口を開いた。
「モートン子爵は、それこそ貴族主義の方だから。貴族であり、かつ子供を産めそうな若い女性を探しているんじゃないかしら」
「いやよ。……もし貴族に嫁ぎたいと思っても、あの方だけはごめんだわ」
マーガレットの表情が険しくなる。
「……マーガレット様、クエッテ様とのお見合いは暫くないんじゃないかと思うの……婚約の形だけを整えるのを考えるのであれば……他の方とのお見合いを急いだほうがいいかしら?」
「それも、いや」
即答するマーガレットに、ミアは瞬きをする。
「でも……少なくとも婚約者が出来れば、モートン子爵の選択肢からは外れると思うんだけど……」
「私は、待つと言ったわ」
ツン、と顎を上げるマーガレットに、ミアは肩をすくめた。
「だけど……今の状況だと、モートン子爵のアプローチは続くんじゃなくて?」
「どうにかするわ。これでも、貴族令嬢ですもの。殿方一人くらい、あしらえなくてはダメでしょう?」
マーガレットは気にする必要はないとでも言いたそうに、首を横にふった。
「ですが、マーガレット嬢。男性と女性では力の差もありますし……さっきも、人目を避けてマーガレット嬢を捕まえていたようにも見えましたから……くれぐれもお気を付けください。油断はされないよう」
ジョシアが硬い表情で告げる。
「出かけるときには、誰か男性の使用人を連れて行くことにするわ。それに、あの方、そんな大それたことなどできないわよ。あなたを見て逃げたくらいよ?」
マーガレットは苦笑していたが、ミアもジョシアも心配そうにマーガレットを見つめていた。




