20.見合い中断中の仕事
「見合いは中断になるのか?」
カルロをモフモフと撫でるキャロラインの問いかけに、ミアとレインが肩をすくめる。
応接間には、ミア、レイン、キャロライン、そしてジョシアが揃っていた。ジョシアは今日も小さな小部屋に追いやられていたが、今日の出番はなかった。
「ええ。話の通りですわ」
「……その間、どうするんだ?」
キャロラインの問いかけは当然だった。今、サムフォード家の事業は、この見合い業だけだからだ。
「そうですね。新しく行うことの計画を考えることにします」
レインの答えに、あ、とミアが頷いた。確かに、使用人の子供を預かるシステムを作らなければならなかった。でも、レインが自ら言い出してくれるとは思っていなかった。勿論、レインの能力に不安を持っていたわけではない。引きこもり生活が長い兄が、何かを新しく始めようと言ってくれるとは思っていたなかったのだ。
「新しい計画?」
キャロラインの問いかけに、レインが頷いた。
「詳細はいずれ」
ミアは目を見開く。レインがキャロラインに告げなかったということは、事業として行うつもりなのかもしれない。ミアはレインが本当にやる気になっていることに、頬を緩ませた。
「そうか。面白い計画なのか?」
レインを見て、キャロラインがニヤリと笑う。
「そう……なるでしょう」
レインが頷く。ミアは微笑んで大きく頷いた。
「そうしましょう。お兄様」
レインが何かを自らやる気になった。それはミアの中では、相当価値のあるものだ。
「そうか。楽しみにしておこう」
「あの、キャロライン様。楽しみにされるのは結構ですが、いつまで滞在されるおつもりですか」
ジョシアが問いかける。
確かに、とミアとレインもクスリと笑う。既に滞在は2ヶ月に及んでいる。カルロもだいぶキャロラインになついてきているように見える。
キャロラインはカルロをモフモフする手を止めずに口を開く。
「飽きるまで、かな」
「……もう少しまともな理由を使ってください」
はぁ、とジョシアが大げさにため息をついてみせる。
「ところで、先ほどの薬の件だが」
ジョシアの気苦労など知らないとばかりに、キャロラインがカルロを撫でる手を止めた。
「ええ、クエッテ殿は、フィリアス伯爵家の薬のことを気にされていましたね」
レインが頷く。
「痛みを取り除く薬とは?」
「手術をする際に、痛みを感じなくする薬だそうです」
ミアがあの時パーティーで聞いた話を思い出しながら話す。
「そうれはそれは、すごい薬だな。今までは痛みに耐えねばならなかったと聞くが」
「そうですね。パーティーに招かれた際にも、すばらしい薬だと話題になっておりました」
レインも頷く。
だが、その素晴らしい薬を、王家の騎士団は気にしている。その理由が思い至らなかった。
「ちなみにどうやって痛みを感じなくするんだ?」
キャロラインの言葉に、レインは首を横にふった。ミアは小さく首を傾げた。薬の仕組みには興味がなかったせいで聞いてはいなかった。
「どうやら、眠くなるとか……聞いたような気がします。きちんとは理解できていませんが」
ジョシアがその質問を引き取った。
「眠くなる……そんな薬か」
キャロラインが遠くを見たまま、カルロを撫でるのを再開した。
「キャロライン様、どうかされましたか?」
「そんな薬があれば、誰でも眠らせてしまうのだろうな」
キャロラインの言葉に、ミアもレインもハッとする。
「そんなこと!」
レインが慌てたように首を横にふる。
「だが、けが人だけを眠らせるわけではあるまい?」
「ですが! フィリアス家では、薬の管理を厳重にしているはずですわ! だから信用があるわけですし!」
ミアも慌てて擁護する。フィリアス家の薬をサムフォード家の店で扱っていなかったのは、客の要望がなかったから、ではなくて、フィリアス家が薬の取り扱いを厳重にしていたためだ。
「フィリアス伯爵家は、医師や薬師にしか薬を売っていないはずです」
レインが淡々と告げる。
「……だが、王家の騎士団が気にしているということは、その薬がどこかに流れてしまった、ということじゃないか?」
キャロラインの言葉に、ミアとレインは顔を見合わせて、困ったように首を横にふった。
「それ以外に、王家の騎士団が動き出そうとしている理由はないでしょうね」
ジョシアも頷く。
「そんな風に使われるなんて……恐ろしいわ」
ぶるりと体を震わすミアに、キャロラインが視線を向ける。
「グルグガン商会は、怪しいものを扱ったりしないのか?」
ミアとレインが意味ありげに視線を合わせる。
「あるのか?」
キャロラインの問いかけに、レインが首を横にふる。
「私たちにはわかりませんが……客のどんな要望にも応えると、豪語している店ですので……。時には違法な取引もしているのかもしれません」
