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21.グルグガン商会の書類

「悪いが、この書類の取り立てを忘れていたんだ」

 アイザックがサムフォード家の屋敷に顔を出したのは、キャロラインから気をつけろと言われた1週間後のことだった。

 突如やって来たアイザックに、ミアとレインが玄関ホールで対峙する。


「噂をすれば、なんとやら、だな」

 アイザックの名前を聞いて、キャロラインが応接間からカルロと共に玄関ホールにやって来た。その後ろには険しい顔のジョシアがいる。

 ククク、とキャロラインが笑う。そして、アイザックが付きだした書類をキャロラインがすい、と取る。


「何だこれは。また、法外な金額が書き込まれているな」

 キャロラインが目を細めて、その書類をレインに渡した。

「……どういうことでしょうか?」

 レインの声が低くなる。ミアも書類を覗き込む。

 それに対して、アイザックが得意げに鼻を鳴らす。


「取り立て忘れていた書類だと言っただろう?」

「それは、おかしいですわ」

 だが、ミアが冷静な声で、反論した。

「何がだ」

「この日付」

 ミアが指さしたのは、書類を取り交わした日付だった。


「それが、どうした」

「その日、お父様は、買い付けのために王都にはいなかったわ」

 ミアの言葉に、レインがハッとなる。

「それは、お前の勘違いだろう!」

 アイザックには動揺は見えなかった。


「いいえ。その日、お母様と私だけで夜会に行ったのだもの。間違いないわ」

 ミアが首を横にふる。その言葉には、確信があった。

「人間は記憶違いがある。完全に思い違いだ。それに、ここに書類があるのだぞ!」

 だが、アイザックは全くひかなかった。


「いいえ。その日は、夜会でルルリアーノ様が婚約破棄をされて大騒ぎだったのよ。忘れるわけがないわ。それに、お母様の日記にも書いてあるわ」

「……それならば、ミアの記憶は正しいだろうな」

 レインの言葉に、アイザックが慌てる。

「それは、この契約があったから、夜会に行かなかっただけだ。いなかったから他の理由だったと勘違いしているだけだろう?!」


「では、もっと証拠になるものを持ってこようか。父上は几帳面でな。旅先の支出も日付をきちっとつけて取っているんだ」

「偽装の書類は、罪に問われると、ご存知ですか?」

 ジョシアが冷たい声で付け加えた。

「そ……何だ、お前たち! 支払いたくないからってごちゃごちゃ言いやがって! 今日は、もういい!」

 アイザックは吐き捨てると、書類をビリっと音をさせながら奪い去り、どすどすと音を立てて屋敷を後にする。


 バタン、と扉が閉まると、ホッとした空気が広がる。

「……一体、何のために……」

 レインが首を横にふる。レインの手元には、契約書と言われたものの一部が残されている。

「大方、またうちのお金を奪って、お金がない状態にして、脅そうとしたんじゃないかしら?」

 ミアがため息をついた。


「悪質だな」

 ジョシアの表情は険しいままだ。

 手元に残された書類に目を落としたレインが、首を傾げる。

「これ……本当に父上のサインだろうか」

 え、と声を漏らしたのは、他の3人だ。レインの手元には、父親のサインの一部が残されていた。慌てていたとはいえ、サインした部分を残して出ていくなど、アイザックはこの書類がニセモノだと言っているようなものだった。


 そして、ニヤリ、と表情を変えたのは、キャロラインだった。

「面白そうな話だな。ゆっくりと聞こうか」

「……父上の書いた書類を持ってきます」

 レインがコクリと頷き書斎に向かうと、ミアとキャロライン、そしてジョシアは応接間に移動した。


 *


「ほら、このサインと、ちょっと違いますよね?」

 レインが指さすサインと、アイザックが残していった書類のサインをミアは見比べたが、違いが分からなくて首を横にふった。

「お兄さま、わからないわ」

「私にも、わからんな」

 キャロラインも書類をじっと見つめたまま呟いた。


「もしかして、点の打ち方が、ちょっと違いますか?」

 一緒に覗き込んでいたジョシアの言葉に、レインが顔を上げた。

「わかるかい?」

 ジョシアが鈍く頷く。

「何となくですけど、点が始まる位置が他の書類と違っているような気がします」


「私もそう思うんだ。父上は、点をこの位置から始めているんだ。ほら、この書類も。でも、アイザックの書類の点は、そもそも始まる向きが違っている」

「本当だわ」

 ミアが頷く。

「なかなか、面白い展開になって来たな」

 キャロラインがニヤリと笑ってレインを見た。


「キャロライン様、全然面白くなどありません。……もしかしたら、両親が亡くなった後にグルグガン商会が持ってきた書類も、偽のサインだったのかもしれません」

 レインがキャロラインをたしなめるように見た後、視線を落とした。

「きっと、そうだわ! そもそも、グルグガン商会とうちは全く関わりがなかったはずなのに、あんな書類があるなんておかしいもの!」

 ミアがきっぱりと告げる。


「じゃあ、どうしてその時に異を唱えなかったんだ?」

 キャロラインの言葉に、レインとミアが顔を見合わせて眉を寄せる。

「グルグガン商会が嘘を言っているかもしれないことを、証明できなかったんです。どう反論しても、書類があると言われてしまえば、証拠があるわけで……」

 レインが肩を落とす。

「私だって、しっかりとした反論をできなかったんです。……両親が突然亡くなって、これから店をどうしていこうって思っている時に、突然グルグガン商会の者たちが大勢やってきて……」