ミアが告げる。
グルグガン商会のきな臭い話は、稀に噂にも上る。だが、それは確証も何もない話で、断言できるようなことはない。
ミアの両親がアイザックとの結婚を認めなかった理由の一つは、噂に昇る後ろ暗い部分を嫌っていたからだともミアもレインも理解している。
「ミア、身辺には気を付けた方が良い。もしグルグガン商会が、その薬を手に入れているとしたら、あの男、何をしでかすかわからないだろう?」
キャロラインの忠告に、ミアが硬い表情で頷いた。
「……誰か護衛に雇うか?」
レインの言葉に、キャロラインが顔を向ける。
「ジョシアがいるだろう。幸い、ミアの婚約者だ」
「……あの、キャロライン様。確かにミア様のことは心配です。ですが、私の雇い主はクォーレ家ですので……」
ジョシアが困ったように告げる。
ミアも困ったように頷いた。
「他の人間をもう一人連れてくればよい」
あっさりと言ったキャロラインに、ジョシアがため息をついた。
「あっさりと言いますが、キャロライン様。キャロライン様の行動についていけない騎士が続出しておりまして、キャロライン様付きがコロコロ変わるのも困るのです」
「……そうか。ならば、他の者をミアに付けるのか? おかしいだろう。婚約者なんだから、隣に立っておけばいいだろう」
「いえ、キャロライン様。護衛については、サムフォード家で用意いたしますので……」
レインの言葉に、キャロラインが首を傾げた。
「当てはあるのか?」
レインが肩をすくめる。
「伝手はあります。遠出する時には、両親はそこから護衛を雇っておりましたし」
なるほど、とキャロラインが頷いた。
「あ」
ミアが声を漏らす。
「どうかしたか?」
レインがミアを見る。
「護衛を頼んでいたところは、確か……あの事故のあと、もう護衛を受けていないって話よ」
「え? 本当か?」
レインが目を見開く。そして、目を伏せた。
「もしかして……あの事故の責任を感じた……のか?」
「事故?」
キャロラインの声に、レインが顔を上げた。
「ええ。両親が亡くなった事故の時にも、護衛を頼んでいたんです。ですが、両親の乗った馬車が道から外れて横倒しにあって……一緒の馬車に乗っていた御者と両親と、確か、護衛見習いだった一人が亡くなったんです。……もう一人の護衛役は何とか助かったんですけれど」
「……なるほどな。そうすると、当てはなくなったわけだ」
レインは困ったように頷いたが、口を開く。
「ですが、そこまでキャロライン様たちの世話になるわけにはいきませんから」
「頑固だな……今までも、ミア嬢が外出の時に、ジョシアも一緒に行っていただろう?」
「それは! もしかしたら危ない目に自分たちがあうかもしれないということを考えていなかったからです。我々が狙われるとすれば、この家だって危なくなります。ならば、キャロライン様から護衛がいなくなるのは、問題がありますから!」
「家にいるのであれば、風の魔法を常時発動させておけばよいだけだ。そもそも、誰か一人か二人、護衛役に雇う余裕はあるのか?」
キャロラインの言葉に、ミアとレインが顔を見合わせる。
「なくは、ないです。ただ、常にとなると、難しいかもしれません」
レインの言葉に、ミアが頷いた後、キャロラインを見る。
「ですが、アイザックはそこまでするでしょうか?」
「私はあの男のことを知らぬからな。二人はどう思うんだ?」
「……そこまでのことを考える気はしません。もし、考えているなら、もうすでに何か起こっていてもおかしくはないと思うんです。私が最後に会ったのは、キャロライン様が追い返してくださったときですし……2か月は経っていますもの」
だからミアは、自分の身に何かが起こるようなことはあるとは思えなかった。
あのアイザックならば、早々に行動を起こしている気がするからだ。
「私も、そう思います」
レインが頷く。
「まあ、二人がそう感じているのならば、そうなのかもしれん。だが、気を抜かない方がいいだろうな」
キャロラインの言葉に、ミアとレインが頷く。
「ところで」
キャロラインがカルロの撫でる手を止めた。
「ミアとジョシアはデートはいいのか?」
え、とミアは止まり、ジョシアが肩をすくめた。
「なぜ、そんなことを言い出したのですか、キャロライン様」
ジョシアの声は呆れている。
「アイザックが良からぬことを思うとすれば、お前たちの仲が上手くいっていないと思ったときだろう?」
ニヤリと笑う
「え、いや……」
ミアが顔を赤くする。
「キャロライン様、ミア様をからかうのはおやめください」
コホン、とジョシアが咳ばらいをする。
「とりあえず、しばらく見合いはないんだろう? 二人でデートしてきたらいい。いい牽制になるぞ」
キャロラインの言葉に、ミアとジョシアが顔を見合わせた。