 ミアが両手を組んで額に押し付けた。


「キャロライン様、両親が亡くなって途方に暮れている二人に、精巧な書類を持ってきて大勢で脅されれば、誰だってまともな判断能力など維持できません。二人とも、まだ若いですし……レイン殿は人と関わりを持たないで暮らしてきたわけですし……」

 ジョシアが二人をかばう様に告げる。

「まあ、それで仕方なかったとしてもだ。……その書類の控えは?」

 キャロラインの言葉に、レインは首を振った。


「こちらにそのような書類は存在しないんです。一方的に持ってきた書類を履行しろと……。ですから、履行されるまでは証拠になるものだからと、グルグガン商会が持って帰ってしまいましたし」

 キャロラインが小さくため息をついた。

「普通は、借金の形を取ったら、返却されるものじゃないのか?」

 レインが頷く。

「ですから、書類を欲しいと言ったんです。いえ、言っているんですが、色んな理由をつけて未だに渡してくれないんです」


 ジョシアが首を横にふった。

「益々、きな臭いですね」

 キャロラインが頷く。

「大方、その書類がニセモノだとバレるかもしれない可能性を減らしたいんだろうな」

「……もう一度、グルグガン商会と話をしてみます」

 レインが俯いた。


「……あの時見破れていれば……お父様たちが集めて来たコレクションも手放さずに済んだのに……」

 ミアが顔を覆った。

「ですが、その書類が完全にニセモノと決まったわけでもありませんし……」

「ジョシア、それは全然なぐさめになっていないぞ」

 キャロラインがジョシアを見て肩をすくめた。


「そうですね。本物ではない方がいいですわ」

 困った顔でミアがジョシアを見た。

「一体、グルグガン商会は何をしたかったんだ?」

 キャロラインの問いに、唇を噛むミアが視線を向ける。

「アイザックが、私との結婚を望んでいたから、結婚するしかないようにしたかったんだと思います。勿論、サムフォード家の店の権利も欲しかったんでしょうけど。……グルグガン商会では扱っていない商品も多かったですし……」


「……騙された……のか」

 レインがぎゅっと拳を握る。スン、と鼻を鳴らしたミアが、なぜか笑顔を見せた。

「お兄さま。これはきっと単なる試練よ。私たちが二人、しっかりと生きて行けるようにするための試練。だって、あんなことがなければ、私達、新しい事業を始めようなんて思いつきもしなかったわ。下手をしたら、折角お父様たちが作り上げたサムフォード家の資産を、食いつぶすだけで終わっていたかもしれないのよ。だから、私たち自身がきちんと生きていくために、試練が与えられたのよ」


 ほう、とキャロラインがミアを見た。ジョシアも驚いたようにミアを見る。

 レインが単なる試練、と呟いた。

「私がずっと人と関われないでいたせいで、きっとグルグガン商会にいいようにされてしまったのもあるから。……うん。その試練、立ち向かってみせよう。手始めに、グルグガン商会からあの書類を貰わないといけないな」

 しっかりとミアを見たレインに、ミアも頷く。

「そして、あの書類がニセモノだったと証明しましょう! だって、騙されたままなんて、悔しいもの!」


「あの……一つだけ」

 ジョシアが、申し訳なさそうに口を開く。

「何だ、ジョシア。言え」

 キャロラインに促されて、ジョシアが頷く。

「その書類がニセモノだとするのならば、グルグガン商会は危ない橋を渡っていることになります。そこに足を踏み入れるとすれば、お二人に害をなそうとする可能性は大いにあると思います」

 ジョシアの忠告に、ミアとレインの二人が神妙な顔でコクリと頷いた。


「そうだな」

 キャロラインも頷く。カルロも心配そうにレインを見ている。

「だからなんだ。とりあえず、ミアとジョシアはデートしてくると良い。そして、二人の仲が安泰だと見せつけてくるといい」

 だが、その後に続いたキャロラインの言葉に、ミアはきょとんとして、ジョシアは呆れた目でキャロラインを見て、そしてレインはプッ、と吹き出した。

 キャロラインの腕のなかにいたカルロは、尻尾を揺らした。

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